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河村市長大虐殺なし発言に中国反発…次なる宣伝工作に失笑(ZAKZAK)30万人が嘘と知られ必死 文革の死者数で遊んでろ笑
http://www.asyura2.com/12/china3/msg/118.html
投稿者 木卯正一 日時 2012 年 2 月 28 日 02:05:10: xdAt6v.ugMgqA
 

(回答先: 南京事件否定発言 撤回求め抗議文(毎日)というシナ人ならびに南京ゴネしている国際特亜ヤクザ共の戯言について 投稿者 木卯正一 日時 2012 年 2 月 28 日 00:30:38)

名古屋市の河村たかし市長(63)が、いわゆる「南京大虐殺」を否定する発言をしたことが取り沙汰されている。

中国国内では批判が噴出して、報復措置を呼びかける声が高まる一方、東京都の石原慎太郎知事(79)は「河村君の言うことが正しい」と擁護した。

こうしたなか、中国では「日本軍は沖縄で、琉球人民を26万人殺した」という、事実無根の報道がされていた。

河村氏が20日、名古屋市役所を表敬訪問した中国・南京市政府の代表団に語った真意は「戦闘行為があって多くの方は亡くなったが、(中国が被害者30万人とする)いわゆる虐殺はなかった」というもの。

石原氏も24日の記者会見で、南京陥落の数日後に現地に入った評論家らによる「死体はあったが、山と積むような死体は見たことがなかった」という証言を披露し、「大虐殺は違うと思う。(旧日本軍の)装備、期間で30万人を物理的に絶対殺せっこない」と語った。

最近の研究で、「南京大虐殺」は当時の中国国民党のプロパガンダ(宣伝工作)だったという研究結果も広まっているが、中国国内では次なるプロパガンダともいえる「日本軍琉球人民大虐殺」が報道されていた。

中国商務省日本問題専門家の唐淳風氏は、人民日報傘下の「環球時報」(2010年11月10日)で、「1945年の終戦間際に日本軍は現地軍に沖縄県民の皆殺しを命じ、米軍占領の直前に26万人を殺し、虐殺の規模は南京大虐殺に次ぐものとなった」と発言し、しかも「今沖繩では琉球独立運動が激化し、中国はそれを支援するべき」と結論づけているのだ。

沖縄県擁護課が76年に発表したデータ(沖縄県平和祈念資料館HPより)によると、沖縄戦の犠牲者は日本人18万8136人で、うち沖縄県出身者は12万2228人(一般人9万4000人、軍人・軍属2万8228人)とある。

一体、26万人という数字はどこから出てきたのか。私(仲村)は沖縄県で生まれ育ち、沖縄戦を経験した方が周囲に何人も存命しているが、「日本軍が沖縄県民26万人大虐殺」などを信じる人は1人もいない。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20120227/plt1202271231001-n1.htm

文化革命の死者数って

たしか

3000万〜4000万だっけ?
普通の国がいつくか無くなってるな

中国4000年の堪えられない命の軽さ 笑♪


意味不明の反撃


中共馬鹿じゃねえの

日本国内のクサヨクはこれに乗るの??笑


中国人なのに


日本国内に居座る社民党や民主党の一部と同じ主張

そんなコトどうでもイイから『鉄壁の証拠』早く見せてくれよ


てか


沖縄で26万も殺したら人居なくなるんじゃねーの?

そんでもって


現在進行してる支那の大虐殺は無視か? ♪

1949年 東トルキスタン侵略、占領(ウイグル大虐殺)、民族浄化継続中
1950年 大躍進、文化大革命3000万人大虐殺開始
1950年 朝鮮戦争参戦
1951年 チベット侵略、占領(チベット大虐殺)、民族浄化継続中
1959年 インド侵略(中印戦争)アクサイチン地方を占領
1969年 珍宝島領有権問題でソ連と武力衝突
1973年 中国軍艦が佐渡島に接近、ミサイル試射
1974年 ベトナム、パラセル諸島(西沙諸島)を軍事侵略、占領
1976年 カンボジア、クメール・ルージュによる大虐殺を強力支援
1979年 ベトナム侵略(中越戦争)、中国が懲罰戦争と表明
1988年 スプラトリー諸島(南沙諸島)を軍事侵略、占領
1989年 天安門事件
1992年 南沙諸島と西沙諸島の全てが中国領土と宣言
1995年 フィリピンのミスチーフ環礁を軍事侵略、占領
1996年 台湾総統選挙恫喝、台湾沖にミサイル攻撃
1997年 フィリピンのスカーボロ環礁の領有を宣言
1997年 日本の尖閣諸島の領有を宣言
2003年 スーダンのダルフール大虐殺を強力支援
2005年 日本EEZ内のガス資源を盗掘

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6
沖縄戦の日本側死亡者:18万8136人
A:県外出身日本兵戦死者 6万5908人
B:沖縄県出身軍人・軍属(現地召集を受けた正規兵のほか、防衛隊・鉄血勤皇隊など) 2万8228人
C:戦闘参加者(援護法で日本軍に協力して死んだと認定された人数[21]) 5万5246人
D:一般住民(推定、県の避難勧告を拒否したものが多数[22])3万8754人

なわけで民間人犠牲者はC+D=9万4000人


沖縄県人口推移

昭和10年(1935年) 592,494
昭和15年(1940年) 574,579人
昭和20年(1945年) 526,525人(国勢調査なし、推計による)
昭和25年(1950年) 698,827人


普天間爆音訴訟団の石川元平副団長は「沖縄差別と犠牲の構図だ」とぶちまける。
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-09-22_10441/

ちなみに

沖縄が日本に戻ってきたのは日本から運動始めたのではなく、沖縄からの運動だ
選挙で独立派と日本復帰派が戦い、日本復帰派が圧勝
独立派は今まで1%未満しか得票取ったことないよ

シナ主張に賛同している日本国内の奴ら、普段はこんな活動してます。↓

 元沖縄県教職員組合委員長の石川元平氏は、キムジョンウン最高司令官の生誕祝賀の
集まりに参加できてうれしい、1970年代に初めて訪朝したときに地上の楽園を見た思いがした、
日朝友好運動をおしすすめアメリカを追い出しましょうと力強くあいさつしました。

 チュチェ思想研究会全国連絡会の主催で沖縄県立博物館・美術館において開かれた
「チュチェ思想と世界の自主化に関するセミナー
http://dprkj.v.wol.ne.jp/120115.htm

参加者
・仲里修   全駐労マリン支部元委員長
・佐久川政一   沖縄大学名誉教授
・・高良有政   沖縄大学名誉教授
・狩俣信子   社会民主党沖縄県連合会副委員長
・島袋宗康   沖縄社会大衆党顧問
・石川元平  元沖縄県教職員組合委員長
・山内徳信   参議院議員から祝辞のメッセージ

===主体思想、チュチェ思想とは===
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)及び朝鮮労働党の公式政治思想。


つまり、シナ主張ってこういうこと ?

( #`ハ´) 「日本は、沖縄の人間を26万人殺したアル」
( *`ハ´) 「だから、将来中国人が沖縄の人間を20万人殺して、中国領土にしても問題ないアル」


2010年( `ハ´)<日本軍は琉球人民を26万人殺したアル!
          ↓
2020年( `ハ´)<日本軍は琉球人民を260万人殺したアル!
          ↓
2030年( `ハ´)<日本軍は琉球人民を2600万人殺したアル!
          ↓
          ↓

今度は何よ? 笑

 

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コメント
 
01. 2012年2月28日 12:10:26 : u37RSoHWtA
 この木卯正一氏の投稿を賞賛するね: 30万人とか40万人とか南京で虐殺なんていう中国の宣伝自体が,彼らの悪辣な嘘であることの動かぬ証拠である.なぜなら,広島の原爆投下やドレスデン爆撃での死者が14万人とか15万人とか云われているが,その倍の虐殺をどういう手段で用いたらできるというのか? また,その死者の始末をどうやって日本軍が行ったというのか?
 私は,河村市長を断固支持する.

 中国に尋ねたい:
(1) 30万人とか40万人とかいう数字の動かぬ証拠を見せてみろ.
(2) 尖閣が中国の領土だという動かぬ証拠を見せてみろ.
(3) チベットやウイグルで中国は100万人の民族浄化をやっていると云われたら反論できるのかね?


02. 2012年2月28日 15:39:54 : WOUFyLuQDU
中国同胞を虐殺したのは、朝鮮人と中国人。むしろ中国人は邦人数十万人を虐殺したのが本当の歴史であるという。

03. 2012年2月29日 09:58:32 : A8UwGNW9tA
2012年2月29日
下記のニュースを添付します。
 中国西部の新疆ウイグル自治区で28日夜、武器を持ったグループが住民を襲い、10人を超す死者が出た。中国国営の新華社通信によると、新疆ウイグル自治区のカシュガル地区のカルギリク県で、日本時間の28日午後7時ごろ、武装したグループが住民を切りつけ、十数人が死亡し、グループのメンバー2人が警察にその場で射殺されたという。武装グループや死亡した人の民族、さらに犯行の動機などは明らかになっていない。
 新疆ウイグル自治区は、イスラム教を信仰するウイグル族が多く住んでいるが、自治区の政治や経済で主導権を握る漢族との間の経済格差や中国政府の宗教政策などを巡って不満が根強いのが現状。
 3年前には、中心都市のウルムチでウイグル族による抗議デモが大規模な暴動となり、地元政府の発表で、およそ200人が死亡したのに続いて、去年夏にはカシュガルの町の中心部で刃物を持った男らが通行人や警察官を切りつけるなどして、50人以上が死傷する事件も起きている。

 これが中国人→低級な「漢族」の実態だ。こんな人殺しを屁とも思わない中国人とは、まともに付き合えない。コキントウは、チベット弾圧で権力の階段を登った。次期国家主席・習近平は・・・?


04. 2012年2月29日 10:10:50 : A8UwGNW9tA
 01さんの通り!

 毎月、上海にビジネスで行く友人が、「中国人とのビジネス契約を成立させるには、とにかく飲ませて女を世話しなければならない。北京からマカオまで相手を連れて行く時もある。」と言っている。
 話しを聞けば聞くほど、中国人は「したたか」である。
朝日新聞が何故、「南京事件」を捏造したのか?


