14. 2013年3月22日 01:39:06
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【最終回】全人大から読み解く習近平政権の内実と対日政策
2013年3月22日(金) 遠藤 誉 3月5日に始まった中国の全人代(全国人民代表大会)は3月17日に閉幕した。この日から習近平新政権が本格的にスタートする。 「中国国盗り物語」はちょうど1年前の全人代からスタートした。その1年後の全人代の閉幕を見届けて最終回としたい。今回は全人代から見えてくる習近平政権の課題と内実、そして対日外交を読み解くこととする。 人事の注目点――李源潮が国家副主席になった意味 この大会で選ばれたのは国務院(中国人民政府)という中国の行政を司る機関を構成する人事だった。その結果は、2012年11月29日に公開した本連載の「新たなチャイナ・セブンに隠れた狙い―実は胡錦濤の大勝利」で予測した結果と完全に一致した。何よりもホッとしたのは国家副主席人事が的中したことである。 3月14日、全人大では国家副主席などの重要なポストの選挙が行われたが、国家副主席に当選したのは李源潮。昨年の党大会で「チャイナ・セブン」(中共中央政治局常務委員)に抜擢されるだろうと早くから期待されていた共青団のホープだ。利益集団に果敢に切り込み、あちこちから恨みを買っている。 幹部を断罪するか否か、実際に決定してきたのは胡錦濤時代のチャイナ・ナインで、その指示を受けて中共中央紀律検査委員会が取り調べを行うのだが、処罰に関する宣言をするのは中共中央組織部の長である李源潮だったため、利益集団は彼を嫌った。その結果が投票数にも如実に表れている。 たとえば習近平の国家主席就任に関する票決は2956票中、「賛成:2952票、反対:1票、棄権:3票」に対して、国家副主席にノミネートされた李源潮に対する投票結果は「賛成:2829票、反対:80票、棄権37票」と、議場に軽いどよめきが起きるほどに反対票が多かった。 胡錦濤が李源潮を推し、習近平が支援していなければ、ノミネートさえされなかっただろう。李源潮は政治局常務委員ではなく、単なる政治局委員だ。通例は常務委員でなければなれない国家副主席に李源潮がなった意義は大きい。 その背景にあるのは「チャイナ・セブン」に関しては妥協するしかなかった胡錦濤派閥の事情だ。習近平と連携している胡錦濤率いる共青団は、江沢民に代表される利益集団と対立した。それを補うためのパワーバランスであったと思う。 ただ、となると「チャイナ・セブン」でない国家副主席が、どのような役割を果たすかということになる。飾りだけだと批判する者もいるが、それは少し違うだろう。なぜなら中共中央には多くの直属組織や特定分野の「領導小組」(指導グループ)がある。その中の「中共中央外事工作領導小組」の組長は一般に国家主席が、副組長は国家副主席が担う。李源潮は今でもすでに中国の特別行政区である「香港・澳門(マカオ)・厦門(アモイ)」を管轄しているので、外事を担いながら国家主席を補佐することになろう。 国家主席が事故や病気で公的行事に出られない時には国家主席代理として登場するのも国家副主席だ。決して「形だけ与えておいてやろう」といった利益集団の思惑通りにはいかない。 李源潮を国家副主席に持ってきた意味は、「利益集団に切り込む姿勢」を人民に見せるメッセージでもある。習近平体制はチャイナ・セブンの顔ぶれに代表される利益集団寄りではなく、彼らを解体し、政治体制改革を断行するのだ、というメッセージだ。こうして現体制に対する国民の不満を解決する方向のシグナルを発したと言っていいだろう。 10年後のトップは胡春華 胡錦濤系列の周強(共青団)を最高人民法院院長(最高裁判長)に指名したのも、利益集団に有利な判決が出ないようにするためだとみなしていい。 周強はかつて、10年後の国家主席(&総書記)として胡春華とともに宿望されていた人物の一人。この胡春華に関する詳細は本連載の2012年11月2日「間もなく党大会。