http://www.asyura2.com/12/cult10/msg/371.html
Tweet |
この連載の3が抜けてしまっていますがご了承を。
ちなみにフリーメイソンロッジと日蓮宗の平信徒を例えている解説が長々と続き却って読む人間を混乱させて煙に巻いているような印象を持つ文章なのであるが。
以下転載
私のイルミナティ=フリーメイソン論の4回目である。
これまで解説してきたとおり、ドイツ南部の大きな州であるバイエルン(ババリア)州(州都はミュンヘン)で始まり拡大したイルミナティ(光明会)=フリーメイソン運動は、1776年から全欧州に広がった。そして直ちに北アメリカへも火の粉が飛ぶように広がり、同年、トマス・ジェファーソンらによって、独立宣言(アメリカ独立運動の始まり)がなされた。ジェファーソンやフランクリンやワシントンたちはフリーメイソンの会員である。この13 年後にはフランス大革命も勃発した。フランス革命もフリーメイソン市民たちが企画し蜂起したものである。
商工業者、職人(技術者)、芸術家たちの自主的な集まりであり、僧侶(司祭は司教たち)から嫌われさげすまれたキリスト教徒の平信徒(仏教や神道では、在家衆、氏子)の集まり(crowd)としてヨーロッパの全都市で瞬く間に組織されていった。大きな思想運動というのは、爆発現象と同じで、一旦火がつくと、全世界に一気に広まる。
ロッジの思想ネットワーク
ここでロッジlodgeという集会(会衆)場について説明する。ロッジが果たした役割が大きい。ロッジというものを日本で類推すると、それは“お講”である。古くからいろいろの“お講”があった。例えば日本の新興宗教の最大の団体である創価学会のことを例に挙げよう。創価学会は、かつては、富士山の山裾に総本山がある日蓮正宗の平信徒の団体であった。(1974ねんまで)。日蓮宗の中の新しい方である日蓮正宗から分裂して、言うことを聞かなくなった信者の団体である。今も本山の僧侶集団との思想的な闘いを続けている。
映画『ダヴィンチ・コード』に出てくるオプス・デイ(ローマ・カトリック教会の信徒組織の主要な1つだった)という信徒集団と全く同じような感じだ。創価学会は、今では日蓮正宗の総本山である富士山大石寺のお坊様たちと対立して、破門されている。だから現の池田大作名誉会長は、かつてはこの大石寺の平信徒たちの自主的な組織である『法華講』の総代である講頭だった。
日蓮宗の内部は多くの宗派に別れていて、古都京都の内側だけで細かく20宗派に別れているらしい。思想集団(宗教を含む)には長い歴史の中での対立や相克や分裂が必ず起きる。
法華講からは、本山(僧侶の集団)にお布施(供養、喜捨)が上納されてくるので、それが自分たち教団本山の僧侶たちの貴重な運営資金となる。ところが本山からみれば、創価学会は増長して自分たち僧侶の言うことを聞かなくなってしまった信徒たちだ。両者は大変、仲が悪くなって、それで1991年に正式に集団破門された。
ここで起きたことはヨーロッパの18世紀のイルミナティ=フリーメイソンの成立期(創世期)の話と全く同じである。もっと遡ると、1307年(の「13日の金曜日」の“呪われた日”)に起きたシオン修道会=テンプル騎士団への大弾圧の話と同じである。法華講への加盟団体は今もたくさんあって、彼らは本山の言うことよく聞いて、お坊さまを定期的に本部から読んでもらって教えを聞く従順な団体である。この平信徒の“お講”の仕組みは、おそらく他の仏教の教団も大きくは変わらない。
ヨーロッパでは、日本の“お講”に相当するロッジ(あるいはクラウド)が、18世紀に入ると営利活動の自由と金銭欲望の肯定、それから性欲の解放を求めて、教会の僧侶(神父)たちと対立を始め抗争した。
ネットワークの支配力
