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警察の独断で強制労働へ、中国人の人権はないがしろにされている
撤廃を求める声が高まる「労働再教育制度」とは何か
2012年10月19日(金) 北村 豊
大卒の村役人が強制労働に
2012年10月10日の午前9時、“重慶市第三中級人民法院(裁判所)”(以下「重慶第三法院」)は、重慶市彭水県郁山鎮の“大学生村官(大卒の村役人)”である“任建宇”を被告とする上告審を公開で開廷した。それは、“大学生村官”である任建宇が、主として他人の“微博(マイクロブログ)”の政府批判記事100件以上を自分のマイクロブログに転載して拡散させたことにより“労動教養(労働による再教育)”(以下「“労教”」)の処分を受けたことを不満として上告した事案の法廷審理であった。
“大学生村官”とは中国特有の準公務員制度で、地方の“郷”や“鎮”といった村落の活性化を図るべく、それら村落に大学卒業生を臨時の村役人として2年間派遣し、任地の村落では地元の党委員会書記や村委員会主任、あるいはその補佐などの幹部を勤めさせるものである。2年間の任期が終了した時点で、任期中の業務成績が評価され、大多数の大学生村官は優先的に村役人や公務員に採用されることになる。大学生村官となるには各一級行政区(省・自治区・直轄市)が行う大学生村官の試験に応募して筆記試験と面接を経て合格することが必要である。2010年に中国政府は現行の5年以内に10万人という大学生村官の目標を20万人に増加すると発表したが、2010年に誕生した大学生村官は3.6万人であった。
それはさておき、上記のように、大学生村官は2年間の期限付きであるとはいえ村落の幹部である。その村落の幹部たる者が他人がマイクロブログに書き込んだ政府批判の記事に共感して、当該記事を自分のマイクロブログに転載したり、自身も政府を批判する記事を書き込んだりすることは国家転覆をもくろむ反逆行為であり、中国共産党が支配する専制国家の中国では許されることではない。これが2011年9月23日付で重慶市の“労動教養管理委員会”が“労動教養決定書”を発行して任建宇を2年間の労働再教育に処した理由であった。
2009年7月に“重慶文理学院”を卒業した任建宇は、重慶市政府によって選抜された大学生村官として彭水県郁山鎮に赴任し、郁山鎮における2年間の任務を終えて、2011年9月には公務員に任用される予定だった。その矢先の8月に任建宇は重慶市公安局によって国家政権の転覆を企てた容疑で拘引されて取り調べを受けた。その結果、任建宇が2011年4月から8月までの5カ月間に国家のマイナス面を強調する政府批判の記事100件以上をマイクロブログに転載、あるいは自ら書き込みを行ったことが判明した。また、自宅からは“不自由、毋寧死(自由を与えよ、さもなくば死を)”<注>と印刷されたTシャツが押収されて、国家反逆の証拠とされた。
<注>アメリカ独立戦争の指導者であったパトリック・ヘンリー(Patrick Henry, 1736~1799年)がイギリスとの開戦を主張して1775年に行った演説で述べた言葉。“Give me liberty or give me death”
任建宇に対する取り調べ結果に基づいて、重慶市公安局は“重慶市人民検察院第一分院”(以下「重慶検察分院」)に任建宇の逮捕状を請求したが、重慶検察分院は9月23日に任建宇の容疑は情状が軽微で犯罪を構成しないとして、逮捕を認めない旨の決定を下した。
この決定に応じて重慶市公安局は速やかに任建宇を釈放すべきであったが、何と公安局はその当日に任建宇を労働再教育の処分とすることを決定した。この結果、重慶市“労動教養管理委員会”は任建宇を2年間の労働再教育に処すという“労動教養決定書”を発行したのだった。こうして任建宇は重慶市の市中心から北東に150キロメートルほど離れた“涪陵区(ふりょうく)”に所在する“労動教養管理所(労働矯正管理所、略称:“労教所”)である“涪陵労教所”へ移送されて収容された。
任建宇は涪陵労教所に収容された後もその罪を認めようとしなかった。収容から1年が経過しようとしていた2012年8月15日、任建宇は父親の“任世六”を代理人として重慶第三法院に対して、重慶市“労動教育管理委員会”が発行した“労動教養決定書”の取り消しを求める行政訴訟を提起した。この訴訟を受けて開廷されたのが文頭に述べた10月10日に重慶第三法院で行われた上告審である。当日の9時に開廷した裁判は、メディアの記者を含む数十人が傍聴する中で審理が続けられ、午後5時に裁判長が「本件は重大事案であり、事件の経緯、事実関係などの問題点をさらに検証してから合議制で審議し、別途期日を決めて判決を言い渡す」と宣告して閉廷となった。
反革命分子や不良分子を矯正するために始まった
ところで、中国の“労教”とはいかなる制度なのか。その概要は下記の通りである。
