http://www.asyura2.com/12/bd61/msg/285.html
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異端の歴史家鹿島昇は、堀堅士の『仏教とキリスト教 イエスは釈迦である』をネタ本にして「神道理論体系」にキリスト教は仏教であるとの論文を書いた。
イエスとブッタを比較すると新訳の描くキリストが仏陀であることは明らか。興味のある人は、鹿島と堀の著書を一読することを勧める。
(仏陀の母はコーリヤ族で、仏陀=韓国人というウリジナルに重なるwww)
さて、クリスマスだが、日本の正月とクリスマスを比較して欲しい。
門松とクリスマスツリー。太陽は冬至に死を迎え、復活するというオシリス信仰。冬至前後に常緑樹で門を飾る新年の祭り。
古代エジプトでは年末の5日間は祭りだった。
「古代エジプトでは太陽暦が用いられ、ひと月は30日、1年は12ヶ月であった。すると1年は360日になってしまうが、残りの5日は「エパゴメネ」と呼ばれる祭日で、新年の前に挿入された・・・」(コム・オンボ)
「コプト暦とは、エジプトで用いられた太陽暦。古代エジプト暦に起源をもち、コプト正教会で使われる。アレクサンドリア暦ともいう・・・」(ウィキペディア)
「新約聖書には、イエスの誕生日を特定する記述は無く、この日がいつにあたるのかについては様々な説がある。キリスト教においてもクリスマスは降誕(多くの教派で、「誕生」ではなく「降誕」の語を用いる)を記念する祭日と見なしており、救世主イエス・キリストの誕生日として見なしている訳では無い。
降誕祭とは別に、1月6日にキリストの公現を祝う(公現祭)。12月25日の生誕祭は、遅くとも345年には西方教会で始まった。ミトラ教の冬至の祭を転用したものではないかと言われている・・・」(ウィキペディア)
★クリスマスツリーと門松、リースと注連飾り
イエス・キリストは、生年も誕生日も定かでなく、西暦345年にローマで12月25日とされた。
しかし、敬虔なキリスト教徒の皆様には申し訳ないが、クリスマスツリーと門松、リースと注連飾りにみるように、クリスマスとは冬至を過ぎ、太陽が復活することを祝う、「新年のお祝い」に過ぎない。その起源は12月25日から最後の5日間を祝う、エジプトの「エパゴメネ」にあると思う。
エジプトのコプト歴を継承した古代キリスト教徒の祭りが広くヨーロッパに流布したのだろう。
過ぎ越しの祭りはベドウィンのオルギアの祭りが起源であった。
(ユダヤ人はアラブ人の一種であり、兄弟殺しの種族である)
★修行僧イエスとローマ新興宗教
キリスト教は仏教の修行僧イエスが遥か西アジアに伝えたものであり、キリスト教の発生は、ローマにおける、エジプトの宗教、ゾロアスター教、マニ教など各種宗教の融合したものだと思う。
★瓜二つの特徴
「アーメン」と「南無阿弥陀仏」
「神の愛」と「阿弥陀如来の慈悲」
「ハルマゲドン」と「末法思想」
「天国・地獄」と「極楽・地獄」
・・・・・
★キリストの「父」は浄飯王
「釈迦の母親・摩耶(Maya)=イエスの母・マリヤ(Maria:Mary)、釈迦の父・浄飯王(じょうぼんのう)は、イエスの父・ヨセフ(Ioseph:Joseph)と関係ないが、イエスの宗教上の父であるヨハネ(Ioannes:John)という名は、イタリア語で「ジョヴァンニ」(Giovanni)と発音する。」
(斧節【onobusi】http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20051130/p1)
キリストの師や親族は仏教伝を翻訳したものだった訳だ。
★実在しないキリスト
キリスト神話説(英語:Christ myth theory キリスト神話・イエス神話・キリスト非実在説とも)とは、イエス・キリストは、歴史上の人物としては実在せず、最初期キリスト教におけるイエスは後世になって実際のできごとと結びつけられた神話的な存在であるとする議論である。[1] [2] [3] [4] [5] キリスト教の神話的起源を支持する人々は、福音書の原典は歴史上の(ひとり、もしくは複数の)伝道者からとられた可能性を認めてはいるが、その伝道者たちはどのような観点からも「キリスト教の創始者」とは認められないと主張している。彼らの主張はむしろ、キリスト教はヘレニズム・ユダヤ教(en:Hellenistic Judaism)から自然発生したものであり、書簡や福音書は大部分が歴史上にはなかった神話上のイエスを記録したものだ、というものである。この説の支持者は、文献の発展史の中からキリスト教教義の発展史を追った結果、最初期キリスト教に関して福音書よりも使徒書簡に焦点をあてている。
キリスト神話説、もしくはそれに類する観点から、イエスの物語と、クリシュナ・アドーニス・オシリス・ミトラ教・ユダヤ教(キリスト教成立以前)のイエス信仰などとの類似性が指摘されることもあり、著述家の中にはキリスト教の創始はイエスの生涯よりも早い時期を生きた歴史上の創設者によるものとしている者もいる。[6][7]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E8%AA%AC
<参考リンク>
■『仏教とキリスト教 イエスは釈迦である』堀堅士
http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20090224/p1
■ここまで言ったら殺される?キリスト教は仏教。イエスは仏陀。キリストが行った復活のトリック。
http://www.asyura2.com/13/cult11/msg/109.html
