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★契丹建国神話
4世紀から14世紀にかけて、満州から中央アジアの地域に存在した半農半牧の民族。10世紀初頭に現在の中国の北部に帝国を建国し、国号を遼と号した。
古代史マニアの間では契丹古伝(北倭記)で有名だが、興味深い建国神話を持つ。
「『遼史』に記される伝承によれば[1]、土河(老哈河)の東にある馬孟山(馬鞍山)から白馬に乗った神人が、潢河(西拉木伦河)西岸の平地松林から青い牛の牛車に乗った天女が、両河の合流地点にある木吐山で出会い結婚して8人の子供を設け、契丹古八部の祖先になったとされ、中国の歴史教科書にも紹介されている。また、永州木吐山に始祖・奇首可汗[2]の祖廟があり、可敦(皇后)と先の八子の像が在るとする。」(Wikipedia)
どっかで聞いたことのある神話だが、契丹が始祖だと主張する「始祖・奇首可汗」とは誰だろう。
★キシュ王とは世界の王
「キシュ市の王、サルゴンは34回の戦闘で勝利を得た。
彼は諸都市の城壁を海の岸まで破壊した。
彼はアッカド市の岸壁にメルッハの船、
マガンの船そしてティルムンの船を停泊させた。
王、サルゴンはトゥトゥリ市でダガン神に礼拝した。
ダガン神はサルゴンに杉の森(=アマヌス山脈)と
銀の山(=タウロス山脈)までの上の17国、
つまりマリ市、イアルムティ市そしてエブラ市を与えた。
5400人が、エンリル神が敵対者を与えない王、
サルゴンの前で毎日食事をした。」
(歴史徒然:ウバイド・倭人(ウワイト)・オリエント遷都)
石川三四郎・鹿島昇は黄帝がサルゴンと主張するが、契丹建国神話に言うキシュ王とは、古代オリエントで世界の王を指す特別な称号であったわけだ。
しかも、建国神話を一読して分かるように、契丹建国神話は、我がスサノウ神話・八王子神話と同じもの。
★契丹建国とスサノウ伝説
「牛頭天王は起源不詳の習合神で祇園精舎を守護するとされ、日本では素戔嗚尊と同神とされていた。頗梨采女は牛頭天王の后神であることから素戔嗚の后である櫛稲田姫命と同一視された。櫛稲田姫命は方角の吉方(恵方)を司る歳徳神(としとくしん)と同一と見なされていた事もあり暦神としても信仰された。八王子は牛頭天王の8人の王子であり、暦神の八将神に比定された。」(Wikipedia)
スサノウが契丹由来というと天皇騎馬民族説支持者は、大喜びしそうだが、スサノウの妃、頗梨采女は、竜宮(琉球)生まれ。
琉球から満州までワープすることはできないから、海流に乗って島伝いに沖縄→九州→朝鮮半島→満州と北上したと考えるのが理性的だ。
こう理解して初めて契丹古伝の正しい解釈ができる。
★共通する各国の建国神話と民族の起源
契丹王がシュメール起源、スサノウのヤマタノオロチ伝説はヒッタイト神話(参考リンク参照)だということが分かれば、文明は、シルクロードではなく、海の道で伝わったこtが良く分かる。
★渤海国使節が語る歴史の真実
聖武天皇の時、神亀4(西暦727)年12月20日、渤海(マカ)の使者が来朝し、「山河域を異にして、国土同じからず。延かに 風猷を聴きて、但、傾仰を増す。伏して惟うに、大王の天朝、命を受け、日本の基を開き、奕葉光重く本枝百世なり。武藝忝なくも 列国に当たり、濫ての諸国を惣べ、高麗の旧居を復し、夫余の遺俗を有てり。但、天涯路阻たり、海漢く悠々たるを以て、音耗未だ通ぜず、吉凶問うことも絶ゆ。親仁を結び援せん。庶わくば前経に叶い、使を通じて隣に聘すること今日に始めん」上奏したが、このころまでは、日本と大陸との兄弟関係の記憶があったようだ。
異国と思った契丹も実は、日本人と血を分けた兄弟だったということで、悠久の歴史ロマンに気がついて欲しいものだ。
<参考リンク>
◆契丹
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%91%E4%B8%B9
◆サルゴン (アッカド王)(シャルキン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%83%B3_(%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%89%E7%8E%8B)
サルゴン自身による発言として以下のような話が記載されている。 「母は私を取り違えたため、私は父を知らない。私はアズピラヌで生まれた。私を取り違えた母は秘密裏に私を篭に入れて川に流そうと考えた。そして彼女は増水した川に私を流した。しかし川は私をアッキ(AKKI)の下へと運んだ。それでアッキは私を息子として育てた。アッキは私を庭師にした。イシュタルは私を愛し、4年間にわたって私に王を担当させた。私は城壁を斧で破壊し、山の頂上へと登り、海岸の国を3度攻め、ディルムンを征服した。」