チャイナ・ナインの空席は最大7つ」にある小見出し「10年後の国家主席? 胡春華」の部分をご覧いただきたい。 また2012年11月29日に公開した「新たなチャイナ・セブンに隠れた狙い――実は胡錦濤の大勝利」の中の小見出し「5年後を見据えたグランドデザイン」でも胡春華というキーパーソンに関して説明している。 筆者は10年後の後継者としては周強ではなく胡春華だと、2012年1月の時点で断言していた(『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』)。なぜなら胡錦濤との結びつきと信頼度が群を抜いているからだ(それに周強には悪いが、国家主席になるには、実は「マスク」にそれなりのカリスマ性がなければならないからでもある)。 『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』 周強が昨年の党大会で中共中央政治局委員に入っておらず、胡春華が入っていた時点で、胡春華の線がなお一層濃厚になってはいた。しかし今般の周強と李源潮の職位決定により、利益集団に偏っていたチャイナ・セブンの布陣を、他の要職に共青団を就けることによってバランスを取ろうとしていることが見えてきた。
現在の中国政権の対立軸は共青団と利益集団。習近平は太子党ながら理念は「反利益集団」だ。ということは共青団と理念を共有している。 チャイナ・セブンを決定する昨年の党大会までは利益集団の代表である江沢民が最後の抵抗を見せ、チャイナ・セブンに自分の傘下の重鎮を入れることに成功。かたや胡錦濤は逆にチャイナ・「ナイン」をチャイナ・「セブン」にすることによって江沢民の牙城である中共中央政法委員会の降格に成功している。おまけに潔く中共中央軍事委員会主席を退いたために、習近平は胡錦濤に対して尊敬と、ある意味「借り」を作ったことになる。 こういった力関係と本連載でご説明したグランドデザインという視点から見ると、今般の李源潮、周強の登用によって10年後の国家主席(&総書記)は胡春華になると断言できるのである。そのつもりで今後の5年間、そして10年間を読み解いた方がいい。 李源潮の国家副主席就任は、そこまでの断言を可能にさせてくれる大きな意味を持っていた。 国務院機構改革を読み解く2つのポイント 全人大で大きく注目されたものの中に、国務院機構改革がある。27あった中央行政省庁が25に統合再編され、職能改革を行った。 その中で注目される二つを考察しよう。 一つは腐敗の温床として名高い鉄道部の解体である。鉄道部は「独立王国」と呼ばれてきた。1949年10月1日に中華人民共和国が誕生する前の革命戦争(解放戦争、国共内戦などの別称)において、中国人民解放軍のための鉄道線路の構築・破壊は鉄道兵が担ってきた。そのため鉄道部は革命戦争期には中共中央軍事委員会の中に組み込まれていた。 建国後は国務院という人民政府の中央行政省庁の中に位置づけられたが、建国後最初に設置された中央行政省庁として特別の位置づけにあった。まるで鉄道部自身が一つの政府であるかのごとく「独立王国」として振る舞い、改革開放がメスを入れることのできない最後の砦と化していたのだ。その利権を江沢民傘下の利益集団が独占していたため解体が断行できなかった。 今般、遂に鉄道部解体にこぎつけたことは、利益集団の解体と江沢民勢力の衰退・消滅を意味している。ただし、鉄道部解体によって「政企分離」(政府と企業経営の分離)は実現したものの、三権が分立していない中国にあっては「司法が党の指導の下にある」ため、腐敗が根絶することはないだろう。 注目される機構改革の二つ目に国家海洋局の統合再編がある。 国家海洋局はこれまでファイブ・ドラゴンと呼ばれてきた5つの命令指揮系統により動いていた。ファイブ・ドラゴンとは「1:国家海洋局、2:中国海監(中国海洋環境監視監督船隊)、3:公安部辺防海警(公安部国境海洋警察)、4:農業部中国漁政、5:税関総署海上密輸取り締まり警察」のことを指す。 これらを統合して中央行政省庁の一つである「国家国土資源部」に新たに国家海洋局を設けた。