日本語のフリーメイソンは、英語ではメイソンリーMsaonryとかマツォニックMazonicという。メイソン(石工)は、ヨーロッパの建築職人たちである。これが「フリー」(自由、気まま)であるということは、建築現場の職を求めて、都市から都市へと石工職人たちがある程度、自由に移動したいということである。日本でいえば、江戸時代のテキヤ系の人たちだ。この行商人や露店商人たちが移動民が、全国に仲間のネットワークをつくっていた。お互いの信頼関係を頼って移動して、各地で止めてもらえる仕組みを作った。だから行った先々で泊めてもらえる場所が、まさしくロッジである。だから集会所であると共に宿泊施設でもある。
例えば、映画『男はつらいよ』の“フーテンの寅さん”は、主人公の車寅次郎たちの車氏の一族の自由移動と商業権益を守るネットワークが全国にあり、「神農」という神様を祀る集団である。
このようにして“ネットワーク”なるものの本性が少しずつ分かってくる。ネットワークを持つ者達が、その国を支配するのである。本当のネットワークは、いわゆるテレビ局のネットワーク(全国送網)とかのことではない。日本の真のネットワークは何かについては、この稿では説明できない。
ところで日本の暴力団には3つの系統がある。
前述したテキヤ系と、沖仲仕(川筋物。港湾労働者、河川・港湾のクーリー)系、それから賭博をやることで収入を得る博徒系の3つである。
昔は、今のような便利なベルトコンベアーやクレーン車などの動力機械はなかった。河川や港湾などで船荷の積み下ろしをするのは、すべて人力であり大勢の人足の仕事であった。そのためにはものすごく多くの川筋物人足や港湾労者を必要とした。即ち多くの人々が集まって、それでご飯が食べられた、ということである。経済法則に従って人間が結集するとそれは必ず大きな政治勢力になる。漁労民系の人々もこれに重なる。集団漁法で漁をする人々も古代から漁民集団として形成された。
日本の武士集団の起源は、「若宮信仰」(豊漁の祈願をする。鶴岡八幡宮など)を持つ、実は海洋性の部族である、とする学説(和歌森太郎氏ら)がある。海女族という。川筋物や港湾荷役を束ねたのが日本の暴力団のひとつの流れである。それが神戸の港湾労働者を組織して、やがて神戸の港湾労働者を組織して、やがて米軍後押しを密かに受けて、“全国制覇”を行った団体ができた。
16世紀の戦国時代の覇者(天下人)であった織田信長はこのような背景から生まれた。
今の名古屋(尾張)の木曽川、長良川、揖斐川の川沿いの一帯の広大な湿地帯の河川流域の、大きな物流を支配していた、沖仲仕たちの総領、棟梁が織田氏である。織田氏は、だから大きく伊勢湾の湾岸一帯に古代からいた。即ち、紀元1世紀ごろ。この頃にできた熱田神宮が氏神の海女族の系譜である。織田氏は、足利幕府の管領職だった斯波氏の家来(被官)となった。
そして、実力で織田氏をまとめた信長が、尾張一国の戦国大名となった。この地域には、蜂須賀小六(のちの四国の大名になる)のような一族郎党にたくさん分かれて、川筋者としてそれぞれ血縁集団を作っていた。この蜂須賀党に担ぎあげられたのが豊臣秀吉(期の下藤吉郎)である。戦国大名というのは、“まむしの道三”と呼ばれた岐阜の斉藤道三のような、金貸し、油売り商人のような商人出身の人物が多い。そうでないと、数百人、数千人の家来を養うことができない。全てはお金(収入)の問題であり、稼ぐ力のない者は指導者(棟梁)になれない。
だから、日本人の大好きな戦国時代ものの作品も戦争中心の合戦ものではなくて、本当はお金の話から真実を解明すべきなのだ。信長や秀吉や家康たちは、沖仲仕(川筋者)や、農民が武装して集住した集団や、一向一揆の中から出てきた武装民(国人、地侍)の頭領(棟梁)なのだ。
今の日本人が思い描いている戦国大名というのはすべてがウソだ。昭和の初期以降のチャンバラ映画や、今のテレビ番組の“時代劇”が作り上げた虚妄である。本当の本物の戦国大名というのは、今の広域暴力団の山口組の大幹部のような威勢、風体をした人々だったろう。そうでなければ周囲を威圧してひれ伏させることはできない。彼ら、今の暴力団の大幹部たちが毎月定例会に出席するような感じが、戦国大名たちの真の実像に近い。タコ入道のような風体だけが、時間を越えて、人類史の真実を示している。どこの国でもそうだろう。現在は、デモクラシー(代議制民主政体)であるから、権力者である政権政治家たちは温和そうな顔をしている。しかし、実際は、政敵を謀略で失脚させたり、口封じの殺人でも平気でやらせることのできる人間の集団だ。だから、政治家の顔の皮膚の表面を剥がせば、戦国大名や暴力団の大親分に劣らぬ風体が表れるだろう。それを現実の政治という。どこの国も、どんな時代もそうなのである。