※我が国のヒルコ伝説の原型
◆キシュ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%A5
◆5400人の常備軍(歴史徒然:ウバイド・倭人(ウワイト)・オリエント遷都)
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/51599894.html
◆「黄帝=サルゴン」
http://www.asyura2.com/09/china02/msg/756.html
◆八坂神社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%9D%82%E7%A5%9E%E7%A4%BE
◆頗梨采女
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%97%E6%A2%A8%E9%87%87%E5%A5%B3
波利采女、波利賽女とも表記。名前の由来は梵語のハリ(水晶の意)に求める説がある。牛頭天王は祇園精舎の守護神ともされる仏教由来の神で、日本では行疫神(疫病を流行らせる神)として畏怖されるとともに神道の素戔嗚尊と習合し、明治期の神仏分離令まで祇園社(八坂神社)の祭神として祀られ、篤い尊崇を受けた神であるが、頗梨采女はその牛頭天王の后であることから、素戔嗚尊の后である奇稲田姫とも同一視された。
八大竜王の1柱で、娑竭羅龍王(しゃかつらりゅうおう)の娘であり、また八王子神(八将神)の母であるともされている。 『色葉字類抄』の祇園では、牛頭天王の后で沙竭羅竜女といい八王子ら84654神が誕生したとし[1]、『簠簋内伝』では「歳徳頗梨采女也、八将神母也、容顔美麗忍辱慈之躰也」として方位神の歳徳神と同一視される(ただし異論もある)。『祇園牛頭天王縁起[2][3]』では南海の沙竭羅竜宮城に住み、金毘羅女、婦命女の2人の姉がおり、竜王の第3女とされている[4]。
◆ヒッタイト帝国とスサの王の謎
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/144848894.html
世界の龍蛇退治伝説の中でも、ヒッタイト神話ほど「スサノオの八岐大蛇退治」に酷似した物語はないだろう。
ヒッタイトの首都は「ハットウシャ」である。
これを漢字に当てると「八頭蛇」となるのは偶然ではないはずだ。
極単純に考えると、ヒッタイト帝国(龍文明)を退治して製鉄文明を手に入れたのが、「スサノオ」だと考えられる。
シュメールに隣接するエラムの首都を「スサ」といい、スサの王が「スサノオ」だという説がある。
「スサの王」とはあまりにも現代の日本語過ぎるが、実際にスサノオがエラムのスサと関係がある事は信憑性が高い。
ズバリ言うと、スサノオ(マルドゥク)の受肉が「スサの王」だったと考えて良いだろう。
果たして、エラムのスサの王がヒッタイトに侵攻して、製鉄技術を略奪したのだろうか。
そう考えると自然なストーリーだが、可能性は低い。
シュメール王、またはシュメール王の上に君臨していた預言者が「スメラミコト」だったと考えられるが、ハッキリ言えることは「スサノオ=スメラミコト」という事である。
シュメール王国は、エラム王国の侵攻を受けて滅亡したという説もあるが、シュメール王国とアッカド帝国の地にバビロニア王国が誕生したことを考えると、シュメール人はアッカドに追い出されたと考えるのが自然であろう。
だが、エラム人はエラム語を話す人種不明の民族で、シュメール人ではない。
ところが、エラム(日の昇る地)からシリア(日が沈む地)までが、シュメールの領土だったという説がある。
実際に、ウル第3王朝時代に、エラムはシュメールの支配下にあったという記録がある。
様々なパターンが想定できるが、ウル第3王朝時代、シュメールのスメラミコトが「スサの王」として君臨していた可能性も高い。
「シュメール人はエラムに居住して発展した」という説もあるので、シュメール滅亡後にエラムに移った可能性もある。
シュメール滅亡後、エラムがバビロニアに侵攻した事は間違いないようだが、バビロニア(アッカド)に国を奪われたシュメール人がエラムにいたとすると、その理由も頷ける。
そうでなければ、小国エラムのバビロニア侵攻は現実的ではない。
またその後、エラムはバビロニアの侵攻を受けている。
その時にスメル族(スサの王)がエラムを脱出し、アナトリア高原に移住したとは考えられないだろうか。
そして製鉄技術を世界で初めて生み出していたのは、実は先住民のハッティで、彼らは蛇神を信仰していたと仮定すると、「八岐大蛇伝説」の謎は氷解するのである。
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