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団塊世代の代表的な言論人・ポップカルチャーのグルである
ビートたけし御大。舞台演芸で身をなしTV・映画の世界に
進出してはメディア上のアイコンのような存在になったことは
誰もが知るところだろう。
しかし才能が認められ有名になるまえの彼は、実に混沌とした
人生を送るさえない若者だった。大学は中退、演劇をやっても
中途半端、ジャズ狂いだが音楽はできない、ボクシングは
アマチュアでキャリアをつけることもできない。そんなコンプレックス
の塊であるビートたけしが心機一転のもと、人生を変える計画を
たてた。それが「英語の達人になる」ことだった。
アメリカに行って、ネイティブ並の英語の実力をつけて
通訳として日本に凱旋帰国してやるのだ(#1)!アメリカの言葉を
自在に操って周囲の日本人を見返してやる!そう決心するたけし。
著書にもフリートークでも何度も触れられている逸話なので
本当なのだろう。このくらい当時の若者にとって英語を話すことは
自分の知性・人格・学歴・身分・存在意義にまつわる他者からの
偏見の全てを覆し圧倒的な勝者に変えてしまうだけの神がかりな
スキルであったことは想像に難くない。
たけし氏の腹違いの実兄(東大卒)は、戦後に進駐軍の通訳を
していたバイリンガルだった。その頃であれば、アメ公どもの尻に
ついてまわるような野郎は、男パン助か三国人の売国奴だといって
蔑視の対象であったはずなのだが、時が流れ60年代には
特権を持たない一般大衆の隅々にもアメリカ信仰が育ち、
そしてその土台である英語力というものに注目が向けられていた。
団塊ジュニアが日本を担う時代になった現在ではどうだろうか・・・・
グローバリズムの波が押し寄せ、一層、英語に対する執着心、必要性
が現実の文脈の中で増長したことはあまりに顕著であろう。
文科省も思い腰をあげ幼少教育に国家予算使って取り組み出した。
本屋の店頭には、ところせましと英会話や英語試験対策の専門書
がならび、80年代には大橋巨泉と小林克也しかいなかった
芸能界の純国産バイリンガルも、いまでは程度はともかく話せます派
がずらりと並ぶ。
少数派の特権として機能していた英会話力というものが庶民の
ものになり、日本も北欧やイスラエルやシンガポールのように健全な
バイリンガル国家になることは結構なことだ。しかし、その変移期に
起こっている愚かな「ネイティブ英語推進派」による下克上の
劣化革命、ブザマな「ネイティブ英語至上主義者」による知的動乱が
見逃せないところまできているのを実感するのも事実だ。
どういうことか。つまり英語力をあげるというスローガンの中に
まぎれて出版界その他に登場した「ネイティブのように英語を
話せないと意味がない」とするネイティブ英語推進派(代表的なのが
苫米地英人 a.k.a. 貧相な蝦夷猿byチベットよわー)が
英語学習者を脅迫している状況が、日本人の知的水準のために
なっていないということだ。
簡単に図式化しようか。
@:より高い頭脳を必要とすること:高度な内容について言語化できるスキル
を養うこと。専門分野の知識を統括し、論文作成する力。
A:低い頭脳でないとできないこと:ネイティブのように話すスキルをつけること。
誰でも3歳〜6歳まで英語の環境に育てばネイティブになることができる。
つまり3歳児のやれること、別の言い方をするなら幼児の低い頭脳でないと
できないことを、大の大人に強制しているのがネイティブ英語推進派なのである。
@はAより高度。これだけ当たり前のことを覆してまで、Aを売り込み
Aを商売にしようとしている愚かなネイティブ英語推進派にもの申すのが
この投稿の主旨だ。ネイティブ英語推進派はA>@の不等式で革命を
試みる幼稚な人種で、「格好よく話せること」が「内容を高める」ことより
意味があるとして日本語英語を批判しては、ネイティブ英語錬金術指南の
カス書籍を売りつけようとしている詐欺師だ。
下にある動画は、戦後の日本文学の頂点とされる大江健三郎氏の
外人記者用の会見である。
