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23338、白州次郎は白州家の養子、ウオーバーグのエージェント説は確か? 2013年11月17日 08時33分10秒 | thinklive http://blog.goo.ne.jp/thinklive/e/5b537ed57d3972f34bca41fea1118f7f (全文) *ボクは白州次郎を述べる積もりは無かった、アメリカの元財務長官のガートナーが、ウオーバーグピンカスのCEOに就任した、と言う日経の囲みヲ見て、ウオーバーグをリサーチしたら、白州に出会ったわけである、白州の義父の吉田茂の、養父の吉田某は、ロスチャルドのアジア代理トレーダーのジャーデン.マセソン日本店長で巨額の財産を吉田茂に残している、吉田茂が英国大使時代に当時ケンブリッジ大?にいた白州二郎を引き立てていた?ウオーバーグが白州の面倒を見ていたとすれが、吉田との繋がりは深いわけだ、吉田とロスチャイルドとの関係も認識できようというものだ、 *ウオバーグ家はロスチャイルドの金融仲間で、フランクフルトのユダヤ人街に同居していたほどに旧家、以下のWikipediaの記述はアメリカのウオーバーグ家?それにしても、連銀創設者の1人デアル、ポール?ウオーバーグの名前がないのもオカシイ、連銀の株主,16~17名の仲に、ウオーバーグは確か、3名はリストされていたと記憶する、 *もう1つ、レーニンが300万$の金と600人の戦闘部隊を連れて、スイスから封印列車でロシアへ送り込まれ、ロシア革命を成功させる、その一切のマネージを行ったのが、プロイセンの内相であったウオーバーグであったというボクの記憶、広瀬氏の著書だ、 Founding and early history[edit] The firm traces its history to 1939, when Eric Warburg of the Warburg banking family founded a company under the name E.M. Warburg & Co. Its first address was 52 William Street, New York, the Kuhn Loeb building. Throughout the early post-war period, the firm remained a small office of not more than 20 employees. In 1966, E.M. Warburg merged with Lionel I. Pincus & Co, forming a new company that eventually became known as E.M. Warburg, Pincus & Co.[5] In 1965, when Eric Warburg retired to Germany, control was handed to Lionel Pincus, a partner in the Ladenburg Thalmann investment bank, and the working language of the office switched from German to English. Lionel ran the company from 1966 to 2002, and died in 2009. [6] Warburg Pincus began investing in Europe in 1983 and opened its first office in Asia in 1994. It has invested more than $5 billion in Europe; more than $3 billion in India[7] and more than $3.3 billion in China. The firm is headquartered in New York and has offices in Beijing, Frankfurt, Hong Kong, London, Mumbai, San Francisco, São Paulo and Shanghai, with administrative offices in Amsterdam, Luxembourg and Mauritius.[8] The firm is structured as a global partnership led by co-presidents Charles Kaye and Joseph Landy.[9] Kaye has been with Warburg Pincus since 1986 and worked to launch the Asian operations. Landy has been with the firm since 1985, focusing on investments in information technology, communications applications and structured investments. Approximately 40% of the firm’s investments are outside of the U.S.
で、もう一つあります。白洲次郎という男が非常にもてはやされております。これから白洲次郎という男について語ります。この男を語ると昭和史の闇が見えてきます。彼は白洲商会というのがあって、親爺は繊維問屋をやってて、繊維不況の中で倒産します。小さな会社です。親爺は倒産してどうしたかというと、九州の山の中に掘っ立て小屋を建てて、借金取りから逃れて、そこで一生を終わる男です。ちょうど白洲次郎がケンブリッジ大学に行ってるんですね。倒産します。で白洲次郎はどうしたか。白洲次郎は当時のイギリスのクラッシック・カーを乗り回して盛んに遊びます。なぜそんなことが出来るのか? 白洲次郎を助けた男にジグムント・ウオーバーグというのがいなす、そのが生涯にわたって金もなくなった男に巨大な金を与えてケンブリッジに行かせて、その後も一生大事に育てるわけです。おかしいと思いませんかこれ。僕はねどうもこの男(白洲次郎)は日本人じゃないんじゃないか、ウオーバーグの子どもじゃないかという考えをずっと持っておりました。で、ちょっと前に『1945年占領史』という本が出まして、その本を読みました。徳本栄一郎という人が書いた本で、その中にですね、妙なことを書いてました、結局、彼はホワイトクラブというのがあるんですが、最高権力者、チャーチルとかロスチャイルドとかMI6の長官とかトップクラスの者が入る、イギリスの最高の貴族クラスが入るクラブの会員であったと。(注 会員ではないが出入りしていた)貧乏人の男で親父が掘っ立て小屋に住んでるのに、どうして彼はできるんだろうと。 そしてまた彼の『1945年占領史』という本を読んでいる時に、ああそういうことかと思いましたね。彼が日本に帰ってきて、ある雑誌社でしょうね、ジャパン・アドヴァタイザーという、『ジャパン・オブザーバー』という雑誌社の編集員になる。そして彼が記事を書いてるすべての記事は、ジョン・シラスと書いてる。そうなんですよ、彼は白洲次郎である前に、ジョン・シラス・ウオーバーグなんですよね。僕はそう思います。だから彼は親爺が掘っ立て小屋を建てて借金から逃げているのに、ずっとクラッシック・カーを乗り回して・・・白洲正子というのが女房なんですけど、白洲次郎のことを盛んに書いてます「白洲次郎はイギリスで最高の暮らしをしていました。クラッシッ・カーを乗り回していました」」と。なぜそれが出来るか。それは間違いなく彼は、僕ははっきりそう思います、彼はジークムント・ウオーバーグの子どもであると。 _____________________________________________ かつて日本は美しかった 2011-04-11白洲次郎は傲慢な人だったのか 白洲次郎とは。 http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20110411/1302530865
2011-04-13白洲次郎と正子 不思議な夫婦。 http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20110413/1302695268 2011-04-15白洲次郎は実は弱虫だった? 実は東京空襲が怖かっただけ? http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20110415/1302871503 2011-04-16マッカーサーを叱った男 白洲次郎は本当にマッカーサーを叱ったのか? http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20110416/1302949591 2011-04-17ホイットニーという男 〜 GHQ憲法の仕掛け人 GHQ憲法仕掛け人の大御所、ホイットニー。 http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20110417/1303041243 2011-04-18ケーディスという男〜 GHQ憲法の仕掛け人 日本の伝統を破壊し、共産革命へ導こうとした首魁。GHQ憲法の仕掛け人。 http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20110418/1303129454 2011-04-19GHQ憲法作成密室の7日間 http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20110419/1303218365
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