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天皇陛下に直訴状を手渡した山本太郎は「現代の田中正造」だろうか。そんな大昔の人物をもってくるより、もっとピンとくる先駆者がいる。
同じ(元)芸能人の藤谷美和子だ。
尊いお方に手紙をわたすまでに至る両者の共通点とは・・・・・・
1)芸達者で10代より芸能界で活躍。全国区での売れっ子だった。
2)突然、一線を去り、渡米。そして帰国。
3)不可思議な言動がつのり、芸能界から遠のく。
藤谷が天皇陛下の娘に、皇居で付文しようとしたことも、山本太郎が天皇陛下当人に手紙を渡したのも、私には殆ど同様の衝動(精神的な病理)から起きた事件に思えてならない。
いうなれば山本のほうが現実認識がやや強く不安をぬぐうだけのサポートが周囲に与えられていて、目の前の仕事をこなす力量が残されているといえるだろうか。
いずれにせよ、どちらも芸能界の一番もてはやされる一抹の部類に属していた若い時期から、だんだんと群れの中に安住できない問題を抱え込むようになり、あげくにはプッツンで逸脱という変移をたどったことは間違いない事実である。
いくつかの要因を2,3割の蓋然性であげることは私には容易いことだが、藤谷のことも山チャンのこともあまりに知らなさすぎるので、ここから彼らの病気に関して展開させるのは止す。
私は、現在の山本太郎には複雑な心境である。人にできない行動を無私に起こす彼の献身的な姿に偉人の影を見出すことも確かにできるのだが、それで手放しに褒めこれからに期待するのは違うと思うのだ。彼の精神にみなぎる慈悲、そしてその慈悲が引き起こす使命感。彼は慈悲に魂を乗っ取られたショッカーなのだ。彼は人間にそなわった本能である、『自己実現のための競争』を(おそらく殆ど完全に)放棄し、優劣に基づく社会システムというものを否定する。これは非常に危険で退廃的な思想である。彼は慈悲という色つきの偽善で、虚無感をごまかしているだけの中途半端な活動家であり、本当の泥沼に目をやる勇気は持っていない。
たまたま反原発(もっとも!!)ということで、彼の存在価値に意味を見出してはきた。しかし代議士になってこれからその延長上に何が期待できるわけではないという現実の前に、私は応援歌にあわせて鈴を鳴らすのはやめたのだ。競争を忘れた不自由な人間にはつきあえない。闘うことをしない人間に励まされても東北の子供達だって嬉しくないだろう。
山ちゃんは、原発を目の敵にすることでごまかすことのできない自分の元気の喪失について今一度答えを出すべきだろう。その自分自身の問題を省みず、他人の心配ばかりされても国民が迷惑であろう。
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