これまでは、ある行動を起こそうと思っても、その行動に相当した命令指揮系統の許可を得なければ動けなかった。日本からすれば、「あの領海領空侵犯は、いったいどこからの命令なのか」といった疑問や、漁船の領海侵犯が「偶然なのか、それとも命じた背景があるのか」といった疑念を抱かせた。 今後は、国家海洋局は自らの意思一つで決定指示ができ即戦力が高まったことになると同時に、命令指揮系統が明確になり、日本としては分析が容易になったという側面も持つ。 その職能としては、中国海警局の役割を果たしながら海洋権益を保護し、公安部の指示なしに警察行為が可能となることなどが挙げられる。要は海洋権益の強化を図ったということである。 目的は海洋環境、法による海洋資源保護などを挙げているが、何と言っても領土問題に関する速戦的行動=即応性の向上にあるだろう。「速戦」と言っても、国家海洋局は中共中央軍事委員会管轄下の中国人民解放軍とは異なるので、企業の即戦力といったニュアンスの「速戦的行動」ではあろう。 しかし2013年2月7日に本連載の「中国の『レーダー照射』『領空侵犯』は何を意味しているのか」で述べたように、海空軍と国家海洋局は強力な連携プレーで動いているため、「速戦」の「速」の文字ではなく「戦」の部分にも警戒は必要となろう。 習近平政権が抱える3つの課題 習近平政権が抱える三大課題は、「党幹部の腐敗」「貧富の格差」そして大気汚染等の「環境問題」だ。 昨年11月8日の第18回党大会初日、中共中央総書記としての最後の演説で、胡錦濤は「腐敗を撲滅しなければ党が滅び、国家が亡ぶ」と語気を荒げた。そのために政治体制改革を断行しなければならないと強調したのだが、しかし前述したように「三権分立を絶対に認めない共産党体制」で市場経済原理に基づく自由競争を遂行すれば、特権乱用を招き、利益集団が生まれるのは不可避。腐敗の根絶は困難だと思う。 全人大会期中の3月10日、最高人民検察院(最高検察庁)検察長・曹建明は、収賄や横領などの汚職で摘発された公務員は4年連続で増加し、2012年は4万7338人にのぼったと報告した。過去5年間では21万8639人が立件されている。胡錦濤政権の第一期である2002年から2007年の5年間よりも4%の増加である。 そのうち、地溝油(下水油)や豚肉の赤みを増やす違法食品添加物など、食品の安全を脅かす犯罪者も1万人以上おり、監督のずさんさが浮き彫りになっている。対策として、国務院行政改革の中で食品衛生に関しての機構改革も行われた。 たとえば一つの饅頭(まんとう)(餡のない肉まんのような中国人にとっての主食)が人の口に入るまでに、小麦の育成から乾燥、小麦粉製造、饅頭という製品に至るまでの製造過程、運搬(物流)、販売に関して9つ以上の行政省庁の管轄があり、問題が起きた時には責任回避ができるとともに監督の空隙を生み、犯罪の温床になっている。そこで監督機関の一本化が全人代で決議された。 こうしたコンプライアンスの対策をとる際に、中国で問題になるのは監督権だ。省庁、機関の上の監督権が「党の指導」にある限り、これもまた利益集団同様、根治は困難である。 したがって憲法では保障されているはずの「人民による監督権」が「暴動」によってしか表現できない。ここに、中国共産党政府の根本的問題がある。年間の暴動件数が18万件(1日約500件)という天文学的数値は、「憲政」の実現を切羽詰まった課題として習近平政権に突き付けている。 政府の環境対策に“叛乱” 公費で飲み食いする「節約令」(ぜいたく禁止令)も強化されている。三公消費というのがある。三公とは「タクシー券、接待、出張」などを公費で賄う消費のことだ。公費だから知ったことではないとばかりに贅沢の限りを尽くすことが公務員の間で慣習化していた。 1日にレストランで捨てられる食べ残し料理の量は、その日の食事にも困っている2億人を1日食べさせることができる量に匹敵すると言われている。「盛菜」(セン・ツァイ)(盛大な料理)を同じ発音の「剰菜」(セン・ツァイ)(食べ残した料理)に置き換えた新語が生まれたほどだ。 