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小国日本=鹿児島
日の丸も君が代も薩摩起源
明治維新は歴史の繰り返し
「歴史徒然:ウバイド・倭人(ウワイト)・オリエント遷都」から
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/33423618.html?type=folderlist
しかしまだまだもっと重要なことまで、
この<魚>と共通の<国名>と<姓>が解いてしまった。
それは<魚>を<トーテム>にした<卑弥呼>たち<倭人>が、
どういうルーツをもった人たちだったかという日本の古代史の核心をっく問題の答えなのだ。
<卑弥呼>はどういうルーツをもった女性だったか?…。
<魚>と同じ<姓>をもつ皆さんは一体?どんな先祖をもっているのか?…。
それがもうすでに全部、すっかり謎のベールを脱いでしまったのである。
これまでは「倭人」といえば、
「日本人にきまっているじゃないか」と、
深く考えられない人が多かった。
それはその人の罪ではなく、
日本の歴史教育の程度が余りにも低かったせいで、
文部省の担当公務員の責任である。
だからここで、はっきり知っておいて戴きたい。
『旧唐書』には当時の日本列島には
「大国の倭国」と
「小さな日本国」とが記録されている。
そして次の『新唐書』になると、もう<倭国>は消えてしまって日本だけになる。
その理由も『旧唐書』に次のように書いてある。
*日本国は倭国の別の種族の国である。
その国名は「倭という名が下品で悪いので、
国が世界の東の端にあって日が出るところに近いから、
その意味をこめた良い名前の『日本』に変えたのです」というが、
別の使者の説明では、
「日本はもとは小国だったが、
倭国の領土を合併して大国なったので、
国号が日本ひとつになったのです」ともいう。
どうも日本からやってくる使者たちは、
みんな態度がでかくて威張りかえり、
何を尋ねても本当のことをいわないから、
中国政府はこの二つの説明のうち、どちらが本当なのかと疑っている*
中国は少し離れてはいるが隣国であり、
<遣唐使>も頻繁にに訪れていた時代である。
ことにこの『旧唐書』に記録された時代は、
孝徳天皇当時で、
『日本書紀』もその変動を「大化改新」として記録に残している。
ただしそれが、
<大国倭国>が<小国日本>に負けて、
領土を取られてしまい、
倭国政権が消滅してしまった大革命だっことを中国に知られると、
その弱体につけこんで、
どんな難題を吹き掛けてこないとも限らないという懸念から、
日本政府派遣の外交官は、
真相をボカして、
ただ国名を変えただけだと説明したことがみてとれる。
また『日本書紀』は、
日本語でなく中国語で書かれている。
それは国民に読ませる記録ではなくて、
中国人に読ませるのが目的の対外宣伝文書だから、
そこに大化革命の真相を書くわけにはいかない。
これが大化改新として史実が大きく歪められた理由である。
だからそんな作文を史実として盲信していては、
日本の本当の建国史などわかるわけがない。
まず大化以前には、
「倭国と日本国」が実在していたことから、
はっきり認識しておく必要がある。
※出典:加治木義博「言語復原史学会・大学講義録9:11・12頁」
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