http://www.asyura2.com/12/china3/msg/199.html
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尖閣諸島(沖縄県石垣市)のひとつ、大正島について、中国・明から1561年に琉球王朝(沖縄)へ派遣された使節、郭汝霖(かく・じょりん)が皇帝に提出した上奏文に「琉球」と明記されていたことが石井望・長崎純心大准教授(漢文学)の調査で分かった。
中国は尖閣諸島を「明代から中国の領土で台湾の付属島嶼(とうしょ)だった」と主張しているが、根拠が大きく崩れることになる。
尖閣の帰属に関しては1895(明治28)年に日本が正式に領有した後の1920(大正9)年、魚釣島に漂着した中国漁民を助けてもらったとして中華民国駐長崎領事が石垣の人々に贈った「感謝状」に「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記されていたことが明らかになっている。
明代にも琉球側と記していた中国史料の存在が明らかになるのは初めて。
上奏文が収められていたのは、郭が書いた文書を集めた『石泉山房文集』。
このうち、帰国後に琉球への航海中の模様を上奏した文のなかで「行きて閏(うるう)五月初三日に至り、琉球の境に渉(わた)る。
界地は赤嶼(せきしょ)(大正島)と名づけらる」と記していた。
現在の中国は大正島を「赤尾嶼(せきびしょ)」と呼んでいる。
石井准教授によると「渉る」は入る、「界地」は境界の意味で、「分析すると、赤嶼そのものが琉球人の命名した境界で、明の皇帝の使節団がそれを正式に認めていたことになる」と指摘している。
石井准教授の調査ではこのほか、1683年に派遣された清の琉球使節、汪楫(おうしゅう)が道中を詠んだ漢詩で「東沙山(とうささん)を過ぐればこれ●山(びんざん)の尽くるところなり」《現在の台湾・馬祖島(ばそとう)を過ぎれば福建省が尽きる》と中国は大陸から約15キロしか離れていない島までとの認識を示していたことも分かった。
その後に勅命編纂(へんさん)された清の地理書『大清一統志(だいしんいっとうし)』も台湾の北東端を「鶏籠城(けいろうじょう)(現在の基隆(きりゅう)市)」と定めていたことがすでに下條正男・拓殖大教授の調べで明らかになっている。
中国は尖閣周辺の石油資源などが明らかになった1970年ごろから領有権を主張し始め、71年12月の外務省声明で「釣魚島などの島嶼(尖閣諸島)は昔から中国の領土。早くも明代にこれらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域の中に含まれており、それは琉球(沖縄)に属するものではなく台湾の付属島嶼だった」と根拠づけていた。
石井准教授は「中国が尖閣を領有していたとする史料がどこにもないことは判明していたが、さらに少なくとも大正島を琉球だと認識した史料もあったことが分かり、中国の主張に歴史的根拠がないことがいっそう明白になった」と指摘している。
●=門の中に虫
写真:中国・明代の『石泉山房文集』。
赤線を引いた一節に赤嶼(大正島)が「琉球の境」と記されている
=「四庫全書存目叢書」(荘厳文化公司)から。
http://sankei.jp.msn.com/politics/photos/120717/plc12071708420009-p1.htm
産経新聞 2012年7月17日 08:38
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120717/plc12071708420009-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120717/plc12071708420009-n2.htm
ちなみに琉球属国論も破綻しています♪
そもそも、
明国は秀吉との戦いで疲弊して滅亡し、
清国は大日本帝国との日清戦争で敗北し滅亡している。
だから明、清の属国だとしてもそれがどうしたって話。
シナ共産党はシナ人以外の人間を殺して食いたいと思ってるんじゃないか?
