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株式日記と経済展望
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東条英機は岩手、石原莞爾は庄内、板垣征四郎は岩手、米内光政は
岩手、山本五十六は新潟、東北出身の軍人が大日本帝国を滅ぼした?
2013年4月23日 火曜日
◆東北論 4月22日 内田樹
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―原発の話にもどるんですが、原発って、東京で消費する電力を、福島で作ってたわけですよね。東京の犠牲になっていたわけですよね。なんでそういうシステムが生まれてしまうのでしょう。
戊辰戦争ですよ!決まってるじゃないですか。戊辰戦争で、奥羽越列藩同盟が賊軍になって、それからあと150年間、中央政府によって有形無形の差別を受けてきたからですよ。東北の出身者は中央に上がっていけなかったんですよ。政界でも官界でも財界でも・・・。明治の藩閥政治の間は、東北出身者にはエリートへのキャリアパスは存在しなかったんです。だから、原敬は爵位を拒否したんです。あれは東北人の意地なんです。私は薩長藩閥が作った政府が出す勲章なんか要らないって。原敬の号は「一山」っていうんだけど、あれは「白河以北一山百文」、東北地方は地価ただ同然という明治の東北差別に対する原の抗議のしるしなんです。
僕は、四代前が庄内藩士、三代前が会津藩士という賊軍の系譜の直系ですから、東北人の悔しさはよくわかるんです。東北人の屈託は内田家の家風ですから。「われわれは日の当たらないところに置かれている」という。東北人である限り、いくら努力しても報われないっていう。
だって考えてみてくださいよ、東海道新幹線の開通が1964年でしょ。東北新幹線の開通は2010年ですよ。半世紀遅れてる。
福島も地元が原発を誘致したわけだけれど、それは地元に産業がないからでしょう。産業がないのは福島県人の自己努力が足りないからじゃなくて、戊辰戦争以来150年間の、東北に対する政治的・経済的な制裁の結果なんですよ。東北にはチャンスが与えられなかった。
六ヶ所村ってあるでしょ。あれは昔の斗南藩の領地なんです。会津藩が戊辰で負けた後に、改封されて極寒の下北半島の原野に移された。不毛の荒地に。吹雪が吹いて、食べるものもろくに採れないところに会津藩士たちは追いやられ、そこでずいぶん餓え死にした。その斗南藩のところに今六ヶ所村の再処理施設があるわけですよ。産業が何もないところに。農作物も育たないし、自然資源もない。そこで生きていかなきゃいけない人たちがいる。だから、「よごれもの」を引き受けるという誘いに手を上げざるを得なかった。他に生きる道がないんだから。
そういうふうに、ある種政治的な意図をもって、政府のどんな要求に対しても断ることができないくらい貧しい地域が作り出されているんですよ。そこに嫌なことを全部押し付けられるように。
―それは今の官僚であるとか政治家とかも、意識して政治を行ってるのですか。
いや、意識はしてないでしょう。むしろ無意識だからこそ、こんなひどいことができる。150年間、ずっと無意識なまま東北は抑圧されてきた。君たちも東北人の証言には耳を傾けるべきだと思う。ぜひ読んでおいて欲しい本がある。『ある明治人の記録』。旧会津藩士ではじめて陸軍大将に昇進した柴五郎の伝記。会津が明治政府にどんな目に遭わされたか、わかるよ。
―ということはそのシステム自体は、たとえば自分たちがそのシステムを認知したとしても、そうそう変わらないということですか。
だって150年かかって作り込んでいるんだから。福島とか新潟とか福井とか、原発があるのは戊辰戦争で負けた藩のところばかりでしょう。戊辰戦争で勝った側にあるのは・・・玄海が佐賀にあって、それから川内が鹿児島にある。佐賀も佐賀の乱で中央政府に反抗してるし、薩摩は西南戦争で反抗しているから。だから、長州には原発がない。今、一つだけ上関に計画だけあるけれど、地元の反対運動で結局まだできていない。調べればわかるよ。戊辰で勝った側と負けた側の原発設置比率は。歴然とした差がある。要するに、賊軍にされた地域は貧しいままにとどめおかれたということですよ。
