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副島氏がヨーロッパのルネッサンスの解説本を書いたみたいである。
購入する気はなかったが、つい以下の表現を読んでプッと吹き出してしまい、購入してしまった。
おそらくここの部分だけで私は十分おもしろい。
副島氏の「陰謀論とは何か」幻冬舎刊よりは内容はあるのかもしれない。目次をみてそう思った。そう、まだ殆ど読んでいないのである。あまり大したことない記事なのでここで読むのを止めてもよろしいのだが。
しかし、真面目にルネッサンスを語るにあたって副島氏は以下のような表現をした。
悪霊が云々と書いてあるがある意味小説家がドラマティクに表現するときに「私にニーチェの霊が云々とかダンテの魂が注ぎ込まれた云々」などと書く人がいるがそれと同様の表現と思いたいのであるがどうしても彼には前科があるので純粋に幻覚が出現したのか?と思ってしまうのである。
その前科とは、何べんも書いているが以下転載
なぜ女と経営者は占いが好きか 副島隆彦著 幻冬新書刊
自分には霊能者としての素質と才能もあるという確信が5年くらい前からわいてきた。霊能者というのは、ある日突然、自分の脳が打ち震えるようにブルブルとしてきて、口が勝手に動いて「近いうちに何か異変が起きる」と勝手にぶつぶつ言いだす。頭が痛んだまま、口から訳のわからないコトバがどんどん出てくる。家族を含めて私のまわりの人々はやや嫌がる。私の弟子たちも嫌がる(私には50人くらいの弟子がいる)。私自身もなぜこうなるのかよくわからない。だが私は確実に何事かを予測しているらしい。そしてよく当たる。
このように私には霊感というものがあって、私の場合は、これから先の世界の動きから始まってそれが日本に対してどういう影響を与えるか。とか、この2〜3年内にどういう事件が起きるかということが、予測できるようになった。それはひとつには私がこつこつと自力でいろいろな学問や思想を研究してきたからだ。それでわかるようになった。急に不愉快になったり、脳が痛くなったりすることが今もよくある。そのあと、なぜか1〜2カ月後に社会的に大きな事件が起きることが多い。
だから、私は自分の霊能者としての資質、才能を自覚するようになった。
P115より
引用
このように書くと「あなたは神懸かりを肯定する人ですか」と言われるかもしれない。「そうです」とアッサリ答えてもいいと思うようになった。私は、神懸かり(トランスtrance)という状態にもそろそろ入りたいと思う。が、なかなか入れない。よくて、頭(前頭葉)が急に痛くなって、全身が妙な感じになり、何か妙な予感がし出す程度である。
この興奮状態、精神の高揚状態がしばらく続く。この時には、口元が上ずって、変なことを口ずさみ始める。しばらくすると落ち着いて眠りに入る。私はなかなか神懸かり状態(トランス、忘我、夢中)状態までは入れない。
その理由は、「知性と教養が邪魔をして」という日本語があるが、まさしくこれだ。私の場合は、自分がこれまで積み上げたそれなりに大量(多量)の知識と教養が邪魔をしてそれでなかなかトランス状態に入れない。
「トランスtrance」というのは、まさしく神懸かりで、発狂状態というと語弊があるが、呆然自失の陶酔状態に入ることである。これは実は、更年期障害にかかった女性によく現れる特徴である。霊能(者)の素質である、巫女(シャーマン)たちの傾倒の女性によく現れる。霊感の強い女性はトランス状態に入る。最近は、こういう状態は精神病質(頭、脳の病気。私は「心の病気」というヘンなコトバが嫌いだ。)扱いされるので、人々はあまり公言しなくなった。
転載終了
要は副島氏は自分に霊感があり霊能者の才能があると真剣に思っており心神耗弱状態で一人、本の構想を練っていた時に頭の中をつぶやく声か幻覚を見て真剣に悪霊を見たと思っているようである。
まえ振りが長かったがその文章抜粋する。
以下転載 ヨーロッパ隠された血の歴史より
P21の私に取りつこうとした悪霊
この世には悪霊や怨霊が本当にいるようだ。亡霊、幽霊、霊魂と言ってもよい。私はこの本を書くてめにローマとフィレンツェを歩き回ったが、5000年前の14、15世紀の町並みがそっくり残るフィレンツェの街のあつこちから、ヨーロッパでもっとも裕かだった、この金融都市の歴史の興亡の中で、苦しみながら死んでいった者たちの亡霊が空中を彷徨い天空に満ちていた。霊魂たちのうめき声のようなものが、街のそこかしこから私に聞こえてきた。