「貧富の格差」や「環境問題」の根源も、すべては利益集団にある。格差は説明するまでもないだろうが、環境問題もまた利益集団が目先の利益を優先するために招いた結果だ。環境を重視する技術を入れればコストがかかる。そのコストを節減して利益増加を優先したこれまでの成長モデルが限界に来ている。 それを象徴するかのように、全人大始まって以来の「反乱」のような投票結果が3月16日に現れた。環境資源保護委員会委員を選ぶ投票で、なんと「反対:850票、棄権:125票」という前代未聞の意思表示があったのである。約1000人が政府の環境対策の現状に、「手ぬるすぎる」と「ノー」を突き付けたのだ。 反対票は、利益集団がもたらした結果に対する非・利益集団層の「ノー」でもある。「人民」による公的な場での初めての叛乱と言っていいだろう。全人代の「全国人民代表」の中には非共産党員が30%ほどおり、その中には農民工(出稼ぎ農民)、工場労働者あるいは農民の代表もいる。 全人代では経済発展モデルの転換が議論され、量より質を、という方向で多くの決議が成された。人民の要望に寄り添うメッセージが中央テレビ局CCTVで毎日のように放映されている。 しかし利益集団の解体と憲政の本道の実現による「人民の監督権の保障」を本気で断行しない限り、人民が満足する社会は来ないだろう。三権分立を許さない社会主義国家の限界が、そこにはある。 最後に、何と言っても気になる対日政策を見ていこう。 日本人がまず大きな関心を示したのは国防費の10.7%増だろう。金額的には7406億元(約11兆円)。2010年には7.5%増とひとケタ増に落ち、また2011年の12.7%増、2012年の11.2%増と比較すると減速しているのだが、3年連続のふたケタの増加であることは確かだ。大雑把に過去25年間を見れば、連続して増加を続け、額で見ると10年間で約4倍になっている。 ただ、中国の国内総生産(GDP)の増加傾向と重ね合わせると伸び率はほぼ一致している。たとえば1980年と2012年を比べるとGDPは20倍になっており、2002年と2012年という10年間を比較すると2.7倍になっている。中国の国防費増加は金額の絶対値だけを見たのでは、全体像を把握することはできない。経済成長が激しい時期は人件費や材料費も高騰するので、それを考慮に入れることも必要だろう。 それでもなお、GDP成長7.5%を上回る国防費の増加は、日本だけでなく全世界が懸念する対象の一つであることに変わりはない。 国防を強化する理由として中国は「かつての民族の屈辱は中国の軍事力が弱かったからだ。二度と再び民族の屈辱を受けないために軍事力強化は必要」とし、かつその目的は「平和維持のため」としている。 環境対策は関係改善の切り札になるか? しかし実際は「アメリカに追いつけ追い越せ」を目指しているように見える。東シナ海では日米同盟に対抗しなければならないし、南シナ海でもやはりアメリカの軍事力を凌駕しなければ国益を守りきれない、と考えているのだろう。もし中国が「平和維持のため」と言うのなら、尖閣諸島の領海領空侵犯などの威嚇行為をやめてほしいものである。日本の軍備強化を正当化させるだけだ。 国家海洋局の再編を受けて、中国国家測量・製図局副局長は「釣魚島(尖閣諸島)に測量隊員を派遣し、標識建設も目指す」と宣言した。 3月17日には習近平は国家主席として初の演説を行った。その中で習近平は「中国の夢」という言葉を何度も繰り返した上で、領土主権を守り、愛国主義教育を強化し、軍と武装警察を強化する富国強兵の方向性を示した。人民が安心して呼吸することができないような環境破壊を抱える中、共産党統治の求心力を高めるためのメッセージだろう。 その環境問題に関して過去の経験と改善技術を持っている日本は、「環境問題改善にこそ前安倍政権時代に中国と交わした戦略的互恵関係を実行するチャンスがある」と考え、PM2.5に関して技術協力を打診したようだ。しかし2013年3月2日、石原伸晃環境相によると、日本が申し出ている技術協力に対し、中国は難色を示しているとのこと。 