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「反日」の実像
(1) 「政冷経冷」空気重く
中国山東省青島市、1日の国慶節(建国記念日)の朝、7時30分。抜けるような秋晴れの空の下、イオンが運営するショッピングモール「イオン黄島店」の3階屋上に、朝礼のため280人の従業員が集まった。「どんな困難があろうとあきらめない」。全員の左胸に貼られた赤いステッカーにはこう記してあった。
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9月15日にデモ隊の襲撃を受けた同店。商品は略奪され、生鮮食品の冷蔵設備なども破壊された。警察当局の封鎖が解かれ店内に入れたのは4日後。腐って異臭を放つ鮮魚、散乱する商品……。
「なぜ、同じ中国人からこんなひどい仕打ちを受けるのか」。2005年の開業以来、この店で働く朱愛琴(仮名、50)はショックを受けたが、黙々と復旧作業を進めた。国慶節の大型連休は稼ぎ時だ。1日にはレストラン街、4日にはスーパー「ジャスコ」も営業を部分再開した。「早期の復旧は当然。ここは私たちのお店だから」(朱)
そこから5キロメートルほど離れた同じ青島市内の3階建てのビルの1階。看板のない新車販売店の室内に日産自動車が中国の合弁工場で造った新車が並ぶ。11日、店番の李珍玉(同、28)に声をかけると「パンフレットもローンの申請書もないけれど」と申し訳なさそうな返事が返ってきた。
それもそのはず、そこは臨時店舗だ。数キロメートル先の本来の店舗にはいま、ガラスが砕け、たたき壊された新車が鉄くず同然に放置されている。
地元では反日デモで受けたこの店舗の損失は「2千万元(約2億5千万円)以上」と噂され、不動産業を営む中国人オーナーは保険会社や政府との補償交渉に追われる。「9.15」以来、従業員への給料も未払いだ。同僚の何人かは店を去ったが、李は「ここが踏ん張りどころ」と辞めるつもりはない。
反日デモがピークを迎えてから1カ月。十数カ所の日系店舗や工場が襲撃の対象になり、全国的にも特に被害が大きかった青島も表面的には静けさを取り戻していた。企業もたくましい現地の従業員たちと共に一歩一歩、復旧へ動き始めている。しかし、まだあちこちに隠しきれない深い傷痕が残る。そこに映るのは今回のデモの異様さだ。
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青島でのデモ隊の足跡を調べたセコムの現地合弁会社総経理、北野重時(56)は計画性に気が付いた。半日がかりで約20キロメートル。入り組んだ道の日系拠点を効率よく回っている。参加者の一部は拠点名のリストを持っていたという。地元住民の王勇(仮名、28)も「先頭で襲撃していたのは素人には見えなかった。あれはプロの手口」と話す。
小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝をきっかけに中国全土で大規模な反日デモが吹き荒れた05年。このときも大学生を当局がデモに動員した可能性が指摘された。ただ、当局がひとたびデモを締め付けると、反日機運も急速にしぼんだ。今回は違う。デモは収まったが、重い「反日」の雰囲気が静まらない。
「家族や周囲から『何も日本車を買わなくても』と言われちゃって」。客足がまばらな上海市内のホンダの新車販売店。「せっかく取った注文も顧客はこう言ってキャンセルする」。店員たちはあきらめ顔だ。新規の顧客獲得も簡単ではない。ホンダの9月の中国での新車販売は前年実績を4割下回った。
「反日デモ以降、現地パートナーのトップと会えなくなった」。「大丸」や「松坂屋」を展開するJ・フロントリテイリング会長の奥田務(73)は明かす。14年末から15年はじめにかけ現地企業に運営委託する形で上海に百貨店を出す計画だが、懸念材料が出てきた。
「政冷経熱」から「政冷経冷」へ。「本来、政治的な対立は経済活動とは無関係のはずだが、今回は領土問題だけに中国人の対日観はいつになく厳しい」(上海の国際問題研究者)。欧米系企業の中国人社員ですら尖閣諸島を国有化した日本を「右傾化しすぎていないか」(何建国=仮名=48)と懸念。そんな雰囲気が今の中国にはある。
北からの寒風が入り始めた首都・北京。日本大使館近くの三菱東京UFJ銀行北京支店の大通りに面した看板は今も黒い布で覆われている。05年のデモの際に投石被害を受けた際は4カ月にわたって看板を隠した。この9月も反日デモが始まる前に布を覆ったが、関係者はこう覚悟している。「今回はもっと長引きそうだ」
(敬称略)
[日経新聞10月16日朝刊P.2]
(2) 農民を動員せよ
満州事変の発端となる柳条湖事件から81年の9月18日。一時5千人規模に膨らんだ北京の日本大使館前の反日デモは、相当数が政府の演出だった。
