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江戸時代の着物は、清王朝の支配者に着衣を禁じられた漢服だと、中国が世界に発表していた
http://www.asyura2.com/12/china3/msg/617.html
投稿者 飯岡助五郎 日時 2013 年 9 月 10 日 16:28:33: VssSC.kx7zq3c
 

■上海新聞局が運営するサイト“cultural-china.com”が、江戸時代の女性の装束を描いた絵のキャプションを、

「清王朝の支配者は、漢民族の服を着ることを禁じて、満州族の髪型と装束を強く推進した。漢民族の服は、そのために忘却の淵に落ちた。」
The Qing Dynasty rulers greatly promoted Manchu hair styles and clothes, banning people from wearing Han Chinese clothing. It therefore gradually fell into oblivion.

と著し、世界に向けて発表していた。
http://traditions.cultural-china.com/en/15T1735T3390.html
しかも、そのサイトは、中国の国営新華社通信の下部組織に当たる上海新聞局なのだ。
http://www.cultural-china.com/chinaWH/aboutus/index.html

■また、江戸時代の装束を描いた浮世絵の文字を辿っていっても、そういう歴史が浮かび上がる。

浮(float)=葫芦(ひょうたん:bottle gourd)
http://baike.baidu.com/view/263745.htm#4_3

葫芦=人类始祖的伏羲、女娲,皆看作是葫芦的化身
 (人類の創始者であるFuxiとNuwaはひょうたんの化身)
http://baike.baidu.com/view/33197.htm#9

伏羲=其实伏羲并非人首蛇身,而是真正的道家的创始人,人首蛇身即是“道”字的原型
 (実際にはFuxiは人首蛇身ではないが、本当の道家の創始者であり、人首蛇身すなわち
 「道」の字の原型)
http://baike.baidu.com/view/13762.htm#4_5

以上の通り、浮世絵の「浮」の由来を遡ると、道教の世界が浮かび上がる。
したがって、道教に由来する七夕に天高く笹箒を飾って天の煤払いをした江戸が、漢民族の文化を守った「道」ワールドの記録だったといえそうだ。
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200908120186.html
http://shinkatsushikamiyage.cocolog-nifty.com/blog/tmpimg1007082039n120100708204132062.jpg
http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/H220908.jpg
http://izucul.cocolog-nifty.com/balance/images/2010/07/08/1711.jpg


そうなってくると、江戸の文化は、漢民族の文化だったということになる。
 

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コメント
 
01. 2013年9月10日 18:25:16 : rAZs4KvhOE
中国も韓国並みに、起源を主張しないと自我が崩壊するようになったのかな?

02. 2013年9月10日 20:49:48 : ZgUmMpjcGY
ベトナムのアオザイほどの影響はないだろうが、多少の影響はあると思う。(中国の)
鎖国してた江戸期は、ガラパゴス化してたのだろう。

日本も韓国も中国も、「御用学者」の言い分が国是になるのか?

「正しい歴史認識」とやらが戦争の遠因になるのだろうな。


03. 2013年9月11日 06:55:40 : dmkMWIGdew
 自国の歴史資料を葬り、チベットや東トルキスタンで残酷な殺人を繰り返す漢族・中国が、思い上がった大国意識で軍隊を動かして世界制覇を妄想中であるが、その姿は「共産党国家」→「狂惨頭国家」となってしまった。

04. 無段活用 2013年9月12日 12:48:01 : 2iUYbJALJ4TtU : ddGVSlWexS
わざわざ中国が発表しなくとも、「呉服」の名で十分通用するでしょう。

「呉」、『三国志』に出てくる、あの「呉」ですよ。

いいじゃないですか、それで。


05. 2013年9月12日 16:54:51 : e0k3K1A4qI
 
 別に日本人は、着物は日本発祥・漢字も日本発・餃子も日本発・ブッダもキリストも日本人…などと言ってはいません。


06. 2013年9月14日 09:22:08 : L3oWjvNiyM

一般の中国人ってのは、野蛮だね、未開人に近い。

日本人のほうが、ずっと上等だ、文明人の名にふさわしい。


07. 2013年9月14日 11:01:38 : ruYQlm3ZEA
コメントを付けている諸君はこの上海の記事の意味を誰も理解していないようだ。
これは実は非常に「反体制的」な内容だということだ。ほとんどの中国人が「中国文化=漢文化は断絶無く受け継がれて来た」と思い込んで来たし、また中国の体制側もそう思い込ませることで自らの正統性を大衆に刷り込んで来たわけだが、それを根底から否定する内容になっているからだ。実は中国では早くから「満清」(満州族の清王朝)の支配で伝統的な中国文化が断絶したと考えている人は少なくない。ここで言っているのは日本の和服が「合わせ衿」とか「腰帯」、「羽織」などの中国の漢服や唐服の伝統的な形式を受け継ぎ、その時代の中国(つまり清王朝)に強制された満州族の服装や髪型を受け入れることで伝統が絶えてしまったことを言っている。実はそれは服装だけでなく、儒教などの伝統思想もこの時代に断絶してしまったものが多い。