日本の暴力団のもう一つの系統がテキヤ系である。行商人や移動する職人たちの横のつながり、即ちネットワークである。伝統的に日本のヤクザは、芸能にかかわった。「河原乞食」と呼ばれた遊芸の芸人たちを組織して、小屋がけをして各地の興行主になり、売春業や旅籠業を営んだりした。これが西洋のロッジの思想である。だから、フリーメイソンのロッジは日本で言えばテキヤ業である。職人や行商人たちは全国を移動して、その先々で“仁義に従った啖呵を切る”という人物証明の儀式をきちんと行えば泊めてもらえる。だから欧米のマツォニック、メイソンリーの組織と同じである。ユースホステルという世界的な簡易宿泊施設運動や、それから、ライオンズクラブ、ロータリークラブもこの系統である。
“お講”が果たしたこと
“お講”が、法華講や阿弥陀籤講の他にもいろいろとあった。江戸時代には「富士山を見に行く講」というものもあった。“富士講”と言う。東京(江戸)には、今でもあちこちの古い講演やお寺に、築山(富士塚、石で築き上げた小山)が残っている。それらの山の上に立つと、昔は本当に富士山が見えた。このような行事を行う人々の集まりを富士講といった。それは、溶岩をゴロゴロと集めて積み重ねてある高さ10mほどの小山で、これで富士山に登ったことと同じ意味を持つと人気を集めた。富士山信仰(富嶽信仰)を庶民が身近で実現しようとして、このような“お講”を作った。これでも、ささやかな秘密結社であって、そこではかなり親密な“寄り合い”が行われただろう。
あるいは“無尽講”というものが生まれた。無尽とは、みんなでお金を出し合って壺に入れ、くじで当った者だけがそのお金を使えることにした資金の融通の集まりである。これが日本における共済事業や保険業の起源である。多くの人が集まってお金を出し合って、困っている人、あるいは一番当座の資金を欲しがっている人に貸した。このような集まりも“お講”である。無尽講が、庶民の中から生まれた初期の銀行業の始まりである。
この無尽講がのちに、相互銀行や信用金庫になっていった。だから例えば、東京相互銀行というのは、昔は「東京殖産無尽」だった。東京相和銀行になり、やがてアメリカ資本に買収され、今はテキサス州にあるローンスター(ひとつ星。テキサス州の州の旗)という名の消費者金融の大手の金融法人の日本法人となって、東京スター銀行になっている。このように“お講”という考えは、都市の市民層の中に必然的に生まれた自主的な相互支援団体である。
ヨーロッパにも古くから無尽講に似たトンツィーン債(トンチン債)という金融の相互扶助の仕組みがある。ここから最も初期の保険業(生命保険や海難保険)が生まれた。
為替の仕組みをつくったテンプル騎士団
近代銀行の基礎・土台になったのは為替業である。この為替という仕組みを作ったのは、前述したテンプル騎士団である。これがヨーロッパのフリーメイソン(各都市の石工組合のメットワーク)の原型になった。11世紀の十字軍運動(クルーセイダーズ。聖地エルサレムの奪回運動)のときに始まった。このテンプル騎士団やマルタ騎士団(疾病兵士たちのための病院船を主宰した。のちにドイツの聖ヨハネ騎士団に併合される)などの騎士団(ナイト)の運動である。「ナイト」(騎士)と言うが、もともとは決して武士(戦闘員)ではない。貴族の周りにいた「従者」のことで、日本の「中間」とか「小者」に相当し、御用聞きの商人たちが真の実像である。テンプル騎士団が、都市と都市をつなぐ「為替」の制度の仕組みをつくった。
テンプル騎士団は、王侯貴族たち相手の戦費や軍資金の金貸し業もやった。そして、地中海世界を含めたヨーロッパ中の各都市に、ネットワークを築いた。