観光客はどこの国から来た人も同じで、歩き回ることに疲れ、美術作品のあれこれに圧倒されてぼうっとして表情で、周りの人と同じように列を並び動き回る。団体客は軍隊の行進のように目的地の美術館や城に向かって追い立てられてゆく。彼らの上空をルネサンスの亡霊たちが舞っていた。今のフィレンツェの都市からは、1400年代に活躍し血が流れた偉大なるルネサンス思想運動の中心人物たちの痕跡は、表面上は消されている。意図的に隠されて見えなくされている。ローマン・カトリック教会の圧迫が彼らを消し去ったのだ。それと、ただの王様(大公)になってしまったその後のメディチ家に忌避された。教会のヴァチカンの宗教権威に逆らって、理知の力で反逆した者たちを、呪いの地底に封じ込めている。1300年頃のダンテの時からだ。だから、ルネサンスの本当の意味は隠されえて上からヴェールをかけられ覆い隠された。そうやって500年が過ぎた。
私はフィレンツェの街を歩いていたら、旅行者にまとわりつく亡霊たちの姿がはっきりと見えた。恨みを抱えて死んでいった先駆者たちの恐ろしい形相の霊たちだった。
この本の執筆に取りかかったこの8月から、私は熱海の仕事用の家に籠った。原稿を書き始めた夜、私は悪霊に取りつかれそうになった。悪霊が現れ、室内の私の周囲をうろついた。そして私に取りつこうとした。その顔を私は知っていた。金儲けと人騙しに明け暮れる醜い経営者の顔をしていた。私はその悪霊の襲撃を白みはじめた外のほの明るさのほうへ払いのけた。悪霊は苦しそうな顔をしたまま退散した。そのあとやっとこの本を書き始めることができた。
転載終了
どうも、副島氏は除霊の才能があると言いたいみたいですな。私から見ると夜中に一人で本のことを考えていて眠気と疲れから幻覚を見たかせん妄状態になったようにしか思えないのであるが。
あるいはフィレンツェの悪霊が本当に副島氏に取り憑こうとしたとしてもすでに取り憑かれていたから退散したのかもしれない(笑)。色々なものに。生き霊の方が死霊より強いってね。
ところでこのルネサンス期のフィレンツェの話となるとサヴォナローラについても言及しなければいけなくなる。
懸命な諸兄は浅学非才の私なんぞよりずっとご存知だと思われるが、サヴォナローラとはドメニコ会の修道士である。ロレンツォ・デ・メディチが亡くなった後に4年間だけ虚飾を排して清貧に生きよとフィレンツェを支配した。が、その後「清い水には魚は住まず」という言葉の通りに民衆の反感を買いフランス王の庇護が無くなったのをいいことにつかまって処刑されてしまったとのことである。
ちょっとこのサヴォナローラについて副島氏が言及している表現を抜粋する。P84より抜粋
以下転載
このロレンツォを激しく糾弾したサヴォナローラ(1452−1498)という若い宗教家がいた。サヴォナローラは説教師(演説家)という職業の下級の僧侶で、演説の力だけで、ロレンツォが死んだ2年後に実質的なフィレンツェの最高指導者になってしまった。そして4年間、神聖政治(テオクラシー。theocracy,<theo(テオ、シオ)=神>がすべてであるという政治体制のこと)の厳粛な独裁体制をフィレンツェに敷いてしまった。このサヴォナローラという宗教家をどう評価するかも重要だ。この男は一言で言えば過激派でる。ローマ教会と教皇を激しく批判していた。いや公然と罵っていた。焼き殺されたはずである。サヴォナローラは、ローマ教会は腐敗と堕落の限りを尽くしていると公然と説教し続けた。そして、一時は、全市民の信頼を集め、皆で決議してフィレンツェ市に厳しいルールを作ってまじめで、品行方正で清潔な生き方をしなければいけないと上から強制した。4年間(1494−1498年)、サヴォナローラの宗教的な神権政治が続いた。しかし、そんな清潔な生き方の押しつけに、人々がいつまでも我慢できるわけがない。まず上層市民層の連中が怒り狂い始めて、結局サヴォナローラを宗教問答で罠にはめて、「お前は火の上を歩けると言った。あるいてみろ」という形で追いつめた。そしてサヴォナローラを失脚させて。伊火炙りの刑で死なせてしまう。
転載終了
どうでもいいことなのであるがどうでもいい私の記事であるので書かせてもらう。
実は私自身が純然たるエンターテイメントとして楽しむのは副島氏が主張する「陰謀論」ではない。俗に言う「陰謀論」からこれからどうするか考えたり方針を決めたりする。
アホの考え休むに似たりかもしれないが、知っているほうがましと自分では思っている。
私が純然たるエンターテイメントとしてとらえているのが実は、幽霊話である。(笑ってやってください)
私の好きなオカルト漫画シリーズに一応実話として書かれている霊能者シリーズがある。
