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【第112回】 2012年11月19日 姫田小夏 [ジャーナリスト]
あのときの張本人たちは今――中国メディアの“反日デモ検証報道”から見えてくるもの
中国100都市以上で発生したとも報じられている反日デモから、すでに2ヵ月が過ぎた。季節が秋から冬へと移るように、中国もあの当時のままの中国ではない。徐々に変化も表れている。中国のメディアは今、あの激しかった反日デモを改めて国民に問いかけている。
10月の第四週、中国中央電視台は、あるインタビュー番組を放送した。マイクを向けられているのは、深セン市福田区に住む29歳の男性。李志偉と名乗る彼は、反日デモ当日に武装警察官が運転する車を棍棒で打ち壊すなどの破壊行為に及んだ張本人のひとりである。
警察車両を襲った若者、
デモ当時を振り返る
「9月16日、あのときあなたは、なぜ反日デモに参加したのか」と記者が問い、「宿舎にいても退屈だった」と李が答える。
小学生のとき以来歌ったことのない国歌を思い出しながら歌い、“日本製品ボイコット”を叫んだ。「どんどん熱を帯びる周囲の雰囲気に、自分はすっかり呑まれていった」と述懐する。
心の中には、日本の尖閣諸島に対する国有化に対する不満が少なからずあったようだが、彼が反日デモに参加した動機は、非常に曖昧なものだったようだ。
記者「(襲撃の際に使用した)棍棒はどこから調達したのか?」
李「(襲撃場所の)そこにあった」
記者「日頃からこういう暴力行為に及ぶタイプなのか?」
李「どちらかといえば内気ではにかみや。喧嘩すらしたことがない」
そして記者が9月16日の行為について斬り込むと、李は「まさしくあの暴力行為は自分だった。ふだんとはまったく違う人間になっていた。もはや自分への抑制は効かなかった…」と答えた。
「車を壊すことが愛国なのか?」と記者。「そうじゃない」と李。
その後、福田区の警察署は、当時デモに参加し襲撃行為を行った暴徒をビデオから洗い出し、指名手配のポスターにして街中に貼り、ネットでも配信した。
李は自分が “指名手配中”である事実を友人から聞いて知った。それは確かに「自分の顔」だった。9月23日の出勤途中、街頭に貼り出された自分の手配写真を発見し、自首することを覚悟した。そして彼は、しばらく留置所に入れられた。
記者は番組の終わりを「過激で衝動的な行為、それを愛国心といっていいのだろうか?愛国とは、ものを破壊することではない」という言葉で結んだ。
この深センのケースのみならず、日本車に対する無差別襲撃は中国各地で見られたが、反日デモから数日経つと、これらの暴挙に対する“制裁”が下される。日系企業の集まる蘇州市でも日本車25台が襲撃されたが複数名が逮捕されたと伝えられた。ニュース番組でも、破壊行動に加わったために職場から解雇された人物が「後悔している」と語るシーンが流された。「愛国は必ずしも無罪にはならない」という結末が導き出された格好となった。
だが、その検証は「反日行為」に対する問いよりもむしろ、「暴徒化」の是非を問うにとどまるものだった。これは、どれだけ凶暴な国民が存在するのかという恥部を世界中にさらけ出してしまったことへの“弁解”とも受け取れるうえ、「政府に矛先が向かう前に暴徒化の芽を摘み取ってしまいたい」と目論む当局の意図すらも感じられる。
実際に、今回のデモでは地方政府の庁舎にデモ隊が向かう都市もあった。そこにいたのは、「政府をなめきった勢力」である。国家権力をもものともしない“新人類の90后(90年代生まれ)”を中心とする彼らを、いかに抑え込むか。反日デモはこうした意味で、小さな島をめぐる主権争いよりも、中国が直面するはるかに大きな課題を浮き彫りにしたともいえる。
反日の論調が多いなか
冷静な検証をする雑誌も
「三聯生活周刊」10月29日号
さて、中国の大衆誌はこれをどう取り上げているのだろうか。多くが「尖閣諸島問題」のみにフォーカスし、日本を宿敵に祭り上げ販売部数を稼ぐなかで、「三聯生活周刊」(10月29日号)は違った。同誌は中国では“知識階級”とされる、教育を得た層を読者の中心に持つ週刊誌だといわれている。
「日本経済の活路は?」をタイトルに据えた34ページにわたる総力特集は、日本経済の低迷、政治の混乱、日中韓の貿易、そして反日暴動の光と影など、多面的な角度から捉えたもので、記者の奮闘の痕跡すら窺える迫力ある特集だった。
その特集内の「西安反日デモ経験者のそれぞれの生活」と題した7ページにわたる記事では、反日デモで主導権を握り日本車を襲撃した人物と、そのとき不幸にも被害を受けた車の持ち主の双方を取り上げ、市民が自主的にデモを組織し、あるいはデモ隊に参加して行った経緯やその心情、同時に自分の車を破壊の対象にされた被害者の述懐を紹介している。
冒頭の数行は、韓寵光と名乗る河北省出身の30代前後とおぼしき男が、9月18日に行う反日デモを公安当局に申請に行ったシーンを描写する。西安市内には、韓のように、各個人が申請したデモ隊が複数繰り出して行ったのだろう。以下は記事の要約である。