十字軍運動というのは、今は世界帝国アメリカが音頭を取って、各国に割り当てで「お前の国はイラクに2000人兵隊を出せ」と命令する。多国籍軍による「紛争当事団への平和維持活動PKO」である。この美名のその実態は帝国の言うことを聞かない反抗的な国々(rogue nations ならず者国家、あるいはbandit states 山賊国家という)に対する共同の懲罰軍事出兵である。イラクやアフガニスタンでやっている。ところがアメリカ軍は、なぜか失敗してコソコソと帰ってゆく。それの祖型である十字軍遠征に参加する貴族たちに、テンプル騎士団が金を貸した。あるいは、商人たちが旅行するときに、大金の現金を持って移動すると危険なので、約束手形のような証券(紙キレ)を持参して行った先々の都市で現金を手に入れることができるようにした。この「為替」の仕組みもテンプル騎士団がつくった。
為替は、外国送金(レミッタンス、あるいはファンド・トランスファー)でもあるが、実際には現金の紙幣の束を「送金」などしない。現地での用立てのために、信用の連鎖による資金の立て替えをする。銀行業は、1日あたりの大変な金額のお金が動く。しかし、本支店間の決済で、その日の帳尻を合わせるから本当に移動する現金は、ものすごく小さく全体の2%ぐらいである。
為替の仕組みはとても大事だ。国際金融は、為替の仕組みから始まった。現在では、外為法(「外国為替及び外国貿易法」)と呼ばれる法律に基づいて、政府に認可された外国為替公認銀行(江戸時代であれば幕府が認めた両替商)だけが行えて、資金の国外への移動は厳しく管理されている。そして銀行間での信用の供与で、国際金融の助け合いをするので、現金が移動するのではない。外国紙幣は、旅行者用のマネーショップで売買される程度の他は動かない。為替あるいは両替は、前述した各々の国の外為法で「必ず外国通貨を市場で買って交換したことにしなさい」と強制している。しかし、実際には抜け穴がたくさんある。このことは書かない。お金の移動に対して、今の政府、役人(官僚)たちはものすごく神経質になっている。彼らは金融を世界中で自分たちの力で徹底的に統制したいのだ。
為替と金融のネットワーク
日本の為替や両替は、江戸時代の初めの頃から三井財閥(越後屋)が握ってきた。江戸と大坂の間で為替が発達した。例えば、江戸の、日本橋の三井本店の窓口で、「この50両を大阪に住む誰それに渡してくれ」と頼んだら、三井が手数料を1割の5両とか取った上で、残りの45両を大阪の三井の窓口で受取人が受け取れる仕組みだ。このようにして両替商は双方の間の信用を取り持つ。実際に50両を飛脚が運ぶわけではない。これが為替の仕組みである。しかしそれでも両替商のために早飛脚というのがあって、ある時まとめて、それらの約束証文の束だけを実際に飛脚たちが、今の現金輸送車のガードマンたちのように厳重に運んだろう。
だから、越後屋(今の日本橋室町の三越デパート)=三井商店は、江戸時代を通じて両替商、為替業で、日本最大の金融資本になった。そして早々と、すでに幕末に上海からやってきたロスチャイルド家と組んで、日本の金融を動かす財閥となった。ここで三野村利左衛門という幕末・維新期の三井の大番頭が果たした役割は大きい。この三野村利左衛門がのちの渋沢栄一を育てたのである。三野村利左衛門は、幕府と倒幕軍の両方に冥加金という大金を払っている。
13世紀以来のテンプル騎士団の為替の仕組みと情報ネットワークの作り方をそっくり受け継いでヨーロッパ最大の金融財閥に成長したのが、のちの18世紀(フランス革命とナポレオンの時代)のロスチャイルド家である。だからロスチャイルド家は“テンプル騎士団の正当の嫡子”なのである。イルミナティ=フリーメイソン運動が爆発的に隆盛した、まさしく1770年代からロスチャイルド金融財閥も同時期に勃興した。金融と情報ネットワークはロスチャイルド家によって欧州全体に張り巡らされた。そのために、ロスチャイルド家の創業者のマイヤー・アムシェルは5人の息子を各々、アムシェル(長男・フランクフルト)、サロモン(次男・ウィーン)、ネイサン(三男・ロンドン)、カール(四男・ナポリ)、ジェームズ(五男・パリ)に配置したのである。まだ電信技術はないから、彼らは伝書鳩を使った。日本の江戸時代の米相場でも、情報伝達の最速の手段として、30kmおきに山の上に狼煙台を作って、次々に狼煙を上げて、人より先に相場への情報を伝えたという。
