http://www.asyura2.com/12/china3/msg/396.html
Tweet |
戦時中の日本軍による蛮行を非難する三国人、その母国の個人・団体がアメリカ政府を巻き込んで
ゴネドク社会運動をそれぞれの国旗のもとで行ったきたのは頻繁に大手メディアでもとりあげられ
万人の知るところである。
いわゆる強制連行→強制売春
については、もう問題が完全に明るみにでた。意志に反する売春を強要され青春期を台無しにした若い女性が
いたこと、その許しまじきは問題は確かに戦中に起こったことだ。しかし、やっていたのは日本軍ではない。
一部の慰安婦の親と慰安婦ブローカーの間でかわされた「強制」を黙認する非道な取り決めがあったということだ。
日本の現行の法律でも売春は顧客でなく業者を裁くわけであり、娼婦個人が親との間にどういう事情を抱えている
かまで責任は負えない。利用者の大部分が日本人だったからといって今になって日本にケツを持ってくることは
大きな勘違いだろう。
いわゆる、南京レイプ・・・・・これはどうなのだろうか。
私は長年、いろんな人種・階級のシナ人と筆談を含めた話をきいてきてわかったことがある。
シナ人はいわゆる「意志による拒絶を力で踏みにじる形の性行為」という我々が通常使うレイプの定義と
かなり異なるレイプ観念を持っているということである。
シナ人にとってレイプとは暴力で奪うセックスのことでもありながら、また、「あるべきでないセックス」
つまり姦淫を指すこともあるのである。「あるべきでないセックス」は夫婦や許婚同士でない全ての
セックスを意味する。
つまり、シナ大陸に駐屯する日本人が、結婚する前提のない(当たり前だ)シナ人の娘と
性行為を行う場合、それが合意だろうが非合意だろうが、それをレイプだと捕らえるのがシナ人の
民族感覚なのである。レイプだ、レイプだ、と彼らがいうとき「そんなセックスは社会的に認められるべきでは
ない」といって騒いでいることがもっぱらなのである。クスリやアルコールで身動きがとれなくして強引に性行為に
及ぼうが、魅力的にふるまい口先巧みにその気にさせて操を奪おうが、同罪だということだ。
それはシナ人だけの持つ考え方ではなく、60年代のフリーセックスを受け入れていない世界では
たとえ先進国内であってもいまだに根強く残っている倫理的な価値観なのである。
先日インドで起こった集団レイプというものの原理は、実にこのレイプをめぐる解釈
が鍵を握っている。犯人たちは「学生の身分で男を連れて公共の場を闊歩するようなフシダラな女は
裁く必要がある」と考えている。「あるべきでないセックス」(レイプの第二の定義)をするような女には、
「強制的なセックス」(レイプの第一定義)をくわわせてやればいい!中高生のセックスがあたりまえの
自由世界に育った我々にはこういった彼らの情動が理解しづらいのであるが、これが事件の背景にはあった。
日本人にとっては大変な屈辱であった1993年のローマ市内で起こったあの事件はどうだろうか。
「東洋短大観光学科」の研修で旅行中だった若い女の子達が声をかけてきたイラン人の自宅で
6人中5人までが性器と直腸を次々に強姦される事件。犯人のアリはバブル期の「ナンパ天国」である
東京で生活していたこともあり、日本人の性倫理が失墜している様をありありと目撃しているイラン人だ。
神から与えられた性を粗末に悪用するようなコイツらなら、俺様の寵愛を力ずくでくれてやっても本望だろう。
そう見くびっていたアリだからこそできた蛮行であった。
レイプは殺人と同等に、人が犯すことのできる最大の犯罪であり、一切の寛容性は放棄されるべきであろう。
とくに生セックス・膣内射精に至るレイプは被害者の年齢にかかわらず極刑に処すべきだと私は考える。
しかし、当事者個人の判断による合意・非合意だけが問われ、社会的な倫理規範がなし崩しになっている
現状も「自由でいいべ」とのお題目で切り捨てられるとは限らない。過剰な性の解放によって、ただでさえ
ユトリ教育の犠牲になってきた若者が品性・知性を下げ続けることにも何らかの歯止めが必要になってくるであろう。
たとえば、公共の場での性を暗示するような行為は罰金の対象にしてもいいのではないだろうか。
それは性犯罪を低下させる有効な方法でもあるはずだ。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。