01. 2013年1月07日 09:35:12
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第46回 −中国のカネはいつまで回るか〜「資本の限界生産性」が注目される理由 富の分配への不満 前回の連載で、最近、中国では政府に対する国民の不満が高まり、政権の統治能力が急速に低下しており、それが領土問題などにからむナショナリスティックな対応に結びついているという趣旨のことを書いた。国民の不満は大きく分ければ「権力の腐敗」と「富の分配」という2つの問題に分けることができると思う。もちろんこの2つは密接に関連している。 「富の分配」に対する不満とは、要は権力と結びついた金持ちにばかり儲けが集中し、普通の庶民にはうまみが回ってこないという話である。そこに腐敗が大きく影響しているのは確かだが、さらに構造的な要因がある。これは中国の成長モデルに関わる本質的な問題で、今後の中国経済の発展を占う重要な視点であると思う。政治の腐敗はそれを助長しているという構図である。 最近、中国で「富の分配」に関して、資本の限界生産性(marginal productive of capital、MPK、中国語は「資本的辺際産出」)の議論がメディアの話題になっている。中でも最近、最も注目されているのが、中国を代表する経済雑誌『財経』2012年10月29日号に掲載された「中国比較優勢陥穽」(「中国の比較優位の罠」)という論文である。筆者は一橋大学経済研究所教授、米国産業審議会(The Conference Board)中国センター 経済研究ディレクター(シニアアドバイザー)の伍暁鷹(Wu Xiaoying)氏だ。 同氏は1982年に天津・南開大学を卒業後、88年からニュージーランドやオーストラリア、香港などで研究、教員生活を送り、93年にPh.D.を取得。09年から日本の一橋大学に在籍している。私とほぼ同世代の研究者である。前掲の文章は中国のウェブサイトで検索すれば見ることができるので、興味のある方はぜひご覧いただきたい(原文は中国語) 。 内容をごく簡単に言えば、中国経済は投資に依存する度合いが高いが、この10年ほど投資効率が急激に低下し、いわばザルで水をすくうような状況になっている。ところが投資効率はいっこうに改善に向かわず、すくえる水が少ないために、さらに膨大な投資を行うという悪循環に陥っている。このままいくと、どこかでカネが回らなくなる。その時期は遠くないかもしれない。 注目が集まる「資本の効率」 「資本の限界生産性(MPK)」とは、労働力などその他の要素の投入が一定の時、資本を追加的に1単位投入したときに得られる生産物の割合を指す。つまり投下した資本がどれだけの効率で価値を生み出すかということである。MPKが高い状況とは、少ない資本投下で大きな成果が挙がる状況を指し、MPKが低い状況とは、大きな資本を投入しても、なかなか成果が挙がらない状況を示す。 前掲論文によれば、一般にMPKは、発展段階が低い国ほど高く、経済水準が高い国ほど低くなる。それは、経済の発展水準が低いうちは多少の資本投下でも生産効率を上昇させることが可能であることを考えれば理解できる。経済水準が高くなり、成熟してくると、いくら資本を投下しても、なかなか効率が上昇しない状況が出てくる。日本をはじめとする先進国は現在、ほぼこうした状況になっている。 一方、中国をはじめとする相対的に経済の発展水準が低い国ではどうか。同論文によると、中国の改革開放が本格化した1980年代初頭には、中国やインド、タイ、マレーシア、ブラジルといった途上国のMPKはいずれも0.25〜0.35の範囲で、ほぼ横並びのレベルにあった。これは当時の先進諸国(0.05〜0.20)と比べて、かなり高い水準である。それが、その後の経済発展によって、速度に差はあるものの、いずれの途上国でもMPKは徐々に低下していった。 1998〜99年に起きたアジア金融危機で、低下の速度は加速する。インドはこの金融危機で大きな影響を受けなかったが、中国やタイ、マレーシア、ブラジルなどは経済危機に対応して政府が巨額の財政を出動し、力ずくで経済を支えた。そのため、社会インフラなどに投下される資本が急増し、資本効率は急低下した。経済の崩壊を防ぐためには効率どころではなかったのである。 その後、経済状況の回復につれてタイやマレーシア、ブラジルなどでは、緊急避難的な措置が解除されるとともにMPKは徐々に向上し、もとの水準に戻っていった。ところが2000年以降になっても、他の途上国とまったく違う動きを見せたのが中国である。 中国だけ資本生産性が急低下 中国ではアジア経済危機が去った2000年以降になっても、MPKは向上するどころか、さらに急速に低下していく。つまり、他のアジア諸国は経済危機の克服後、政府は経済への関与を弱め、投資効率が回復したのに対し、中国だけは投資効率が引き続き悪化の一途をたどったのである。同論文によれば、アジア経済危機後ほぼ10年を経た08年のMPKは、インド、タイ、マレーシア、ブラジルなどが0.20〜0.30の水準に戻ったのに対し、中国は0.12程度と、主要な途上国の半分から3分の1まで落ち込んでいる。