05. 2012年2月29日 14:43:34 : FZgGiDbYMh
おおお。。。。また出た。いんちきな虐殺否定論。。。もう、恥ずかしいと思いませんか?
虐殺があったかどうかの議論は1985年に偕行の加登川幸太郎が公式的に謝ったことで終わったでしょう。

ほら:

「旧日本軍の縁につながる者として、中国人民に深く詫びるしかない。まことに相すまぬ、むごいことであった。」

(「証言による南京戦史」(最終回) <その総括的考察> = 「偕行」1985年3月号 P17〜P18) 

それ以来は人数の問題です。ですから、東中野等の言ってるのは真実じゃない(彼等に歪曲されたから)ことは彼等が自分自身も分かってるはずです。ですから、何がでっちあげですか?目を覚ませ!

南京大虐殺’この言葉のもつ歴史的な意味をどれだけの日本人が知っているかわかりませんが、あきらかに闇に葬られようとしていることは事実です。

一昔前の世代ならまだしも今の子供たちは戦争の実像を知るすべもありません。日本は第二次世界大戦により、広島、長崎への原爆投下をもって敗戦国となり、我々国民のほとんどが、被害者意識が強いのも事実です。

しかし、アジア地域において日本人がしてきたことの内容等をじっくり認識すると、今日本が経済大国として世界に君臨しているのが本当に不思議でなりません。この背景にある30万という数字は日本軍に無差別に被害を受けた南京市民の犠牲者数です。

私はここを訪れ日本人としてだけではなく、人間として大変驚かされました。確かに日本軍のやり方はきたないとか、冷血であるとか話に聞いたことはありますが、そのことが、当時の日本の新聞や写真などで鮮明に報じられており、アジアにおける日本の位置付けというか責任を再認識しました。言葉では表現できない内容が次から次に目に入っていき、この南京大虐殺遭難同胞記念館を出るときは身に震えを感じたほどでした。館内には中国語のほか、日本語、英語による解説があります。

しかしながら、最後のパネルで日本を責めるのではなく、日中が未来に向かって手を取り合っていくために、過去は過去として認識しつつも、お互いに今後の方向性を協調して考えていくべきとの説明があり、中国という国の偉大さを新たに再認識しました。

皆さん、中国そして、この南京を訪れる機会がありましたら、必ず南京大虐殺遭難同胞記念館へ来ましょう。日本人なら足を運ぶべきです。


06. 2012年2月29日 15:42:13 : AcXjVpcBFk
>05
>いんちきな虐殺否定論

あんたがインチキでしょう!


07. 2012年3月01日 14:11:59 : esmsVHFkrM

>>06

私はあなたがインチキだと思いますよ。南京虐殺否定論がいかにインチキであるか事実を見てもらいましょう。

以下は、南京虐殺に慌ててその対応に忙殺される日本政府および陸軍中央の姿だ。すべて一次資料によって証明されている。

では、事実を見ていこう。

南京虐殺については、発生直後から報告され、政府、軍部の上層部はそれを認識していた。具体的には発生と同時に南京の日本領事館から外務省に報告が送られ、それらは陸軍省、海軍省へ送付されている。

当時外務省東亜局長であった石射猪太郎は、戦後1947年東京裁判において、弁護側証人(弁護側である)として以下の証言をしている。

「(1937 年)12月13日頃、わが軍が南京に入場する、そのあとをおってわが南京総領事代理(福井敦氏)も上海から南京に復帰した。同総領事代理から本省への最初 の現地報告はわが軍のアトロシテーズ(残虐行為)に関するものであった。この電信報告は遅滞なく東亜局から陸軍省軍務局長宛に送付された。当時、外務大臣 はこの報告に驚きかつ心配して、私に対し早く何とかせねばならぬとお話があったので、私は電信写はすでに陸軍省に送付されていること、陸海外三省事務当局 連絡会議の席上、私から軍当局に警告すべきことを大臣にお答えした。
その直後、連絡会議が私の事務室で行われ(中略)、その席上、私は陸軍軍務局 第一課長にたいし右アトロシテーズ問題を提起し、いやしくも聖戦と称し皇軍と称する戦争においてこれは余りにもヒドイ、早速厳重処置することを切実に申し 入れた。同課長もまったく同感で、右申し入れを受け入れた。
その後いくばくもなくして在南京総領事代理から書面報告が本省へ到着した。それは南京 在住の第三国人で組織された国際安全委員会が作成した我軍アトロシテーズの詳報であって、英文でタイプされてあり、それをわが南京総領事館で受付け、本省 に輸送してきたものである。私は逐一これに目を通し、その概要を直ちに大臣に報告した。そして大臣の意を受けて、私は次の連絡会議の席上、陸軍軍務局第一 課長にその報告を提示し、重ねて厳重措置方要望したが、軍はもはやすでに現地軍に云ってやったとの話であった」。(桐富雄『日中戦争 南京大虐殺事件資料 集 第1巻』青木書店 1985年)

このうち、「軍はもはやすでに現地軍に云ってやった」ことの中には、参謀総長閑院宮載仁親王から中支那方面軍に1938年1月4日付けで下達された訓示を、中支那方面軍参謀長塚田攻少将から各部隊に向けて下達した「軍紀風紀に関する通牒」があり、それは以下の通りである。

「軍紀風紀において忌まわしき事態の発生近時ようやく繁を見、これを信ぜざらんと欲するもなお疑わざるべからざるものあり、惟うに一人の失態は全隊の真価を左 右し一隊の過誤もついに全軍の聖業を傷つくるに至らん。(中略)軍紀を厳正にし戦友相戒めてよく越軌粗暴を防ぎ、各人みずから矯めて全軍放縦を戒むべ し」。(『続・現代史資料(6)軍事警察』)

さらに、当時陸軍軍事課長であった田中新一大佐は、詳細な『支那事変記録』を記していて、その 中で、1938年1月12日の陸軍省局長会報において、中国戦線から帰国した陸軍省人事局長阿南惟幾少将(鈴木終戦内閣の陸相、敗戦時自決)が中支那方面 軍の軍紀について次のように報告したと述べている。

「軍紀風紀の現状は皇軍の一大汚点なり。強姦、略奪たえず、現に厳重に取り締まりに努力しあるも部下の掌握不十分、未教育補充兵等に問題なお絶えず」。(『支那事変記録 其の四』防衛研究所図書館蔵)

また、当時陸軍省兵務局防諜班長であった宇都宮直賢少佐はその回想録において、陸軍中央の南京虐殺対応について以下の通り記している。

「南京の暴行残虐事件についても私は帰京後に聞いた。(中略)私は参謀本部の本間(雅晴)第二部長、渡(左近)支那課長、米(アメリカ)班の西(義章)班長以下に会ってこれらの事件の対策について諮問におよばずながら応えいろいろ進言した。
米班長で大本営参謀の西中佐(31期陸大同期)が実地調査のため直ちに南京へ急行することとなり、広田大佐と協同して事件の究明と解決に努力した。次いで杉山陸相の要請で、本間第二部長も急遽南京に向かい事情調査を実施することとなった。
南京の暴行虐殺事件のニュースについては、日本側はこれを発表することを禁止したが、全世界に知れわたって轟々たる非難の的となったことはまことに遺憾千万だった」。(『黄河・揚子江・珠江 − 中国勤務の思い出』 非売品 1980年)

ここにある本間雅晴参謀本部第二部長の現地調査結果を受けて、陸軍中央は松井石根中支那方面軍司令官の不作為による南京虐殺発生を確認、松井を処分する方針 となったが、それはあくまでも内部処分の形(直接その責任を問わない)をとり、1938年2月14日松井を中支那方面軍司令官から解任して日本に召還した。

このようなことなかれ主義的処分には陸軍中央内部にも不満が残り、田中隆吉は1939年に1月に兵務局兵務課長となって以後、南京虐殺 に関する憲兵隊の調査報告書の提供も受けて、松井石根ら中支那方面軍幹部を軍法会議にかけて裁くように提案したが、参謀総長らに拒否されたという。(『東京裁判資料 田中隆吉尋問調書』大月書店 1994年)

一方松井も、南京虐殺が国際的な非難をあびて自分の更迭につながるであろうことは認 識していたと見えて、1938年2月7日に行われた慰霊祭(1973年12月18日の第一回とは別の2回目)で全部隊長を集めて行った訓示においてみずか らの悲憤の心中を吐露している。それを目撃した上海派遣軍参謀課長飯沼守少将はその日記に以下の通り松井の言葉を記している。

「南京入場の 時は誇らしき気持ちにて、その翌日の慰霊祭(1973年12月18日の第一回)またその気分なりしも、本日は悲しみの気持ちのみなり。それはこの50日間 に幾多の忌まわしき事件を起こし、戦没将士の樹てたる功を半減するにいたりたればなり、何をもってこの英霊に見えんや」。(「飯沼守日記」『南京戦史資料 集』偕行社 1989年)

さらに、この南京虐殺は南京に総司令部を置いた中支那派遣軍歴代幹部の間では一大不祥事として語り伝えられていたようで、昭和天皇の末弟である三笠宮崇仁はその自叙伝において次のように述べている。

「1943年1月、私は支那派遣軍参謀に補せられ、南京の総司令部に赴任しました。そして1年間在勤しました。その間に私は日本軍の残虐行為を知らされました」。(『古代オリエント史と私』学生社 1984年)

以上、南京虐殺発生直後から政府、陸軍中央には報告が行われ、その存在は認識され、その抑制が指示され、将官を派遣した現地調査が行われ、それに基づいて松 井石根中支那方面軍司令官の更迭が行われ、松井自身はそれを悔い、南京虐殺自体はその後の中支那派遣軍幹部の間で語り継がれたことが事実として確認される。

当時の日本政府および陸軍中央が「ある」ものとして調査、認識、対処、処分を行っていたものを、今になって「なかった」と強弁するの は、いったいいかなる精神によるものであろうか。歴史的事実を正しく客観的に認識できない知的障害があるのか。自己の主張に都合の悪い事実は知らない、無 視する、という道義的退廃があるのか。

