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明の上奏文に「尖閣は琉球」と明記 中国主張の根拠崩れる(産経)
http://www.asyura2.com/12/china3/msg/199.html
投稿者 木卯正一 日時 2012 年 7 月 18 日 17:37:45: xdAt6v.ugMgqA
 

尖閣諸島(沖縄県石垣市)のひとつ、大正島について、中国・明から1561年に琉球王朝(沖縄)へ派遣された使節、郭汝霖(かく・じょりん)が皇帝に提出した上奏文に「琉球」と明記されていたことが石井望・長崎純心大准教授(漢文学)の調査で分かった。

中国は尖閣諸島を「明代から中国の領土で台湾の付属島嶼(とうしょ)だった」と主張しているが、根拠が大きく崩れることになる。

尖閣の帰属に関しては1895(明治28)年に日本が正式に領有した後の1920(大正9)年、魚釣島に漂着した中国漁民を助けてもらったとして中華民国駐長崎領事が石垣の人々に贈った「感謝状」に「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記されていたことが明らかになっている。
明代にも琉球側と記していた中国史料の存在が明らかになるのは初めて。

上奏文が収められていたのは、郭が書いた文書を集めた『石泉山房文集』。
このうち、帰国後に琉球への航海中の模様を上奏した文のなかで「行きて閏(うるう)五月初三日に至り、琉球の境に渉(わた)る。
界地は赤嶼(せきしょ)(大正島)と名づけらる」と記していた。
現在の中国は大正島を「赤尾嶼(せきびしょ)」と呼んでいる。

石井准教授によると「渉る」は入る、「界地」は境界の意味で、「分析すると、赤嶼そのものが琉球人の命名した境界で、明の皇帝の使節団がそれを正式に認めていたことになる」と指摘している。

石井准教授の調査ではこのほか、1683年に派遣された清の琉球使節、汪楫(おうしゅう)が道中を詠んだ漢詩で「東沙山(とうささん)を過ぐればこれ●山(びんざん)の尽くるところなり」《現在の台湾・馬祖島(ばそとう)を過ぎれば福建省が尽きる》と中国は大陸から約15キロしか離れていない島までとの認識を示していたことも分かった。

その後に勅命編纂(へんさん)された清の地理書『大清一統志(だいしんいっとうし)』も台湾の北東端を「鶏籠城(けいろうじょう)(現在の基隆(きりゅう)市)」と定めていたことがすでに下條正男・拓殖大教授の調べで明らかになっている。

中国は尖閣周辺の石油資源などが明らかになった1970年ごろから領有権を主張し始め、71年12月の外務省声明で「釣魚島などの島嶼(尖閣諸島)は昔から中国の領土。早くも明代にこれらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域の中に含まれており、それは琉球(沖縄)に属するものではなく台湾の付属島嶼だった」と根拠づけていた。

石井准教授は「中国が尖閣を領有していたとする史料がどこにもないことは判明していたが、さらに少なくとも大正島を琉球だと認識した史料もあったことが分かり、中国の主張に歴史的根拠がないことがいっそう明白になった」と指摘している。

●=門の中に虫

写真:中国・明代の『石泉山房文集』。
赤線を引いた一節に赤嶼(大正島)が「琉球の境」と記されている
=「四庫全書存目叢書」(荘厳文化公司)から。
http://sankei.jp.msn.com/politics/photos/120717/plc12071708420009-p1.htm

産経新聞 2012年7月17日 08:38
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120717/plc12071708420009-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120717/plc12071708420009-n2.htm


ちなみに琉球属国論も破綻しています♪


そもそも、
明国は秀吉との戦いで疲弊して滅亡し、
清国は大日本帝国との日清戦争で敗北し滅亡している。
だから明、清の属国だとしてもそれがどうしたって話。

シナ共産党はシナ人以外の人間を殺して食いたいと思ってるんじゃないか?
シナ本土の人間は大概食って喰い秋田・・・・

昔は、ベトナムから食用人間を輸入してたとも聞くし。

輸入はおろか食用用の二脚羊と言って、人間を養殖していたという記録もある。

人間の料理法のレシピも残ってるとか。
例えば、肋骨の一番下に沿ってナイフで切れ目を入れ腹を勢いよく
踏みつけると肝臓が飛び出すとか・・・


ベトナム某人の証言


ベトナム人

何故、中国は南シナ海の80%もの範囲を自分の領土だと主張するのか。
もちろん、中国はこれが不合理で正当性のないものだと十分承知している。
しかし、それが中国の戦略なのだ。彼らは領土を得ようとする時、何も起こっていない地域に、
自ら紛争を引き起こし、他の国に紛争地域の領土を中国のものとして認めるよう強要してくる。
この戦略は過去の歴史においても、何回も繰り返し行われ、そして成功している。

