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次期トップ習近平の「コワモテ&ミーハー」列伝・・2012年、赤い暴動大国の頂点に立つ男の素顔
http://www.asyura2.com/12/china3/msg/243.html
投稿者 墨染 日時 2012 年 9 月 20 日 11:46:33: EVQc6rJP..8E.
 

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1535

尖閣諸島問題や相次ぐ反日デモで、「暴動大国」の素顔を覗かせ始めた中国。その後も、ベトナム・ハノイで予定されていた日中首脳会談をドタキャンするなど、その強引な外交姿勢には驚かされるばかりである。

 その傲慢大国の舵取りを約束された男が、次期トップ候補の習近平(シイジンピン)副主席(57)だ。

 一見、のんびりした風貌だが、昨年、来日した際、ゴリ押しで天皇との接見を実現させた"コワモテ"でもある。2年後の'12年、胡錦濤(フウジンタオ)(67)の後を受け、予定通り習政権が誕生した場合、日中関係はどうなるのか。

 習とはいったい、いかなる男なのか。

 日本に対してどのような感情を持ち、いかなる政治手腕を持っているのか。国民的美人歌手の彭麗媛(ポンリーユアン)(47)を妻に持つ、ミーハーな面も囁かれている。次世代の中国トップの素顔を徹底検証した。


■列伝(1)「太子党」習近平の知られざる挫折
 習近平は'53年6月、北京に生まれた。父は副首相も務めた習仲勲(シイジヨンシユン)で、高級幹部の子弟グループ「太子党(タイヅダン)」に属する。
「太子党ではあるが、習は'66年に始まった文化大革命で、一般の中国人と同じように陝西(せんせい)省の農村の人民公社への7年間に及ぶ『下放(かほう)』を体験しています。その後、習は共産党に入党し、'75年に名門の清華大学に進学。'78年に父の習仲勲が復権し、高級幹部の子にふさわしいキャリアを歩み始めましたが、挫折を知っているという意味では興味深い指導者です」

 習にとっての挫折は下放そのものではなかった。農作業に従事した延安市郊外延川県だったが、あまりの過酷な環境に音を上げ、3ヵ月で北京に逃げ帰ってしまったのだ。しかしその後、延川県に戻り様々な経験を得た。習は後に、「下方生活は私の根である」と述懐している。
 大学卒業後の'79年、習は国防部長・耿飈(ゴンビヤオ)の秘書として就職。'82年に河北省正定県委の副書記に転じ、'85年に福建省廈門(アモイ)市の副市長に。その後は経済先進地域である浙江(せつこう)省と上海市の党委書記(行政トップ)を歴任。'07年には中国の最高権力層・党政治局常務委員へと、二階級特進で昇進した。


■列伝(2)軍を動かすことができる男
 今年10月、習近平が就任した中央軍委副主席とはどれだけの権力を持つのか。『中国官僚覆面座談会』などの著書があるジャーナリスト・富坂聰氏は言う。
「現在、中国で軍への命令権を持つのは胡錦濤ですが、習近平はそれに次ぐ地位。胡錦濤が不在の折には、彼が中国で唯一軍を動かせる人間です。この点では、軍に介入できない首相の温家宝(ウエンジヤーバオ)を上回る権力を手にしていると言えます」

中国ではクーデター防止の観点から、党高官といえども軍への影響力を持つ人物は限られる。習は、その少数の例外に属する最高幹部なのだ。


■列伝(3)ゴリ押し「天皇特例会見」
 '09年12月15日、習近平は、天皇への接見の申し込みは1ヵ月以上前までとする日本側の慣例「1ヵ月ルール」を破り、強引に天皇陛下と会見。日本国内で反中感情が高まる契機を作った。会見実現は、小沢一郎民主党幹事長(当時)が、日本の外務省にあたる中国外交部の要請に応えたためとも言われている。
「習近平自身が陛下に会いたがったわけではなく、中国外交部が成果を挙げようと焦った結果です。現在の習近平に求められるのは、成果よりも"無難な仕事"。強引な人物像を日本側に印象付け、対中感情を悪化させたことは明らかな失敗でした」(富坂氏)

 会見の前月には、習の妻・彭麗媛が学習院大学で講演し、会場を訪れた皇太子と人民解放軍のオペラを観劇。こちらも外交部によるお膳立てだったいう。
「中国国内の行政機関の縄張り争いは激しく、天皇会見の件のように功を急いで強引な手段を取る場合もある。今後の習近平には、これらを御(ぎよ)するバランス感覚が求められます」(富坂氏)