「動員で北京に行ったよ」。河北省固安県白家村の李旭軍(仮名、30)は打ち明ける。17日に自宅に来た村の幹部は「車も用意した。明日、北京に行くぞ」と告げた。50キロ北の北京へ。周辺の村の農民も含め600人がバスで向かった。「デモでは公社(村)幹部が準備した毛主席の写真や横断幕を持って叫んだ。弁当も出たな」と李。手当については口を濁すが、村近くの商店員、黄美佳(同、23)は「1人50元(620円)もらったようだ」と漏らす。
共産党指導部が認めた官製デモは、北京から固安県に公安(警察)を通じて人集めを要請したとみられる。北京に向かうバスのナンバーは事前登録し、検問もわけなく通過。公安が仕切ったデモは、警察学校の学生が先導した江西省南昌やデモ隊の先頭が公安と親しく話す四川省成都の例にも垣間見える。
「屈辱の18日」に日本への怒りを演出するには前週末に匹敵する1万人近いデモ隊が欲しいが、18日は平日で盛り上がりを欠く恐れがあった。一方で暴徒化は防ぎたい。大使館に石など投げず、指示通りに動く農民はその役割にぴったりだった。
村民らが誘いに応じた理由はもう一つ。「村民には経済格差への不満があり、反日デモがはけ口になった」(北京の中国人弁護士)。「日本のことよりも現状の生活が厳しい」。親族が反日デモに参加した丁香雅(仮名、55)の言葉は率直だ。
固安県は北京のベッドタウンとして急発展。北京の中堅層が50万元のマンションをどんどん買うが、ここの農民1世帯の標準的な年収はわずか1万元。生活格差は広がる一方だ。「平等だった毛沢東時代が懐かしい」。白家村の入り口には毛の詩碑が建ち、村民は毛時代の人民公社を懐かしみ地元政府を「公社」と呼ぶ。
「島は中国のもの、薄熙来は人民のもの」。香港メディアなどの報道によると、一部デモには胡錦濤指導部を批判する横断幕が登場し、すぐ地元公安当局が撤去した。巨大な格差は保守派が台頭する余地を与え、最高指導部の権力争いに油を注ぐ。
党大会が近づき、危機感を抱いた最高指導部は9月19日以降、大規模デモを封印。対日圧力の重心は尖閣周辺の海と経済や人的交流に移った。(敬称略)
[日経新聞10月17日朝刊P.2]
(3) 「偽装の愛国主義」
「日本ファシズムの再来」「敗戦国が領土を盗み取った」「国際社会は中国の味方」。今も中国の新聞やテレビは日本が標的の宣伝報道であふれる。情報の洪水は尖閣諸島に関心がなかった一般人の思考も変えた。
「(首相の)野田が釣魚島(尖閣諸島の中国名)に突然上陸して土地を買い、勝手に日本の領土にしたんだ。許せない」。9月15日朝。北京の日本大使館前でデモに参加していた劉偉(仮名、21)は欧米メディアの取材にこう訴えた。島の場所を尋ねられても「そんなの知らない。中国のものだ! 日本人は出てけ!」と叫ぶだけ。多くの参加者は尖閣への基本的な理解もないまま「愛国的行動は無罪」と叫んで投石などを繰り返した。
関係者によると、中国共産党が8月下旬に開いた宣伝工作に関する会議で「状況は中国が不利。領土紛争の存在を国際社会に認識させるため、世論を喚起すべきだ」との意見が相次いだ。日本に圧力をかけるよう、デモ活動を認める方針も決めた。
日本が国有化を閣議決定した9月11日。最高指導部をなす政治局常務委員らが動き出した。まず李克強(57)。パプアニューギニアの首相にこう語りかけた。「我々は共に日本ファシズムの侵略を受けた」。賀国強(68)も14日、ナチスの侵略を受けたポーランドの外相に「日本による戦後国際秩序への重大な挑戦だ」と主張した。宣伝戦術として、まず尖閣諸島の国有化を日本の過去の「侵略戦争」に重ねることに力点を置いた。
国営メディアは、山東省青島などでの日本企業の甚大な被害を伝えず、デモが焼き打ちにまで発展したことを普通の人は知らない。しかし、陝西省西安で日本車に乗っていた中国人、李建利(51)がデモ隊の襲撃を受けて半身不随になった悲劇が伝わり、一部はデモの異常さに気付き始めた。事件発生は9月15日だが、6日間伏せられていた。「中国人同士で我々は一体何をしているのか」。ネットではこうした書き込みも増えた。
「偽装された愛国主義だ」。中国の著名な芸術家、艾未未(55)は当初から党が扇動する反日デモに批判的だった。ツイッターでは党が愛国主義を利用しているだけだと訴えたが、デモ参加者には通じない。
「中国人がこれほど単純だとは思わなかった」。ある党元幹部(66)は言う。何かのきっかけで反党的風潮が広がれば共産党体制は簡単に崩れる。そんな危機感が党内にもある。
(敬称略)
[日経新聞10月18日朝刊P.2]
(4) 「すべて日本の責任だ」