これは米国や日本、ドイツ、韓国(0.08〜0.12)といった先進国と大差ない水準である。 つまり、中国では他の主要な途上国に比べて、2倍から3倍の投資をしないと、同じだけの効果が得られないことになる。そのぐらい効率が悪い。先進国より経済の発展段階は圧倒的に低いのに、先進国並みの投資効率しかないのでは追い付きようがない。しかも、MPKは現在も低下を続けている。結果として効率の低下を量でカバーするため、ますます膨大な投資が必要になるという悪循環に陥っている。 この現象について同博士は「資源投入への過度の依存および政策的な(利益の)補填、人為的な素材価格の抑制という成長モデルはすでに限界に来ているが、“成長至上”の風潮の下、成長モデルの転換の試みは大半が失敗している(訳は筆者)」と指摘している。中国経済のGDPの増加とは、有体に言ってしまえば、多くが投入量(資本投下)の増加によってもたらされたもので、資本の効率は良くなっていない。やや極端な例えで言えば、ザルで水をすくっているようなものだが、そのザルがあまりに巨大なので、それなりに水が増えていく――といったようなイメージであろうか。 同博士はこうも指摘している。 「問題の根源は制度にある。制度の問題を避けて中国経済を語っても徒労に終わる。それも抽象的に制度の欠陥を指摘するだけではダメだ。この制度を養っている利益集団が、どのようにこの制度から“うまみ”を得ているかに着目しなければならない。しかし不幸なことに、政府自身がこの利益集団の一部になってしまっており、GDPの増加がかえってこの利益集団を強固なものにし、この集団による投資行為の歪曲が、中国の投資効率を低いものにしている」 「儲からないのに配当は増やす」 この分析はまさに中国の現状を端的に突いている。どんなに投資効率が悪かろうと、とにかく何かをやれば、権力とその周辺にいる人々には儲けがある。だから、どんどん無駄で非効率な投資が行われる。それでGDPは増えていくが、効率が極端に悪いので、多くが「死に金」になって、人々の生活が良くならない。原因はわかっているが、審判たるべき政府自身がプレーヤーの1人として利益集団の一部になっているので、変えることができない。この利益集団は「合法的」な「暴力装置」を持っているから、厄介である。 同博士は同じ論文の中で資本収益率(資本回報率)と資本報酬率の比較についても分析している。論証の詳細は省略するが、それによれば、中国では資本の投資効率はどんどん悪くなっているにもかかわらず、投資側の取り分(資本報酬)の比率は一貫して上昇している。特にこの10年、その傾向が顕著である。例えて言えば、利益は少しもあがっていないのに、借金ができるのをいいことに経営者の報酬と株主への配当だけをどんどん増やしている会社のようなものである。こういう会社はほどなく潰れるのが相場だ。 博士は同論文中でこう言っている。「このことは中国の投資者が資本効率を目当てに投資しているのではないことを示している。投資者は市場メカニズム以外の動機で“収入最大化”を追求している。“利潤の最大化”ではない。いったい、投資効率を顧みずに、そこから収入を得られる投資者とはどのような者であるか、読者は冷静に考えていただきたい」。中国国内で売られている市販誌であるためか抑制した物言いだが、言わんとするところは明らかだろう。 過剰投資の象徴・オルドス 今年夏、内蒙古自治区のオルドスという街に行ってきた。オルドスは中国で最も派手な過剰投資が行われたとされる街で、草原の小都市がマンションやオフィスビルというコンクリートの塊で埋まり、その多くがすでにゴーストタウンと化しているという。半信半疑で行ってみたが、正直、その惨状に驚いた。 オルドス空港から市街に走ると、草原の右手に最初の高層ビル群が見えてくる。数十棟はあるだろうか。市政府が建設した公務員向けの高層住宅群だという。ところが近づいてみると、8割方は完成しているが、人の気配がない。現場は柵で囲われ、工事が行われている様子はなかった。その先のカンバシ(康巴什)新区と呼ばれる人工都市には市政府庁舎や共産党委員会ビルを囲むように高層マンションや人工湖など巨大な都市空間が出現する。前衛的なデザインの美術館や歌劇場、図書館などもある。そこにも人の気配がほとんどない。世界でずいぶんいろんな国に行ったが、首都でもこれほどの威容を持つ国は多くない。都市部人口わずか60万人の草原都市である。 地元紙などの報道では、市内のオフィスビルやマンション建設プロジェクトの80%が資金不足で既に停止状態という。市の中心部のマンション分譲価格は11年末の1平米あたり1万5000元(1元は13円)から9000元へと40%下落したが、地元の不動産業者に聞くと、この数カ月、問い合わせすらない状況で、事実上、値がつかない。業者は「バブルではない」と強がりを言っていたが、買い手のいない値段は無意味である。 オルドス周辺は中国でも最大級の石炭産地で、レアアースの産出量も多く、世界的な資源価格の高騰を受けて04年頃から「資源景気」に湧いた。