http://www.asyura2.com/12/bd61/msg/167.html
Tweet |
三国史記は、漢字が読めない韓国人には都合の悪い歴史なんだね。
りわりんの健康生活から
http://ameblo.jp/novausagi0116/entry-10572986476.html
古代朝鮮・新羅の王様は日本列島から移住した人・・・と現存する最古の朝鮮半島の歴史書に書いてあった
2010-06-25 11:03:43
テーマ:趣味(歴史)
日韓がタブーにする半島の歴史 (新潮新書)/室谷 克実
¥756
Amazon.co.jp
6月20日(日)に「調布史の会」の勉強会で、上の本の著者・室谷克実さんご本人からお話しを聞く機会がありました。
今日は、その時のお話しの一部をご紹介いたします。
ほんの一部だけど・・・びっくりしますよ!!
Σ(=°ω°=;ノ)ノ
◆現存する朝鮮半島の最古の歴史書・・・「三国史記(サムグクサギ)」
三国史記は西暦1145年に完成した高麗王朝の正史(国家が編纂した公式の歴史書、日本で言えば日本書紀に該当)です。朝鮮半島史では現存する最古の歴史書です。
歴史上初めて朝鮮を統一した新羅王朝から禅譲(世襲でなく王位を譲ること)された高麗王朝が、王位の正当性を証明するために編纂した歴史書が「三国史記」です。
その「三国史記」に、新羅の4代目の王様は「倭種」だったと書いてあるのです。なんと、「倭種」とは日本列島内の倭国(卑弥呼とかがいたとこ)の勢力圏外の地域に住んでいた人々のことです。
「倭種」がどのような人達かは、かの有名な「魏志倭人伝」に書かれています。
↓
<魏志倭人伝>
本文
女王国東渡海千与里、復有国、皆倭種
訳
女王国(卑弥呼が統治する倭国の首都)から東に海を渡っていくこと千里、まだまだ国があります。それらの国々の人々はみんな倭種です。
そして、新羅の4代目の脱解王は、倭国から東に1000里(隋里で約400キロ)のところから来たと「三国史記」に書かれています。
↓
<三国史記第一巻・新羅本紀>
本文
脱解本多婆那国所生也。其国在倭国東北一千里
訳
脱解(新羅の4代目の王)はそもそもタバナ国の生まれです。その国は倭国の東北一千里にあります。
つまり、倭国の首都(つまり邪馬台国)が近畿地方にあったとするなら今の新潟県あたり、倭国の首都が北九州地方にあったとするなら今の鳥取・島根県あたりにあったという「タバナ国(もしかすると丹波国のことかも?)」出身の「脱解」という人が朝鮮半島に渡って新羅の4代目の王様になったと書いてあるのです。
◆新羅の王様が「倭種」なら、総理大臣は正真正銘の「倭人」
そして、この倭種の脱解王は即位すると、大輔(総理大臣)に瓠公(ホゴン)という人を任命するのですが、この瓠公(ホゴン)さんは「倭人(卑弥呼なんかと同じ倭国の人)」だったと三国史記には書かれているのです。
↓
<三国史記・新羅本紀>
本文
瓠公者未詳其族姓、本倭人。初以瓠繋腰、渡海而来。故称瓠公
訳
瓠公はその族姓は詳らかではありませんが、そもそもは倭人です。ひょうたん(瓠)を腰にさげて海を渡ってきました。それで「瓠公」と呼ばれました。
古代日本列島の倭国・邪馬台国の勢力圏外に住んでいた人が新羅の王様に、倭国の人が新羅の総理大臣になっていたと高麗王朝の正史に書かれているのです。
また、新羅の王室には、朴(初代王の血筋)、昔(倭種の脱解王の血筋)、金の三氏(三王室)がおりますが、どうも金氏も脱解王の隠し子だったようです。
<三国史記の金氏の出自に関する記事の内容>
脱解九年(西暦65年)、脱解は夜林の中でニワトリが鳴くのを聞きました。朝になり瓠公に林の中を調べさせると、金の櫃(ひつ)が木の枝に引っかかっていて、その中に小さな子どもがいました。脱解は「天がお世継ぎをくださった」と大喜びしました。
・・・という話しが「三国史記」には書かれているそうです。脱解王には后(新羅二代目王の娘)との間にすでに男の子がいたのに、なんで拾い子を後継ぎにと大喜びするの?・・・(;^_^A <怪しいでしょ?