彼らは領土を得ようとする時、何も起こっていない地域に、自ら紛争を引き起こし、他の国に紛争地域の領土を中国のものとして認めるよう強要してくる。

こういうのもあるしな♪


>石井准教授の調査ではこのほか、1683年に派遣された清の琉球使節、
>汪楫(おうしゅう)が道中を詠んだ漢詩で「東沙山(とうささん)を過ぐれば
>これ●山(びんざん)の尽くるところなり」《現在の台湾・馬祖島(ばそとう)を過ぎれば
>福建省が尽きる》と中国は大陸から約15キロしか離れていない島までとの
>認識を示していたことも分かった。

この手の主張をするならチベットも東トルキスタンも満州も含めて

「それは漢民族の固有の領土ではない」

と言うべき。
まぁ、そもそも漢民族っていう物自体が支那が抱いた幻想みたいなもんだけど。

何にせよ中国の主張は、英国が大英帝国最盛期時に属国だった国の領土は
全部俺の領土、って言っているのと同じだから、少なくとも米国はこの主張を認めないだろう
というわけで後ろ盾は得られる ♪


本当は違うんだけど自分たちの利益になるから途中で主張変えたんだよ
毛沢東って言う田舎者の無教養人が♪

(参考)<上海万博>マナー違反の数々は「文革」のせい=当時は「無知」が偉かった―中国紙
2010 年9月2日

文化大革命時代(60年代後半〜70年代後半)の中国では当時の最高権力者、毛沢東の主導により「反知性主義」が幅をきかせ、知識人が敵視されていた。毛は国民に「本を読むとバカになる」と教え込んでいたという。当時の中国では、無知で無教養で汚い言葉を使えば使うほど「偉い」とされ、マナーを守る行為などは恥ずべきことだという価値観が横行していた。

呉氏は当時を振り返ってこう語る。「65年に外務省の翻訳室で幹部が私たちに放った第一声が忘れられない。それは『私は無骨者です!』というものだった。当時はそれが栄誉なことだった」。同氏によると、中国では49年の建国後、知識人を批判する様々な運動が起こり国民の価値観を狂わせた。「小さい頃、両親に『お客様の前で足を組まない、食事は音を立てない、人の話に割り込まない』などと教えられたが、そのような伝統は失われてしまった」と同氏は話す。

やがて中国人が自分たちの行動が先進国の人々と比べ、「お粗末」だと気づくのは、改革開放政策が進み物質的に豊かになってきてから。中国社会でも「マナー違反は恥」という価値観が台頭するようになったことは大きな進歩だ、と同氏は指摘した。(翻訳・編集/NN)

レコードチャイナ 2010-09-03 20:02:51 配信
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=45123
毛沢東の演説。発音がムチャクチャです。
http://www.youtube.com/watch?v=ztYnr2MV3mY&feature=player_embedded


さてさて


開化期の頃、欧米中心の国際社会では台湾と沖縄の帰属が不明瞭と見られていた。しかし、征台の役の講和として結ばれた
「日清両国間互換条款・日清両国間互換憑単」で沖縄の日本帰属が明確化。実はこの条約で、台湾の帰属も大清帝國と
決まったので「条款・憑単は無効アル!」と、言い張ると後継国たる自身の台湾領有主張の法的裏付けも危うくなる

これ↑に至る経緯の大筋として


独「ウチの船が難破して、アンタの国の島に船員が辿り着いたら虐殺された!ちゃんと安全確保しろよ!ミ#´_ゝ`)」
清「確かに我の土地アルが・・・彼等が辿り着いたのは王化の届かぬ化外の地。運が悪かったと諦めるアルネ( `ハ´)」