■列伝(4)妻は「あげまん美人歌手」
 習近平の妻・彭麗媛は、日本の「紅白」に相当する大晦日のテレビ番組「春節聯歓晩会(チユンジエリエンホアンワンフイ)」でトリを務めるほどの国民的歌手で「国家一級俳優」。人民解放軍歌舞団の団長で、現職の少将でもある。彼女の人気は「中国のどこのカラオケ店に行っても、彭麗媛の歌がある」ほどだという。
『中国指導者相関図』('08年・蒼蒼社)によると、結婚当時、福建省廈門市の副市長という地方幹部に過ぎなかった習に対し、デビュー7年目の彭麗媛はすでに歌姫としての名声を確立し、知名度も夫より上。習はその後も20年近く「彭麗媛の夫」という立場で世間の人に認知されていたと言われる。

 軍内部で高い人気を誇る妻の存在は、習の人脈の拡大に大きく貢献。次期国家主席の座を巡る権力闘争で、習がライバルの李克強(リイクーチヤン)より優位に立てた要因にも、軍の支持があったという説がある。人気歌手である妻が、習にとって「あげまん」だったのは間違いない。


■列伝(5)バツイチで「駆け落ち事件」
「香港筋によれば、習はバツイチ。柯華(クーホア)という外交官の娘との結婚歴があるとされています。河北省・福建省など地方の行政ポストを歴任する習と、華やかな外交官の娘は反りが合わず、二人は10年も経ず破局。習は彼女と離婚しないまま彭麗媛との交際を開始したという説もあります。庶民である彭の両親は、こうした『高級幹部の子弟』の姿に不信感を抱いていたようです」(茅沢氏)

 '87年、習は両家の両親にも知らせないまま彭との結婚を強行。入籍から記念撮影、披露宴まで1日で済ませ周囲の度肝を抜いた。そもそも二人は友人の紹介で知り合ったのだが、彭はあまり乗り気でなく、お見合いの当日、わざと軍装で出向いたという。しかし、木訥な習は気にもせず、彭に心を惹かれたのだという。


■列伝(6)今もネットで飛び交う「離婚説」
「恩愛夫婦(おしどり夫婦)」のイメージを強調する習近平夫妻だが、政府高官と人気歌手の夫婦は、多忙により事実上の別居状態。過去には離婚も噂されたことがあるという。首都の北京で活躍する彭麗媛に対して、習は'85~'02年まで福建省、その後も浙江省や上海など地方政府でのキャリアを歴任。夫婦の関係は長年にわたり「織姫と彦星」状態(『文匯報(ぶんわいほう)』)であったという。

 実際、中国語版のGoogleで「彭麗媛」「離婚」を検索すると、特に'07年~'09年の時期にこの話題を扱う記事やブログが多数見つかる。'09年3月付の『深圳(しんせん)新聞網』は「(不仲説から)数年経っても私たちが幸せな生活を過ごしているのを見て、噂を流した人々も自分たちがおかしいと思うはず」という彭の言葉を報じ、離婚説が存在したことを逆説的に裏付けている。

■列伝(7)キャスターとの不倫騒動
 国民的人気歌手を妻にしたことに加え、習近平のミーハーさが垣間見える話題は多い。'82年に習は河北省正定県にて地方行政のキャリアを開始し、テレビドラマ『紅楼夢(ホンロウモン)』の撮影用に歴史テーマパーク「栄国府(ロングオフウ)」の建設を指揮。初仕事からしてメディア好みの性格が窺(うかが)える。
 また、美人歌手の妻がいるにも拘らず女性スキャンダルも噂される。習が福建省長だった'00年に不倫関係にあったのが地元テレビ局の美人キャスター・夢雪(モンシユエ)。
 習が'02年に浙江省に転任したことで関係は清算されたという。当時、習は多忙をきわめていた妻と別居状態。年に数回しか会えなかった。そのスキに入り込んだのが夢だった。夢のほうが積極的だったという。