日本では、幕末・明治初期(1860年代)に早々と代々の当主である三井高利が明治新政府の筆頭の御用商人となった。これが現在の三井住友=ロスチャイルドの勢力である。三井家が実力ある政治家や官僚のトップたちを資金の力で動かしたことは目に見えるようだ。それが三井=政友会の結合である。これに対して三菱=民政党の対抗勢力が生まれた。三井財閥の明治政府における最大の代理人が井上馨(幼名聞多)内務卿である。井上馨が今の日比谷に鹿鳴館(という社交界用のダンスホール)を作ってヨーロッパ貴族文化を無理やり日本に移植した。
三井財閥や鴻池財閥(幕府に取り潰されたが、三和銀行として生き延びた)は、武士や町人だけでなく農民にも金を貸して田畑を担保(抵当権をつけること)にとって、借金を返せなくなった農民から田畑をとりあげて、巨大な地主となり大きな農業資本を築いた面もある。欧州ロスチャイルド家と日本の三井家は全く同じ道を歩いてきた。
ところで「約束手形は、ゴールドスミス goldsmith (金細工師)という職業の人たちが始めた」と経済学の教科書には書いてある。金細工師たちが客から装飾用の金を預かっていて、やがて、金そのものの価値よりも、金細工師が発行する約束証書(金の預かり証書)が、紙幣の代わりとなって金持ちたち(即ち市民)の間で使われるようになった。それが約束手形や小切手(チェック)という信用貨幣の始まりである。
近代の自由思想を育て守った大商人たち
このようにして、13世紀のテンプル騎士団(弾圧されて地下に潜った)に集った初期の商人たちが、為替の制度を守り育てた。そして、これが15世紀ぐらいからフリーメイソンたちの運動につながる。職人や商人としてヨーロッパ中を移動する人間たちの間で、これらの手続きや仕組みが発達した。そしてこれらの民間の私的な団体がネットワークをつくって保有する財力は、当時のヨーロッパ各国の国王をしのぐほどになった。
ただし、この為替と金融ネットワークが作られたのは、ヨーロッパの中心部(ウィーンを中心とする神聖ローマ帝国。「ミッテル・オイローパ」と言う)である。南ドイツの最大の富豪であったメディチ家の話は、この稿ではできない。
フッガー家とメディチ家はアルプス山脈で各種の鉱山を掘り当てて、鉛や銅や錫などの鉱物資源を自分達の富の源泉にした大商人の名家である。メディチ家は、鉛製の鉄砲の弾を販売してヨーロッパ最大の富豪になった。メディチ家はレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロやガリレオ・ガリレイたちを匿って庇護した。そして、ローマ法王(カトリック教会)と対立して、近代の自由思想の先駆けとなった大商人(大市民)である。メディチ家は決して貴族ではない。だから、フリーメイソンたちの活動の理解者である。
メディチ家は、フローレンス(フィレンツェ)の都市の支配者(執政官)であるが、ローマ法王派の有力市民たちに政争でフィレンツェから追放されたりもした。メディチ家は、「新プラトニズム」という思想運動の主宰者である。フィレンツェに「プラトン学院」という学問研究所をつくって、暗にローマ教会と対立し、「もっと、普通の人間を大切にせよ」という自由思想を始めた。これを“ルネサンス(renaissance 文芸復興)と言う。別名をユマニズム(humanism)と言い「人間復興」と言う。人道主義、人権思想の始まりだ。
新プラトニズムは、グノーシス教(Agnosticism 不可知論の思想集団)と一体である。カバラの思想とも一体である。だから、これらネオ・プラトニズムやグノーシスやカバラを悪魔主義や神秘主義だとして忌み嫌い、「悪魔の集団である」として、排除することをローマ教会側が仕掛けられたのである。メディチ家やそのあとを継ぐロスチャイルド家たちは、」確かに金融財閥になっていったのだが、決して「闇の支配者」や「世界を操る悪魔集団」などではない。