話がそれるけれど、元老山縣有朋と田中義一が死んだときに陸軍の長州閥が実質的に解体する。そのとき長州閥の重しがとれると同時に、東北出身の、陸士陸大出の人たちが陸軍内部で急激に大きな勢力を作り出す。彼らが中心になって皇道派・統制派が形成されるんだけれど、彼らの主要な関心事は軍略じゃなくて、実は陸軍内部のポスト争いなんだよ。長州閥が独占していた軍上層部のポストが空いたので、それを狙った。
陸海軍大臣・参謀総長・軍令部長・教育総監といういわゆる「帷幄上奏権」をもつポストを抑えれば、統帥権をコントロールできる。政府より官僚よりも上に立って、日本を支配できる。そのキャリアパスが1930年代の陸軍内部に奇跡的に出現した。そこに賊軍出身の秀才軍人たちが雪崩れ込んで行った。真崎甚三郎は佐賀、相沢三郎は仙台、ポスト争いで相沢に斬殺された永田鉄山は信州、統制派の東条英機は岩手、満州事変を起こした石原莞爾は庄内、板垣征四郎は岩手。藩閥の恩恵に浴する立場になかった軍人たちが1930年代から一気に陸軍の前面に出てくる。
だから、あの戦争があそこまで暴走したのは、東北人のルサンチマンが多少は関係していたかもしれないと僕は思う。結果的に近代日本を全部壊したわけだから。ある意味で大日本帝国に対する無意識的な憎しみがないと、あそこまではいかないよ。戦争指導部は愚鈍だったと言われるけれど、僕はここまで組織的に思考停止するのは、強い心理的抑圧があったからじゃないかと思う。
一人ひとりは普通に、合理的に生きているつもりでいても、長いスパンで見ると、そういうふうにふるまわざるをえないような集団心理的な方向づけって、あるんだと思う。人形つかいに操られる人形のように動かされてしまう。
福島に原発ができ、六カ所村に再処理施設ができるのは、個別的に見ると、そのつどの政治判断とか自治体の都合とかがあって選ばれたように見えるけれど、そういう個別の選択とは違うレベルでは、もっと大きな歴史的な流れが見えてくるんじゃないかな。
―東北の人たちは第二次世界大戦の少し前に上り詰めていって、で、第二次世界大戦が起きた後、またそこで排除されたんですか。
2.26事件とか5.15事件の関係者には東北諸藩の出身者が多いでしょ。農本主義的なテロリズムには東北の怨念に通じるものがあるんじゃないかな。現に、故郷では親族が飢えているとか、身内が娼婦に売られるとか、そういうことが青年将校たちの場合はあった。だから、都市ブルジョワジーが政治を壟断するのは許せない、と。そういう怒りがあったんだと思う。青年将校たちが求めた社会資源の再分配というのは、ブルジョワジーが独占している資源を貧しい国民に還流せよという、一種社会主義的な匂いがあるわけです。日本軍国主義って、アーシーなの。地面に近いんです。だから、戦前の右翼思想って、一筋縄ではゆかない。
軍国主義者を輩出したという事実がまた、東北が戦後社会で無意識のうちに差別される理由の一つにもなったんじゃないかと僕は思う。東北の問題って、根が深いんですよ。
(私のコメント)
東日本大震災が起きた時に、「株式日記」では、なぜ東北の被災者達はマスコミのカメラの前で、救済が遅れる政府への不満を大きな声で抗議しないのかと書いた事があります。歴史的に見れば東北地方は被征服地域であり、大和朝廷の時代から明治維新に至るまで征服された地域でもあります。
NHKの大河ドラマでも、会津が舞台になっていますが、会津がいつの間にか朝敵となって薩摩長州軍に破れてしまう。日本の歴史を見ても西日本が中心であり東北地方が日本史に登場する事は少ない。戦国時代でも伊達藩が登場してくるのは戦国も末期であり、伊達政宗は遅れてきた戦国大名と言われている。
戦後の総理大臣を見ても、東北出身の総理大臣は岩手の鈴木善幸しただ一人であり、新潟からも田中角栄が一人いるだけだ。鳩山由紀夫もただ一人の北海道出身の総理大臣だった。それだけ東北以北(新潟も含む)は日本にとっては僻地であり、政治的な力を持ってこなかった。東北北海道で大都市といえるのは仙台と札幌くらいで、後は関東から西の地方に大都市が集中している。