右翼保守のデマ本を読んで南京虐殺はなかったと信じ込まされてきたネトウヨは今からでも遅くはない。 右翼保守のデマゴークが都合が悪くてその本に決して書かない事実を知ってほしい。世界はそれを知っているから、一部日本人の「南京虐殺はなかった」との主 張に対して冷笑と軽蔑を返しているのだ。

ここまで書いて、どうせ「そのような不祥事が一部にあったとしても、その犠牲者数はわずかで虐殺と呼ぶには値しない」との右翼保守デマゴークの受け売りが出てくるだろうから、あらかじめ、述べておけば、

南京虐殺はなかったとの主張を行うものの内唯一歴史学者と呼べる秦郁彦でさえ、その主著『南京事件 − 虐殺の構造』(中公新書 1986年)において、南 京虐殺の犠牲者数を3万8千から4万2千人と推計し、これは「あくまで中間的な数字に過ぎない」、「新資料の出現で動くこともある」としている。

秦の計算は、戦意を完全に失って逃げ回っている「敗残兵」や「投降兵」の殺害を「戦闘の延長として見られる要素もある」として虐殺とみなさないこと、また生 存と逃走のため軍服を脱ぎ捨てて民間人の服装をした「敗残兵」がいるはずで、これらは「便衣兵」とみなせるとして、そのような「敗残兵」およびそのような 「便衣兵」の容疑をかけられて殺された民間人をすべて虐殺から除くなどの操作を行って算出した数字で、とても妥当な計算であるとは言えないことは明らかだ。

しかし、その秦をしても3万8千から4万2千人という不法殺害の犠牲者数を認めている。これだけでも立派な「南京大虐殺」だ。

以上、長々と述べたが、これを読む人には「南京大虐殺などない」という主張がどれほど荒唐無稽なものであるか事実に基づいてよくお分かりいただけるものと思う。

誇りあるまともな日本人は「南京大虐殺などなかった」などという戦前の亡霊の復活を許してはならない。ほとぼりが冷めたからなかったことにしようなどと いう卑怯で女々しいまねを許してはならない。さもなければ、日本人は世界の笑いもので、特にアジアにおいて軽蔑され大事な友人たちを失ってしまう。

南京虐殺はあった。それは確かにあった。


08. S.T 2012年3月01日 22:06:49 : TNEHs1z1b5edM : Llr7TjYCW2
何だかなぁ…

虐殺って、戦争って行為そのものが虐殺でしょ。
お互いを殺し合って虐殺があっただのなかっただのって、単に
命をもて遊んだだけだろ?

気に入らない国家や国民を抹殺してそれで満足?
例え気に入らない相手も人生や家庭、大事に想っている人達がいる。

そんな人間同士がどうして憎み合うようになったんだろうね?

まさしく「政治」による洗脳だろ?
憎むベき行為は洗脳による殺戮行為を正当化する事。
日本も中国もロシアもアメリカもドイツも朝鮮も世界中で殺し合ったのは事実。

戦争を回避する為には「ワンワールド」として誰かが世界を牛耳ればそれで
全てが本当に平和になるのか?
格差や差別を無くせば本当に人類は平和に暮らす事ができるのだろうか?
一体誰が軍事的緊張を演出し、責め立てるのか?

どうして今でも政界中で軍事増強を行なうのか?
疑心暗鬼に陥り、敵を作る事で自分を正当化しようとしているんじゃないのか?

河村市長の発言、確かに中国側が主張する死者数とは矛盾しているし遺骨も
出て来ない。
しかしながら戦争ってお互いに生き残る為に殺し合う。
見境なく殺し合うには「憎しみ合う心」が必要。

どうすれば憎しみ合うように出来るのか。
もはや虐殺があっただのなかっただの、過去の事はもう「終わった事」。
これからどうすれば「虐殺行為は無くなるのか」、
どうすれば「虐殺と言う戦争を無くす事」が出来るのか。

虐殺の一歩先に進まねば、人類がいる限り生物の虐殺は起こり続ける可能性が強い。

思想の進化を遂げなければ、人類の未来は無いかも知れない。
日本も中国もアメリカもイスラエルもイランも北朝鮮も。

思考が変わらなければ「敵」を作り出し、いつまでも敵を利用する事で堂々と
相手を「憎しみの対象」としての負の連鎖を作り出す。

例え民主主義だろうが独裁世間だろうが、思想が変わらなければ虐殺は
無くならないでしょう。

国連の常任理事国制度なんてもう負の連鎖の固まりだ。
軍事力の強い国家が地球の殺戮権を握っているという事ですね。
でも正しい思想で虐殺・戦争が防ぐ事が出来るのなら、いくら軍事力が
素晴らしくても扱う人間側が殺戮を防ぐ事はできる。

もういい加減に、過去にとらわれずどうすれば殺戮行為がなくなるのか?
もっと世界中で真面目に考える時でしょうね。
河村市長の発言を契機に、世界で見直す運動をアジアから初める事が何とか
出来ないものだろうか。


09. 2012年3月01日 23:06:54 : EmVG69u4Cw
国共内戦で数百万
大躍進政策で数千万
文化大革命で数百万
南京の30万の大方はこの中に含まれている数字だろうね。

10. 2012年3月02日 09:37:25 : FZgGiDbYMh
三笠宮崇仁親王(昭和天皇の末弟、寛仁親王殿下の父親)
-南京虐殺事件についてのご意見-

最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。
辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを受けたのは、
ある青年将校から「新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる」
という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体何だったのかという懐疑に駆られました。
また、南京の総司令部では、満州にいた日本の部隊の実写映画を見ました。それには、広い野原に中国人の捕虜が、
たぶん杭にくくりつけられており、また、そこに毒ガスが放射されたり、毒ガス弾が発射されたりしていました。ほんとうに目を覆いたくなる場面でした。
これこそ虐殺以外の何ものでもないでしょう。  しかし、日本軍が昔からこんなだったのではありません。北京駐屯の岡村寧次大将
(陸士十六期・東京出身)などは、その前から軍紀、軍律の乱れを心配され、四悪(強姦、略奪、放火、殺人)厳禁ということを言われていました。
私も北京に行って、直接聞いたことがあります。 日清、日露戦争の際には、小隊長まで「国際法」の冊子をポケットに入れていたと聞きました。
戦後ロシア人の捕虜が日本内地に収容されていましたし、第一次世界大戦の時にはドイツ人の捕虜がたくさん来ていました。
彼らは国際法に基づいて保護されていましたから、皆親日になったのです。彼らの中には、解放後も日本に残って商売を始めた人達さえいました。
神戸には今でも流行っているパン屋さんやお菓子屋さんがありますね。
(三笠宮崇仁インタビュー「闇に葬られた皇室の軍部批判」『THIS IS 読売』1994年8月号 聞き手 中野邦観・読売新聞調査研究本部主任研究員)


11. 2012年3月03日 00:36:58 : LpqmzlRlN6
人数関係無いなら一人二人だとかで主張しとけよ

そもそも、証拠はコレだってのが捏造ばかりだから
存在すら疑われるんだよ


12. 2012年3月03日 16:06:20 : BnPQDnro5g
@'08/4/6(日)NNN ドキュメント「南京事件特集」(4CH 0h55〜1h50 放映)

http://www.ntv.co.jp/document/back/200804.html

http://www.veoh.com/videos/v6608353j9h3gFdf

'37/12/16〜18に亘り、当時南京に駐屯していた日本軍各部隊の従軍兵士らの、紛れもない自筆で記された「従軍日記」(32冊収集)を中心にした生の記録
(従軍兵士らが記録した「南京大虐殺」、南京引き裂かれた記憶)

A「南京事件総合資料集」

http://kknanking.web.infoseek.co.jp

ハガキ一枚の徴兵で現地へ駆り出され、苦難の末にようやく帰還できた、我々の父親世代の元兵士らも肯定していた史実を、日中戦争の実体験もなく、その惨禍の実態すらも全く知らぬ、孫ひ孫世代が、今更為にするウヨクのプロパガンダに操られ、ただ耳に都合のいい聞きかじりや、付和雷同で否定して恥じない。


13. 2012年3月03日 16:07:41 : FZgGiDbYMh
南京大虐殺に新たに16点の新証拠史料記念館が取得

南京大虐殺記念館は12日、旧日本軍華中派遣軍報道部発行の「南京戦役跡紹介」や日本軍に虐殺された中国の兵士や一般市民の死体などの写真を含む16点の貴重な史料を取得した。

記念館が行った記者会見で明らかにされたところによると、この史料は日本の友人、大東仁氏が日本国内で集めたもの。同氏はこれまでに記念館に1000点余りの史料を提供、寄贈している。

今回の16点の史料のうち、1937年9月20日発行の「大阪毎日新聞」は日本の航空機による南京爆撃を報じている。

旧日本軍華中派遣軍報道部が南京占領後に発行した「南京戦役跡紹介」は日本軍が公式に当時の南京侵略を記録したものである。内容は「南方攻略概要」、「光華門戦役」、「中華門戦役」、「中山門・その他地方戦役」の四つ。記念館の朱成山館長は次のように指摘した。南京防衛戦後、日本軍の資料は大部分が未公開で、これまでに一部部隊の戦闘の詳報が出版されたが、部数は非常に限られていた。「南京戦役跡紹介」は当時の中国侵略日本軍が南京を占領した犯罪行為および中国の兵士と市民の南京を守る英雄的行動を一層知るための良い資料である。

今回の史料の中で最も貴重なものは13枚の写真原版と古い一枚の封筒である。朱館長によると、写真はいずれも日本の兵士が当時、南京で撮ったもので、南京城が破壊され、中国の兵士や市民が血なまぐさい虐殺に遭っている惨状が写っている。写真と一緒に寄贈された古い封筒から、写真は1938年2月前後に日本軍第3航空団の士官が日本国内の昭和写真館で働く娘の山崎米子に送ったものであることがわかる。

死体が横たわっている写真を指差しながら、朱館長は、中国侵略日本軍が撮ったこれらの写真は非常に貴重なもので、当時の日本軍の南京における血なまぐさい暴挙を示すものであり、歴史の最も良い証拠だと述べた。

朱館長によると、13日は南京大虐殺72周年で、12日夜から犠牲となった30万同胞を追悼し、南京では平和集会、平和法会などの多くの行事が行われる。記念館の一般開放以来、毎年、記念館が中心になって一連の追悼行事を行っており、1990年代からは警報を鳴らすことが加えられた。

南京大虐殺史研究・文献叢書の重要な一部として「西側メディアの視野の中の南京大虐殺」が12日、南京で刊行され、その式が行われた。同書は1937年12月13日前後の米英などのメディア記者が見た南京大虐殺事件を分析、研究したもので、日本の右翼の「当時、各国の新聞記者で南京大虐殺事件を見たものも聞いたものもいない」というでたらめな論調に対する強力な反論となっている。


14. 2012年3月03日 19:36:19 : M0zuMIPpBk
南京大虐殺死亡者リストくらい作れるだろ?
それ作って飾ったらどうだ?

