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習近平の中国[日経新聞]
(1)いったいどっちなんだ
毛沢東の生誕120年に沸く毛の故郷、湖南省。経済自由化を主張する改革派の著名学者、茅于軾(84)は今年5月、講演のために訪れた同省の長沙市で群衆の罵声にさらされた。
「毛沢東批判は許さない」「薄熙来を我々に返せ」。シュプレヒコールが飛び交い、「売国奴の茅」という横断幕を掲げて群衆が詰め寄ってくる。毛が1960年代に始めた文化大革命さながらの現場。講演会場の備品も乱入した暴徒に壊され、小規模な会場に変更せざるを得なかった。
集まった群衆の一部は、保守層の中でも原理主義的に毛路線を信奉する左派が1時間30元(約500円)で雇った庶民とされる。茅は北京の自宅でも、夜中にかかってくるいやがらせ電話に悩まされる。
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文革により膨大な犠牲者を出した毛路線は、社会主義を厳格に守り市場経済を否定。共産党一党支配のために厳しい言論統制を敷いた。
これを否定し、トウ小平が改革開放に踏み切ったのは78年。中国は成長軌道に乗り、左派の暴力行為は許されないはずだった。時代錯誤にも見える異様な光景は何を意味するのか。発端は今年1月にさかのぼる。
共産党の幹部養成機関として大きな意味を持つ中央党校。前年11月に共産党トップの総書記に就任した習近平(60)は「重要講話」としてこう語った。「改革開放後30年の歴史で、改革開放前の30年(毛時代)を否定することはできない」
5月、習は自らの権威を高めようと文革時代の毛とそっくりの言葉遣い、スタイルで政治運動を打ち出す。民主化につながる可能性がある「憲政」の議論も禁じ、共産党の決定が法に勝ることをにじませた。
背景にあるのが汚職容疑で起訴された薄熙来(64)の存在だ。薄は毛時代の「格差の少ない古き共産党に立ち返ろう」と主張して大衆の支持を得た。権力基盤を確立する過程にある習が、左派をも支持層に取り込もうとする狙いが透ける。
一方、習指導部で経済運営を担う首相の李克強(58)は、その姓から「リコノミクス」と呼ばれる構造改革を推進する。政治面で強権的な毛路線にすり寄る習と、トウ小平に連なる改革で経済自由化を掲げる李。いったいどっちなんだ――。股裂きになる現状を、老学者の茅は「現場は混乱している」と憂慮する。
8月下旬。李は自由化の柱と位置付ける上海の自由貿易試験区(特区)で「現行の外資規制法の執行を停止したい」とぶち上げた。現行法にとらわれない大胆な規制緩和を進める意志を強調したもので、上海では人民元の取引自由化も視野に入れる。7月上旬の米中戦略・経済対話でも副首相の汪洋(58)が「改革への意気込みの証し」と米側に披露した。
だが、同試験区については政府内にも「現行法との矛盾が大きい」と抵抗が強い。地元の上海市政府系企業は「うまみがない」として李の構想に無関心を装う。
大規模な景気対策を避け構造改革を優先しようとする李は7月の政府の会議で、公共投資積み増しを求める国有企業などの大合唱にも直面した。
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中国最北の黒竜江省チチハル。習の「ぜいたく禁止令」で息をひそめていた「腐敗通り」が復活しつつある。開店休業だった高級飲食店には最近、党幹部が乗る黒塗りのアウディが乗り付けるようになった。高額接待の原資は街中で始まった道路整備で動くマネー。「高額の領収書は三分割されているだけ」。関係者は明かす。
改革派の有力雑誌「炎黄春秋」の副社長、楊継縄(72)は「権力を持つ者と、持たざる者が競争する不公平な市場経済。必ず腐敗する」と中国の現状を喝破する。権力を監視する民主的な制度が整わなければ、汚職は消えず市場も育たない。
7月下旬、元国家主席の江沢民(87)は自らが強い影響力を持つ上海で、習を褒めたたえた発言をあえて公表し影響力を誇示した。同じころ、江に対抗するかのように、共産主義青年団で李の先輩に当たる前総書記の胡錦濤(70)が上海を観光する姿が報道された。
既得権益層が再び頭をもたげ、各派のさや当ては激しさを増す。そんななかで10月にも、中長期の経済政策を決める共産党の重要会議「3中全会」が開かれる。李が掲げる改革は成就するのか。「リコノミクス」は早くも、胸突き八丁にさしかかっている。
(敬称略)
[日経新聞8月27日朝刊P.2]
(2) 「釣魚島」は見えますか