新幹線にしても高速道路にしても東北地方は後回しにされて完成が遅れた。青森に新幹線が開通したのは一昨年であり、北九州にまで新幹線が開通したのは1975年であり30年以上も完成が遅れた。理由としては東北には大都市が少ないから採算面の理由があるからでしょうが、有力な政治家も少ないという理由があるからだろう。
東京電力の原子力発電所も、福島と新潟にあるのは東北蔑視の一種なのでしょうが、東京電力の原子力発電所が関東には東海村に小さいのが一ヶ所あるだけだ。それだけ東北は政治力が弱く経済的にも貧しいいいから、中央政府から冷遇された地域になりがちだ。それは東北人の性格にも原因があるからだろう。
東北人と対照的なのは関西人であり、東北人が無口で我慢する性格なのに比べて、関西人はお笑い芸人が多いことからも分かるように口達者で社交的な人間が多い。私が銀行に勤め始めた時も、東北出身の女子社員と西日本出身の女子社員とは明らかに性格が違った。東北出身の女子社員に冗談を言うと怒り出す子が多かった。関西出身の女子社員は二人が話しているだけでも漫才になってしまう。
それだけ出身の風土が性格に与える影響は大きい。表題にもあるように戦前の軍人には昭和の時代になると東北出身者が多くなりましたが、これが大東亜戦争になった大きな原因の一員になったのではないだろうか? 薩長出身者が多かった時代では国際的な協調も取れていましたが、昭和の時代になると薩長の藩閥が弱まり、東北出身の軍人幹部が多くなり中央政府の言う事を聞かなくなって行った。
「株式日記」では、米内光政と山本五十六を批判してきましたが、二人とも岩手と新潟の出身者であり、陸軍でも東条英機や板垣征四郎は岩手の出身であり、単なる偶然ではなく中央政府に対する怨念のようなものが心の奥底にはあったのではないだろうか? 軍人という職業は我慢と忍耐を強いられることが多く、東北人の軍隊は強いが関西人の軍隊は弱いと言われて来た。
例えて言えば東北人が無口で我慢強いゲルマン人なら、関西人は陽気で明るいラテン人ということになるのだろう。アイドルでも圧倒的に西日本の出身者が多くて東北出身のアイドルはいないといってもいいくらいだ。どちらかというと東北は演歌歌手が多くて、やはり風土がそうさせるのだろう。
内田氏は、「だから、あの戦争があそこまで暴走したのは、東北人のルサンチマンが多少は関係していたかもしれないと僕は思う。結果的に近代日本を全部壊したわけだから。ある意味で大日本帝国に対する無意識的な憎しみがないと、あそこまではいかないよ。戦争指導部は愚鈍だったと言われるけれど、僕はここまで組織的に思考停止するのは、強い心理的抑圧があったからじゃないかと思う。」と発言していますが、それだけ東北人の中央政府への怨念は深い。
岩手出身の小沢一郎が総理大臣にならなかったのも、東北人の鬱屈した精神が災いとなったのであり、田中角栄にも東北人的な鬱屈した精神が見られる。山本五十六の長岡藩士の出身の家系であり戊辰戦争で朝敵となった。時代の流れは既についているにもかかわらず東北列藩同盟が薩長同盟軍と戦争になったのは、歴史的な怨念があるからだろう。
大東亜戦争の戦犯としては、東条英機と満州事変を起こした石原莞爾と米内光政と山本五十六がA級戦犯だと思うのですが、いずれもが朝敵となった地方の出身者であり、岩手の盛岡藩は戊辰戦争で敗れた。明治維新における戊辰戦争は後々まで東北人の怨念となって残り、それが大東亜戦争の遠因ともなったのではないだろうか?
内田氏は、「軍国主義者を輩出したという事実がまた、東北が戦後社会で無意識のうちに差別される理由の一つにもなったんじゃないかと僕は思う。東北の問題って、根が深いんですよ。」と結んでいますが、大東亜戦争は東北出身の軍人が起こしたものであり、その十字架を現代でも負い続けているから、東日本大震災でも中央政府は復興が遅れている原因なのでは無いだろうか?
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