多分、後日あれは文革で連れてかれたとか大躍進政策時に飢え死にしたアイツが・・・・・とか出てくると思うぞ


15. 2012年3月03日 21:06:07 : BnPQDnro5g
れっきとした自分らの同胞(日本人)の、祖父世代だろうが何だろうが、極右の「反中妄念」にとり都合の悪い物的証拠まで、見境もなく端から一切否定する。

長年秘匿の後、ようやく発掘検証された、貴重な元従軍兵士の記録「陣中日記」の無視否定などは、如何にウヨク洗脳されようと、断じて許されぬ冒涜行為だ!!!

今時この世界に絶対あり得ない、かつての旧日本軍隊の所業だけは別扱いする、「日本国家無謬論」など、もはやサイコバス極右どもの「狂脳腐脳」の中だけにしか存在しない、尽く都合のいい捏造歪曲で固めた、かかる「妄執」など、一体世界のどこに通用するんだ!!!

まだはるか生前の、日中戦争の実戦体験も実態も何一つ知らぬ世代が、ただアメリカ戦争屋の日中離間反目政策に便乗の、極右「反中プロパガンダ」に操られ、付和雷同で聞きかじりの、浅薄知識でほざき回る。

これこそ如何に真の国益に反し、国際社会の重要な一員たる、この国の評価を逆に貶めているか、少しは考えてみろ!!!


16. 2012年3月04日 15:47:42 : YQ9AROay12

日本は、中国と縁を切っていた時代が一番幸せだった。

17. 2012年3月04日 16:10:07 : YQ9AROay12
日本経済は中国に依存してない

『中国がなくても、日本経済はまったく心配ない!』
対中輸出はGDPの2.79%に過ぎない
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h23/jog686.html


18. 2012年3月04日 16:43:23 : yU8BeCmOWX
捏造写真を堂々と飾って,30万とか40万とか吹聴する前に,事件の日時や犠牲者の住所氏名を公表せよ.
南京で戦いもせず,国民党軍を日本の前面に立たせて,漁夫の利を得た中国共産党の虚偽の宣伝と事実を区別して明らかにしないから,この議論は平行線を辿るのである.河村市長の主張は,事実を明らかにする議論をしようということである.

19. 2012年3月04日 16:55:05 : yU8BeCmOWX
http://www.history.gr.jp/~nanking/books_seiron0211.html
「南京戦・元兵士102人の証言」
のデタラメさ

―テレビ「ニュースステーション」が増幅垂れ流した反日・自虐報道の正体


20. 2012年3月04日 16:57:09 : yU8BeCmOWX
http://www.geocities.jp/nankin1937jp/page049.html

『南京事件』偽史料列伝(6)


21. 2012年3月04日 20:04:48 : esmsVHFkrM
>>20

これ見たけど、南京虐殺に関する多数の一次資料や証言のうちのごく少数しか「偽造」だと主張されていないじゃないか。それじゃ、ここに書いてあるもの以外は「事実」として認めるわけか。

これって、右翼保守「否定論」の常套手段じゃないか。

南京虐殺についてはいろいろな人が資料を寄せたり証言したりしている。そのうちの不正確だったり細部に誤りのあった少数を選んで取り上げて、その一部の瑕疵を取り上げて、だからこれは「誤り」で「捏造」だ。だから、他の資料や証言も「謝り」で「捏造」だ。だから、南京虐殺そのものが「捏造」だとやっているだけじゃないか。

現に、ここで取り上げられていない数多くの一次資料や証言はどうなるんだ。言いがかりをつけられないものは都合が悪いから無視か。

君が参照した「『南京事件』偽史料列伝」でトップに来ているのが板倉由明による捏造批判だが、この人は、歴史学者でもなんでもなくもともと板倉製作所の経営者で、階行社(旧大日本帝国陸軍将校・陸軍将校生徒・陸軍高等文官および陸上自衛隊・航空自衛隊幹部自衛官の親睦組織)による「南京戦史」の編纂に参加して有名になった人だろう。著書はこの『本当はこうだった南京事件』一冊だけだ。

階行社「南京戦史」は「階行」(階行社の親睦雑誌)紙上に連載された畝本正巳編「証言による南京戦史」を元にしている。畝本正巳は陸士第46期、戦後防衛大学校教授で、「東京裁判という報復的政治的裁判を発端として、一部日本人の告発記・研究発表により『二十万〜三十万虐殺』『野蛮・非人間的な日本軍の蛮行』という誤った南京大虐殺説が定着しつつある」現状に危機感を持ってこの「証言による南京戦史」連載を開始、南京攻略戦に参加した将校からの証言を募集した(『階行」1983年11月号)。ところが、始まってみるとそのような意図とは反対に「虐殺をやった」「見た」という証言や記録がかなり出てきてしまい、連載終了後の編集部加登川幸太郎執筆責任による「その総括的考察」において以下のように認めざるを得なかったというのは有名な話だ。

加登川の総括は、中支方面軍司令部の下克上的な指導も含めて、捕虜の処理の適正を欠いた根本の責任は軍上層部にあるが、しかし、前線部隊にも軍紀・風紀の乱れがあり、椋奪・暴行などの不法行為が多発した事実を認め、その傍証としてそれらの非行を戒るために出された異例な陸軍参謀総長閑院宮載仁親王の軍紀・風紀引き締めの訓示とそれをうけて中支方面軍参謀長塚田少将からだされた「軍紀風紀に関する件」と題した依命通牒(私の>>07参照)を紹介した。また、「南京事件はその当時、すでに軍によって大きな問題として扱われていたようである」と指摘して、その傍証として、西義章中佐、本間雅晴参謀本部第二部長を南京に現地調査に派遣して(私の>>07参照)その事実を確認した上で上記参謀総長訓示を出したことを挙げている。さらに「長嘆息のほかはない」として「こうした事情は当時は、もちろん、世人の目にも耳にも伏せられていた。それを今日、この戦史の結びとすることにはまことに残念であるが、すでに公にされた資料に基づく真実であって如何ともしがたい」と述べている。(『階行」1985年3月号)

板倉由明自身はこの階行連載「証言による南京戦史」において、それでも不法殺害者は1万3千人に過ぎないと主張しているが、階行社による「南京戦史」は、階行社会員の証言資料提供による南京虐殺の否定を意図しながら結局その存在を確認することとなった。

この階行社南京戦史編集委員会からは、『南京戦史』(階行社1989年)、『南京戦史資料集』(階行社1989年)、『南京戦史資料集II』が出ている。『南京戦史資料集』と『南京戦史資料集II』には『南京戦史」を執筆するために収集した資料およびその後収集された資料(防衛庁(当時)防衛研究所に所蔵されていたものを中心に)が収録されている。すなわち、松井石根中支方面軍司令官以下、参謀、師団長さらに下士官、兵にいたるまでの陣中日誌や、軍中央、中支方面軍、上海派遣軍、第10軍の作戦命令や、軍、師団、各部隊の通牒、訓示、作戦経過概要、戦時旬報、戦闘詳報、陣中日記など、戦争終結直後の焼却を免れた多くの記録文書である。

南京戦に関連して、日本軍の公式記録と司令官・参謀・師団長クラスの日記がこれほどまとまって資料集に収録されたのは画期的で、これによって、南京事件を上海から南京への進撃と攻略そして占領といった具体的な歴史展開に即して分析することが可能となった。各部隊の戦闘詳報、陣中日誌、指揮官の陣中日記には、各部隊が処断・処分(即ち殺害)した捕虜や投降兵、敗残兵の数が記録されていて殺害者数を推定する基本資料となっている。ただし、これらは南京戦参加全部隊の約三分の一の分に過ぎず、残りの三分の二は戦争終結時に焼却隠滅されたらしく、依然行方不明だ。

と言うわけで、私が>>07で述べたことは、板倉由明自身が参加したこの階行社による南京戦史およびその資料によるが、これはどうなるのか。「『南京事件』偽史料列伝」のどこで取り上げているんだ。否定できないものは取り上げないじゃないか。それでいてどうして南京虐殺は捏造だと証明できたことになるのか。

君らの言うことはみんなこうだ。ちょっと突っ込むとすぐにばれる。嘘ばかりだ。

そんなに「南京虐殺」が捏造だと言うのなら、存在する資料を、階行社の「南京戦史」とその資料を含めて、すべて否定してみせろ。自分たちの主張に都合のいいものだけでなく、すべての資料と証言をが偽りで捏造であると証明してみせろ。

そんなことできないくせに嘘ばかり言うな。

やったことをほとぼりが冷めたからと言って「やってない」と言い張るのは卑怯だ。わたしは、そして、日本人はそんな卑怯者じゃない。

日本の名誉を汚すのは許さないぞ。


22. 2012年3月05日 09:41:40 : JqI3JODcVe
 21コメント殿,よくわかった.13000人×3=39000人〜max4万人ということだね.
30万とか40万人とかいう中国の宣伝が虚偽であることも間違いないのではないか?
また,捏造写真を堂々と飾るのは如何なものか?

彼らは,こういう手で,チベットやウイグルを手に入れ,日本の満州国以上の圧政だけでなく,民族浄化を行い,尖閣諸島も自分達のものだと強弁するわけだ.