【1】“労教”は1950年代に、刑罰を科すほどではない反革命分子や不良分子を一定の場所に集めて労働させることを通じて、彼らの反動的思想の矯正を目的に始められたものであった。1957年に国務院が「労働教養問題に関する決定」を公布したことによって“労教”は正式に制度化された。翌年の1958年には全国で“労教所”が100カ所以上設立され、収容人数は百万人を超えたが、当時の収容者の主体は右派分子と呼ばれた共産党の指導方針に従わない人々であった。
【2】1979年までは“労教”の期間は最長20年間であったが、1979年の改正により期間は1〜3年間、必要と判断された場合は1年間の延長が可能となり、最長4年間に変更された。その後は1982年の「労働教養試行弁法」、1986年の「治安管理処罰条例」、1990年の「麻薬の使用・販売禁止に関する決定」、1991年の「売春禁止に関する決定」などを通じて、収容者の主体は泥棒、売春婦、麻薬中毒者、社会治安を乱す不法分子などとなっていた。
【3】中国政府“司法部労動教養管理局”のデータによれば、2012年の現時点における全国の“労教所”総数は300カ所以上、これに従事する職員は総勢10万人以上で、収容者総数は26万人となっている。現在では、教養所の収容者の主体は、国家安全への危害、殺人、強盗、強姦、放火、爆破などに関与して刑事処罰の対象とならない者、列車・船などの乗車券のダフ屋、賭博常習者、麻薬中毒者、売春婦、“上訪人(上級機関に陳情する人)”などとなっている。ちなみに、精神病者、視聴覚および言語機能の障害者、疾病者、妊婦および1歳未満の乳児を持つ婦女などは収容の対象外となっている。
【4】犯罪を行って公安警察に捕まれば、公安部門による立件、取り調べ、逮捕状の請求、検察への送致が行われ、検察部門では逮捕状発行、起訴、その後は司法部門による裁判が行われ、有罪が確定したら刑務所に収監されることになる。ところが、その犯罪が刑事処罰の対象とならない場合は、公安部門だけの判断(ひどい時には公安警察の派出所長の判断)により労教所への収容が決定され、有無を言わせず労教所に収容される。
【5】そうなると、大きな矛盾が発生するケースも出現するが、その典型的な例を挙げると以下の通り。
主犯よりも従犯の方が長く拘束される場合も
(1)労教所の収容期限は最低が1年間で、最長が4年間である。ところが、刑事罰の場合は、最も軽い刑が“管制”で「居住地で3カ月〜2年間にわたり公安警察の監視下におかれる」、それより重い刑が“拘役(拘留)”で「有期懲役より軽い刑で、1〜6カ月間にわたり自由を剥奪される」、その上の刑が“有期徒刑(懲役刑)”で「6カ月〜15年間の懲役」となっている。同じ犯罪を行っても、刑事罰の場合は“管制”なら拘留はされないし、“拘役”なら6カ月の拘留で済む。ところが、“労教”の処分を受けると、最低でも1年間は労教所に収容される。
(2)2人である犯罪を行った場合、主犯が刑事罰の対象となり、逮捕、起訴、裁判を経て、懲役3年、執行猶予4年の判決を受けたとすれば、主犯は刑務所には収容されずに釈放されて自由な社会で生活できる。一方、従犯は刑事罰の対象外とされて“労教”の処分を受けると、労教所に収容されることになり、最低でも1年間は労教所暮らしを余儀なくされる。これなら従犯になるより主犯になるほうが良いということになる。
(3)労教所に収容された後に、自ら別の犯罪を告白したり、嘘の犯罪をでっちあげて刑事犯となり、裁判で1〜2年の懲役刑を受けるようにする。刑務所では服務態度が良好なら減刑されるのが通例なので、うまくいけば半年〜1年程度で出所できる。そうなれば、労教所に収容されるよりも早く釈放されて娑婆(しゃば)に戻れる可能性が高くなる。
上述の任建宇の場合は、重慶検察分院が任建宇の犯罪容疑は情状が軽微であるとして犯罪を構成しないと判定を下して逮捕請求を認めなかった。本来ならば、これで任建宇は釈放されるはずであったが、これを不服とした重慶市公安局が労働労教養制度を悪用する形で任建宇に労働再教育2年間の処分を下して、涪陵労教所に収容したのだった。
「公安・検察・法院(裁判所)」という国家の司法体系が厳然と存在するにもかかわらず、これを逸脱する形で存在するのが公安部門による“労教”制度なのである。この制度が存在する限り、公安部門は適当な理由をつけることさえできれば、どのような人物でも労教所送りにして最長2年間は収容することができる。しかも、“労教”の処分が、極端な場合は公安警察の派出所長の判断で決められるというのであれば、「触らぬ神に祟(たた)りなし」のことわざ通りで、庶民は公安部門には全く逆らえないことになる。