結局、この林の中から見つかった子どもは金の櫃の中から出てきたので「金」氏となり、この子孫から後に新羅王が即位しています。
◆三国史記以外の歴史書「三国遺事(サムグクユサ)」も新羅王の出自については否定も異説の紹介もしていない
三国史記が高麗王朝の国史であり正史だとすると、三国遺事は一人の高僧が書いた野史(公的ではなく、私的に編纂された歴史書)です。
三国遺事は高麗の名僧一然が個人の努力で書き上げた歴史書で1280年代頃に完成したと言われています。三国史記の記事の異説をたくさん掲載しています。(三国史記批判が編纂の目的だった様子)
朝鮮半島史で現存する歴史書では三国史記に次ぐ二番目の古さです。
三国史記の異説を紹介することで、三国史記を批判している三国遺事ですが・・・新羅王の出自については否定も異説の紹介も書かれていないのです。
ということは・・・少なくとも西暦1100年〜1300年頃の三国史記や三国遺事が編纂時に参考にした当時の史料(現在は散逸)には、「新羅王は倭種だった」ということが普通に書かれていた・・・ということを示していると思われます。
◆現在の韓国人も日本人も、「三国史記」の内容を正確に知っている人はほとんどいない?
はい、本日は「古代朝鮮の新羅王は、実は古代日本人だった」という、とてもショッキングなお話しを紹介してしまいました。(りわりん春日にとっては痛快ですけどね)
なにぶん古い時代(脱解王の即位は西暦57年)のお話しなので、三国史記に書かれている内容自体が必ずしも正しいとは言えませんが・・・、
・高麗王朝の正史「三国史記」に新羅王の出自は「倭種」と書かれている
・「三国史記」から百数十年後に書かれた「三国遺事」という歴史書でも、王の出自に関しては否定も異説の紹介もしていない
・・・ということは事実であります。
韓国人は学校で「自分達が日本人に文明を教えてやった」と教わっているので、「古代日本人が新羅王として古代朝鮮人に対して指導的な役割を果たした・・・」などと言うことは、絶対に認めたくないことでしょう。
ところが、三国史記にはこの他にも現代の韓国人が絶対に認めたくない内容の記事が満載なのです。
そして、現在の韓国の学校教育では三国史記を無視して教えないそうです。
自国の歴史認識・プライドにとって都合の悪い歴史書は無視という姿勢は、いかがなものかと思いますが・・・。
また、三国史記のハングル語訳がインターネットでも見ることができるそうですが、王の出自などところどころ削除されているそうです。
(三国史記の原文は漢文、戦後の韓国ではハングルしか教えていないのでほとんどの韓国人は漢字で書かれた原文は読めません)
日本の韓国史の研究者による日本語訳も変な註釈をつけてわざわざ分かりにくくしているそうです。
1970年代には日本の韓国史研究者が三国史記の内容にふれると左翼、在日外国人、韓国人学生などから鬼のような抗議がされていたそうなので、その名残りでしょうか?
・・・言論弾圧ですね・・・怖いですね・・・(((゜д゜;)))
こんなわけで、三国史記をちゃんと読みたい人は原文(漢文で書かれた基本テキスト)をこつこつと読むしかないそうです。ちなみに、室谷様は全部読むのに5年かかったそうです。
(内容は淡々としていてつまらないので、読み始めると10分で眠くなるような代物だそうです。それを辞書を引き引き読み切ったということですので、本当にお疲れ様でございました)
・・・以上、室谷克実氏のお話しのごく一部の紹介でした。
興味のある方は、一番上で紹介した室谷さんの著書・新潮新書「日韓がタブーにする半島の歴史」を読んでみてね。
りわりん春日も、透析してる間にワクワクしながら読んでいるところです。
また、三国史記には、「任那日本府」があったとしか説明がつかない記事もあるそうです。
・・・
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ61掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。