私の主張は次のようなものだ:中国が言い立てる30万とか40万人とかいう虐殺はなかった.戦闘行為の途中や途上で,max4万人の殺戮はあったかもしれない.それはおそらく民間人を装ったゲリラなどによる日本兵士殺害に対する報復行為がエスカレートしたものであろう.21コメントから,日本軍のガバナンスに問題があったことが示唆されるが,それは日本軍上層部の指示による組織的虐殺ではない.せいぜい師団レベルの過誤である.もちろん.これは戦争犯罪であるので,日本の侵略行為として認めるべきである.

しかし,中国自身が今現在行っている犯罪行為の免罪符とはならないし,30万とか40万人とかいう中国の宣伝が虚偽であることも認めるべきではないか?


23. 2012年3月05日 10:07:38 : JqI3JODcVe
http://www.history.gr.jp/~nanking/books_shougen_kaikosha.html「証言による南京戦史」の一部をざっと読んだだけだが,真摯な証言集だと思う,中国がこれくらい真摯な調査をした上で,30万とか40万とかいっているとはとても思えない.単なる反日による共産党独裁政権の正当性維持のための手段として,南京大虐殺記念館は存在するのであって,戦争犠牲者を追悼するものではない.(Wikipediaによれば「中国での正式名称は「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」。日本では、屠殺と虐殺を同意と考えて南京大虐殺紀念館と呼ばれるが、本来の意味は異なる。抗日記念館の代表格として中国共産党により愛国主義教育基地に指定されている。」)

24. 2012年3月05日 11:51:14 : BnPQDnro5g
<自称愛国、極右ファシスト共の化けの皮>

@南京事件=たとえ、事実が克明に記録された日本人元従軍兵士の確たる証拠だろうが、自分らの「妄念(捏造反中ヒステリー喧伝)」にとり都合の悪い事物は、勝手に選り分け、一切否定冒涜して恥じない!

A沖縄集団自決問題=住民に集団自殺させながら、なざか自分だけ生き残った元軍人らの、胡散臭い所謂「否定証言」を支持肯定し、同じ日本人の住民犠牲者たちを侮辱、冒涜して恥じない!

B米兵による沖縄住民女性暴行事件すら、偏見剥き出しに、逆に原因を女性側の責めに帰せ、日本人より犯罪米兵を擁護する、卑劣な売国言動をつい曝け出す!

C要するに、彼らが執拗に喚きほざく、僭越極まるいわゆる「反日、自虐史観」と称する悪罵=反極右ファシスト妄執に過ぎない、何が「反日」だ、いい加減目を覚ませ!

D自分らの生前はるか以前の、南京事件はおろか、日中戦争の実戦体験もなく、まして当時「治安維持法」による「特高警察」監視下の、北朝鮮同様の日本軍国主義(ファシズム)国内体制の実態すら、単なる聞きかじり以外何一つ知らぬ、付和雷同の端末ネトウヨらは、バックで操る悪辣な、極右ファシスト共の為にする徹底洗脳で、自分らが如何に巧妙に騙されているかに、全く気付いていない!

いかに教弁しようが、彼ら極右ファシスト共の信奉する妄念こそ、我々の父祖世代を、かつてムシけらのように悲惨な死の戦場へと駆り立て、この国を敗戦亡国に陥れた元凶であり、最も忌むべき妄念前科思想そのものだ!!!

Eこの世界で如何なる国にも必然の、巻き込まれる一般住民虐殺も国土破壊ももたらさぬ戦争など、一切存あり得ず、この日本とて決して例外ではない、彼らにとり都合が悪かろうが、好かろうが何事も全てあって当然であり、否定する行為が返ってやましいのだ!

まして先に中国本土に軍隊を送り込み、抵抗を受けるや撤退どころか、逆に泥沼の戦線を拡大させ、首都の南京まで占領する行動が「侵略」以外の一体何なのだ!

それすらも、全て相手側の責めに転嫁させ、「南京事件」さえも日本だけ特別視する、バかげた妄念幻想で勝手に捏造の「日本(軍国主義)無謬論」など、今更世界のどこにも通用しない!

むしろかかる妄執の強弁で、国際社会をいたずらに引っ掻き回す所業こそ、如何にこの国の評価を貶め、真の国益に反した狂気の亡国活動であるか、この際知らねばならぬ!!!



25. 2012年3月05日 13:36:31 : esmsVHFkrM

>>22さま、

あなたは文面から察するに教養と知性がある方だと思うのであえて申し上げる。

南京虐殺があったという歴史的事実について、圧倒的な量と質の一次資料を前にそれに対してつまらない言いがかりをつけることなく、その存在をお認めになったのはまことに知性と勇気と誠実さを併せもつまともな日本人の態度としてふさわしく尊敬に値する。南京虐殺があったという結論で一致したことを大変嬉しくも思う。

南京虐殺があったかどうかは疑問の余地がないとしても、難しいのは不法に殺害された犠牲者の数だ。

これについて、私は、「板倉由明自身はこの階行連載「証言による南京戦史」において、それでも不法殺害者は1万3千人に過ぎないと主張しているが」と板倉良明(以下すべて敬称略)の主張を懲りない人のあきれた振る舞いとして紹介しただけで、自分の見解を述べたつもりはない。あなたのような理性的な人が、「よくわかった.13000人×3=39000人〜max4万人ということだね」などと他人が言ってもいないことをあたかもその主張であるかのように反芻して見せるのは驚きだ。念のために申し上げれば板倉良明は全体で(三分の一ではなく)約1万3千人と言っているし、私は板倉良明のそのいい加減な数字にまったく同意しない。

また注意を喚起しておけば、あらかじめ「南京虐殺」は30万人だとしたうえで犠牲者数30万人が証明できなければ「南京虐殺」そのものがなかったとする主張は無意味だ。これは右翼保守デマゴークの南京虐殺否定論でよく使われるトリックだが、これがナンセンスなことは普通の大人なら自明のことだ。犠牲者数30万人が証明できなければ、犠牲者数が30万人でないということだけで、そもそも「南京虐殺はなかった」ことにはまったくならない。

以上を念頭において進めれば、そもそも犠牲者数の算出は非常に困難だ。すでに発生から70年以上経過していること、日中戦争と国共内戦その後の毛沢東政権下の混乱により中国側の調査と記録が十分でないこと、日本政府および軍が戦争終結時に組織的かつ徹底的に公文書を焼却して証拠隠滅を行ったこと等によりすべては残された一次資料、証言等からの推測に止まる。

その中にあって、捕虜の殺戮、投降兵の殺戮、敗残兵の殺戮(いわゆる便衣兵問題)について当時日本政府が署名批准していた戦時国際法に正しく従って算定している点において、私は笠原十九司の研究に同意する。以下にその笠原十九司の推定を引用する。

「 現在公刊されている日本軍側の資料から、南京攻略戦に参加した各師団がどのくらい中国兵および中国兵とみなされた民間人を、捕虜・投降兵・敗残兵・「便衣兵」として殺戮・処刑したかの累計をこころみたのが表1である。第九師団・第一一四師団・第六師団の各部隊の戦闘詳報や戦中日記の公開がとくに遅れているが、もしも日本軍側の全連隊の戦闘詳報がそろえば、捕虜、敗残兵の被虐殺数(ここには民間人の男子も含まれている)の総数がかなりあきらかになることがわかるだろう。
 もっとも、戦闘詳報の記録はいっぱんに戦果を多く報告する傾向があるから、この数字はあくまで概数として扱うほかはない。それでも、( )をつけなかった虐殺者数は八万人以上となろう。可能性のあった捕虜のほぼ全員殺害を想定すれば、一○万人以上となる。
 わたしは、総数一五万人の防衛軍のうち、約四万人が南京を脱出して再集結し、約二万人が戦闘中に死傷、約一万人が撤退中に逃亡ないし行方不明となり、残り八万余人が捕虜・投降兵・敗残兵の状態で虐殺されたと推定する(「南京防衛戦と中国軍」)。
[概数の資料]中国兵の犠牲者数については、日本と中国の資料から概数は推定できたが、きわめて困難なのが民間人の犠牲者数の推定である。総数を推定する参考になる当時の三つの資料を紹介する。
(1)ラーベの「ヒトラーへの上申書」
「中国側の申し立てによりますと、十万人の民間人が殺されたとのことですが、これはいくらか多すぎるのではないでしょうか。我々外国人はおよそ五万から六万人とみています」(ラーベ『南京の真実』)。三八年二月二三日にラーベが南京を離れた段階での推定数である。南京城内にいたラーベら外国人には、城外・郊外の広い地域でおこなわれた集団虐殺の多くをまだ知っていない。それでも、難民区国際委員たちが当時の情報を総合して推測した数として参考になろう。
(2)埋葬諸団体の埋葬記録(『中国関係資料編』の第V編「遺体埋葬記録」に収録)
南京の埋葬諸団体が埋葬した遺体記録の合計は一八万八六七四体になる。これは戦死した中国兵の遺体も含まれているし、遺体の埋めなおしなど埋葬作業のダブリの問題もある。しかし、長江に流された死体の数が膨大であったことを考えると、南京攻略戦によってこうむった中国軍民の犠牲の大きさを判断する資料となる。
(3)スマイスの「南京地区における戦争被害 ― 一九三七年十二月〜一九三八年三月 ―都市および「農村調査」
同調査では、市部(南京城区)では民間人の殺害三二五〇人、拉致されて殺害された可能性の大きい四二〇〇人を算出、さらに城内と城壁周辺の入念な埋葬資料調査から一万二〇〇〇人の民間人が殺害されたとしている。近郊区では四県半の県城をのぞいた農村における被害者数は二万六八七〇人と算出している。この調査は、三八年三月段階で自分の家にもどった家族を市部で五〇軒に一軒、農村で一〇軒に一軒の割合でサンプリング調査したものであるから、犠牲の大きかった全滅家族や離散家族は抜けている。それでも、同調査は当時おこなわれた唯一の被害調査であり、犠牲者はまちがいなくこれ以上であったこと、および民間人の犠牲は城区よりも近郊農村の方が多かったという判断材料になる。
 以上の犠牲者数についての資料状況と本書で叙述してきた南京事件の全体状況とを総合すれば、南京事件において十数万以上、それも二○万人近いかあるいはそれ以上の中国軍民が犠牲になったことが推測される。日本側の資料の発掘・公開がさらに進み、中国側において近郊農村部の犠牲者数の記録調査がもっと進展すれば、より実数に迫る数字を推定することが可能となろう」。(岩波新書「南京事件」1997年)