愚かな陰謀論にだまされるな
以後の20世紀の100年間は、石油と共に興ったアメリカの民族資本であるロックフェラー家が世界を支配している。ロックフェラー家が、まだ今も世界の支配の頂点なのであって、ヨーロッパ勢ではない。だから、「ロスチャイルド家が裏側から、ロックフェラー家を操っている」などありえない。このことも、本連載で私がずっと説明してきた。いわゆる“陰謀論家たち”がロックフェラー家によって計画的に操られ、愚か極まりない情報操作されているのである。このことに、私は、相当に慎重な注意を傾ける。
組織、団体のファウンダー(創設者)の思想を少しでもいいからきちんと学ぶことだ。読んで理解することだ。7月号でも書いたが(投稿者註:イルミナティ=フリーメイソンとは何かその1のこと)、イルミナティの創始者である神学者のアダム・ヴァイスハウプトは、ハッキリと「自分たちの団体の祭壇にはリーズン(reason 理性。合理性。金銭と強欲)を神として掲げる」と書いている。「この時に、人類が2000年来抱えてきた一番難しい問題が、解決されるのだ」と彼は書いている。イルミナティという団体、組織の結集の理由を公然と書いている。
「闇の世界」や「闇の支配者」などいない。彼らは、公然と表に出て来て、そして、世界中の人間たちを堂々と、金融と軍事力で脅して、騙して、支配している。このことを正面から指摘し続けることが大事だ。愚かな陰謀論に嵌ること自体が愚かである。恐れたり、勝手に脅えたりして、自ら悪魔崇拝のようになるのが一番いけない。私たちは、ゴキブリが家具の隙間に逃げ込むような感じで自分自身が卑屈になてしまって、現に日本を属国として支配するアメリカ帝国、およびロックフェラー財閥に屈服してはならない。日本は起ち上がるべきなのだ。
秘密結社、ザ・シークレット・ソサエティ the secret societyというのも私の研究によって、日本でもようやく大きく解明されつつある。秘密結社はどれもこれもが闇の集団で、秘密の儀式を行い、悪魔教を崇拝する恐ろしい集団だという、低能の考えが一部の人々にしみついている。いわゆる、アホの陰謀論を信じる人間たち」を私は大きく打ち破る。
「結社」と訳されているザ・ソサエティなるものは、普通に訳すと、「社会」で、日本で使われている社会学とか「社会」だ。本当は、ソサエティというのは「結社」のことだ。営利の共同仲間なら、「コンパニー」company だろう。「結社」とは英語では association アソシエーションだ。1つの目的のために集まる人間集団という意味である。民法学で「社団」と言う。
だから、結社というのはここまで説明してきたとおり、「在家」の平信徒の集団の人々である。彼らは決してお坊さまや貴族ではない、豊かな平民たちである。
これで、私のフリーメイソン=イルミナティ論をひとまず終わる。
転載終了
もう、何がなんだか分からない文章です。延々在家信者やお講の話が続いて、イルミナティ=フリーメイソンが在家信者なら何を信じている信者なのか?冒頭で創価学会と日蓮正宗との関係で例えるのはなんかカルト臭いですね。
>>メディチ家はレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロやガリレオ・ガリレイたちを匿って庇護した。そして、ローマ法王(カトリック教会)と対立して、近代の自由思想の先駆けとなった大商人(大市民)である。メディチ家は決して貴族ではない。だから、フリーメイソンたちの活動の理解者である。
メディチ家は、フローレンス(フィレンツェ)の都市の支配者(執政官)であるが、ローマ法王派の有力市民たちに政争でフィレンツェから追放されたりもした。メディチ家は、「新プラトニズム」という思想運動の主宰者である。フィレンツェに「プラトン学院」という学問研究所をつくって、暗にローマ教会と対立し、「もっと、普通の人間を大切にせよ」という自由思想を始めた。これを“ルネサンス(renaissance 文芸復興)と言う。別名をユマニズム(humanism)と言い「人間復興」と言う。人道主義、人権思想の始まりだ。