シナ本土の人間は大概食って喰い秋田・・・・
昔は、ベトナムから食用人間を輸入してたとも聞くし。
輸入はおろか食用用の二脚羊と言って、人間を養殖していたという記録もある。
人間の料理法のレシピも残ってるとか。
例えば、肋骨の一番下に沿ってナイフで切れ目を入れ腹を勢いよく
踏みつけると肝臓が飛び出すとか・・・
ベトナム某人の証言
ベトナム人
何故、中国は南シナ海の80%もの範囲を自分の領土だと主張するのか。
もちろん、中国はこれが不合理で正当性のないものだと十分承知している。
しかし、それが中国の戦略なのだ。彼らは領土を得ようとする時、何も起こっていない地域に、
自ら紛争を引き起こし、他の国に紛争地域の領土を中国のものとして認めるよう強要してくる。
この戦略は過去の歴史においても、何回も繰り返し行われ、そして成功している。
彼らは領土を得ようとする時、何も起こっていない地域に、自ら紛争を引き起こし、他の国に紛争地域の領土を中国のものとして認めるよう強要してくる。
こういうのもあるしな♪
>石井准教授の調査ではこのほか、1683年に派遣された清の琉球使節、
>汪楫(おうしゅう)が道中を詠んだ漢詩で「東沙山(とうささん)を過ぐれば
>これ●山(びんざん)の尽くるところなり」《現在の台湾・馬祖島(ばそとう)を過ぎれば
>福建省が尽きる》と中国は大陸から約15キロしか離れていない島までとの
>認識を示していたことも分かった。
この手の主張をするならチベットも東トルキスタンも満州も含めて
「それは漢民族の固有の領土ではない」
と言うべき。
まぁ、そもそも漢民族っていう物自体が支那が抱いた幻想みたいなもんだけど。
何にせよ中国の主張は、英国が大英帝国最盛期時に属国だった国の領土は
全部俺の領土、って言っているのと同じだから、少なくとも米国はこの主張を認めないだろう
というわけで後ろ盾は得られる ♪
本当は違うんだけど自分たちの利益になるから途中で主張変えたんだよ
毛沢東って言う田舎者の無教養人が♪
(参考)<上海万博>マナー違反の数々は「文革」のせい=当時は「無知」が偉かった―中国紙
2010 年9月2日
文化大革命時代(60年代後半〜70年代後半)の中国では当時の最高権力者、毛沢東の主導により「反知性主義」が幅をきかせ、知識人が敵視されていた。毛は国民に「本を読むとバカになる」と教え込んでいたという。当時の中国では、無知で無教養で汚い言葉を使えば使うほど「偉い」とされ、マナーを守る行為などは恥ずべきことだという価値観が横行していた。
呉氏は当時を振り返ってこう語る。「65年に外務省の翻訳室で幹部が私たちに放った第一声が忘れられない。それは『私は無骨者です!』というものだった。当時はそれが栄誉なことだった」。同氏によると、中国では49年の建国後、知識人を批判する様々な運動が起こり国民の価値観を狂わせた。「小さい頃、両親に『お客様の前で足を組まない、食事は音を立てない、人の話に割り込まない』などと教えられたが、そのような伝統は失われてしまった」と同氏は話す。
やがて中国人が自分たちの行動が先進国の人々と比べ、「お粗末」だと気づくのは、改革開放政策が進み物質的に豊かになってきてから。中国社会でも「マナー違反は恥」という価値観が台頭するようになったことは大きな進歩だ、と同氏は指摘した。(翻訳・編集/NN)
レコードチャイナ 2010-09-03 20:02:51 配信
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=45123
毛沢東の演説。発音がムチャクチャです。
http://www.youtube.com/watch?v=ztYnr2MV3mY&feature=player_embedded
さてさて
開化期の頃、欧米中心の国際社会では台湾と沖縄の帰属が不明瞭と見られていた。しかし、征台の役の講和として結ばれた
「日清両国間互換条款・日清両国間互換憑単」で沖縄の日本帰属が明確化。実はこの条約で、台湾の帰属も大清帝國と
決まったので「条款・憑単は無効アル!」と、言い張ると後継国たる自身の台湾領有主張の法的裏付けも危うくなる
これ↑に至る経緯の大筋として
独「ウチの船が難破して、アンタの国の島に船員が辿り着いたら虐殺された!ちゃんと安全確保しろよ!ミ#´_ゝ`)」
