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いじめを知らない人は、錯覚とか妄想とか気のせいと決め付ける。しかし、いじめはそんな生易しいものではない。いじめは組織的な犯罪であり、それもかなり計画的なものだ。いじめのターゲットにされると、大変に苦労する。それまでの平穏で安全な生活は消滅し、毎日が戦争となる。いじめ加害者は一人ではないので、合同で、あるいは交代でたえまなくいじめ対象者を攻撃し続ける。いじめ常習犯はいじめの手口についてはプロ並みに熟練しているので、特に何をするのかを指示する必要すらない。警察はいじめについては何もしないのが基本だ。学校も会社も管理者側はいじめは個人同士の争いであるとし、これまた放置する。親や友人は知らないことが多い。いじめに無知であると、いじめに気が付かないことが多い。いじめ攻撃が発覚したり、誰が加害者であるかがばれるとまずいので、隠れてやることが多いが、管理者が無能であると判断すると、堂々といじめをすることもある。最近はLINEなどのスマートフォンを悪用するいじめが増えた。たいていの場合にはいじめ被害者は一人で悩み苦しむ。いじめ常習犯グループもいじめの対象者が、誰にも相談することなく、一人で悩み苦しみ、自殺することを希望している。だから相談をしなければならない。一人で悩むことはいじめ犯罪者を喜ばせるだけだ。社会に出てからもまだいじめを続けていると、解雇されたり社会的制裁を受ける。しかし未成年の場合には少年法によりすべて隠蔽される。日本の少年法のように未成年の犯罪者に対して過剰に保護している国はどこにもない。他の国では未成年であっても犯人の氏名や住所は公表される。だが日本の場合には、たとえ被害者の遺族に対してさえも加害者のいかなる情報も伝えられることはなく、すべてが秘密にされる。いじめ加害者の情報は保護するというのは日本だけのことだ。これはおそらくいじめ常習犯の多くが権力者の子供だからだろう。いじめ加害者の親は社会的地位が高かったり、大金持ちだったり、有名人とか、地元の権力者であることがある。不思議なことに、極度の貧困家庭とか、親がいないとか、片親とかなんらかの不幸な状況にあるというケースは少ない。むしろ、裕福で、公務員や議員の場合がある。警官の子供がいじめ常習犯だったこともある。親が社会的に強いと、どんなことをしても許されると思っているようだ。また暴力団関係者とのつながりがあることもある。いじめよって他人を死に追いやることを面白がるというのは普通ではなく、非常に危険である。いじめ攻撃をされると、それに対して反撃する人も多い。だが、うかつに反撃したりすると、それをネタにして逆にいじめ攻撃をエスカレートさせる場合もある。まずはじめに起きる現象としては、不快な連中につきまとわれるということだ。それも連続してまとわりつかれたり、行動を妨害されるときに気が付く。いじめ常習犯は情報収集の面でもかなり熟練しており、いじめ攻撃対象者のありとあらゆる情報を瞬時にして収集する能力がある。いじめ加害者グループの仲間は非常に多く、そういう連中が積極的に情報提供をする。警察は何もしない。警察が動くのはいじめの被害者が死亡したときのみであり、それもまともに調べない。いじめの調査などはしないのが普通だ。いじめ加害者グループは、ほとんどの場合、世間から無視されている存在だ。いじめ常習犯には人生目標などはなく、ただ毎日を面白おかしく楽しむためだけに生きている。他人のことは考えない。自己中心的であり、目立ちたがり屋であり、とにかくどんな悪事でも平気でやる。道徳心や倫理観などはなく常に他人に嫌がらせをするのが生きがいだ。普通の正常な人は、正しい生き方をしようとする。ところがいじめ常習犯は逆に、何とかして発覚せずにできるだけ悪事をしようとする。その生き方は理解できないが、悪いことをするのがかっこいいことだと錯覚しているようだ。あるいは、誰からも相手にされないので、悪いことをして叱責されたいということなのかもしれない。いじめをされると、大声で反撃したり、担任教師とか職場の上司に告発したりするが、そういうときにはすでに事前に手をうっていることが多い。いじめ常習犯は対象者が異常であるとし、何もしていないのに大声を出したとか、いじめをしていないのに、いじめだと決め付けていると反論する。しかも集団で反論する。もちろんその集団とは、日頃からいじめ攻撃を続けているいじめ仲間で、いじめ常習犯である。管理者は何もする気がなかったり、無能であることが多いので、いじめは幻想だと決め付ける。すると、その後はいくらでも自由自在に堂々といじめができる。何しろ管理者のお墨付きをもらったわけであるから、その後はいくら被害者が訴えたとしても、すべて錯覚と判定されるからだ。そういう流れというのはいじめ常習犯が獲得してきた技術である。いじめ常習犯の人生はいじめで支配されている。それで常にきょろきょろと周囲を見回している。こういう連中にはいじめをやることだけが生きがいであり、いじめをしない人生などは考えられない。いじめをしないということは無の世界であり、逆にいじめられる側になるという発想だ。ただし相当に悪知恵はあるので、誰にも知られることなく長期間いじめをすることができる。しかし、それは褒められたことだろうか?それにどういう名誉があるだろうか?いじめ常習者は何度も何度もいろいろな人から説教をされ続けているが、それでも反省することなくいじめを続けている。まるでいじめをする機械のようだ。この連中は、いじめを反省するどころか自慢しており、それで人気者となろうとしている。いじめ常習者の特徴として、とにかく目立とうとする。それに他の目だっている奴が憎くてしょうがない。自分の目標に向かって努力して、周囲から認められということはせず、ただその瞬間に目立ちたいのだ。悪いことをしてでも目立ちたいようだ。だからとにかく周囲の注意を集めるいろいろな技法を知っている。しかしながら、いじめ常習犯には人間的な魅力はない。中身がないのだ。ただいじめをするだけが生きがいで、嫌がらせの手口はいろいろ知っているが、まったく何も内容がない。道徳的にも倫理的にもそういう神妙な心は微塵もないし、何か一緒にいて楽しくもない。ただひたすらに悪事を繰り返すだけだ。表面的にはまるで大物であるようなふりをするし、やたらにかっこをつけたがるが、中身が無いのはすぐわかる。もしもいじめが悪であり、いじめをしないのであれば、そこから本当の人生が始まるのかもしれないが、こういういじめ常習犯の人生は、始まってもいない。何も変化が無く、地獄へ一直線という感じだ。驚くのは親がまったく気が付かないことで、溺愛しているせいなのか何も理解していない。
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