08. 飯岡助五郎 2013年9月15日 12:15:12 : VssSC.kx7zq3c : FOGALdBVEA
07さんへ

そんな感じですね。海外に向けて、英語のみでそれを発表しているわけです。

ヨーロッパで浮世絵は大変有名です。なぜなら、浮世絵はフランスにジャポニズムの流行を起こし、印象派やアールヌーボーやキュビズムとして世界に広がったからです。
ただし、そのジャポニズム発祥の店の名は、日本の浮世絵や民芸品の専門店でありながら「La Porte Chinoise」(中国の門)という名なのです。当時のヨーロッパの人にとって日本は、中国の門のような立場だったことがわかります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%9D%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%A0#.E3.82.B8.E3.83.A3.E3.83.9D.E3.83.8D.E3.82.BA.E3.83.AA.E3.83.BC.E3.81.AE.E6.99.82.E4.BB.A3


また、上海で活躍した魯迅は浮世絵が好きでしたが、中国人にそれがわかる人はいな居ないだろうと書き残しています。
http://baike.baidu.com/view/3430304.htm?fr=iml#4
1934年1月27日,魯迅在寫給日本朋友的信上曾經提及:“對日本的浮世繪畫師,我年青的時候喜歡葛錦北齋,現在喜歡安藤廣重,其次是喜多川歌磨的人物,但是,倍受コ國人讚賞的東冽齋寫樂,我雖然讀了兩三本書,還是莫名其妙,依我看,還是葛錦北齋適合中國人的品味。貴友所收藏的浮世繪請勿寄來,我自己已有數十張復製品,只是,愈上年紀人愈忙,現在連拿出來看看的時間幾乎都沒有,況且中國現在還沒有會欣賞浮世繪的人,因此,我真不知將來該把這些浮世繪交給誰?”


09. 無段活用 2013年9月15日 21:57:29 : 2iUYbJALJ4TtU : ddGVSlWexS
そうすると、習氏が称える「中国の夢」なんてものは実はないんだよ、ということに
なる。明と清の間に断絶があるのなら、黄帝の時代から連綿と続いてきた中華文
明というのもフィクション。北京と上海で思想戦が始まった、というのが今日的な解
釈になる、のかな?

ただ、たとえ漢服を捨て、弁髪を結い上げたとしても、そこに何百年何千年と生き
てきた人たちの生活の蓄積というのはあるわけで、文化とか文明とかいうものは
その土台の上に成り立つものだから、支配者が変わったからそこで断絶してしま
ったというのは、ちょっと違うんじゃないの、という感じはする。

で、中国が満州人に征服されたということで、江戸時代の知識人の中には、「あそ
こは既に中華じゃない」という意識を持つ人がいたようで、「日本こそが中華だ」
という考えを持った人もいたそうだ。それは時代が下って、戦前の「八紘一宇」の
思想とも通じるわけだけど、

清朝の成立によって中国が東洋思想の中心の地位を降り、中国伝来の東洋思想
を失わなかった日本が思想的中心として残ったという考え方はあっても良いとは思
うけど、本当は、日本は中国の文明を受け入れたりしてはいたけども、日本は日本
でずっとやってきたというのが本当のところで、それを大陸の情勢とつなぎ合わせて
変な解釈をすると、また「大アジア主義」みたいな思想を生む温床が生まれる。

そうなると、ちょっと困るな。


10. 2013年9月20日 08:42:48 : 7OpGsifAXA
呉服だから呉の国じゃないのか?それは漢人一般の装束だったのか?

11. 飯岡助五郎 2013年9月20日 13:09:56 : VssSC.kx7zq3c : FOGALdBVEA
10さんへ

講談社の日本人名大辞典によると呉服(くれはとり:呉織)は、「日本書紀」にも記載があり、呉の国から渡来した機織職人だったそうですね。
複数の辞典に記載があります。
http://kotobank.jp/word/%E5%91%89%E7%B9%94

また、漢織という機織職人も一緒に渡来したと記されています。

ただ、機織機の巾は、中国のものよりもかなり狭いです。だから、中国と違って、袖と身ごろ部位を縫い合わせて、呉服が仕上がります。

したがって、清朝時代に漢服を着ていた地域は、日本列島のみということになるのでしょう。
しかも江戸時代は、清朝が弾圧した道教の歳時記も旧暦と共に実施していましたから。
明治以降、五節句の廃止や道教・仏教・由来の雅楽譜の焚書によって、漢族の文化は似て非なるものにすりかえられて行ったわけです。


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