このような問題を抱えた“労教”制度の撤廃を求める声は、2004年に広東省の政治協商委員6人が提起したのを皮切りに、2007年には69人の学者や法律人士による呼びかけがなされ、2008年3月の“全国人民代表大会(略称:全人代)”では提案がなされた。そして、2010年3月の“両会(全人代と“中国人民政治協商会議”の総称)”期間中に、新たな法律「違法行為教育矯治法(違法行為を犯した者に対する教育矯正法)」が草案の修正段階にあることが明らかになった。しかし、同法律は2011年および2012年の“両会”を経ても成立せぬまま今日に至っている。
ところで、2012年8月に、湖南省永州市で“唐慧労教案(唐慧の労働再教育事件)”が発生した。これは2006年に11歳の少女が売春を強要された事件に端を発するものあった。当該売春強要事件は裁判で7人の犯人が、死刑:2人、無期懲役:4人、懲役15年:1人の判決を受けて決着したが、裁判の過程で永州市公安局の警官が主犯の1人を死刑から免れさせようと画策した事実が判明し、少女の母親である“唐慧”が永州市公安局を処罰するよう社会に訴えた。これに驚いた永州市公安局零陵分局は、2012年8月3日に、唐慧に対して“労教”1年6カ月の処分を下し、労教所に収容することで社会から隔離しようとした。
しかし、翌8月4日に唐慧の弁護士がこの事実をネットの掲示板に暴露したことで、事態は急展開する。永州市公安局の非道なやり口を知った世論は激昂し、永州市公安局に非難が殺到した。また、メディアもこれを大々的に報じたことから、湖南省の司法を統括する“政法委員会”が事態の調査に動き、最終的には8月10日に唐慧に対する“労教“処分は取り消され、これと同時に永州市公安局の違法行為についても調査に着手することが確認されたのだった。
その8月10日から5日後の8月15日に、重慶市では任建宇の“労教”処分に対する上告が重慶第三法院へ提出されたのだった。これは偶然にも同じ“労教”に関わる事件が8月に重なってメディアで報じられることとなったものだが、“唐慧労教案”で沸騰した世論は“任建宇労教案(任建宇に対する労働再教育事件)”の成り行きを注視している。今後に予定される後者の上告審の判決はメディアの注目の的となっており、重慶第三法院は世論の動向を斟酌して判決を下すことを迫られているようだ。現在の状況は任建宇に有利な方向に展開しているように思えるが、果たして判決はどうなるか。
中国に人権が確立されるのはいつか
2012年10月9日、中国政府“国務院”の「新聞弁公室」は「中国の司法改革」に関する中国初の白書を発表した。当日行われたら記者会見の席上、「中央司法体制改革指導グループ事務室」の責任者である“姜偉”は、“労教”に関するメディアの質問に答えて次の様に回答した。
労教制度は中国の立法機関によって承認された法律制度であり、法的な根拠を持っている。労教制度は我が国の社会秩序を守るために重要な作用を発揮しているが、言うまでもなく、労教制度の一部の規定や認定手続きには問題が存在する。労教制度の改革はすでに社会の共通認識となっており、関係部門は調査研究を行うと同時に専門家や人民代表の意見や提案を聴取し、現在具体的な改革法案を作成中である。
中国に労教制度が存続する限り、無実の罪で労教所に収容される人々が絶えることはない。しかし、現在中国が進めているのは労教制度の改革法案の検討であって、労教制度そのものの撤廃ではない。司法手続きを無視して個人の自由を奪える労教制度が撤廃されるまでは、中国に人権が確立されることはないと言える。その日が少しでも早く到来することを希望しつつ、先ずは任建宇の上告審の判決がどうなるかを見守ろう。
(北村豊=住友商事総合研究所 中国専任シニアアナリスト)
(注)本コラムの内容は筆者個人の見解に基づいており、住友商事株式会社 及び 株式会社 住友商事総合研究所の見解を示すものではありません。
北村 豊(きたむら ゆたか)
住友商事総合研究所 中国専任シニアアナリスト
1949年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。住友商事入社後、アブダビ、ドバイ、北京、広州の駐在を経て、2004年より現職。中央大学政策文化総合研究所客員研究員。中国環境保護産業協会員、中国消防協会員
世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」
日中両国が本当の意味で交流するには、両国民が相互理解を深めることが先決である。ところが、日本のメディアの中国に関する報道は、「陰陽」の「陽」ばかりが強調され、「陰」がほとんど報道されない。真の中国を理解するために、「褒めるべきは褒め、批判すべきは批判す」という視点に立って、中国国内の実態をリポートする。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20121016/238160/?ST=print
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