中国のネット界にも「中国を助けるなんて言っているが、結局はただの商売根性、金儲けの口実だろ」「まず自国の原発問題を解決してくれ。世界中の人たちが放射能に汚染された魚を食べる羽目になるから!」「日本以外に技術提供できる国はないのか?なぜわざわざ敵人に助けを求めねばならないのか?」「中国の環境問題で日本の手を煩わせる必要なんてないんだ。環境対策という大きな経済利益を、敵国の日本に渡してはならない」といった日本攻撃の書き込みがすぐに充満した。 反日という国民感情は、領土問題があり、政府がそれを「民族の屈辱」と結び付けている限り、何をしようと収まらない。新政権スタート時に少しでも親日的言動をすれば、ネット言論からさんざんな非難を浴びる可能性が大きい。2002年、胡錦濤は政権発足時に「対日新思考」を発表させたために売国奴呼ばわりされて、慌てて親日姿勢を引っ込めた。「最初に親日的な姿勢を見せてもいいことは何もない」と、習近平は学習しているはずだ。 李克強も国務院総理として初めての内外記者会見を17日に行った。民生を重視した政策を唱えながらも、やはり「領土主権は断固として守る」という言葉を最後に強調している。 中国は本気で尖閣諸島が中国の領土だと思っている。いつから論理のすり替えを行い始めたのか、静かに自省する心理的ゆとりは見られない。 安定政権の元、首脳会談の実現を 本連載の2月14日の記事「中国共産党も知っていた、蒋介石が『尖閣領有を断った』事実」と、2月22日の記事「人民日報が断言していた『尖閣諸島は日本のもの』」で述べた事実を中国はしっかり見つめ直してほしいと思う。 中央行政省庁の中の外交部長は王毅と決まった。王毅氏は日本語が堪能な日本通。しかし一方では国務院台湾弁公室主任であったことから、台湾との対日共闘姿勢を示す可能性もある。親日的態度など示せるはずがない。 日本側について言えば、安倍内閣には、それでも平和的手段で日中間に横たわる領土問題の解決に当たってほしいと思う。国際社会は日本の内閣支持率に敏感だ。支持率が高く安定していれば国際的信用度は増す。5月末にソウルで日中韓首脳会談が開催されることになっており、中国からは李克強国務院総理(首相)が出席するようだ。そこが一つの切り口になりうるのではないか。。 ドラマチックに展開してきた中国の「国盗り物語」。連載は今回で終わります。 皆さま、1年間読んでくださって、ありがとうございました。 【完】 遠藤 誉(えんどう・ほまれ) 1941年、中国長春市生まれ、1953年帰国。理学博士、筑波大学名誉教授、東京福祉大学・国際交流センター センター長。(中国)国務院西部開発弁工室人材開発法規組人材開発顧問、(日本国)内閣府総合科学技術会議専門委員、中国社会科学院社会学研究所客員教授などを歴任。 著書に『ネット大国中国――言論をめぐる攻防』(岩波新書)、『中国がシリコンバレーとつながるとき』『中国動漫新人類〜日本のアニメと漫画が中国を動かす』(日経BP社)『拝金社会主義 中国』(ちくま新書)『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』『チャイナ・ジャッジ 毛沢東になれなかった男』『チャーズ 中国建国の残火』(ともに朝日新聞出版) ほか多数。2児の母、孫2人。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130318/245168/?ST=print なぜ中国人技能実習生は殺傷事件を起こしたのか 第二代農民工の抱える孤独と絶望 2013年3月22日(金) 福島 香織 3月14日、広島県江田島の水産加工工場で、中国人技能実習生・陳双喜容疑者(30)が社長を含む8人を殺傷した事件はショックだった。伝えられた目撃者の話によれば、倒れている人を執拗にスコップで殴るなど、現場は凄惨極まりない様子だったようだ。犠牲となったお二方の冥福と負傷した方々の一刻も早い回復をお祈りする。 しかし、このような事件は防ぎようがなかったのだろうか。