私は、「十数万以上、それも二○万人近いかあるいはそれ以上」を支持する。

したがって、私は笠原十九司と同じく中国側の約30万人には同意しない。しかし、中国政府の30万人という数字は、日本人の一部の「南京虐殺はなかった」との主張に対して対抗上出てきたものであることについては特に留意しておきたい。即ち、ほとぼりが冷めてからの「犯人側」の「やってない」との主張に対して「被害者側」が当然怒って被害程度について防御的に多めに主張するようになっているということで、そうであるからこそ、中国を相手にしてもまた国際世論を前にしても、すでに「犯人側」から主張する数字はなんであれまったく説得力を持たなくなってしまったということだ。このような事態に立ち至ったのは、右翼保守の無責任なデマゴークとそれに追従する一部の知力に劣り道義に欠け勇気と誠実さをもたない日本人のおろかな企てによるものだということは、まともな日本人として怒りをもって覚えておきたい。

あなたは最後の節において南京虐殺は「しかし,中国自身が今現在行っている犯罪行為の免罪符とはならないし」と述べておられるが、何か南京虐殺問題根本的に誤解しておられるのではないか。南京虐殺問題は日本の問題で、犯罪行為を裁かれているのはあくまでも日本だ。中国ではない。「被害者」が他で何をやろうと「犯人」私の犯罪行為の罪の軽重に関係するものではない。「被害者」が他で何か犯罪行為を行うならばそれはそれ自体を犯罪としてその「被害者」との関係において裁かれるべき性質のものだ。

もしあなたが、中国だってチベットやウイグルで虐殺を行っているのだから、日本の南京虐殺は特に悪いことではない、また、中国にそれを批判する資格はないとの主張(これも右翼保守デマゴークの常套文句だが)を行おうと言うのであれば、それは大きな間違いであると指摘したい。そのような主張が成り立つとすれば、南京虐殺とその他の日本軍の残虐行為(南京虐殺だけが日本軍による蛮行でないことはご存知のことと思う)に比べれば東京大空襲、大阪大空襲、広島・長崎原爆投下も特に悪いことではない、そんな日本人にそれらを非人道的と批判する資格がないということになってしまう。これでは虐殺、非人道的蛮行がすべてチャラになってしまう。世界は、このような蛮行を許さない、このような蛮行をなくしていくという方向に向かって動くことはありえなくなってしまう。

東京大空襲、大阪大空襲、広島・長崎原爆投下の非人間性を非難しその非人道性を批判するならば、まずみずからの非人道的行為とその罪を認めなければならない。

したがって、南京虐殺問題はすぐれて日本人の問題だ。ここで裁かれているのは日本人の民族としての知性、道義、勇気、誠実だ。われわれは、これらすべてにおいて日本人が優れていることを証明しなければならない。

だから、南京虐殺はあった。


26. 2012年3月05日 19:13:11 : A8UwGNW9tA
「白髪三千丈」の国だ。
何でも数字に「3」がつく。

27. 2012年3月05日 20:57:09 : 6ajTcXhUSA
投稿者の木卯正一さんの意見に同意します。
南京大虐殺はありませんでした。

支那は、いつも大量虐殺をして国を広げてきた歴史を持ってますから、
この歴史問題を長引かせて、今年十月、習近平という人間が胡錦濤と交代すれば、
 
この日本で、日本人大虐殺があるかもしれません。
 すでにこの計画は65年まえよりすすめられています。
「日本解放(侵略)第二期工作要網」というのです。
マスコミ工作、政治工作など、ことこまかに決められて、決してきずかれないようにすすめるようにとかいてあるのです。

日本の民主党は、この計画に加担するように、中国にやすやすと日本の土地を売りまくっています。また中国人の観光ビサ緩和をして、沖縄に一泊すればその後三年間日本と中国を自由に行き来できるようにしてしまいました。中国人が4億人も日本にはいれるようなひどいものです。残酷な犯罪が十倍から百倍にふくれあがるでしょう。
これで、中国人の人口侵略の準備がととのってしまったわけです。しかも外交人参政権の日本に三年滞在すれば得られる権利も取得できいるようにしてしまったわけです。

2012年三月十三にちまでに、小川敏夫法相は「人権委員会」設置法案と外国人参政権を閣議決定するつもりだと宣言しました。

大変なことです。日本人の言論弾圧法案を可決させようということですから、
「阿修羅」など取り締まりをうけます。

人権委員は日本人に限らないとありますから、中国軍であれば、どんな手をつかって拷問や虐殺をするか知れません。
ましてや、中国には国防動員法があります。国からの指令があれば、中国人が日本国内で民兵となり日本人を殺してよいことになるのです。

いずれにしても、ここで議論してるこの一週間のうちにこの恐ろしい闇法案が、
国会で可決されてしまったら、言論の自由を奪われてしまうのです。

日本が中国軍に大量虐殺されないように、この「人権委員」設置法案と外国人参政権を断固阻止しましょう


28. 2012年3月06日 09:51:30 : FZgGiDbYMh
韓国の李明博大統領が、いわゆる「従軍慰安婦」問題で、日本政府に謝罪を求める意向を明らかにした。
こうしたなか、在米韓国系ロビー団体が、米国内に20もの「慰安婦の碑」を設置しようと計画していることが分かった。

慰安婦を日本軍や官憲が強制連行したという証拠は何1つないが、同盟国である米国内で日本人の名誉が傷つけられている。

「米国人は人権問題というと、心情的になりがちだ。それにつけ込んで、米国を巻き込み、日本を非難するというのが彼らのやり方だ」

こう憤るのは自民党の新藤義孝衆院議員。
在米邦人から「(慰安婦問題で)子供が学校で『日本人はひどい』といわれて傷ついている」とのメールが相次いでいる。

米国内で「慰安婦の碑」設置を進めているのは在米韓国系ロビー団体「韓国人有権者センター(KAVC)」。
一昨年10月に、米国東部ニュージャージー州パリセイズ市の公共図書館の敷地内に第1号を設置した。
同市は、韓国系移民が人口の36%を占めている。

同碑には《1930年から1945年までに大日本帝国軍によって、20万人以上の婦人および少女たちが誘拐され、
絶対に目をそらしてはならない人権侵害を受けた》と刻まれている。

まるでアフリカで行われた奴隷狩りのような記述だが、事実は違う。

日本政府が国内外の公文書館や関係省庁を徹底的に調べたが、日本軍や官憲が強制的に女性を集めた証拠は見つからなかった。
貧困のために親に売られたり、悪質業者にだまされて慰安婦となった女性はいただろうが、それを日本軍や政府のせいにするのは筋違いだ。

ところが、KAVCは今後、米国内20カ所で碑設置を宣言している。
ニューヨーク市クイーンズ地区にある大規模住商複合団地も予定地で、中国系のピーター・クー市議は先月24日、
地域の道路に慰安婦の名前を付けると発表した。

米国内での動きについて、新藤議員は「邦人保護の観点から見過ごせない。碑の撤去を求めるだけでなく、
外務省のHPに(慰安婦問題の事実を)記載して、広く世界に理解してもらうべきだ」と語っている。 



29. 2012年3月06日 22:23:29 : jn4g93Nn7I
今まで日本って30万人虐殺を下に賠償させられてきたんだろ?

本当の数がいくらか知らんがその差。
余分に賠償させられてきた先人の血税に対して何らかの落とし前があって然るべきだわ


30. 2012年3月08日 11:44:30 : BnPQDnro5g
< 自称愛国、極右ファシスト共の化けの皮 2>

@「南京大虐殺 30万人説」を'37年の事件勃発当時、南京市人口が20万人で、全く整合しないからウソと、執拗に決め付ける一方で、チベット自治区の人口が2004年ですら、274万人しかいないにも拘わらず、中国の支配下に入った50年以前の、いわゆる「チベット虐殺」が200万人等と、自分に好都合な場合には、整合性どころか何の証拠もなく、為にする勝手な水増し捏造数字で、全くのウソデタラメを喧伝する。
他の数字も押して知るべきである。

A福島原発大事故では、その放射能汚染の危険性を不当に軽視、将来への「核武装対策」と称し、為にする「御用安全デマ」を喚きたて、反原発運動を攻撃敵視する一方で、いわゆる中国の脅威デマの執拗な、過大喧伝に狂いまくる。

3/11大災害以降、特に原発放射能汚染を恐れた在日中国人が、すでに多数帰国している現実に加え、今後更なる大震災襲来も懸念され、資源もなく経済不況の常態化と、更にいわゆるTPP加入で対米完全隷属化に陥りかねないこの日本に、中国といえども、露骨なイラン恫喝に見るアメリカの意図的な戦争挑発で、否応なく巻き込まれる以外に、わざわざ多大なリスクを犯してまで、今更一方的に軍事侵攻せねばならぬ程の理由やメリットが、一体どこにあると云うのだ!!!
子どもにも解るバカげたたわ言だ!!!

それよりか次の大震災がもたらす、二度目の原発大事故の汚染拡大で、殆ど日本全土が、居住不能の深刻な事態に至る恐れの方が、まだ信憑性が高いのではないのか!!!



