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1966年8月、北京の天安門楼上で、紅衛兵代表として毛沢東(左)に紅衛兵の腕章をつける宋彬彬氏(関係者提供)
文革の元紅衛兵、相次ぎ謝罪 習政権の毛路線模倣への懸念
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140115/frn1401151206002-n1.htm
2014.01.15 夕刊フジ
【北京=矢板明夫】1966年から76年に中国全土を席巻した文化大革命中に、教師や知識人らをつるし上げ、暴行を加えた紅衛兵による被害者への謝罪が昨年から急増している。中国メディアによると、著名な紅衛兵リーダーだった宋彬彬(そう・ひんひん)氏が12日、北京で文革を反省する会合を開き謝罪した。背景には、習近平政権が毛沢東を模倣した政治運動を展開していることを受け、文革再来への懸念が関係者の間で広がっている事情があるとみられる。
13日付の新京報などによると、宋彬彬氏ら元紅衛兵約20人は北京師範大学付属高校に集まり、文革中に紅衛兵の暴行を受けて死亡した同校の元副校長、卞仲耘(べん・ちゅううん)氏の銅像に黙●(=示へんに寿の旧字体)(もくとう)しざんげした。宋氏は涙ながらに「先生に永遠の追悼と謝罪を表したい」との内容の反省文を読み上げた。
宋氏は軍長老、宋任窮大将の次女で、文革が始まった直後に紅衛兵組織をつくり、教師を攻撃する壁新聞を学校などに張り出した。紅衛兵は66年8月5日、副校長だった卞仲耘氏を「毛沢東思想に反対した」と決め付け撲殺。各地で紅衛兵による教師への迫害がエスカレートしていく契機になったといわれる。
宋氏は同18日、北京の天安門楼上で毛沢東と会見し毛沢東に紅衛兵の腕章をつけ、最も有名な紅衛兵となった。文革終了後、米国に移住し、マサチューセッツ工科大学で化学博士号を取得し研究者となった。
宋氏は「いま謝罪しないと永遠に謝れない」と考え、この会合に参加するため帰国したという。
文革が終わって40年近くが過ぎた最近になり、元紅衛兵の謝罪が集中的に行われる背景には、毛沢東を高く評価し保守路線を推進する習近平指導部への、文革経験者らの反発・懸念があると指摘される。
北京の改革派学者によると、習国家主席が毛沢東時代さながらの政治運動を展開、「改革開放以前の歴史を否定すべきではない」と文革肯定とも受け止められる発言をしたことに対し、改革派や文革経験者らが危機感を強めているという。この学者は「彼らは自らの罪を公にすることで、歴史の悲劇の再来を阻止しようとしている」と指摘した。
また、一連の元紅衛兵の謝罪は改革派の雑誌や新聞で大きく取り上げられているが、こうしたメディアの働きかけで謝罪を決めたケースもあるという。
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