http://www.asyura2.com/12/bd61/msg/407.html
Tweet |
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-1107.html
2014年05月07日
いつも書くのですが、経済事件は「悪質」な順番に事件化するわけではありません。世の中には上場会社を巡る「とんでもない話」が山ほどありますが、それらが事件化するかどうかは「全く次元の違うところ」で決まってしまいます。
ヤクルト本社でも、1996年から実権を握る堀澄也・代表取締役会長兼CEOの関係する会社への利益供与、自身の不正蓄財、反社会勢力との関わりなど「黒い噂」が出回っていますが、一向に事件化していません。
いわば「事件化するパターン」に該当していなかったわけです。本誌が経済事件については事件化するまで(正確には当局からリーク記事が出てくるまで)取り上げない理由は、「悪質さ」と「事件化」の間には何も関係がないことを理解しているからです。
それではなぜヤクルト本社が「そろそろ事件化しそう」なのかですが、正確にいうと「事件化しないパターンから外れてきた」からです。
4月下旬に、ヤクルト本社のコンプライアンス委員会委員長のN氏(元東京高検検事長)と、委員のK氏(元警察庁刑事局長)が、ヤクルト本社に辞表を提出したようです。
ヤクルト本社が受理したかどうかは不明ですが、超エリート検事と超エリート警察官僚だったご両名は「もうヤクルト本社とは何の関係もない」との態度をとられるはずなのでイニシャルにしておきました。
ご両名は2002年に、総会屋に対する利益供与の疑いで逮捕寸前だった堀社長(当時)を見事に救い出し、その堀氏は現在に至るまでヤクルト本社の実権を握り続け、ご両名はヤクルト本社と堀氏から「厚遇」され続けていたはずです。
そのご両名が逃げ出したようです。つまり「魔除け」が外れてしまったヤクルト本社と堀氏は、完全に「事件化するパターン」に入ってしまったのです。
だから本誌としては異例の「事件化する前の記事」となりますが、それではヤクルト本社と堀氏の何が「事件化する」のでしょう?
ヤクルト本社とは、もともと全国に100以上ある販売会社の商標権管理や広告宣伝のために1955年に設立された会社です。その後、長崎ヤクルト・関東ヤクルト製造を設立した故松園尚巳氏が1967年にヤクルト本社社長となり、業容を急拡大させて1980年に株式上場を果たしました。
当時のヤクルト本社経営陣には全国の販売会社経営者が名を連ねていましたが、松園氏は徐々に意見が対立する販売会社経営者を追い出し、自分自身とヤクルト本社の立場を強化していきました。
その松園氏が1987年に病で倒れ(1994年に死去)、桑原潤氏を挟んで1996年に堀澄也氏が初の「生え抜き社長」に就任しました。もともと全国の販売会社とは何のしがらみもない研究・開発部門出身の堀氏は、(担当分野だった)原材料の仕入れ先や仕入れ価格や販売会社への卸価格を恣意的に変更してしまい、今も続く「歪んだ」資金の流れを作り上げました。
つまり全国の販売会社ヤクルトレディが懸命に稼ぎ出す潤沢なキャッシュがヤクルト本社に積みあがり、「よからぬところ」に湯水のように使われ始めたのです。
まず以前から始めていた「財テク」が大失敗し、1998年に1000億円もの損失が明らかになりました。あのプリンストン債にも200億円ほど投資しており、担当の熊谷副社長(国税庁のキャリアだった)が5億円以上のリベートを私的に受け取っていたため、特別背任で有罪(懲役7年)となりました。
この騒動で桑原会長(元社長)は辞任したものの、堀氏はすべての責任を熊谷副社長に押し付けて社長に居座り、現在に至るまで権力を握り続けます。
さらに堀氏は自らの立場を強固にするために「世話になった」人物が経営する会社(複数)から原材料を不当に高く仕入れ、それだけ割高に製品を全国の販売会社に押し付け、あまつさえリベートまで受け取っていたようです。基本的には2002年に逮捕寸前までいった容疑内容ですが、そのまま現在まで踏襲されていたことになります。
しかし現在は2002年当時に頼った「魔除け」がなくなっているため、堀氏とヤクルト本社の今後の動向から目が離せません。本日はとりあえず控え目に書きましたが、間もなく詳細な不正内容(実名入り)を含む続編を書く機会がくるはずです。
▲上へ ★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ61掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。