31. 2012年3月08日 16:55:11 : D7ZSI5t3dY
チベット族女性相次ぎ自殺 中国
2012.3.5

 米政府系放送局のラジオ自由アジアが5日までに伝えたところによると、中国甘粛省甘南チベット族自治州マチュ県と四川省アバ・チベット族チャン族自治州アバ県でそれぞれ3日と4日、チベット族の女性2人が相次いで焼身自殺をした。

 マチュ県では女子生徒が焼身自殺。炎に包まれる女子生徒に漢族が石を投げたため、漢族とチベット族の間で衝突が起こりそうになったという。アバ県では4人の子を持つ女性(32)が派出所前で、チベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世のチベット帰還などを求めながら焼身自殺したという。

 中国のチベット族居住区では昨年3月以降、中国政府に抗議して焼身自殺を図る僧侶や住民が相次いでいる。(共同)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120305/chn12030520390007-n1.htm


32. 2012年3月09日 10:26:09 : BnPQDnro5g
ジョセフ・ナイ「対日戦略会議報告書」
 
http://alternativereport1.seesaa.net/article/111841481.html

http://alternativereport1.seesaa.net/article/93305639.html

http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-989.html


33. 2012年3月09日 11:26:25 : OQHqUVJ4Mz

TVでは報道されない!チベット族女性相次ぎ自殺!!
中国はチペット族を人間扱いをしていない!
http://ameblo.jp/mappyyoppy/entry-11184289341.html

34. 2012年3月09日 23:44:36 : gHXtKULVBw
私は事実を全て公にすることが最善だとは思いません。日本の利益にならないことは公にすべきではないと思います。しかし、事実を捻じ曲げることはあってはならないと思います。言論(報道)の自由はいいですが、それによって発生する損害に対する責任を負うべきです。

35. 2012年3月10日 01:29:48 : FZgGiDbYMh
【あの日から…−3.11 1年−】亡き人思い癒えぬ悲しみ
 2011年3月11日、東日本を襲った巨大地震と大津波は、多くの人々の命と営みを一瞬で奪い去った。あれから間もなく1年。甚大な被害に見舞われた東北地方の被災地は復興の道を懸命に歩んでいる一方、大切な家族や生活そのものを失った人々の胸中には、やりきれなさが残ったままだ。あの日から何を思い続けているのか?

「PHYCHOLOGICAL WARFARE EARTHQUAKE PLAN AGAINST JAPANESE HOMELAND」と書かれた「原本資料」のタイトルの意味は「日本本土への地震兵器による心理的軍事作戦」です。米国は66年以上前から地震兵器を研究、所有しており、この機密計画書は2005年4月に米国で公開されました。
  この報告書によれば、第二次大戦末期の1944年にカリフォルニア大学のバイヤリー教授を中心とする地震学者たちが総動員され、「日本近海のどこの海底プレートに強力な爆弾を仕掛ければ、人工的に巨大な津波を起こせるかシミュレーションを繰り返した」と書かれています。
  ここでいう「強力な爆発物」とは、当時開発まもない「原爆」のことです。
  この文書には「日本本土攻撃作戦」の副題が付けられ、「悪魔の攻撃」と呼ばれる章では、「日本人の目を覚まさせるには地獄に飲み込まれたと思わせる必要がある。そのためには、地震を恐れる日本人の特性を徹底的に突くべし。地震攻撃に勝るものはない」と定義し、この一連の報告書には第二次大戦の終戦方法について「人工地震兵器で津波を起こして日本を降参させて終戦するか、原爆を落として終戦するか」と会議された記録もあります。



36. 2012年3月10日 11:22:51 : vdmHI9ABiY
チベット族女性相次ぎ自殺 中国
中国のチベット族居住区では昨年3月以降、
中国政府に抗議して焼身自殺を図る僧侶や住民が相次いでいる。

みんなでチベット国歌を歌おう
http://www.youtube.com/watch?v=CWJPKTPkH3A&feature=related


37. 2012年3月10日 13:09:54 : FZgGiDbYMh
転載
3.11から1年…復興への思いを込め、各所で震災後の「いま」を描く映画が公開

昨年3月11日に発生した東日本大震災から1年。多くの尊い命を奪い、甚大な被害をもたらした震災以降、その実情をとらえた数多くの映画が生まれ、また映画を通して被災地への復興支援も各所で行われてきた。現在、この一年を振り返っての取り組みが各所で実施されている中、震災後の被災地を記録した、また震災後の日本の人々を捉えたドキュメンタリーが続々と上映されることが決定している。

一作目にご紹介するのは、震災の影響で開催場所を失った仙台短編映画祭の復興のために41人の映画監督が立ち上がり、製作されたオムニバス作品『明日』(上写真)。3分11秒という制約の中で、それぞれが3月11日以降の自身と対峙し、葛藤を経て生み出した作品をオムニバス形式で綴る本作。集まったのは、河瀬直美や篠原哲雄、冨永昌敬、鈴木卓爾、山下敦弘、入江悠、瀬田なつきら日本映画界を牽引する旗手たち。あの日から何を思い、映画というフィルターを通して、どんな“明日”を見せてくれるのか? 昨年9月17日に開催された同映画祭で披露され、各映画祭に招待されてきた本作が、3月10日(土)よりキネカ大森、ブリリアショートショートシアターにて期間限定で公開後、3月31日(土)よりポレポレ東中野とトリウッドと、都内各所の劇場で公開される。

同日に公開される映画『friends after 3.11』は、自身も仙台市出身である岩井俊二監督がメガホンを取ったドキュメンタリー。震災後に情報が交錯する中、ネットなどを通じて出会った友人や専門家たちのもとを訪れ、震災当時とその後、現在と未来について話を聞いている。本作に登場するのは、脱原発宣言を掲げて話題となった城南信用金庫の理事長・吉原毅や、被災地での講演などに奔走する俳優の山本太郎など様々な立場の「友人たち」。ナビゲーターは女優の松田美由紀が務める。本年度ベルリン国際映画祭フォーラム部門にも正式招待された本作は、3月10日(土)よりオーディトリウム渋谷にて上映される。

最後にご紹介するのは、震災発生直後の昨年3月の被災地を記録した2つのドキュメンタリー映画、『大津波のあとに』と『槌音』である。『大津波のあとに』は、3月11日の震災から2週間後の仙台、東松島、石巻を撮影。児童108人中74人が津波にのまれてしまった石巻市大川小学校を中心に、被災地の生々しい傷跡を映し出している。一方、『槌音』は故郷の岩手県大槌町が被災し、家族も被害に見舞われた大久保愉伊監督が、津波に流されることを免れた震災前の貴重な映像を編みこんで綴る。震災から2週間後、故郷に帰省した際、カメラを持ち込むことが叶わなかった監督はスマートフォンの動画機能でひたすら故郷の風景を記録。震災前の町に響いていた音と、震災後の音が映像と共に響き渡る。昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で正式上映された際には立ち見の観客が出るほどの盛況となり、さらに日本映画復興会議奨励賞を受賞したこの二作。満を持して、3月10日(土)よりオーディトリウム渋谷にて期間限定で公開された後、フランス・パリでも上映される。


38. 2012年3月10日 15:21:26 : xOfeQ8q8Jo
みんなでチベット国歌を歌おう
チベットを救おう

Tibetan National Anthem
http://www.youtube.com/watch?v=ANccgDlW8d8&NR=1


39. 2012年3月11日 00:26:00 : IYyRSPdFJA
適当な連中が適当に跡づけして書いた書物を証拠物件にしてもなんら事実は分からない。まあ、これでも読んでおけ。【拡散希望】四度あった南京事件
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1452.html
南京事件はあった。若干の虐殺はあった。しかし、それは中国人が自らの同胞を虐殺したのであって、日本軍はだれも殺していなかったわけだ。そのぬれぎぬを戦後になって歴史を書き換えた。そりゃそうだろう。自分たち共産党の先祖が同胞殺したとあっては自分たちが殺されかねないからな。その辺の史実をもう少し勉強してから書き込むようにな。

40. 2012年3月11日 00:34:33 : IYyRSPdFJA
ついでに書くとな。朝鮮戦争勃発の時も中国人の南京大虐殺と同じようなことを朝鮮人がやったのだ。北の金日成がソ連の威を着て同胞の朝鮮人をどんどん虐殺した。一方、南朝鮮は自称リャンバン出身と名乗った後に初代大統領になった男が、北の猛攻に恐れをなして逃げるときに、回りにいた何の罪もない自国の同胞を北の仲間だと錯覚して大量虐殺したという。この事件も全部日本兵のせいにしたのだ。さらに終戦時に日本へ帰還せざるを得なくなった一般の日本人婦女子や子供を大量に凌辱してから虐殺したのだ。これでも読んどけ。
李承晩と朝鮮半島の歴史
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1347.html
関東大震災と不逞朝鮮人の暴虐
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1326.html
いま日本人名を持って日本人面している政治家たちのかなりの連中はこの大正期の関東大震災で日本人に成り済ました連中の子孫なのだ。よく勉強しておけ。

41. 2012年3月11日 12:17:45 : FZgGiDbYMh
転載

東京大空襲67年>震災遺児に思い重ね義援金募る

 10万人が犠牲になった東京大空襲から10日で67年。両親と2人の妹を失った神奈川県寒川町の主婦、高橋(旧姓・篠原)喜美子さん(79)は、昨年の東日本大震災で親を亡くした子どもたちに戦争孤児だった自分を重ねる。昨夏は地元の女性団体の仲間と義援金を募り、被災地に送った。大空襲から時を経て1日違いの3月11日に起きた大震災。高橋さんは二つの惨事の犠牲者に祈りをささげる

 米軍の焼夷(しょうい)弾が降り注いだ1945年3月10日未明、当時小学校6年で12歳だった高橋さんは、江東区の自宅近くの小学校の校庭にうずくまり、泣き叫んだ。熱風で火のついた木材が舞い、立つこともできない。「お父さん、お母さん、さようなら」。火の粉が防空ずきんに引火して死を覚悟した時、見知らぬ男性が近くのプールまで手を引いてくれ、命拾いした。翌朝、校庭は黒焦げの遺体で埋め尽くされていた。

 疎開中だった9歳の妹を含む7人家族だった。空襲から逃れようと小学校に向かう途中、6歳と3歳の妹を連れた母ツヤさん(当時44歳)を見失った。3人とはそれ以来会っていない。父虎之助さん(同49歳)と20歳だった兄(70年に死去)は消火活動のため自宅に残ったが、結局自宅は全焼し、2日後に父と兄の3人で江戸川区の親類宅に身を寄せた。虎之助さんは空襲のやけどと持病の悪化が重なり、1カ月半後に急死した。兄は仕事を見つけて親類宅を出た。「突然独りぼっちになった現実が受け止められず、戦争を恨む日々が続いた」という。

 駅や列車の中でいつも母の姿を探し、同じ年ごろの母子を見ると、涙があふれた。

 21歳の時、友人の紹介で知り合った充さん(81)と結婚し、2人の娘をもうけた。「自分のような寂しい思いはさせたくない」と、専業主婦になり、娘2人を短大に進学させた。