清「確かに我の土地アルが・・・彼等が辿り着いたのは王化の届かぬ化外の地。運が悪かったと諦めるアルネ( `ハ´)」
〜 それから暫く経って 〜
米「ウチの船が難破して、アンタの国の島に船員が辿り着いたら虐殺された!ちゃんと安全確保しろよ!(#´_⊃`)」
清「確かに我の土地アルが・・・彼等が辿り着いたのは王化の届かぬ化外の地。運が悪かったと諦めるアルネ( `ハ´)」
米「ああそうかよ。じゃあ、ここは無主の地と見做すからな。安全確保の為に出兵止む出しだぜ!?(#´_⊃`)」
で、出兵したものの台湾人の頑強な抵抗と疫病の為に撤退。台湾難攻不落杉ワロタw
〜 またそれから暫く経って〜
日「ウチの船が難破して、アンタの国の島に船員が辿り着いたら虐殺された!ちゃんと安全確保しろよ!(#´Д`)」
清「確かに我の土地アルが・・・彼等が辿り着いたのは王化の届かぬ化外の地。運が悪かったと諦めるアルネ( `ハ´)」
日「ああそうかよ。じゃあ、ここは無主の地と見做すからな。安全確保の為に出兵止む出しだぜ!?(#´Д`)」
英米「日本、お前だけに良い格好はさせないぜ・・・」
日「ありがとう。兵員輸送とか手伝ってね」
清「だが、ちょっと待ってほしい。日本に協力するなら貿易でゴニョゴニョ。億単位の市場が惜しくないアルか?」
英「イエッサー!」
日米「糞が」
大久保利通「っていうかおまいらおちけつ!ここは話し合いで平和的かつ論理的に解決汁!出兵とかネトウヨか!酷使様か!」
西郷従道「馬鹿言ってんじゃねぇ!ここで軍隊が動かなきゃいつ動くんだ!出兵だ!皆俺についてこい!( ゚Д゚)」
日本軍将兵「よく言ってくれたぜ大将!俺達大将に地獄まで付いていきますぜ!く(;Д;)」
大「てえめぇええええぇっぇぇぇぇええええぇえ!!!俺が居ない内に勝手に・・・もう、追認するしかないか・・・orz」
西「アモイに出兵の大義名分は伝えといたからな。これで堂々と戦わせてもらうぞ!( ゚Д゚)」)
〜 日台激戦中 〜
西「よし、苦しい戦いだが順調だな。戦争目的を達成しつつあるぞ!( ゚Д゚)」
清役人「あの〜、ここは我が国の領土なので、帰って頂きたいと・・・( ;´ハ`)」
西「万国公法から勉強してこい。話はそれからだ!ゴルァ!(#゚Д゚)」
清役人「ひぃっ!帰ります帰りますすみませんすみませn( ;´ハ`)」
〜 日台更に激戦中 〜
西「あと一息か。これで報復が済み、安全確保はできそうだが、今後の扱いとしては植民地にすべきなのか・・・?( ゚Д゚)」
清役人「あの〜、ここは我が国の領土なので、帰って頂きたいと・・・( ;´ハ`)」
西「また来たか腰抜けが。毛唐なんぞ連れてきおって( ゚Д゚)」
仏「貴殿の行いは国際法において・・・§・_ゝ・)」
西「黙れ!屁理屈並べてんじゃねぇ!俺様がんな事に騙されると思ってんのか!ゴルァ!(#゚Д゚)」
清役人「ひぃっ!帰ります帰りますすみませんすみませn( ;´ハ`)」
仏「チッ・・・§・Д・)」
〜 一方、その頃。清宮廷では 〜
帝「致し方ない、これ以上容認できぬ。我が軍も戦える状態ではないが、出兵せざるを得まい」
〜 日本軍と清軍、台湾某所で遭遇 〜
日「清が出兵したか。だが、こちらにはもう、戦う力はない。向こうも戦える状態じゃない。そろそろ手打ちだな」
清「黙れアル。お前なんぞと話合いなんぞしてやらんアルネ」
日「くっそ、交渉らしい交渉になんないぜ。マリヤ・ルズ号事件で親中と思われている副島種臣まで送ってるのに」
英「御任せください!世界帝国を築いた我が国の仲介で、皆様の活動を完璧サポート!安心のユニオンジャック、信頼の証です!」
日米「てめぇwwwwwwwwww都合の良い時に首ツッコミやがってwwwww」
英「へっへっへwまあ、任せておきなさいって。それはそうと、日本さん良い知恵あげますよ?
条文のここを少し弄れば、サインした瞬間、暗に沖縄の日本帰属を認める事になるんですがねぇ・・・」
日「・・・許すッ!」
英「あざーっすwwwじゃ、この件はこの方向で話を進めるって事でwww」
米「・・・・・#」
・・・という感じだった
まあ、中国の偉い人はこの経緯や条約には知っていて、当然「最悪の判断と決断をした」という評価をしています ♪
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