http://www.asyura2.com/12/china3/msg/895.html
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インターネットで呼びかけられた集会情報をみて繁華街に来たとみられる若者を連行する公安関係者ら =2011年、上海(河崎真澄撮影)
【石平のChina Watch】「維穏」=「社会安定の維持」に疲れ果てる中国
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140320/frn1403201927004-n1.htm
2014.03.20 夕刊フジ
今月12日に閉幕した中国の全国政治協商会議の席上、委員の李海浜氏は「維穏」という政治的視点から、古典小説の『水滸伝』を題材にした映画やドラマの放映禁止を提案して波紋を呼んだ。
「維穏」とは「社会穏定(安定)の維持」の略語だ。近年、民衆による暴動や騒動が多発している中で、中央政府は口癖のようにこのスローガンを唱えるようになっている。つまり「維穏」とは政権に対する民衆の反発や反抗を抑えて社会の安定を保とうという意味合いである。
前述の李氏もまさにこのような文脈において「維穏」の意味を理解しているだろう。だからこそ彼は政権側の立場に立って、「下からの反乱」を描いた『水滸伝』を目の敵にしたのだが、たかが小説がこうも恐れられていることは逆に、今の共産党政権が「維穏」にどれほど神経質になっているかを示している。
現に、2009年あたりから政権は「維穏」を「すべてを圧倒する最重要な政治任務」と位置づけ、全力を挙げてそれにあたる構えとなった。そして10年度以降、中国の国家予算に占める「維穏費=公安費用」の割合が、国防費を超えていることは周知の事実である。
その中で政権は、全国の村々や都市の町内の一つ一つを「維穏の第1防衛線」と位置づけ、党と政府の基層組織を総動員して、民衆の中の「不穏分子」を徹底的に監視している。
たとえば、湖南省永州市富家橋鎮に、唐慧さんという女性がいる。公安から不当な取り扱いを受けたことを理由によく北京に足を運んで直訴することで有名な人物だが、彼女は今、鎮の共産党支部から「維穏任務の対象人物第1号」に認定され、すべての行動が厳しく監視・制限されているという。
党支部の歴代書記が上級組織から課せられる「第1任務」は唐慧さんの監視であり、彼女の行動を「管理する」ための専属要員までが配置されている。そのためにこれまでに80万元(1300万円相当)の公費が費やされてきたと報じられている。
このような大層な「維穏工作」はもちろん富家橋鎮だけでなく、全国規模で行われているのだろう。そのために過度な緊張と疲労を強いられているのは下層組織の党と政府の幹部たちだ。
昨年7月、四川省某鎮の若き副鎮長が辞職し、福建省の某副鎮長が首つり自殺したことは全国で大きなニュースとなった。その理由の一つが上から課せられた「維穏任務」の重圧に耐えられなくなったことであるとされている。辞職した四川の副鎮長の話によれば、副鎮長としての1年の仕事の3分の1は「維穏」であったという。
このようにして、今の共産党政権は人民の反抗を抑え付け「穏安を維持する」というただ一つの目的のために、まさに政権としての総力を傾けて必死になっている。逆に言えば、政権がちょっとでも気を緩めれば中国社会の安定は直ちに崩れてしまうのである。「維穏」とは結局、終わりのない自転車操業のようなものであろう。
この自転車操業の今後は一体どうなるのか。人民日報ネット版は昨年7月8日付で、前述の四川省副鎮長辞職に関連してこう指摘している。「各級政府は最大限の時間と労力を維穏に投入しているが、その効果は一時的ものにすぎない。抑え付けられた人々の不満は結局蓄積していくこととなるから、維穏すればするほど、社会の安定が崩れる危険性はむしろ高まってくるだろう」と。
なるほど、さすがに人民日報はよく分かっている。政権による必死の「維穏」の最終結果はむしろ安定の破壊にほかならないから、果てしない「維穏」の行く末に見えてくるのは天下大乱の世ではなかろうかと思う。
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【プロフィル】石平
せき・へい 1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。
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