〜 それから暫く経って 〜

米「ウチの船が難破して、アンタの国の島に船員が辿り着いたら虐殺された!ちゃんと安全確保しろよ!(#´_⊃`)」
清「確かに我の土地アルが・・・彼等が辿り着いたのは王化の届かぬ化外の地。運が悪かったと諦めるアルネ( `ハ´)」
米「ああそうかよ。じゃあ、ここは無主の地と見做すからな。安全確保の為に出兵止む出しだぜ!?(#´_⊃`)」

で、出兵したものの台湾人の頑強な抵抗と疫病の為に撤退。台湾難攻不落杉ワロタw

〜 またそれから暫く経って〜

日「ウチの船が難破して、アンタの国の島に船員が辿り着いたら虐殺された!ちゃんと安全確保しろよ!(#´Д`)」
清「確かに我の土地アルが・・・彼等が辿り着いたのは王化の届かぬ化外の地。運が悪かったと諦めるアルネ( `ハ´)」
日「ああそうかよ。じゃあ、ここは無主の地と見做すからな。安全確保の為に出兵止む出しだぜ!?(#´Д`)」

英米「日本、お前だけに良い格好はさせないぜ・・・」
日「ありがとう。兵員輸送とか手伝ってね」
清「だが、ちょっと待ってほしい。日本に協力するなら貿易でゴニョゴニョ。億単位の市場が惜しくないアルか?」
英「イエッサー!」
日米「糞が」

大久保利通「っていうかおまいらおちけつ!ここは話し合いで平和的かつ論理的に解決汁!出兵とかネトウヨか!酷使様か!」
西郷従道「馬鹿言ってんじゃねぇ!ここで軍隊が動かなきゃいつ動くんだ!出兵だ!皆俺についてこい!( ゚Д゚)」
日本軍将兵「よく言ってくれたぜ大将!俺達大将に地獄まで付いていきますぜ!く(;Д;)」
大「てえめぇええええぇっぇぇぇぇええええぇえ!!!俺が居ない内に勝手に・・・もう、追認するしかないか・・・orz」
西「アモイに出兵の大義名分は伝えといたからな。これで堂々と戦わせてもらうぞ!( ゚Д゚)」)


〜 日台激戦中 〜

西「よし、苦しい戦いだが順調だな。戦争目的を達成しつつあるぞ!( ゚Д゚)」
清役人「あの〜、ここは我が国の領土なので、帰って頂きたいと・・・( ;´ハ`)」
西「万国公法から勉強してこい。話はそれからだ!ゴルァ!(#゚Д゚)」
清役人「ひぃっ!帰ります帰りますすみませんすみませn( ;´ハ`)」

〜 日台更に激戦中 〜

西「あと一息か。これで報復が済み、安全確保はできそうだが、今後の扱いとしては植民地にすべきなのか・・・?( ゚Д゚)」
清役人「あの〜、ここは我が国の領土なので、帰って頂きたいと・・・( ;´ハ`)」
西「また来たか腰抜けが。毛唐なんぞ連れてきおって( ゚Д゚)」
仏「貴殿の行いは国際法において・・・§・_ゝ・)」
西「黙れ!屁理屈並べてんじゃねぇ!俺様がんな事に騙されると思ってんのか!ゴルァ!(#゚Д゚)」
清役人「ひぃっ!帰ります帰りますすみませんすみませn( ;´ハ`)」
仏「チッ・・・§・Д・)」

〜 一方、その頃。清宮廷では 〜

帝「致し方ない、これ以上容認できぬ。我が軍も戦える状態ではないが、出兵せざるを得まい」

〜 日本軍と清軍、台湾某所で遭遇 〜

日「清が出兵したか。だが、こちらにはもう、戦う力はない。向こうも戦える状態じゃない。そろそろ手打ちだな」
清「黙れアル。お前なんぞと話合いなんぞしてやらんアルネ」
日「くっそ、交渉らしい交渉になんないぜ。マリヤ・ルズ号事件で親中と思われている副島種臣まで送ってるのに」
英「御任せください!世界帝国を築いた我が国の仲介で、皆様の活動を完璧サポート!安心のユニオンジャック、信頼の証です!」
日米「てめぇwwwwwwwwww都合の良い時に首ツッコミやがってwwwww」
英「へっへっへwまあ、任せておきなさいって。それはそうと、日本さん良い知恵あげますよ?
  条文のここを少し弄れば、サインした瞬間、暗に沖縄の日本帰属を認める事になるんですがねぇ・・・」
日「・・・許すッ!」
英「あざーっすwwwじゃ、この件はこの方向で話を進めるって事でwww」
米「・・・・・#」

