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習氏の陰に華僑人脈 中国政権に節目で影響力:ダライ・ラマなどチベット関係者も“期待”する習氏の血筋
http://www.asyura2.com/12/china3/msg/308.html
投稿者 あっしら 日時 2012 年 11 月 04 日 19:03:54: Mo7ApAlflbQ6s
 


 NHKBS1で放送されたオーストラリアのABCニュースで、習近平氏が中国の最高指導者の地位に就くことをチベット関係者が期待しているとの報道がなされていた。

 習近平氏の父親は副首相を務めた習仲勲氏である。習仲勲氏は、50年代(“チベット併呑”→チベット動乱後)もダライ・ラマ氏と親交があり、ダライ・ラマ氏も“リベラル”な考え方だったとして習仲勲氏を好意的に評価していた。習仲勲氏も、ダライ・ラマ氏から貰ったという腕時計を身につけ、ダライ・ラマから貰った腕時計であることを広言していたという。
(ニュースでは、ダライ・ラマ氏やダライ・ラマ氏の甥がインタビューを受けていた)

 このような経緯から、習近平氏が最高指導者に就くことで、中国政府の支配に抵抗して焼身自殺をする人が増加しているチベット族との関係が改善されるのではと期待を抱く人も少なくないと報じていた。

 しかし、不思議なもので、仮に習近平氏が“親チベット”や“リベラル”の考えを持っていたとしても、父親のつながりを含めてそのようなことが公になってしまっているのなら、“親チベット”的に政策を変更するのはかえって困難である。
“縁”がある習近平氏がチベット問題を持ち出した時点で、回りから不審の目を向けられてしまう。習近平氏がチベット問題を持ち出すことは、“政治的生命”と刺し違いになる可能性が高いと思う。

 反共の闘士と目されていたニクソン氏だったからこそ、中国との和解や“賃金物価統制”ができたのであり、左翼的もしくはリベラルな考え方とみなされていた大統領であれば、逆に、そのような政策を採ることは大ブーイングを浴びてムリだったと思われるからである。

 日本も、対中関係を改善する流れは、“対中強硬派”と目されている政治家がリーダーシップをとるかたちのほうがスムーズだろう。

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習氏の陰に華僑人脈 中国政権に節目で影響力[日経新聞WEB刊]
2012/11/4付

 8日に始まる5年に1度の中国共産党大会でトップに就任する予定の習近平・国家副主席。中国の建国に功績のあった党幹部の子弟「太子党」として注目を集めるが、なぜ数多い太子党の中でも習氏が最高権力の座に登り詰めたのか。その背景を探ると福建省時代に親密となったインドネシア華僑の大富豪、ジュハル・スタント(林文鏡)氏の存在が浮かび上がる。

 「習氏の出世は林氏との出会いから始まった」。習氏をよく知る太子党の仲間に教えられて訪れたのは福建省福州市。中心部から南東に車で1時間走ると、林氏が董事長を務める中国初の華僑による経済開発区、「洪寛工業村」にたどり着いた。
 開発区の事務所1階に林氏の簡素な執務室があった。中に入って驚いたのは壁にずらり並ぶ記念写真の数々。江沢民、楊尚昆、朱鎔基、李鵬の各氏ら同村を訪れた歴代の国家主席、首相らと林氏の写真だ。最も多く写っているのが習氏。地元トップ時代、林氏と最高指導部の写真に一緒に入ったからだ。習氏が国家副主席就任後撮影した最近の1枚は林氏と手をつなぎ、親子のように親密にみえる。
□  □
 林氏とは何者か。1928年福州市生まれ。同市で最も貧しいとされた福清出身で、7歳の時に家族でインドネシアに渡った。その際同じ船に乗り合わせたのが、同郷のスドノ・サリム(林紹良)氏。サリム氏はその後、スハルト政権時代にインドネシア経済を牛耳った華僑財閥、サリム・グループを築き上げるが、林氏はその側近としてグループのかじ取りを担った。
 転機は90年だった。習氏が福州市書記に就いたその年、林氏は故郷に父の名前を冠した開発区「洪寛工業村」を設立したのだ。
 折しも中国では89年の天安門事件で海外からの投資が急減していた。林氏は習氏と「福清貧困脱出計画」と銘打ったプロジェクトを始める。「洪寛工業村」はその中核事業で、林氏は海外企業の工場誘致に奔走。福州市は全国トップレベルの経済成長を達成した。林氏も十分な利益を得たうえ、習氏の行政手腕の評価にもつながり、両氏の間に固い結びつきができた。
 習氏はその後、「林氏を通じて知り合った党長老の幅広い支持を得て」(太子党の仲間)、福建省、浙江省、上海市トップ、国家副主席へと階段を駆け上がった。一方、林氏も習氏の出世に歩調を合わせるかのように不動産開発事業を全国に拡大。2012年の華僑富豪番付では、林氏の資産は250億元(約3200億円)で世界4位だ。
 「衣錦還郷(故郷に錦を飾る)」。その思いと指導者とのパイプによる商機獲得という行動原理が華僑にはある。中国側にとっても華僑の資金力と人脈は魅力的だ。
□  □
 中国現代史の節目で華僑が果たした役割は大きい。辛亥革命で華僑の資金支援を受けて清朝を倒した革命家、孫文は「華僑は革命の母」と称賛した。毛沢東は福建省出身でシンガポールでゴム王と呼ばれたタン・カーキー(陳嘉庚)氏と親しく、陳氏は中国成立後に帰国して華僑をとりまとめて毛氏を支えた。
 中国の経済改革を担ったトウ小平はタイの華僑財閥チャロン・ポカパン(CP)グループのタニン・チャラワノン(謝国民)会長と信頼関係を構築。天安門事件で海外企業が中国から撤退するなか、トウ氏は謝氏に「中国の改革開放は100年間不変だ」と説明し、華僑の支援を得て経済成長の完全失速を回避した。
 今や世界2位の経済大国となった中国も、国内では党幹部の腐敗や貧富の差拡大など共産党独裁を脅かす危機が進行する。そんななか習氏は最近、江沢民氏の薦めで、シンガポールのリー・クアンユー(李光耀)元首相に頻繁に会って帝王学を学ぶ。歴代の中国指導者と水面下で結びつく華僑ネットワーク。リー氏が授けた処方箋をもとに習氏が新体制でどんな新機軸を打ち出すのか注目を集める。
(重慶=多部田俊輔)

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO48039730T01C12A1TY9000/?dg=1


 

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