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道教寺院には、則天武后が瀛州(日本)で出産したという伝承が残っています。彼女は、唐の第二代皇帝太宗(天河汗)の寵愛を受け、太宗が649年に崩御すると道教の道士となり、仙人の住む瀛州(日本)で出産し、修行をしたと。
その後、則天武后は唐に戻ると、第三代皇帝高宗の皇后になります。
そして、夫であった高宗が683年に崩御すると、則天武后は道士として、諡号の「天皇大聖大弘孝皇帝」を贈ったことが知られています。天皇と言う称号を漢字文化圏で初めて人間に与えた人は、この則天武后です。
一方日本では、701年に完成した大宝律令をもって天皇の号が法制化され、天武天皇以降、及びその系譜を遡って天皇の諡号が贈られたわけです。
さてそこで興味深いことに、天武天皇の崩御は、686年。則天武后の武周皇帝としての在位は、690-705年。ちょうど天皇の号が大宝律令に盛り込まれた701年と、彼女の在位の時期と重なります。
則天武后が生き別れになった息子にしてあげる事ができたのは、唯一、689年に崩御し大海人皇子に、天皇の諡号を贈ることだったのではないだろうか。
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