「歓迎光臨(いらっしゃいませ)」。コンビニエンスストア大手のローソンは21日、北京駅に近いオフィスビル内に北京旗艦店をオープンさせた。上海や重慶でも店舗立ち上げに関わってきた羅森北京公司副総経理の長谷部淳(56)は「北京が最も難しかった」と打ち明ける。
日本企業にとって中国が重要な市場であることに変わりはない(8月に北京進出を果たしたローソンの旗艦店)
上海を拠点とするローソンが北京に準備事務所を構えたのは昨年5月。4カ月後に日本政府が沖縄県・尖閣諸島を国有化し、中国全土で反日デモの嵐が吹き荒れた。
営業許可を得るため役所に出向いても、担当者の個人的な感情で応対が異なる。「今日は相手を刺激しないよう日本人社員は同行するな」。細心の注意を払い、なんとか許可を取り付けた。中国の他の地域なら2〜3カ月で実現した現地法人設立は今年5月までずれ込んだ。
尖閣国有化から9月11日で丸1年。日中間の政治交流はすっかり冷え込んだ。中国外務省の対日外交関係者は「我々は今、周囲から仕事がないと思われている」とぼやく。最近では、中国首脳とアフリカや南アジアの要人などとの会談にも駆り出されるようになった。
今年5月、北京随一の繁華街、王府井にある老舗ホテル、北京飯店から「TOSHIBA」の看板がひっそりと下ろされた。長く親しまれた日本ブランドを象徴する広告は、薄型テレビの世界シェアで東芝に肉薄する中国家電大手「海信集団(ハイセンス)」に代わった。
政治摩擦への抵抗力があるとされた日本製品の技術的な優位性は薄れ、競争力にもかげりが出ている。米調査会社NPDディスプレイサーチによると、中国市場で2007年は21.4%だった日系ブランドの薄型テレビのシェアが13年1〜3月期に8.4%まで落ち込んだ。
「釣魚島(尖閣諸島の中国名)はハッキリ見えますか」。西安市にある家電量販大手、蘇寧電器のテレビ売り場。海信製の大型液晶テレビには、尖閣を含む東シナ海の地図が映っていた。画面上にごく小さく見える島もきちんと映し出す高い解像度があります……。街角の反日感情が今なお、くすぶっているのは明らかだ。
それでも日本企業にとって世界第2位の規模を持つ中国市場は無視できない。ローソンの長谷部は話す。「日本であれ中国であれ、消費者により便利になってもらうことがコンビニ・ビジネスの使命。政治環境も国境も関係ない」
(敬称略)
[日経新聞8月28日朝刊P.2]
(3)ババを引くのは誰だ
「7月15日午前10時、広場に集合せよ」
北京から西へ約500キロメートルにある人口40万人の小都市、陝西省楡林市神木県。携帯電話に入ったメッセージを見た住民数百人が県政府庁舎前の広場を埋め尽くした。県の財政赤字が300億元(4800億円)に達し、教育・医療費が無料ではなくなると記されていたからだ。
中国有数の産炭地、神木は国内で初めて医療、教育費を無償化した街だ。2008年のリーマン・ショック後の大型景気対策で石炭価格が高騰。歳入は年2割を超すペースで増え続けた。だが、昨年来の石炭価格急落で、1〜6月の歳入は前年同期比32%減に落ち込んだ。
中心部から車で約30分。中堅規模の趙倉●(やまかんむりに卯)炭鉱は静まりかえり、石炭在庫が黒い山となっていた。「今の販価は去年の半値以下。とても操業はできない」。留守役の営業担当者は年初に生産を停止したまま再開のめどが立たない現状を嘆く。楡林市によると、神木の99の炭鉱のうち1〜3月期に操業したのは7カ所だけだった。
「集資大王(資金調達王)」として全国に名を知られた神木の劉旭明(30)。石炭バブルに乗って、個人から高利で集めた資金を炭鉱開発に投じた。運用額は少なくとも3億6000万元(約60億円)に達したが、市況悪化で返済に窮した今春、警察に逮捕された。
「劉は昔から優秀で、大学の時に食堂を開いて大もうけしたらしい」。劉と小学校で同級だった地元のタクシー運転手、張耀華(30)は話す。その張も別の友人の紹介で25万元を炭鉱投資に充てた。収益はおろか、返済されるのかもわからない。「信頼できる友人だから大丈夫」と自分に言い聞かせる毎日だ。
教育・医療費の有償化に反対するデモに参加した男性(63)も、民間金融会社に預けた31万元が満期後も戻ってこない。「民間といえども政府が設立を認めたのだから、政府が損失補償すべきだ」。不満の矛先は地元政府に向かうが、政府が住民に補償すれば、財政赤字は際限なく膨らんでしまう。
英米格付け会社フィッチ・レーティングスは4月、地方債務の増加を理由に中国政府が発行する国債の格付けを引き下げた。石炭バブル崩壊の影響はすでに内モンゴル自治区や山西省でも深刻化しており、不動産バブル懸念は全国各地に広がる。「ババ抜き」のババは誰かの手に渡る。(敬称略)
[日経新聞8月29日朝刊P.2]
(4)「ちゃんと見てるよ」