韓が率いるデモ隊は、向かってくる日本車を一台、また一台と襲撃し、破壊し、ひっくり返して歩いた。そこに、普段は左官工として働く蔡洋と名乗る若者が加わった。その日、蔡洋は作業工程の遅延のため、仲間と早めに帰宅しようとしていた。その途中で遭遇したのが、韓が率いるデモ隊だった。蔡洋はたちまち、その熱気に感染した。デモ隊に加わり、声を張り上げ、いつしかそのデモ隊の主導権を握るようになる。
彼らの標的とされた車に、張慧さんが運転するホンダの新車があった。蔡洋が率いるデモ隊が前方から突進してくるのが見えたが、別の道から逃げようにも渋滞で動けなかった。彼女はすぐに車から降り、跪いて叫んだ。
「どうか壊さないで!中に子どもがいるんです!」
車の中には姉と姉の息子(17歳)が乗っていた。にもかかわらず、ひとりの若者がフロントガラスを脚で蹴破ると、それ以外のデモ参加者も後に続き、棍棒でホンダ車の破壊にかかった。
さらに記事は、主犯格である蔡洋の人物像について、次のように触れる。
蔡は、友達と会えばネットゲームで“闘う”のが好きだった。好きな番組は抗日をテーマにした連続ドラマ番組だが、中でも抗日戦争の英雄を描いた「雪豹」は大のお気に入りで「三度も見た」という。彼の仲間たちはチャンバラものを好むが、中国で放送されているのは国産の抗日ドラマが多い。
また蔡の友人は、蔡と仲間の日々の生活そのものも、反日感情が非常に色濃いものであることを指摘する。
「仲間の間で意見の違う者を“漢姦”(売国奴の意)と呼んでいる。人を罵るときに使う言葉だ」「仲間うちでは、誰かが何かを買えば、それが日本のものかどうかにまず反応する」
一連の描写から、蔡が育った家庭と現在の暮らしぶりは決して楽ではなく、ゆえに日本製品など縁のない貧しい状況だったことが推察される。反日の奥には、高価な日本製品を所有し日本車を運転するような“富裕層に対する妬みや恨み”が心の奥深くに潜んでいたのかもしれない。
さらに記事は車を壊された側の張さんの生活にも触れる。彼女にとっても実は日本は遠い国だった。訪日旅行などまだ遠い先の話、家庭の中の日用品はほぼ国産ブランド、唯一の“日本”が娘の読む「哆啦A梦」(ドラえもん)だった――。
「官製」と「民製」の両側面
主役は格差社会の底辺層
さて、これら反日デモ経験者の述懐からは、このデモが最初から最後まですべてが政府主導だったわけではないことが見て取れる。また、中国全土で「同時発生」したという現象は、「官製デモ」と判断されがちだが、デモ前夜にはデモの組織化に向けて蠢く市民のやりとりがあったこともわかる。
実際に、筆者もデモ前夜に、その動きをネット上で追跡していた。「××市ではデモを行うようだ、我々の市でもやりたい、どうやったら申請ができるのか」など、具体的なノウハウを問う声や参加を呼びかける声がサイト上で飛び交っており、こうしたことからすると、あながち「100%政府の指令で動いた」とは決定づけられないのだ。
他方、上海で行われたデモについては「官製」もあっただろうが、自主的に乗り込んできた市民も存在している。ただ、共通するのは、デモの参加者たちは格差社会のの底辺層であり、全体として「十分な教育と十分な収入を得ている層ではない」という点だ。上海の場合は、デモ参加者の使う言葉に方言が多く、地元の“上海弁”がほとんど聞こえてこなかったことからも、「外地出身者」の比率が非常に高かったことが想定される。
これは前述した、西安市の2人の「張本人」らにも共通する。彼らも「西安市民」ではなく、そこに流れ込んできた「外地出身者」だった。
ここに紹介したのは記事のほんの一部分だが、記事にはどんなことが起こったかが克明に記されている。また、筆者が全体から受けた印象は、なるべく中立的な見解を維持しようとする記者のスタンスだった。例えば、74ページに掲げられた大きな写真は、デモ隊がトヨタ車の販売店舗を襲うのを“阻止”した人物として紹介されたものだ。
筆者は、この記事に対する意見を複数の中国人に求めたところ、「日本側に立った記事」と受け止める中国人読者もいる一方で、「淡々と事実のみを紹介する極めて客観的な記事」という冷静な評価もあった。
同時に最近、筆者はこういう声をよく聞く。
「13億人の中国人を一括りにしないでほしい」――。
確かに、大暴れしたのは、海外すら行ったことのない、海すら見たこともないであろう内陸の中国人が主流だ。情報も経済力も乏しく、イベントや祭りも少ないその単調な生活の中で、放映されているのは「抗日戦争ドラマ」。歴史上の憎悪は、かすむどころか膨張を続ける。そんな彼らの観念を変えることは容易ではない。
であるならばなおさら、日本人が向き合うべきは「不特定多数の漠然とした中国人」ではなく、その中の一握りの「話せばわかる中国人」、となるのではないか。まずはそうした人々との太いパイプ作りではないだろうか。
「三聯生活周刊」10月29日号は、少なくとも潜在的に、そんな人々がいることを示唆するものだと思いたい。
http://diamond.jp/articles/print/28092
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