陳容疑者は、いわゆる異常な人格であり、特別な事件だったのだろうか。あるいは、そもそも中国人は凶暴で切れやすいのだろうか。日本の技能実習制度は、途上国の若者を奴隷のようにこき使うひどい制度で、技能実習生たちは雇い主に殺意を覚えるほど虐げられてきたのだろうか。 いずれも関係があるかもしれないが、決定的理由ではない気がする。1つ言えることは、1980年代生まれ(80后)、1990年代生まれ(90后)の出稼ぎの若者については、中国でも犯罪に走りやすい傾向があるものとして報道されている。 若い出稼ぎ者の犯罪防止は中国でも懸案事項 「80后、90后の出稼ぎ者の犯罪」というと、「いまどきの若者は犯罪に走りやすい」「貧しいと犯罪に走りやすい」というステレオタイプの決めつけ論はけしからん、とお叱りを受けるかもしれないが、中国では「出稼ぎの若者の犯罪をいかに防ぐか」というのは社会の重要テーマである。 中国の犯罪統計的にいえば、たとえば上海の未成年犯罪の85%が第二代農民工、あるいは新生代農民工と呼ばれる、農村戸籍の出稼ぎ者の子供世代、若い出稼ぎ者による。このほど閉幕した全人代(全国人民代表大会=国会のようなもの)でも、出稼ぎの若者の犯罪増加が社会問題としてテーマアップされた。広州日報によると、2010年の全国の刑事事件の3分の1は第二代農民工世代が占める。2009年当時の広州大学の調査では、広州の三大監獄の農民工服役囚のうち9割が26歳以下という。 なぜ80后、90后の出稼ぎ者が犯罪に走りやすいのか、ということについては、2009年11月に広州大学が主催したシンポジウムで次のような指摘がされている。 「若い農民工の犯罪の一番の特徴は暴力化傾向である。…消費欲求、財産占有欲が強烈で、強盗や傷害などの犯罪を通じて、その目的を達成しようとする傾向が強い」 「性犯罪もすでに若い農民工犯罪の1つの類型である。家庭道徳教育の欠如により、性道徳の形成が性機能の発育より遅れ、低級な趣味や刺激を求めてレイプ犯罪に走りやすい」 「罪を犯した若い農民工の8割が、いわゆる『留守児童』経験者である。両親が都会に出稼ぎに行っている間、故郷の農村で放置された子供であり、十分な家庭の愛情と道徳教育を与えられていない」 統計によれば5800万人以上の子供(14歳以下)が農村で両親と離れて暮らしている。これを「留守児童」と呼ぶ。 強すぎる自尊心と重すぎるプレッシャー その教育は祖父母に任されていることが多い。一人っ子政策という産児制限政策のもと、兄弟姉妹もほとんどなく、一人っ子とは限らないが数少ない子供として大事に育てられる。祖父母に過度に甘やかされ、あるいは過度に期待され、強すぎる自尊心と重すぎる期待のプレッシャーの板挟みになっていることが少なくないという。両親と会えない寂しさは、望むおもちゃを与えられるなど、物質的な欲望を満足させることで補われる。 その結果、物欲がコントロールできず、欲しいものが手に入らねば暴れる、コミュニケーションがうまくとれない、コンプレックスが強い一方で自己評価が高すぎるといった、性格上のアンバランスさが生まれやすいともいわれている。 一方で、保護者の目が届いていないため性的暴行、虐待、誘拐といった犯罪のターゲットにもなりやすく、親も知らないうちに傷つけられ、コントロールできない不安や恐怖を抱えていることもあるという。 「留守児童」が問題だからといって、両親が子供を出稼ぎ先に連れて行ったとしても、これは「流動児童」と呼ばれやはり社会問題となっている。農村戸籍の子供たちは、両親の出稼ぎ先の都市では学校に行くことも簡単ではない。農村戸籍者は都市の公立学校に行くことを許されてこなかった。結果的に大量の無就学児童を生み、結局は学問の必要のない底層の出稼ぎ仕事に就かざるを得ない。 仕事の忙しい親たちにかまってもらえない状態は留守児童と同じで、家庭での愛情や安心感を十分に知らず、それを小遣いなどの金銭で補われると、ネットカフェなどに入りびたり、同世代の子供同士でつるんで強盗やレイプなどの犯罪に走る例がいくつも指摘されている。 