「私も記者だった。みなさんのことは身近に感じます」
6月の香港。現地の中国政府代表機関で要職に就いたばかりの楊健(54)は地元紙の式典でこう語り、記者の冷たい視線を浴びた。「香港でも報道への圧力が増すんじゃないか」――。記者らの脳裏によみがえったのは、広東省で起きた週刊紙「南方週末」を巡る事件だ。
今年1月、憲法に基づく民主政治を指す「憲政」の実現を年頭紙面で訴えようとした記事が、共産党当局の指示で差し替えられた。不満を強めた現場記者らは一時、職場を放棄し、事件は報道の自由を巡る論争を全土に巻き起こした。世界の注目も浴びた記事改ざんを編集部に迫ったのが当時、広東の党宣伝部副部長で同紙の発行会社トップを兼務していた楊だった。
総書記、習近平(60)が率いる党指導部は事件後、安定を優先し一気に思想・言論の統制に傾く。「中国での憲政の実施は木に登り魚を探す愚行」。8月上旬には民主化につながる憲政をたたく論文が、3日連続で党機関紙に掲載された。
「ポスト習」をうかがう広東省トップ、胡春華(50)の下で、事件の最前線にいた楊は香港に移り中央政府の次官級にあたる地位に栄転した。南方週末の首脳陣からは生え抜きが消え、当局関係者ばかりになった。
出口を閉ざされた情報はネットに向かう。
「国家工商総局の副局長を調査すべきだ」。広東省の日刊紙「新快報」の記者、劉虎は7月下旬、自身のブログで同副局長が重慶市時代に不正を働いていたと告発した。ほぼ同じころ、国営新華社の記者もブログで大型国有企業、華潤集団董事長の宋林が企業買収に絡んだ汚職に関わっていたと告発。南方週末の事件が明るみに出たのも、編集者らがブログで抗議声明を出したのがきっかけだ。劉はその後、ネット監視を強める当局に拘束された。
広東省江門市で7月中旬に起きた核燃料施設の建設計画に反対するデモ。携帯電話のメールで知人に行進する場所を知らせたある女性は、突然の電話に驚いた。「あなたも参加したのか。ちゃんと見ているよ」。メールの発信者を特定した公安当局の警告だった。監視の目は一般市民にも広がる。
一党支配を守るため言論統制を強める共産党と、身をていしてでも真実を発信しようとする人々。攻防は激しさを増している。
(敬称略)
[日経新聞8月30日朝刊P.2]
(5)遠い法治国家
7月中旬、中国南部・湖南省の長沙市中級人民法院(地裁)は1人の男の死刑を執行した。元不動産開発業者の曽成傑(54)。その死が伝わると、中国の法治を巡る議論がインターネットなどで改めて沸騰した。
省都・長沙から西へ約400キロ離れた山あいの街、吉首市。曽は2003年、地元政府から民間資金を使った不動産開発の認可を得た。延べ6万人近くから約35億元(約560億円)を集め、商業施設や図書館を建設した。目ぼしい産業のない吉首の発展に貢献し、「誠実で信用のある企業家」として表彰されたこともあった。
風向きが変わったのは08年3月。新たに就任した地元の共産党トップは突然、民間からの資金集めを違法とし、同9月には取り付け騒ぎが起こった。曽は「詐欺」の首謀者とされ、今年6月に死刑を宣告された。
「ひと目会うことさえできなかった」。長女の曽珊(23)は面会も許されないまま死刑が執行されたことの無念をブログで訴えた。「党のトップが代わっただけで、地元の名士だった人が死刑になってしまった」と事件をよく知る法律家は嘆く。
湖南省は司法省出身で最高法院院長(最高裁長官)の周強(53)が3月まで6年半トップを務めた。法治の先進地であるはずだが、曽の死刑以外にも疑問符が付く出来事が続く。
同省中部の永州市に住む主婦の唐慧(40)。06年に当時11歳だった長女が3カ月にわたり監禁される事件が起こった。犯人グループの刑が軽すぎるとして関係当局への陳情を繰り返した結果、逆に9日間にわたり市当局に拘留された。中国には裁判抜きで市民を最長4年間、拘留し、思想教育や労働を強制する行政処罰制度が今も残る。
省高級人民法院(高裁)は7月、唐に精神的な負担を与えたとして市に約2600元の賠償金支払いを命じたが、拘留そのものの違法性は認めなかった。「勝訴は勝訴だが、決してうれしくはない」。唐は悔しさをかみしめる。
7月上旬。鉄道工事を巡る大型収賄事件の中心人物として死刑の判決が下った元鉄道相の劉志軍(60)には2年の執行猶予が付いた。「党員の死刑はどうせ執行されない」。ネットには中国の法治を皮肉るしかない庶民の書き込みがあとを絶たない。
(敬称略)
中沢克二、山田周平、桑原健、菅原透、大越匡洋、土居倫之、島田学が担当しました。
[日経新聞8月31日朝刊P.2]
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