外地から大量の資金や労働者が流入し、市の人口はあっと言う間に2倍以上に膨れ上がった。当然、不動産価格は高騰する。チャンスと見た同市政府は、大胆なインフラ整備やオフィスビル、住宅建設に着手した。大規模な市街地再開発、郊外のマンション開発を進めると同時に、前述した「新都心」カンバシ新区の建設にも取りかかった。 ピークの10年には同市の固定資産投資は2兆4000億円に達し、市のGDPに占める比率は70%を突破。この年、新規着工した分譲マンション総面積は2600万u。常住人口2000万人を超える首都・北京の同年の新規着工面積が3600万uだったというから、オルドスの数字がいかにケタ外れかがわかる。 なぜこのような無謀な不動産開発が行われたのか、それは伍博士の前掲論文が説明している通りである。その背景には、中国の土地や不動産に関する構造的な問題がある。それは国が土地の所有権を保有する中国では、政府は最大の「大地主」であり、いわば政府自身が巨大なデベロッパーであることだ。まさに政府自身がプレーヤーとして投資行為の中心に関与しており、開発の規模が大きければ大きいほど政府が潤う構造になっている。 土地を右から左で600倍の利益 同市郊外の農村出身で、現在は市内で働く元農民に話を聞いてみた。この元農民は、代々耕してきた農地(の耕作権)を市政府の求めに応じ、数年前に譲り渡した。価格は1ムー(約6・67アール)あたり5000元。一方、市政府がその後、民間デペロッパーに転売した価格は同300万元。権力を背景に収用した土地を転売するだけで600倍の利益である。こんな「錬金術」がやめられるはずがない。効率無視の過剰投資の根源はここにある。 錬金術に乗って踊ったのが市民である。もともと旧市街の老朽化した小住宅に住んでいた地元市民は、再開発の立ち退きで多額の補償金と新たな住宅の配分を受け、郊外に転居した。そして余剰資金や新たな借金を、政府が主体に開発する新規物件に投入した。 買えば値上がりする、値上がりするからもっと買う――というのがバブルである。その結果、「人口よりマンションの戸数のほうが多い」といわれる状況になった。前述の元農民は「地元民なら職業の如何を問わず、一家でマンションを2〜3軒持っているのは当たり前」と言っていた。そうした街を挙げての投資狂騒曲の結末が、冒頭に触れたゴーストタウンの林立である。市民の資産の多くが、売れる見込みのないコンクリートの塊と化してしまった。儲かったのは政府とデベロッパーや建設業者だけである。 「土地売却頼み」の地方政府 こうした状況は程度の差はあれ、全国いたるところで起きている。全国人民代表大会財経委員会の統計によれば、全国の地方政府の財政収入は08年の1兆5618元から11年には4兆1363億元へと年率38・4%の驚異的な伸びを示している。しかしその増加分の7割以上は土地の売却益とみられるという。土地関連以外の税収も多い北京や上海などの大都市はまだしも、地方の中小都市は産業基盤が弱く、財政収入を土地売却に頼る傾向が強い。例えば、河北省の唐山市では、11年度の財政収入は328億元、うち土地売却益が274億元で、比率は83%を超える。江蘇省鎮江市では財政収入194億元のうち土地売却益が143億元で、同73%に達する。土地売却は簡単に収入になるが、いわば資産の切り売りで、いつまでも続けられるものではない。 こうした度を越した投資依存によってGDPは増え続けてきた。安易な投資には誰でも手を出す一方、時間と労力のかかる産業の高度化や高付加価値化には誰も取り組もうとしない。今年9月、中国政府は景気刺激のため1兆元の新たな公共投資を承認したが、これによって地方政府の投資依存はますます進行するのではないかと懸念されている。 今年7月に行った山東省の小さな街、山東省臨沂市でも、旧市街の北側に巨大な新市街が開発中だった。高層の市政府と共産党委員会がそびえ立ち、市の各部局の巨大なビル、壮大な芸術ホールなどが立ち並んで、夜はライトアップがとてもきれいである。農業以外にこれといった産業がないこの街の政府の責任者は、さすがにあまりの金遣いの荒さに中央に目をつけられ、開発は一時停止中だとタクシーの運転手が言っていた。 その前に行った河南省鄭州市では、やはり旧市街の外側に、まるで未来都市のような巨大な新市街が完成していた。そこで小さな食堂を開業していた青年は、街はできたが旧市街から人が移ってこないので商売にならない、話が違うと怒っていた。同省は今年2月、今年の第一弾として858項目、総額33兆円あまりの投資を決定したとメディアは伝えている。GDPが日本と同程度の国の、その中のひとつの行政単位の投資額が33兆円とは驚くべき額である。「市場メカニズム以外の動機」で投資がなされている可能性は極めて高い。 投資が回収できないので、カネを回すためにさらに大きな投資をする。こんな状態が長く続けられるはずがない。問題はいつカネが途切れるかだ。「資本の限界生産性」という難しい言葉がメディアの注目を集める背景には、そんな切迫感がある。 |