魔百合のショックレポートというもので山本まゆりという漫画家が友人の霊能者寺尾玲子氏の霊的な案件を実話漫画として書かれているものである。(フハハハどうだまいったか。このくだらなさ)
実はサヴォナローラについて、私は副島氏の本に書いてある以前に知っていた。
それはこの漫画シリーズで著者の山本まゆり氏がイタリア好きでフィレンツェに行ってからサヴォナローラのことを知り興味を持った。その後漫画のネタにサヴォナローラを使おうと思って霊能者の寺尾氏とイタリアに行きフィレンツェで霊視をしてもらうといった話であった。興味のある方は魔百合のショックレポート45「二人の修道士」を読んで頂きたい。今大型本が再販されている。
そこで霊能者の寺尾氏はサヴォナローラを霊視するのだが・・・。
山本氏と寺尾氏はシニョリーナ広場に赴く。そこでサヴォナローラが処刑されたのである。
その広場でサヴォナローラが処刑された場所に記念の銘文が石畳にあるのである。
そこで寺尾氏は早速霊視。
すると銘文の碑から少しずれたところに絞首刑にされている修道士の姿が見えた。しかし、それは霊の実態と言えるものでなく死んだ時の残像と寺尾氏は判断。
サヴォナローラが修道院長をしていたサンマルコ修道院に向かう。しかし、寺尾氏サンマルコ修道院に入れない。寺尾氏はまるで自分が絞首刑にあったかのような窒息感に襲われてしまう。2人ともサンマルコ修道院を立ち去りカフェで霊能者寺尾氏が、山本氏に状況を説明する。
結局サヴォナローラは悪霊になっていて死後500年以上経過しても成仏せずに居座っているとのことであった。
その漫画を読んでいたので副島氏がフィレンツェに行った時に霊能があるならサヴォナローラは霊視できたのかP21を読んだ時興味津々であった。そこで飛ばし読みをしたのだが、副島氏は残念なことにサヴォナローラは火炙りにあったと言っている。
まあ、半分は当っているのであるが。
実はサヴォナローラは絞首刑で死んだ後火炙りという大変侮辱的な形で火葬されたのである。その遺灰はまたカリスマの象徴のようにならないように川に流されたのである。
本の中ではどうでもいいことではあるのだが、除霊能力があるくらいの霊能があるならサヴォナローラの直接の死因ぐらい霊視してほしかった。別に寺尾氏に本当の霊能があるわけでなく上記紹介した漫画がやらせであったとしても取材レベルが漫画の方が上っていうのは物悲しい。
更に一介の説教師という低い身分だったサヴォナローラだが、どうやってフランス王と繋がりを持てたのだろうか?また、サヴォナローラは虚飾を排せよと大量の民衆のぜいたく品を徴収して燃やしたことになっているが、全部燃やしたのだろうか、どこかにその財は流れていなかったのか?副島氏はそのような共同謀議的な考えが浮かばなかったのだろうか?
さーて、拾い読みをしていたら、全くもって???な副島氏の文章が出現してきた。
まあ、カトリックが如何に悪いかということを強調するための文章なんだけど、一体どういうことなのだ。常軌を逸していると思うのだが。
P122より抜粋
拷問と火炙りの刑が怖くない人間はいない。ガリレオの勇気の話は日本の小学校の教科書でも書いている。ところが、彼を痛めつけたローマ・カトリック教会の体制派の高僧たちを糾弾することを誰もしない。カトリック教会というのは本当に悪の集団なのだ。極悪人たちの官僚組織だ。それが、まるで清らかな魂をした人たちのように思われている。今もそうだ。宗教と信仰の問題は奥が深くて、いろいろとあって、どこの国でも宗教のことは大変なのだ、では済まない。現在もなお。この地上で一番の悪の集団はローマ・カトリック教会である。ローマ教会は西暦476年に西ローマ帝国が滅んだあとも、ずっとローマで生き延びて、侵入してきたゲルマン民族ときわめて俗っぽい感じでつき合いながら、徐々に強力な組織になっていったようだ。ローマ教会が2000年かけて作った官僚制度(ビューロークラシー)の悪が、この地上で最大の悪なのだ。これに比べたら1930年代からのソビエト・ロシア共産主義収容所(ソルジェニーツィンの歴史小説『煉獄の中で』で死んでいった数百万人の政治囚人たちへ)の悪や、ヨーロッパ・ロスチャイルド家と大英帝国による19世紀の100年間の世界中での悪事(中国にアヘン戦争を仕掛けた等)や、20世紀の世界100年間でやったアメリカ・ユダヤ帝国=ロックフェラー財閥による悪事も、ローマ教会の悪と比較してかわいいものになりつつある。
転載終了
っておいおい副島さんよ。ソ連成立時の共産政府による政治犯の大量粛清やアヘン戦争やアメリカ・ユダヤのロックフェラー帝国の悪事もカトリックよりかわいいってどういうことなのだ?