■列伝(8)娘と本人の学歴に「疑問あり?」
 習近平と彭麗媛の間には習明沢(シイミンゼー)(18)という一人娘がおり、今年9月からハーバード大学に留学中。出国前は浙江省内の大学に通っていたとされる。
 台湾メディア『中時電子報』(10月6日付)によれば、習明沢が在学していたのは名門の浙江大学外国語学院。
 現地ネット上では「彼女の高校時代の成績は月並み」「彼女が浙江大の入学を決めた際、同級生の間で疑惑が広がった」などの投稿が見られたといい、入学が彼女自身の実力によるものかには疑問の声がある。

 一方、習近平は'02年、清華大学大学院の「マルクス主義理論・思想政治教育」専攻で博士号を取得した。
 しかし、日本の県知事に相当する高位の地方行政職(福建省長)に在職しながら博士論文を執筆し、北京の大学で学位を得ることは物理的にも難しいハズ。習は同年の浙江省転任以降、清華大学の研究所に多額の資金援助を行っており、邪推する要素には事欠かない。


■列伝(9)習ファミリーの「ビジネス」
 腐敗や汚職に厳しい姿勢を前面に打ち出す習近平。だが、彼の家族には醜聞も付きまとう。
「例えば弟の習遠平(シイユエンピン)は北京の不動産会社『羽白(ユイバイ)』の社長を務め、土地開発やマンション建設に熱心。遠平と共同で事業にあたっていた映画製作グループ総帥・賈雲(ジヤユン)は浙江省の総合レジャー施設開発による汚職事件で摘発されている。香港のメディアは、当時の同省のトップだった習近平を後ろ盾に、弟が甘い汁を吸っていた可能性は高いと指摘しています。

 また、姉の習橋橋(シイチヤオチヤオ)も不動産会社を経営。首都の北京や経済特区の深圳の土地開発を手掛けています。不動産バブルに沸く大都市の一等地を優先的に開発できるのは、習近平の影響力抜きには考えられません」(茅沢氏)
 綱紀粛正を唱える一方、習は身内には甘い男なのかもしれない。


■列伝(10)政治的課題「台湾問題と天安門事件」
 台湾の対岸・福建省での17年にわたる行政経験に加え、「多くの親戚が台湾にいることを自ら明らかにしており、母方の伯父が台湾の嘉義(かぎ)に住む」('10年10月19日付『中国時報』)など、習近平は中国の高官では珍しく台湾との接点が多い。台湾メディアは、'97年に8日間の訪台経験もあるとも伝える。
 また、'06年4月に台湾の中国国民党名誉主席・連戦(リエンヂヤン)が2度目の訪中をした際は、浙江省党委書記として習が彼を接待。政治面でも台湾とのパイプを持つ。
「習近平は、台湾問題の解決に強い野心があります。ただし台湾通の彼は、一定以上の対中接近を望まない台湾側の事情も把握している。力押しでの併合には踏み切らず、現状維持を続けるのでは」(富坂氏)

 習の父である習仲勲は'89年に死去した改革派幹部・胡耀邦(フウヤオバン)と親しく、また同年の天安門事件で失脚した趙紫陽(ヂヤオヅーヤン)にも同情的だったとされる。父の政治姿勢は習の政策に影響するのだろうか。
「失脚したものの胡耀邦の人気は高く、胡錦濤や温家宝など現政権の高官も彼を慕っています。習近平自身、胡耀邦が父の政治的復権に尽力したこともあり、彼への感謝の念は強い。胡耀邦の名誉回復はあり得ます。天安門についても、習個人は再評価を考えていてもおかしくありません」(富坂氏)
 中国が抱える最大の課題である、台湾問題の解決や天安門事件の再評価とどう向き合うのか。習近平の姿勢が試される。


■列伝(11)習政権で「日中関係はどうなる」
 習は国外留学の経験を持たず、キャリアの大部分は地方勤務。国際感覚の欠如も懸念されるが、果たして彼の政権の対日姿勢はどうなるのか?
「習近平には日本との接点がなく、日本に好感を持つ要因がありません。また、習の後ろ盾は、強硬な保守派で"反日教育"で知られた江沢民(ジヤンゼーミン)系の派閥。現在の中国の強硬な外交姿勢は、習近平時代になってもそれほど変わらない可能性もあります」(茅沢氏)
 中国の対日姿勢は、日本の安全保障にも直結する問題。習の今後に注目したい。
 

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コメント
 
01. 2012年9月20日 15:16:49 : FijhpXM9AU
「13億の暴動大国」は新中国のキャッチフレーズとなった。

02. 2012年10月19日 21:37:06 : aT9tG7aYrY
中南海に反射衛星砲をぶち込め。

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