 昨年3月11日は自宅で揺れを感じた。津波にのみ込まれた東北地方の様子がテレビに映ると、戦時中の焼け野原と重なった。「たくさんの孤児が出る」と思ったら、いたたまれなくなった。

 「東日本大震災の救援をよろしくお願いします」。昨年7〜8月、JR寒川駅前やスーパーマーケットの前で、4時間ずつ仲間と寄付を呼び掛けた。行き交う人からお金を受け取るたび「子どもたちのために役立って」と念じた。「空襲で親を失った直後は悲しみに暮れていたが、それから67年も生きてきた。生きていればいろんなことがある」。今後は自らの半生を語り、震災の遺児を励ましたいと思っている。


42. 2012年3月11日 19:16:24 : EdQemnepkG
.日本を訪れた中国人、震災後1年で激増、放射能漏れを心配する韓国人は減少―韓国メディア
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120311-00000008-rcdc-cn

>>今月1月に日本を訪れた中国人は13万8400人。
>>震災前の昨年1月に比べ、40%近くも増加。震災直後に激減した中国人の訪問客数は昨年10月にプラスに転じた。


43. okonomono 2012年3月13日 19:49:50 : ufgCmUGS6CG6M : vKizrhaQZc
>>25 (で議論が終わってるな)

たいへん参考になりました。


44. 2012年3月15日 09:22:01 : A8UwGNW9tA
>「今、沖縄で独立運動が・・」

 「今、中国で独立運動が起こっている!」。
チベットとウイグルだ。


45. 2012年3月17日 19:45:17 : 6kuobrWeYc
>>44
ラマ教の坊主とアルカイダが騒いでいるだけ。

46. 2012年4月12日 01:12:46 : 1BHyEc81RE
まあ何はともあれ

何であろう日本の税金に集るために外来種とその利権屋が騒いでいるんだから
向こうにとっては真実がどうだったとか関係ないわけだ。

自分たちの利益になるためには手段を選ばない


>>25やそれに追随するような日本語コメントをしているどこぞの馬の骨が
肖りたいために屁理屈こねて南京虐殺があったということにしたい
ってことなんだから東アジア共同体なんてできれば

日本は中国の財布になるだけ。


日中韓FTAの関係会議で一部の売国奴しか儲からないことに
賛成する馬鹿はいないので報道でも規制をかけて
知らず知らずのうちに進める、それもTPPで隠して

中韓対象でのTPPを進めることに必死な北東アジア利権屋の連中が
阿修羅掲示板に多く蔓延していることが分かったことだろう。

萎縮させるためにチベットとCIAが繋がっているなどというが、
そう思ってもらって結構!

今は中国についての問題を書いているのに何故か
他の話題を持ち出して中国に賠償しろだのいう連中こそが
率先してやればいいはず!何故しない?

答えは簡単。自分以外に責任転嫁させればそれで良いと思ってる連中が
南京虐殺を事実化にしたく必死になっているだけ。

自分よりいい暮らしをしたいけど自分がリスク被るのは嫌だから
無知な日本人を「良識派」だと嘘のレッテル貼りをして
責任転嫁させる工作を行おうとして目をつけたのが教育だったわけだ。


こういうことをしているんだからむしろ東アジア共同体に反対するのは当たり前。
東アジア共同体で日本人は幸せになれるみたいな嘘を撒き散らしているのは
原発社会で日本が豊かになるということを流してきた連中と構造は同じで、

違うのは利権対象だけ。 自分たちがよければそれでよい。
そのためには日本人を騙すことが一番手っ取り早い。ただそれだけ。


本当に南京虐殺があったというならそう煽ってきた奴らこそまず自己責任で
私財投じて賠償しろ!それがないんだから単なる利権屋でしかない。

米軍についてどうのこうの言うなら、中国や近隣アジア諸国で都合悪い事を
話しても問題ないはずだが。 河村叩きがひどいのは変わりないわけで。


47. 恵也 2012年4月14日 09:01:36 : cdRlA.6W79UEw : hAYVQufpNU
>>01 その倍の虐殺をどういう手段で用いたらできるというのか?

簡単だよ、相手が降参して武器を捨てたら助ける振りして、安全に処刑
できるとこに連れてって殺害。
軍人を殺したら、反抗的な一般市民にも同じような段取りで行える。

何で日本軍がこれほど凶暴化してしまったのかというと、上海事変で上海
だけを占領する計画を立てた輸送計画を無視し、現地司令官松井石根
大将の独断で南京まで攻めて、食料を現地調達にした。

10万人近くの軍隊の食料を調達するには強奪しかなく、捕まえた敵兵に
与える食料もないのじゃ殺すしかない。
食料を強奪し縛った捕虜を殺してたら、軍隊は凶暴化せざるを得ない。

満州事変などで、命令違反であっての現地軍が成功さえすれば中央軍も
政府も「その結果を認める」という日本軍のマイナス面が出てしまったもの。

日本軍も日露戦争の頃は捕虜を後方移送し、非常に厚遇して信用が
あったのだけど、捕虜を殺すのは一度しか使えない戦争の禁じ手。
松井石根が日本軍の信用を台無しにした張本人。

裁判や研究者によって、あまりの犠牲者の多さで死者の数は千差万別です。
南京軍事法廷(国防部戦犯裁判軍事法廷)30万人余り 

洞富雄(早稲田大学教授)    20万人以上
笠原十九司( 都留文科大学教授)十数万人それも20万人に近いか20万人以上
秦 郁彦(日本大学教授) 5.3万人(不法38000〜42000人) 
東京裁判の判決文では「20万以上」としてるが、俺は40万人に近かったと推定してる。

ーーーー引用開始ーーーー
日本軍が占領してから最初の六週間に、南京とその周辺で殺害された
一般人と捕虜の総数は、二十万以上であったことが示されている。
http://www.geocities.jp/yu77799/toukyousaiban.html


48. 恵也 2012年11月20日 15:08:47 : cdRlA.6W79UEw : haAhVh0wX6
>> 沖縄戦の犠牲者は日本人18万8136人で、

この数字は名前などがわかっている人の数で、戦争のドサクサで書類は散逸し
てますので18万8136人以上と表現すべき。

日本軍の死者数より民間人の死者が多く民間人26万人が死んだ可能性もあります。
この当時沖縄は50万人くらいの人口でしたが、日本に避難した人も多い。
沖縄県人の4人に1人が死んだといわれてます。

民間人がこれだけ死んだ大きな理由は、日本軍が住民を守ってくれるという
信仰があり、日本軍にしたがって南下した住民が多かったので激戦地を転々と
逃げ回ったためで、逆に兵隊のいない場所などでは助かってます。
民間人にスパイがいるという考えで、日本軍に殺された人も多い。

ーーーーー引用開始ーーーーーー
「軍人軍属ヲ問ハス標準語以外ノ使用ヲ禁ス 沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜(スパ
イ)トシテ処分ス」。米軍上陸9日後に出された長勇参謀長名の「天ノ巌戸戦闘司令所取
締ニ関スル規定」は沖縄住民べっ視、敵視する軍首脳の本音が現れたといえよう。
(スパイ容疑による虐殺 より)

>>01 30万人とか40万人とか南京で虐殺なんていう中国の宣伝自体が,彼らの悪辣な嘘

これは嘘じゃないでしょう。
木卯氏は思い込みが大きすぎる人だ。

あなたは東京裁判や南京軍事法廷の判決さえ読んでないでしょう。
東京裁判では20万人以上、南京軍事法廷では30万人以上が殺されたとしてます。
遺体を片付けた責任者の証言など、直接見聞きした人を裁判の証人に呼んで
調べた結果だ。

>> 倍の虐殺をどういう手段で用いたらできるというのか?

簡単だよ。
助けるかのようにして中国兵を降伏させて、殺害の準備を整えて計画的に殺す。
一般人の場合、作業をさせるかのようにして集めて処刑する。
もちろん中には計画が狂い失敗して、日本兵に犠牲者が出たこともあります。

ーーーーー引用開始ーーーーーー
遺体を慈善団体が埋葬したものが一五万体余りある。被害者総数は三〇万人以上に達する。
http://www.geocities.jp/yu77799/gunjihoutei.html

中央の島に一時、やる(送る)ためと言って船を川の中ほどにおいて、船は遠
ざけて四方から一斉に攻撃して処理したのである。

その夜は片はしから突き殺して夜明けまで、その処に石油をかけてもし、柳の
枝をかぎにして一人一人ひきずって、川の流れに流したのである。
 わが部隊(が殺したたの)は13500であった。
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/butaibetu/yamada/kurihara.html

>>35 日本近海のどこの海底プレートに強力な爆弾を仕掛ければ、人工的に巨大な津波を起こせるか

可能性はない!
津波を作ることは出来ても、断層の跡と核兵器の爆発の跡は違うし、地震波の
形も異なってるという。

>>40 李承晩と朝鮮半島の歴史

李承晩は裁判を受けてないでしょう。
南京虐殺は連合国による東京裁判で20万人以上が殺されたとして、責任を
松井石根大将が死刑にされ、中華民国による南京軍事法廷で谷壽夫中将が
死刑にされてます。

多数の裁判官は弁護士と検事の証拠論争の中で判断したもので、無実の大
将や中将を死刑に出来るはずがない。
裁判の上で判断された事件と、うわさだけの話を混同しないように!

ーーーーー引用開始ーーーーーー
日本軍が占領してから最初の六週間に、南京とその周辺で殺害された一般人
と捕虜の総数は、二十万以上であったことが示されている。

これらの見積りが誇張でないことは、埋葬隊とその他の団体が埋葬した死骸
が、十五万五千に及んだ事実によって証明されている。
http://www.geocities.jp/yu77799/toukyousaiban.html

>>46 河村叩きがひどいのは変わりないわけで。

俺は河村には期待してるよ。
南京に関する知識には問題があるけど、減税をするという思想には共鳴してる。
官僚は税金があればあるほど腐敗する放蕩息子だ。


49. 恵也 2012年11月21日 12:17:40 : cdRlA.6W79UEw : Aba70fNcPQ
ここは投稿日付が7ヶ月も遅れてるんだね。
阿修羅という掲示板もメンテナンスがなってないようだ!!!

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