■Xmasはエジプト起源!?日本人はユダヤ人!?新年を祝う祭りは世界共通。なぜならば・・・
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/514.html
※日ユ同祖は採りません。偏狭なユダヤ教と寛容な日本人は水と油。虐げられた被差別民の宗教です。
■神社の赤い鳥居 SOLOMON'S U
http://www17.ocn.ne.jp/~solomon/
■【冬至における太陽の道】【空海の降臨予言を暗示】
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1749780.html
■イメージ連想の文化誌
http://1000ya.isis.ne.jp/1081.html
冬至とは太陽の勢力が最も衰える日である。オシリスはおそらく4000年前くらいに、ラーに匹敵する太陽王として信仰されていた神だった。太陽の力に関係する王だとすれば、その力が最も衰えるのは冬至である。そのオシリスを冬至の日に切り刻んだということは、王の力が最も弱まったときに「王殺し」をする習俗が上古のエジプトにあったということになる。
・・・
これでオシリスとイシスの話の謎が解けて、めでたし、めでたしかというと、そういうわけにはいかない。そもそもオシリスの神話はその後に盗まれてキリスト教のなかに換骨奪胎されたのである。
キリスト教に換骨奪胎されたということは、その前にユダヤ教のなかでも蘇っていたということだ。だいたいクリスマスが12月25日の冬至に近い日であること、つまりその日にイエスが誕生しているというのがあやしいのである。その話を続ける。
オシリスには実は200近い名前がある。エジプトの神々のほとんどすべてに習合しているといっていい。女神イシスのパートナーシップによって再生しているのだから、どこでも、どの時代でも、オシリスに肖(あやか)ったのは想像がつく。オシリス来てほしい、オシリス来てほしいということだ。事実、エジプトを越えて地中海や小アジアでもオシリス信仰は広まった。ということは、危機に再臨してくれる神として、オシリスはつねに待望されたということだ。
この危機に再臨する神を待望するという思想は、まさに「メシア」を待望する思想に似ている。実は、そうなのだ、オシリスは姿を変えて救世主メシアとして、ユダヤの民の幻想のなかに継承されたのである。
このメシアの思想をそのまま引き取っていったのが、イエスが磔刑される以前の原始キリスト教だった。謎のクムラン宗団のことは第174夜に書いたのでここでは省くけれど、その周辺には「善の教師」や「救世主」や「再生者」などの、いくつものオシリスのヴァージョンがあらわれている。
こうしてイエス・キリストが登場して、すべてはキリスト教のものとして集大成されていく。とくにイエスの誕生日を12月25日にしたことが特筆されるのである。
12月25日のクリスマスにイエスがベツレヘムに生まれたということは、いつ決まったのか。これについては多くの議論があるところだが、407年に死んだことがわかっている聖ヨハネ・クリュソストモスがその説を定着させたということが通説になっている。この聖人は「黄金の口のヨハネ」と尊称されていた。
それだけその言葉に信憑性がもたれたのだろう。
それによると、天使ガブリエルがマリアに受胎告知をしたのが3月25日で、イエスが誕生したのが12月25日だということになっている。それまで、キリスト教教会でイエスの誕生日を特定する議論がひっきりなしにおこっていた。とくに異教の好きな古代ローマ帝国に蔓延しつつあったミトラス教が冬至の日をもってミトラ(ミトラス)の誕生日だとしていることの影響力が大きかった。
察するに、このミトラスの日とオシリスの男根が切られて次のホルスへの継承が刻印された日を重ねることによって、教会の議論はイエス冬至誕生説に傾いていったのかとおもわれる。遅くとも4世紀くらいには、イエスの誕生日とクリスマスの日時が決まっていたということだ。それにしてもキリスト教会の編集力は侮れない。
しかし、これでイエスにまつわる編集が終わったわけではない。イエスをイエス・キリストと名付けた謎がのこる。本書の山下主一郎もそこに疑問をもった。
イエス・キリストは姓名ではない。イエスが名で、キリストが家名なのではない。だいたい古代ユダヤに姓はなかった。イエスはイエスとだけ呼ばれていた青年だった。
ちなみにイエスはカトリックでは「イエズス」で、正教会では「イイスス」である。「イエス」と呼称してきたのはプロテスタントだけだった。カトリックでは「神父」、プロテスタントでは「牧師」になるのと同様、カトリックとプロテスタントはことごとく何かが異なっているのである。それはともかく、そのイエスはなぜイエス・キリストなのか。
キリストはギリシア語クリストスの発音に近い。『新訳聖書』をギリシア語で書いたとき、ヘブライ語のキリストに当たる言葉を「クリストス」とした。それがキリストになった。しかし、そうだとするともともとのヘブライ語のキリストがどういう言葉で、どういう意味だったか、である。
ヘブライ語ではキリストに当たる言葉は「マーシーァハ」という。これは「油を注がれた者」という意味をもつ。それだけではない。実は「マーシーァハ」は「メシア」のことなのだ。これですぐさま見当がつくように、オシリス=メシア=キリストはキリスト教にとってはほぼ同じ情報なのである。それをまるごと戴いた。それがキリスト教というものだ。
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