北京大学医学部でも壁は越えられない 親世代の出稼ぎ者、老一代農民工が、子供を留守児童にしてまで、都市で出稼ぎし続ける主な理由は、子供の進学費用を賄うためだ。農民工、つまり農民でありながら農業で生計を立てられず工人(都市労働者)として働かざるを得ない人々は、都市においては差別の対象だ。都市戸籍者が受ける保険や年金など制度上の恩恵がないというだけでなく、農村戸籍者は都市戸籍者から文化・教育レベルが一段低く見られ、バカにされ、対等の人として付き合ってもらえない。この差別から脱却し、子供に都市民にするもっとも近道は子供を都市の大学に進学させ、その大学がある都市の公務員に就職させることだと考えるので、教育熱心になるのである。 北京の都市戸籍の若者に「あなたが農村戸籍者と恋愛したり結婚したりすることがあると思うか」と聞けば、10人中10人がこう答えるだろう。「別に農村戸籍だからといって差別するのではない。でも、実際に文化・教育レベルや生活習慣がまったく違うので、結婚や恋愛の対象外だ」。だとすれば、大学レベルの教育を受ければ、農村戸籍であっても、都市民と対等に付き合えるはずだ。 しかし、現実はそう甘くはない。1つは、農村の教育レベルは低く、農村周辺の公立学校からの大都市の大学へ進学は至難の業だ。そして、厳しい競争を勝ち抜いてなんとか北京や上海の有名大学に進学したとしても、農村戸籍者はやはり差別されている。先日、河北省濮陽県出身の北京大学医学部三年生の女子大生と食事をして世間話をしたが、彼女はこんなことを言っていた。 「県で北京大学に進学したのは2003年以来、私ひとりよ。村では奇跡だ、天才だと持てはやされた。県の書記がわざわざ会いにきた。でも、そんなこと大学では何の自慢にもならない。1カ月の生活費は300元。学費を納めるために必死でバイトして、勉強についていくだけで精いっぱい。北京市戸籍の学生たちが、楽しそうにカフェでお茶しているのを見ると、同じ北京大学生だけど、実はまったく違う世界の人間だなあ、と思う。この壁はどんなことをしても乗り越えられないのよ」 北京大学医学部という教育レベルを獲得しても、農村戸籍者にはこうした深い絶望が付きまとうのかと、驚いた。いわんや、親の期待を受けて勉強三昧の生活をしてきたのに結局、大学に進学できずに、親と同じ農民工として出稼ぎ仕事をしている若者たちの、コンプレックスや挫折感はどれほどのものだろう。 昨年秋に、日本人を震撼させた反日デモ暴動の参加者には、都市に出稼ぎにきていた若者も多かった。彼らが日本に個人的に強い恨みや反感を持っていたというよりは、出稼ぎの若者の内なる不満、鬱屈、いらだちが政治的空気に刺激されて暴力衝動となってはじけたという見た方が、私としては納得がいく。江田島の事件は情報が少ないので、何事も断定はできない。だが、きっかけは社長の厳しい叱責の言葉にあったのかもしれないけれど、そこには反日暴動に見られたような、あるいは都市部で犯罪に走る80后、90后の出稼ぎ者に共通して見られるような、暴力・破壊衝動があるのではないだろうか。 技能実習制度が突出して厳しいわけではない 日本の技能実習制度については、日本国内で批判が多い。日本の若者が嫌がる重労働を低賃金で途上国の若者に課す奴隷制度だという指摘がある。実際、技能実習生の過労死問題、賃金のピンハネ問題、逃亡防止のための多額の保証金制度や外出制限などの厳しい労務管理については、日本でも多く報道されている通りであり、問題がないとは思わない。途上国の人たちに技能を習得してもらい祖国の発展に役立ててもらうという技能実習制度の目的はあくまで建前で、実際は実習生にとっては「出稼ぎ」であり、受け入れ企業にとっては途上国から来た低賃金労働者だ。 ではこの制度はけしからんのかというと、やはりそれによってまとまった金を得て故郷に家を建て、起業の資金を得て、満足している中国の若者も非常に多い。山東省泗水県は対外労務派遣による収入が県民収入の4割を支える海外出稼ぎ村が集中する地域だが、私が現地を訪れて聞き込みをしたところ、日本への出稼ぎが一番人気であることは間違いないようだ。