・・・という感じだった

まあ、中国の偉い人はこの経緯や条約には知っていて、当然「最悪の判断と決断をした」という評価をしています ♪


 

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コメント
 
01. 2012年7月18日 22:14:54 : 92LsW6olds
琉球には尚と称する王朝が存在した。
王様の末裔はご存命。
1945年9月2日降伏文書
下名ハ茲ニ合衆國、中華民國及「グレート・ブリテン」國ノ政府ノ首班ガ千九百四十五年七月二十六日「ポツダム」ニ於テ発シ後ニ「ソヴィエト」社会主義共和國聯邦ガ参加シタル宣言ノ條項ヲ日本國天皇、日本國政府及日本帝國大本営ノ命ニ依リ且之ニ代リ受諾ス右四國ハ以下之ヲ連合國卜称ス
 下名ハ茲ニ日本帝國大本営竝ニ何レノ位置ニ在ルヲ問ハズ一切ノ日本國軍隊及日本國ノ支配下ニ在ル一切ノ軍隊ノ連合国ニ対スル無條件降伏ヲ布告ス

 下名ハ茲ニ何レノ位置ニ在ルヲ問ハズ一切ノ日本國軍隊及日本國臣民ニ対シ敵対行爲ヲ直ニ終止スルコト、一切ノ船舶、航空機竝ニ軍用及非軍用財産ヲ保存シ之ガ毀損ヲ防止スルコト及連合國最高司令官又ハ其ノ指示ニ基キ日本國政府ノ諸機関ノ課スベキ一切ノ要求ニ應ズルコトヲ命ズ

 下名ハ茲ニ日本帝國大本営ガ何レノ位置ニ在ルヲ問ハズ一切ノ日本國軍隊及日本國ノ支配下ニ在ル一切ノ軍隊ノ指揮官ニ対シ自身及其ノ支配下ニ在ル一切富岡定俊少将の回想

 下名ハ茲ニ一切ノ官庁 、陸軍及海軍ノ職員ニ対シ連合國最高司令官ガ本降伏実施ノ爲適当ナリト認メテ自ラ發シ又ハ其ノ委任ニ基キ發セシムル一切ノ布告、命令及指示ヲ遵守シ且之ヲ施行スルコトヲ命ジ竝ニ右職員ガ連合國最高司令官ニ依リ又ハ其ノ委任ニ基キ特ニ任務ヲ解カレザル限リ各自ノ地位ニ留リ且引績キ各自ノ非戦闘的任務ヲ行フコトヲ命ズ

 下名ハ茲ニ「ポツダム」宣言ノ條項ヲ誠実ニ履行スルコト竝ニ右宣言ヲ実施スル爲連合國最高司令官又ハ其ノ他特定ノ連合国代表者ガ要求スルコトアルベキ一切ノ命令ヲ發シ且斯ル一切ノ措置ヲ執ルコトヲ天皇、日本國政府及其ノ後継者ノ爲ニ約ス

 下名ハ茲ニ日本帝國政府及日本帝國大本営ニ対シ現ニ日本國ノ支配下ニ在ル一切ノ連合國俘虜及被抑留者ヲ直ニ解放スルコト竝ニ其ノ保護、手当、給養及指示セラレタル場所ヘノ即時輸送ノ爲ノ措置ヲ執ルコトヲ命ズ

 天皇及日本國政府ノ國家統治ノ権限ハ本降伏條項ヲ実施スル爲適当卜認ムル措置ヲ執ル連合國最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス

 千九百四十五年九月二日午前九時四分日本國東京湾上ニ於テ署名ス

 大日本帝國天皇陛下及日本國政府ノ命ニ依リ且其ノ名ニ於テ 
 重光葵
 日本帝國大本営ノ命ニ依リ且其ノ名ニ於テ 
 梅津美治郎


02. 2012年7月18日 22:21:04 : 92LsW6olds
ポツダム宣言

千九百四十五年七月二十六日
米、英、支三国宣言
(千九百四十五年七月二十六日「ポツダム」ニ於テ)
一、吾等合衆国大統領、中華民国政府主席及「グレート・ブリテン」国総理大臣ハ吾等ノ数億ノ国民ヲ代表シ協議ノ上日本国ニ対シ今次ノ戦争ヲ終結スルノ機会ヲ与フルコトニ意見一致セリ