やり口はある意味カトリックの悪事も上記ユダヤ人達を走狗とする世界寡頭勢力とは一緒であり期間が長かったかまだ短いかだけではないか?なんで副島氏にとってユダヤ絡みの悪事はかわいいのか?やっぱりロス茶の狗っぷり発揮なのか、放射能の内部被爆で脳がやられてしまったのか。
カトリックが寡頭勢力に与するユダヤ人と全く無関係でなかったという見解なのか?笑止!
ならば氏が尊敬するユースタスマリンズ氏の著書から抜粋しよう。
『真のユダヤ史』ユースタスマリンズ著 天童竺丸翻訳成甲書房刊
P194より抜粋
ユダヤ人悪逆非道の歳残酷例「スペインの異端審問」
ユダヤ人の残虐非道のもっともひどい例の一つがスペインの異端審問であった。
ふつうは「カトリック」の現象として非難されているが、異端審問はそもそものはじめからユダヤ人が行ったことだった。そして犠牲者のほとんどは善良なキリスト教徒だった。
当初の目的はユダヤの共同体の成員を「マラーノ」(中世スペイン、ポルトガルで迫害を逃れるためにキリスト教に転向したユダヤ人)、つまり偽装キリスト教転向者にならないようにすることだった。
多くのユダヤ人は非ユダヤ人と商売する機会を増やすために、名目だけのキリスト教徒になっていた。スペイン、ポルトガルではマラーノ運動が広がり、シオンの長老たちはこれを阻止しなければならないと決定した。例によってシオンの長老たちは、汚い仕事を代わりにやってくれる非ユダヤ人を利用したのである。長老たちにとって、彼らの邪悪な目的のために教会を利用するより自然なことがほかにあっただろうか。
このとき、トルケマダ(一四二〇〜九八。ドメニコ会修道士、スペインの異端審問所初代長官でマラーノ。異教徒に対する弾圧を実施した)が目覚ましい勢いでスペインのカトリックの位階を小心していた。多くのユダヤ人がカトリックの高位に就いた史実が証明しているように当時の教会は反ユダヤではなかったのだ。
一四八三年まさにこのとき、スペイン政府はイサク・アブラバネルというユダヤ人を国家財政長官に任命した。それはグラナダからユダヤ人たちを追い出す資金を集めるためだった。
これらの事実が示すように、スペインは異端審問当時、反ユダヤ国家とはとても言えなかった。ところが、ユダヤ人は、教会がマラーノを迫害せざるをえなくする計画をまんまと編み出したのである。「多くのマラーノたちが実際にはキリスト教徒ではない」とトルケマダは教会の上司に報告した。それはまったくその通りだった。そしてさらに、マラーノたちがまだ、ユダヤの聖物を家の中に所持しており、それに生贄を供えていることを知らされた。
中略(内容としてはトルケマダは、司祭に結局異端審問の許可してもらい拷問をかけて多くの人々を殺して財産を没収した。上司の司祭達がトルケマダを諌めると逆に司祭たちを異端として陥れたということだ)
トルケマダは異端審問にかけられたすべての人びとの財産を没収することで、大勢のスパイの活動資金をまかなった。なぜなら、犠牲者たちは常に罪を自白したからだ。
これまで、数世紀にわたって教会は異端審問の罪を強く非難されてきた。しかしトルケマダにこのような残虐非道な行為をさせないようにしようとした司祭たち自身が、火炙りの刑に処せられていたのだ。ユダヤ人たちはいつものように、自分たちの犯罪の責任を他の者に押しかぶせたのだった。
トルケマダの影響はすぐにカトリック教会の最高会議に浸透した。そしていくつかの国では働く民衆の迫害手段へと異端審問を転用した。異端審問はイエス・キリストの教えと何ら関係ないばかりでなく、ほとんどのカトリックの指導者たちはそれを忌み嫌っていた。にもかかわらず、指導者たちは事態を変えるだけの力がなかったのである。
転載終了。
ユースタスマリンズ氏のこの記述は一般に知られている史実とは違っておりここで私が正誤を判断する程の資料や知識はもっていない。しかし、副島氏自身が尊敬する優秀なコンスピラシーセオリストであるマリンズ氏のこの論に対して副島氏はどのように判断するのだろうか?
それに現代のバチカンの中枢はユダヤ人であふれており支配されている。現代の巨悪の一つにバチカンも含まれているが。
まあ、副島氏の本を殆ど読んでいないからなんとも言えないが。
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