ネイティブに非常に近い完全な英語を話す通訳が大江氏についている。
私もはじめ見たときは「イヤ~ン!こんなに長いリテンション、僕ちゃん母国語
でもできましぇ〜ん!このオバちゃんスマートすぎるわわわわ!」などと
アホのように黄色い歓声をあげたのだ。コラ俺!スマートなのはいうまでも
なく日本人史上、人文学の最高位にのぼりつめた大江健三郎なのだ。
オバハンはただの通訳、ただのサービス係なのである。言葉をそのまんま
書きかえる作業班に属する作業員であり、それ以外の頭はすっからかんの
無知な女なのだ。失礼なことをいわせるな。
☆賢い人=大江健三郎
★相対的に賢くない人=通訳のオバちゃん(いうまでもなく通訳は知的劣者で
創造的敗者である女により適した職業である)(#2)
これが真実なのである。それがアメリカではどうだ。ルー大柴よりずっと
フルーエンシーの低い英語を話す大江氏が、その圧倒的な知性を否定
されてしまうのである。地下鉄の中で、田舎の白人や教育を受けていない
有色人種なんかに大江氏が話しかけるとどうなるか。「なんだこのオッサン、
英語も話せないのか」と対話を拒否され嘲笑されて終わりである。
この無知で傲慢な米人のケツを持って日本人をネイティブ英語へ駆り立てているのが
ネイティブ英語推進派のバカどもなのである。
次の動画は、日本に生まれ育った生粋の日本人である
北川智子博士(博多美人w)が英語で行った仙台での講演である。
智子先生(博多美人w)は現在、世界の最高学府ハーバード大学で教鞭をとる
日本史の教員であり、それすなわち国際レベルの学者であることを意味する
ことに争いの余地はない。
これはどうだろうか・・・・。「ん?この英語力でハーバードに椅子が持てるのか」
「いかにも母国語を邦人が訳して話しているような典型的な日本語英語じゃ
ないか・・・・」というのが我々俗人の多くが持ちうる感想(相手はハーバードなので
あくまで感想ね・・・・評価とかしてはいけませんYo!!)ではないだろうか。
ただネイティブに近い英語を話せばいいのであれば
短大卒業→6ヶ月海外語学留学→通訳学校入学2年目
こんな感じの粗末な経歴で新米通訳や英会話学校の講師をやっている
女性には智子さん(博多美人w)より明らかにフルーエンシーが高く
英語特有の表現を盛り込みながら速く正確に話せる人などいくらでもいる。
シャドーやディクテーション、洋画の台詞の丸暗記、それらを一日中
やっていれば、頭は悪くても海外在住の学者の英会話力に対抗はできるのだ。
ショッピングモールや球場にいるようなアメリカ庶民相手ならこれらの女性が
トモちゃん(博多美人w)より優れた人物と勘違いされることもありえる。
圧倒的大多数の庶民にとって外人の知的さとは、自分達の言葉に
近い言葉をはなせることでしかないのだから。
しかし痩せても枯れても天下のハーバードである。
英会話力は教員にとって生徒をつなぎとめ、自分の講義を長持ちさせる
一つの鍵ではあっても、それができれば学者としてどうだ、というわけではない。
英会話力は子供がつけるスキルであり、そんなもので頭脳が決め手の
学者の実力を測ることはしないのザマス(#3)。おハーバード様は。
だからオバハン(博多美人w)の日本語英語でも万事オッケーなのである。
どうだろう。少しは『ネイティブ英語』を争うナンセンスが理解して
いただけたであろうか。まるで「英語の流暢度が低い賢人」より
「ネイティブでバカ」なほうが人間として優れているとでもいいたげな
優劣逆転の狂った物差しが、伸びきった如意棒のように日本の出版界、
教育界、繁華街からオフィス街までドシーンと横たわっている。
それを見てもなんともできずコンプレックスに支配されたきりの愚かな
日本人。そのコンプレックスに乗じてすき放題に、日本人の英会話力を
罵り、焦らせては、くだらんネイティブ教材を売りつけ、アホなネイティブ教師を
輸入し、ネイティブに商業的特権を与え続ける帰国子女や、進駐軍と
タッグを組んだ三国人の末裔でできたネイティブ英語推進者社会。
一体いつまでこいつらの思うようにさせれば気が済むのだ?