二、合衆国、英帝国及中華民国ノ巨大ナル陸、海、空軍ハ西方ヨリ自国ノ陸軍及空軍ニ依ル数倍ノ増強ヲ受ケ日本国ニ対シ最後的打撃ヲ加フルノ態勢ヲ整ヘタリ右軍事力ハ日本国カ抵抗ヲ終止スルニ至ル迄同国ニ対シ戦争ヲ遂行スルノ一切ノ連合国ノ決意ニ依リ支持セラレ且鼓舞セラレ居ルモノナリ

三、蹶起セル世界ノ自由ナル人民ノ力ニ対スル「ドイツ」国ノ無益且無意義ナル抵抗ノ結果ハ日本国国民ニ対スル先例ヲ極メテ明白ニ示スモノナリ現在日本国ニ対シ集結シツツアル力ハ抵抗スル「ナチス」ニ対シ適用セラレタル場合ニ於テ全「ドイツ」国人民ノ土地、産業及生活様式ヲ必然的ニ荒廃ニ帰セシメタル力ニ比シ測リ知レサル程更ニ強大ナルモノナリ吾等ノ決意ニ支持セラルル吾等ノ軍事力ノ最高度ノ使用ハ日本国軍隊ノ不可避且完全ナル壊滅ヲ意味スヘク又同様必然的ニ日本国本土ノ完全ナル破壊ヲ意味スヘシ

四、無分別ナル打算ニ依リ日本帝国ヲ滅亡ノ淵ニ陥レタル我儘ナル軍国主義的助言者ニ依リ日本国カ引続キ統御セラルヘキカ又ハ理性ノ経路ヲ日本国カ履ムヘキカヲ日本国カ決意スヘキ時期ハ到来セリ

五、吾等ノ条件ハ左ノ如シ
吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルヘシ右ニ代ル条件存在セス吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ス

六、吾等ハ無責任ナル軍国主義カ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序カ生シ得サルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス

七、右ノ如キ新秩序カ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力カ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ルマテハ聯合国ノ指定スヘキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スルタメ占領セラルヘシ

八、「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ

九、日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルヘシ

十、吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ

十一、日本国ハ其ノ経済ヲ支持シ且公正ナル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルカ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルヘシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルカ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラス右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別ス)ヲ許可サルヘシ日本国ハ将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルヘシ

十二、前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ

十三、吾等ハ日本国政府カ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス
(出典:外務省編『日本外交年表並主要文書』下巻 1966年刊)


03. 2012年7月18日 22:24:06 : 92LsW6olds
カイロ宣言


「ローズヴェルト」大統領、蒋介石大元帥及「チャーチル」総理大臣ハ、各自ノ軍事及外交顧問ト共ニ北「アフリカ」ニ於テ会議ヲ終了シ左ノ一般的声明ヲ発セラレタリ

各軍事使節ハ日本国ニ対スル将来ノ軍事行動ヲ協定セリ
三大同盟国ハ海路陸路及空路ニ依リ其ノ野蛮ナル敵国ニ対シ仮借ナキ弾圧ヲ加フルノ決意ヲ表明セリ右弾圧ハ既ニ増大シツツアリ
三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ戦争ヲ為シツツアルモノナリ右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス
右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ
日本国ハ又暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ

前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス
右ノ目的ヲ以テ右三同盟国ハ同盟諸国中日本国ト交戦中ナル諸国ト協調シ日本国ノ無条件降伏ヲ齎スニ必要ナル重大且長期ノ行動ヲ続行スヘシ」


04. 2012年7月18日 22:27:00 : 92LsW6olds
尖閣諸島領有権、周恩来や高官ら多数が「棚上げ」主張
2011.12.23 00:02 [尖閣諸島問題]
 日本固有の領土である沖縄・尖閣諸島の領有権をめぐっては、中国が昭和47年9月の日中国交正常化直後から問題の「棚上げ」を持ちかけていた実態が、改めて浮き彫りになった。

 外務省の当時の極秘文書によると、国交正常化後の48年4月、中国の董必武国家副主席は小川平四郎駐中国大使に対し、「(尖閣諸島の)魚釣島問題については今後、道理をもって話し合えばよい」と主張した。

