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G2 » Vol.9 » 「密約」中華民国総統蒋介石と日本陸軍大将岡村寧次 » 第3回 » 1
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第3回
日本から蒋介石を激励
これまで、白団について日本や中国で書かれてきた書物や記事のベースとなってきたのは、戦前戦後を通じて岡村の側近として動いてきた元陸軍中佐の小笠原清が1971年8月号の「文藝春秋」に発表した「蒋介石をすくった日本将校団」の一文である。
ここで、小笠原は白団発足の経緯について、1949年7月ごろ、岡村のもとに東京駐在の中国代表部を通じて国民政府からの書簡が届けられ、そこに「日本の旧軍人の同志のご協力をえたい」という依頼があったことが白団派遣の発端だった、と書いている。
しかし、「蒋中正総統文書」の岡村の手紙によれば、それよりも早い段階で、しかも岡村の方から「駐日代表団各位に協力」を申し出たことになる。
中国における岡村の世話役だった曹士澂は、中華民国駐日代表部の武官として岡村の帰国後まもなく日本に派遣されていた。「岡村人事」とみて間違いないだろう。
曹士澂は岡村と密議を重ね、7月25日に重要な公電を蒋介石に打った。タイトルは「日本軍官を利用する指示に基づく計画綱領案」。
後に白団を生み出すことになった重要文書である。
「一.綱領」にはこう書かれている。
「中国陸軍の改善及び東亜反共連合軍のため、優秀な日本軍官を中国に招き、教育や訓練、制度設計に協力させ、必要に応じて反共作戦に参加させる」
具体的には、第一陣として25名の旧日本軍人を派遣し、各人に日本円で8万円の一時金及び毎月5万円の給与を与えることを明記。旧日本軍人は各自の階級によって中国の軍人と同等の待遇、衣服や食糧の支給を受けることができるとしている。
小笠原清の「蒋介石をすくった日本将校団」には、岡村たちが「糸をたぐるように同志の獲得を始めた」とあるが、この曹士澂の公電には派遣将校のリストまで付けられている。「糸をたぐる」どころか、両者による組織的なリクルーティングが行われた可能性が高い。
この計画綱領案に対し、蒋介石はゴーサインを出した。「蒋中正総統文書」の中には、蒋介石の直筆で赤字の「批」(裁可の意味)が書かれた文書が残っていた。
当時の中国情勢は風雲急を告げていた。1947年に本格化した共産党との内戦は次第に戦況が国民党不利に傾き、東北地方を失い、北京を奪われ、何度かの重要な会戦でもことごとく敗北を喫した。日中戦争のときと同様、中国大陸の西のどん詰まりである四川省まで追いつめられていた。
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