あとがき:このテーマに関しては膨大な資料と直接ソース
が私にはあり、有名大学の比較文化論や言語学、発達心理学の
教授も簡単に右から左へ論破する自信がある。それだけではない。
人間が言語を使用する、という根本原理について大学教育では
研究対象にするどころか、仮説に近づくことさえできない領域まで
完全に把握しきっているため、ほとんど唯我独尊状態なのである。
別次元とはこういうことをいうのだろう。
(#1)現在の我々は、日本人が英米語をネイティブ同様に話すことが
できる年齢の上限が8−13歳くらいにあることを科学的に知っている。
つまり脳の成熟がはやい子供であれば小学校2年、遅い子供でも中2くらい
で「ネイティブ言語脳」はその効果を失い、成体の言語中枢が脳活動を
固定化(Lock)してしまう。つまり、ビートたけしが英語を学びにアメリカへ
という発想自体がその年齢上限(クリティカル・エイジ)によって否定される
のだ。中2以降の日本人の場合、英語圏に住んだり、英語圏から出張して
きているフルタイムの特殊学校に通ったりすることで自動的に英語脳が作られる
ということは医学的にないのだ。成体の脳で英語を学ぶには、徹底した学習が
必要となるのであり、その為には母国語を元にした通訳修行が一番かつ最適の
実用英会話マスターに近づく道である。つまり英語圏より、日本で行うほうが正解
なのである。ビートたけしは60年代にそのことに気付いていないが、84年の
映画「戦場のメリー・クリスマス」でも英米圏にて「英語を学習中だ」と告白して
おり(まあこれは脚本通りだがw)、さらに90年代においてもハリウッドの
米人から英会話の特訓を受けているのである。
(#2)女性が男性より多くみられる通訳という業種は確かに知的面では
とりわけ高い領域内ではないが、それでも彼らの職能のすさまじさは非常に
尊敬に値する。知能が低いとされる黒色人種がスポーツに優れていることに
驚嘆することに近いものかもしれない。とくに同時通訳は本当に頭の下がる
ような特殊技術であり、もろ手をあげて賞賛するしかない。プロの通訳は
厳しい訓練を受けた人間が狭き門をくぐりぬけて商売にする世界であり、
誰でもできるようなことではない。たとえば国内の通訳養成所などでは、
予科を終えて通訳コースを受講する際には、英検一級、TOEICでいえば
満点近いスコアかそれに匹敵する別の査定方法での実力がいるという。
そのくらい資格を厳しくして敷居をあげた中から精鋭が猛勉強にとりくみ、
その内、それだけで食べていけるのは一掴みの生徒だけなのだそうだ。
これはただたんに外国語が使えるというだけのことでなく、相互理解を助ける
コミュニケーションの達人、ビジネスを円滑に行うための社会人としての器が
養成されるということであろう。ま、知識人・・・とは全然別物ではあるが。
https://twitter.com/Interpreteryayo
(#3)とはいっても世界の最高学府であるアイビーリーグにおいても
アジア人ファキュリティーの増加にともない、英会話力を槍玉にあげた
教員批判は最近よくみられる・・・・・日本からは近年、大江健三郎や
村上春樹といった小説家が教鞭をとったが、あれはまあ、特別枠である。
おそらく彼らよりは英語圏での実績がある北川智子博士にしても、
そのユトリ特別枠に乗っかっているのではないかと私は推測する。
失礼なことを言わせるな。
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