中国最大の日本人社会を抱える上海。高級すし屋で重宝している長崎県産の鮮魚が反日デモ以降、極度の品不足だ。「卸業者に40種類発注しても10種類しか届かない」(市内のすし屋)。検疫当局の検査強化が原因という。「中日関係がよくない時期だから」。中国人店員の呉娜(仮名、24)はつぶやいた。
「すべて日本の責任だ」。9月19日、商務省報道官の沈丹陽(47)は記者会見で経済への悪影響を「必然」と言い切った。翌20日、天津税関当局は日本からの一部輸入品の通関検査を厳しくすると決定。検査率は通常の1割から3割に上がった。
「中国は本気か」。日本の経済産業省は情報収集に走る。検査が厳格化したとの情報がある半面、「物流に問題なし」との報告もあった。散発的に通関手続きを滞らせ「いつでも止められる」と日本に揺さぶりをかける狙いもあると担当者はみる。
48年ぶりに東京で開いた国際通貨基金(IMF)・世界銀行総会。中国は人民銀行総裁の周小川(64)ら閣僚級の参加を見送り、再び日本を揺さぶった。しかし、国際会議に2国間関係を持ち込む強硬姿勢に中国内でも疑問の声が出ている。清華大教授の李稲葵(48)は「私はなぜ総会に参加するのか。中国の考え方を伝える重要な機会だからだ」。こうミニブログに書き込んだ。確かに周は人民元改革など自身の成果をアピールする絶好の機会を失った。
「相手に1000の損害を与えても、自らも800の損害を被る」。中国の有力経済誌「財経」は最近、「日中間の経済戦争をどう回避するか」という特集を組み、匿名の専門家の分析を紹介した。反日機運は日本製品の不買運動に転化し9月の中国の日本からの輸入は1割減った。中国の生産や雇用にも影響が及びかねないが、財経のような冷静な分析は少数派だ。
9月19日。北京の人民大会堂で次期トップに就く国家副主席の習近平(59)が米国防長官のパネッタ(74)を前に日本批判を繰り広げた。「日本は『懸崖勒馬』すべきだ」。「崖の手前で手綱を引いて踏みとどまれ」との警告だが、これは「遺憾」など相手を非難する用語のうち、過去にインド、ベトナムとの紛争直前に用いた「最後通告」を意味する言葉に次ぐ厳しい言い回しだという。外交の場であえて強い言葉を選んだ。
「凍り付く政治が経済を踏みにじっている」(北京の日本大使館関係者)
=敬称略
[日経新聞10月19日朝刊P.2]
(5) 「SENKAKU」消滅作戦
米ワシントンのホワイトハウス北5キロにある中国大使館。今、その一室は尖閣諸島を巡る国際宣伝の作戦本部と化した。「外相の玄葉(光一郎)が説明のため欧州行きをついに決めたらしい」。一報を受け、直ちに対策を話し合う。「駐米大使の藤崎(一郎)はやたら情報発信してるな」。大使のブルッキングス研究所での講演原稿にはスタッフが赤線を引いて熟読する。
作戦本部を率いるのは政治公使の劉為民(44)。夏のワシントン赴任前まで中国外務省の顔として連日、北京で記者会見していたスポークスマンだ。
「日本は領土問題の存在をまず認めなければならない。そのうえで解決策を話し合うべきだ」。9月下旬、劉はブッシュ政権で国家安全保障会議アジア部長を務めたビクター・チャーを訪ねた。少しでも日本を追い込むため「工作」の相手は共和党系、民主党系を問わない。
かつて中国の米議会工作といえば全議員にファクスを送る程度。20ページもの宣伝文は大概、直接ゴミ箱行きだった。現在、中国は月額3万5千ドル(約275万円)の顧問料を払いロビー最大手のパットン・ボッグス社に助言を頼む。幅広い議会人脈を持つ同社が面会を手配し、中国の見解を実力者にピンポイントで売り込んでいる。
活動は米国にとどまらない。ブルガリアの首都ソフィア。中国の大使、郭業洲(46)はブルガリア外務省のアジア局長に「貴国との関係を話したい」とランチを申し込んだ。しかし、延々と説明したのは尖閣問題だ。
相手国の反応は北京の外務省に直ちに打電され、世界中の情報が中南海で開かれる最高指導部の会議に届く。中でも力を入れるのはアフリカ。各国の駐在大使は競うように記者会見し、インタビューを受ける。衝突など万が一の事態に備え、国連で親中国票を固めるには、50票以上を持つアフリカは重要だ。
宣伝戦術の効果は確かにあるようだ。「アフリカの一部では日本は好戦的な国、との印象が広がりつつある」(中国で働くアフリカ人)。欧米メディアでも「SENKAKU」より「DIAOYU(釣魚、尖閣諸島の中国名)」を先に書くケースが出始めている。
中国が公式文書で領有権を主張したのは1971年。国連報告書が石油資源の存在を指摘した後だ。大部分の国の政府関係者はこんな事実は知らない。地球の裏側の現実だ。(敬称略)
中沢克二、進藤英樹、森安健、桑原健、菅原透、大越匡洋、多部田俊輔、島田学が担当しました。
[日経新聞10月20日朝刊P.2]
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