 尖閣諸島は、周辺で石油埋蔵が指摘された40年代中ごろから中国や台湾が領有権を主張し始めた。国交正常化で合意した47年9月27日の田中角栄首相と周恩来首相の会談では、田中氏が「尖閣問題についてどう思うか」と尋ねたのに対し、周氏が「今回は話したくない。今これを話すのはよくない」と先送りを求めたことが明らかになっている。

 一方、外務省が46年7月にまとめた極秘資料には、尖閣問題に関し「中共(中国共産党)をして日華(日本と台湾)の友好関係にくさびを打ち込む絶好の口実を与えることになる。双方は重大問題としないよう極力配慮する必要がある」との記述があり、日本政府も問題の棚上げを望んでいた様子がうかがえる。


05. 2012年7月19日 19:54:57 : TZvzCKkiiE
今こそハッキリとさせよう!
重要問題を棚上げ、先送り、曖昧、あやふやにして来た政府には任せられない。
東京都に任せましょう!
今日も「急増する中国人移民に各国が警戒感」という記事が出ていました。
表面上はあくまでも穏やかに、土地や資本を買い漁り、人間を送り込むやり方は彼らの伝統です!

07. 恵也 2012年9月01日 12:51:08 : cdRlA.6W79UEw : nzZqdtAwYc
>> 分析すると、赤嶼そのものが琉球人の命名した境界で、

どんな分析をしたのか意味がわからん。
400年以上むかしの島の名前が、どうやって「琉球人の命名」とわかるのか???
琉球人の誰がいつころ命名したのかさえまったく判らん。
なんかこの人は言葉のマジックを使ってる方のようだ。

>> 石井准教授によると「渉る」は入る、

渉るとは海を渡航するという意味でしょう。
「行きて閏(うるう)五月初三日に至り、琉球の境に渉(わた)る。 界地は赤嶼
(せきしょ)(大正島)と名づけらる」とは

「5月3日になって琉球の境界まで渡航したが、この境界の島は赤嶼という」
という意味で、赤嶼は手前の魚釣島などを含めて中国領という内容でしょう。
井上清氏の漢文理解能力の方が上のようだ。

だいたい尖閣とは、日清戦争の真っ最中に日本がカッパラッタ島なんだよ。
竹島は日露戦争の真っ最中に日本が韓国からカッパラッタ島。
北方領土は第二次大戦でソ連が日本からカッパラッタ島。

戦争に勝ったから世界に認められたが、敗戦したのだから戻すのが当たり前。
勝てば官軍、負ければ賊軍でなぜ返さないのだろうね。

ーーーー引用開始ーーーー
「閏五月初一日、釣嶼ヲ過グ。初三日赤嶼ニ至ル。赤嶼ハ琉球地方ヲ界スル
 山ナリ。再一日ノ風アラバ、即チ姑米(くめ)山(久米島)ヲ望ムベシ」
http://www.mahoroba.ne.jp/~tatsumi/dinoue0.html

>> だから明、清の属国だとしてもそれがどうしたって話。

日本はカイロ宣言とポツダム宣言を受託して無条件降伏をしましたが、カイロ宣言で
「清から取った領土は中華民国に返す」という条項があります。
日清戦争のドサクサに内緒で尖閣を沖縄県に入れて、台湾は公式に日本領土にした。

内緒で日本領土に入れたのと、公式に日本領土にしたのがあったために中国当局が
25年間も気が付かなかったもの。
だからカイロ宣言に従って、中華民国に返すのが常識ではある。

カイロ宣言では台湾など清から日本が取った領土の返還を要求され
日本が敗戦を受け入れる条件とされ、日本は受け入れてしまった。
約束を守るのは貿易立国として最低限の商道徳だ。

商道徳を守りたくないからといって、受け入れたはずのカイロ宣言、ポツダム
宣言の有効性に疑問があるというのは言語道断!

商人が支払うと約束した手形を、お金を持ってるのにイチャモンをつけその
手形は渡した相手が、会社の下っ端の社員で社長じゃないから無効だとか
俺の印鑑じゃないとかいってお金を払わない悪徳商人だよ。

尖閣問題で中国人の50%以上が日本製品の不買運動をやりたいといってる
世論調査を昨日見ましたが、俺が中国人だったら参加するでしょう。
約束を守れないような商人には、儲かって欲しくないのが消費者の常識。


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