ところで副島氏の最近の著書がルネッサンスについての解説本ですが、メディチ家の新プラトン学院について書かれています。上記の部分を強調して書いた本みたいです。今読んでますが私から見て以前から構想があった割にお粗末な内容の本ですね。
このプラトンアカデミーについて副島氏の定義するアホ陰謀論側の説から反論してみましょう。
『イルミナティ悪魔の13血流』フリッツスプリングマイヤー著 太田龍監訳KKベストセラーズ 1998年刊
おおっなんと副島氏が出している『ヨーロッパ隠された血の歴史』と同じ出版社ではありませんか!!!奇遇ですね〜。
関連記事はフリーマン家第五章からの抜粋です。まず簡単に解説しますがフリーマン家はシオン修道院に関係している家系らしく、最初はシオン修道院のことについて書かれています。
P217より抜粋転載
メロビング王朝、メディチ家、黒い貴族…に発するシオン修道院の存在
そもそもシオン修道院は、強い権力を持つ多数の家系が構想したもので、ロレーヌ家、ギーズ家、メディチ家、スフォルツァ家、エステ家、ゴンザーガ家、サンクレール(シンクレア)家を含むメロビング王朝の大勢の子孫たちが関与していたらしい。メディチ家は黒い貴族とも結びつきがあった。
創設時から、シオン修道院は錬金術(古代エジプトに由来する一種の黒魔術で、『エジプト死者の書』に出ている)を行ってきた。一四四四年頃、メロビング王家の子孫ルネ・アンジューは、コジモ・デ・メディチを説得し、プラトンやピタゴラス」の著作や、錬金術に関する書物が翻訳されていたサンマルコの地に、教会とは無関係の図書館を設立した。それまで、すべての図書館はカトリック教会の管理下にあった。このコジモ・デ・メディチの図書館から、ギリシアやエジプトの刺激のある教義が広まり、やがて、人間性と神秘学の復興であるルネサンスへとつながっていく。中世の時代には、魔術と秘教はすっかり影を潜め、こういう思考形式は、古代の書物から学び直すべきだとまでいわれていた。皮肉なことに、魔術や異教が姿を消していた中世が体制派によって『暗黒時代』という烙印を押され、学問不毛の時代という誤った色分けがなされてきたのである。
転載終了
なんと!フリッツ・スプリングマイヤー氏によると、フリーマン家はシオンの修道院のトップの家系であり、聖杯を保護するのがシオン修道院の役目でありメロビング家と関係がある。聖杯に関係する家系はキリストというよりダビデの直系という意味でありユダヤに関係している。上っ面は聖杯なのでキリスト教と関係があるということになっている。
でもそれはイルミナティに繋がっていたということだ。15世紀にカトリックにすでにユダヤズブズブと言う訳ですがな。
つまり、メロビング家というユダヤのダビデ直系の人物のルイ・アンジューから頼まれたメディチ家が表向きカトリック支配で徹底排除された魔術、錬金術その他異教の教えが途絶えたのを復興すげく、書物を集めてプラトンアカデミアを作った。それだけでなくスペイン領が一部アラブに支配されていたからイスラム文化も流入した。それらの文化が入ってリナシメント或いはルネッサンスが起きたということである。そこではっちゃけすぎて何も後ろ盾が無い自己主張の強い人間はヒ素なんかで毒殺された。分をわきまえたダ・ヴィンチやらミケランジェロなんかは長生きできたという訳なのでは?まあ、これは、私の推測なんだけどね。メロビング家はフランスにいただろうからダ・ヴィンチが最後フランスに渡ったのは分かるような気がするね。
だっから、イルミナティはヒラム・アビフの頃からあってフリーメイソン前身がテンプル騎士団だったら整合性のある話になるんだけどな。
フリッツ・スプリングマイヤー氏の本から解釈すると、副島氏が尊敬するコジモ・デ・メディチはイルミナティとダビデの家系のユダヤ人とズブズブというか盲従しているってことになる。副島氏から見たらこの意見は極北もいいところなんでしょうな。
まあ、面白かろうと思っておまけで付けときますわな。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。