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他人への信頼感の上に成り立った日本人社会に見る「日本人の矛盾」
初めて日本を訪れた中国人の体験記
このほど日本を初めて訪れたある中国人観光客は、1週間というごく限られた時間ではあるが、実際日本に触れる中で、日本と中国の異なる社会の雰囲気を感じ取った。この観光客の目には、日本の建築物は中国と同様東アジア的な特徴を持っており、日本人も、中国人と同様に黒い髪と黄色い皮膚を持つ人種で、日本語も半分以上が中国と同じ漢字を持っているように映った。特に文字にいたっては、例えば街角の標識や店舗の看板などの意味がわかったり、或いは推測することができるほど似ている。しかし、それでもこの観光客は新鮮な感覚を受けたようだ。それは、爽やかで澄んだ空気や清潔な道路、レストラン、のんびりとした豊かな農村、秩序を厳格に守り、お辞儀をするなど礼儀正しい日本人の国民性などに対するものだ。特に何度か温泉につかったことで、この観光客は日本人のきれい好きなところや、人と人との間の相互信頼の強さを感じたようだ。南方日報が伝えた。
(以下はブログに投稿された文章を編集したもの)
■洗面器や浴場を他人と共有する日本人
温泉につかる際には、まず最初に身体を丁寧に洗う。さもなければ、温泉の水を汚してしまうからだ。浴場の様子は、私が幼い頃の中国北部の公共浴場にどこか似ている。しかし、異なるのは、日本の温泉は非常に清潔であり、まったく嫌な臭いがしないことだ。それぞれの洗い場には資生堂や日本の伝統的な馬油や北海道特産の柿から作られた様々なブランドのボディシャンプーやシャンプー、コンディショナーなどが並んでいる。さらには、毛穴の汚れをしっかり取るクレンジングや臭いをとる炭石鹸などが置いてある。身体は座って洗う。白いプラスチック製の椅子と、白い洗面器、硬い毛で出来た足裏を洗うブラシなど、すべての場所にこれらの道具一式がセットしてある。我々は小さい頃からタオルと洗面器は人と一緒に使用してはいけないと教わってきたが、ここでは郷に入れば郷に従えで、小さな椅子に腰掛けて身体を洗うことにした。そして、この椅子と洗面器が非常に清潔であることに気付いた。恐らく、前回使った人が使用後、自分できれいに洗っているようだ。なぜなら、大きな浴場ではたった一人の従業員しか見かけなかったからだ。この従業員はバスタオルを支給するサービスを担当しており、誰かが助けを求めたときだけ対応する。(私の浴衣の帯はこのおばさんに締めてもらった。おばさんはこのような慣れない外国人を喜んで助けてくれる)。
日本ではなぜ椅子に座って身体を洗うのかが最後にわかった。温泉につかりに来ている人は、我々日本の風情を味わいに来た外国人以外は、ほぼ全員が腰や背中が曲がり、皺も多く刻まれた高齢の日本人だった。確かにこのような高齢者たちを立たせて身体を洗わせるべきではない。日本は長寿国家であり、国民もかなり裕福だ。高齢になっても、このような時間とお金があり、生活を楽しむ余裕がある。
■トイレのスリッパも共有する
日本のレストランのトイレでも同様の現象が見られた。レストランに入ると、靴を脱いで畳に上がるが、トイレに入るときは、トイレ専用のスリッパが用意されている。こちらでは女性用には大概可愛らしい布製のトイレ専用スリッパが用意されており、どの客もこのスリッパに履き替える。日本風の場所であれば、ホテルのトイレでもレストランのトイレでも、多くのトイレは非常に小さく、プラスチック製のユニットバスが装備されている。そこには、チリ一つなく、いい香りがする。日本の7日間の滞在で、ガソリンスタンドのトイレ以外、和式トイレを見たことがなかった。すべてが坐椅子タイプの洋式トイレだった。しかも、すべてのトイレには2種類の洗浄機能や坐椅子を温める機能、除臭機能がついていた。聞くところによると日本の科学者が研究した結果、しゃがんで用を足すトイレは寿命を縮めるため、国民は仕方なく、座椅子トイレを普及させたのだという。将来、すべての和式トイレはなくなるだろう。
■他人との相互信頼によって成り立つ社会
温泉などで共用する椅子や洗面器、トイレで共用するスリッパなどから、日本人のお互いに対する信頼感に心の底から驚いた。この信頼感は外国人の観光客に対するものも含まれる。ここには信頼することのリスクは存在していない。誰も他の人の病気や汚さを心配しておらず、伝染病にうつることを心配する人もいない。しかし、トイレや浴室にほのかな消毒水の臭いがすることに気付いた。恐らく、日本人が行う消毒作業が丁寧なため、みんな安心して使用しているのかもしれない。それは日本ではみんな安心して海鮮や生肉、生野菜を食べるのと同じようなものなのだろう。日本のスーパーで売っている果物や野菜は、中国とは異なり、すでに洗ってあるので、封をあければそのまま直接食べられる。
■他人に迷惑をかけたがらない日本人が、なぜ他国の目は気にならないのか?
日本の脆弱な地質や海上に漂う群島、特にこのように自らを律して注意深く行動する国民を見ていると、思いがけず日本人に同情を感じてしまう。神は日本人に対して確かに不公平だ。当初日本人は間違えた場所に降り立ってしまったのだ。ここはいつ何時地震や津波、火山噴火が起こるかわからず、さらには沈没するかも知れない国土だ。資源が乏しいため、日本人は原子力を発展させてきたが、原子力発電所は地震による津波によって被害を受け、更に大きな災難をもたらした。
日本の国民は表面的には謙虚で礼儀正しい。日本人が最も恐れるのは他人に迷惑をかけることで、最も気にするのは周囲の人たちからの視線なのだという。しかし、それならばなぜ日本人は中国を侵略し、さらには東アジアを侵略する際に、他国に迷惑をかけることを恐れなかったのか?そして、今に至るまで侵略したことを認めないのは、他国からの視線は気にしていないということなのか?これこそが、日本人が非常に矛盾に満ちた民族であるところだ。私が考えるに、ある日本人たちは、本質的に傲慢なところがある。特に、自分たちより貧しい隣国に対して。
日本に行ったことがある人なら誰でも日本人の清潔好きや規則を遵守するところに対して深い印象を持つだろう。日本の建築や街並みは決して素晴らしいわけではなく、日本の歴史や観光地も非常に美しいとはいえない。しかし、大阪、神戸から東京、北海道に至るまで、どの土地からも静けさと清らかさが漂っている。また、どの場所においても、フレンドリーで、他人への相互信頼が見て取れた。このことによって、私の中でおもわず日本人という民族に対する敬意の念が沸いてきた。清潔さを愛するということは一種の高尚な習慣である。もし中国の都市や農村の人々もみな衛生を追及し、どの場所も清潔になれば、中国の全体的な外観も大きな変化が生まれるのではないだろうか?(編集MZ)
「人民網日本語版」2013年11月7日
http://j.people.com.cn/94473/8449612.html
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