その村の様子は拙著『中国絶望工場の若者たち』に詳述しているが、ある若者はこう言っていた。「日本に出稼ぎに行って一番驚いたのは、社長が工場の現場に出て僕らと同じ仕事をしていること。同じように残業をして、残業後、居酒屋に食事に連れて行ってくれることがあった」。それは彼にとって感動的な思い出だった。 中国で管理職が一労働者と一緒に働いたり、食事をしたりすることはまずない。この種の身分差の意識は日本にはほとんどなく、農村戸籍や工場労働者に対する差別やいじめは、むしろ中国の大都市の方が激しいくらいだ。私の周辺にも、技能実習生として日本の工場で働いていた中国人女性と管理側の日本人が結婚したケースなどがあるが、中国の工場ではまずあり得ない現象だろう。日本に出稼ぎに行けば3年の契約で20万元ほどの貯金ができる。中国の深圳や東莞の工場で同額の貯金を作ろうと思えば10年かかるだろう。 私の見る限り、日本における技能実習生の状況が、突出して厳しいものでも、虐げられたものでもない。むしろ中国における日系工場の方が、労働時間においても、労務管理においても厳しく感じる。この制度を廃止し、対外労務派遣の制度がきちんと整備されれば江田島のような事件が防げるかというと、おそらくそうではない。 結局は相手を知らなければ ではどうすればいいか。どのように考えればいいか。1つは、第二代農民工という存在をよく知ることだ。最近目立ち始めている彼らの凶暴性は、孤独、愛情への飢え、努力が報われない絶望感が根底にあるように思える。孤独と絶望は人を凶暴にする。それが自殺など自分に向く暴力になることも、他者や社会に向く破壊衝動になることもあるだろう。 もう1つは日本人と中国人の文化ギャップをきちんと認識するということだ。「面子」という言葉が特別な意味を持つ中国人にとっては人前での叱責や小言が、正気を忘れるような怒りのきかっけにもなる。ましてや強いコンプレックスと高すぎる自己評価の板挟みになって大人になった80后、90后の農村出身者ならば、ちょっとした叱責によって絶望的な気分に陥ることもあるかもしれない。 日本の若者が嫌がる厳しい肉体労働を伴う産業を低賃金で下支えしてくれるのは、途上国からの出稼ぎ者である。彼らがいなければ、その産業はつぶれていたかもしれない。テレビで江田島のかき打ち産業の人が技能実習生について「宝」と表現していたが、それが地元の人々の本音だろう。願うことは、この事件で「中国人は怖い」、あるいは技能実習生を受け入れる企業が「中国人を奴隷扱いしている」といったイメージが独り歩きしないことである。制度がけしからん、ということで制度が改善されるものなら、とうに改善されていることだろう。制度が廃止されれば、誰もがハッピーであるかというと、そういうわけでもない。よりよい制度の構築には時間がかかる。 今すぐできることは、あなたの職場で働いている中国人労働者を食事に誘って、コミュニケーションをとってみることである。片言の会話でもいいから、その生い立ちや故郷の生活を聞いてみればいい。結局は相手を知らなければ、いかなる対策もたてられないし、問題も解決しないのである。 福島 香織(ふくしま・かおり) ジャーナリスト 大阪大学文学部卒業後産経新聞に入社。上海・復旦大学で語学留学を経て2001年に香港、2002〜08年に北京で産経新聞特派員として取材活動に従事。2009年に産経新聞を退社後フリーに。おもに中国の政治経済社会をテーマに取材。著書に『潜入ルポ 中国の女―エイズ売春婦から大富豪まで』(文藝春秋)、『中国のマスゴミ―ジャーナリズムの挫折と目覚め』(扶桑社新書)、『危ない中国 点撃!』(産経新聞出版刊)、『中国のマスゴミ』(扶桑社新書)、『中国「反日デモ」の深層』(同)など。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20130318/245209/?ST=print
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