http://www.asyura2.com/12/bd61/msg/123.html
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☆韓国初の女性大統領の本貫は、高靈朴氏
新羅の始祖、金・朴・昔は正真正銘倭人だが、高靈朴氏の祖先は、高靈=孝霊天皇に遡る。
韓国初の女性大統領、朴槿恵(パク・クネ)の本貫は、高靈朴氏。
朴正煕の日本名が「高木」だったことも、新羅の始祖は、朴赫居世
だったことも、歴史の運命を感じる。
☆新羅建国神話は日本建国神話の写し損ない
ツク シン ヒュウガン ソ チ オ
筑紫の 日向の 襲の 高千穂
ツク セン ガン ソ キオ
突 山 瓢 ー 兄(衣)の 高 墟
ツク サン ヒョウ ガン エ エ チオ
クワン サフン カン サフン
槵 触の(槵 触の) 峯
サン カヌ サン
花 山 金 山 峰(瓢ー)
クワ サヌ カヌ サヌ
イ セ ン サ サ ナガ タ イ スズ カワアゲ
伊勢の 狭 狭長 田五十鈴 川上
イ セ ン シ シ ナカ タ イ ズ アゲ
伊 山 觜 珍支 大 樹 川揚
イ サン シ チヌキ タ イ ジュ
・・・・
朝鮮人の歴史は朝鮮半島に自生したものではない。
ウリジナルで高麗5000年を主張するなら、
正しい歴史を学ぶには、反天皇・反日の鹿島昇の「桓檀古記」ではなく、
真実の歴史を学ぶ必要がある。
歴史徒然:ウバイド・倭人(ウワイト)・オリエント遷都から
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/29259916.html
天孫降臨の真相(1)
ウィキペディア百科事典によれば「天孫降臨(てんそんこうりん)は、アマテラスの孫であるニニギが、葦原中国平定を受けて、葦原中国の統治のために降臨したという日本神話の説話である。」と書かれている。
※出典:Wikipedia:天孫降臨
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%AD%AB%E9%99%8D%E8%87%A8
『日本書紀』の一書にはニニギの尊が大勢の神々に守られて高天原を出発し、
天のやちまたにさしかかると、
猿田彦の大神が出迎えていて尊の道案内をし
「天神(あまつかみ)之子は筑紫日向襲高千穂槵触(くしふる)之峯に行かれよ、
吾は伊勢之狭長田(いせのさなだ)五十鈴(いすず)の川上に行かん」といい、
それぞれに天降ったとある。
この一書がいちばん地名が多く出てくるので、これを比較の基礎にしてみよう。
『三国史記』の[新羅本紀]始祖赫居世の条と
『三国遺事』の新羅始祖、赫居世王の条とに、
赫居世の建国以前にやはり山に天降った六部の人々の話が出ている。
ここでは詳しい方の後者を使うことにする。
『遺事』の地名をまず写してみる。
1 閼川楊山村、 はじめ 瓢ー峯 に降る。
2 突山高墟村、 はじめ 兄山 に降る。
3 茂山大樹村、 はじめ 伊山 に降る。
4 觜山珍支村、 はじめ 花山 に降る。
5 金山加利村、 はじめ 明活山 に降る。
6 明佸山高耶村、はじめ 金剛山 に降る。
一見しただけでは、
さきのニニギの命の降った所とこの6部の降った所とが関連があるようには見えない。
しかし、この両者は同じ話から分裂したのだから、一致するところがあるはずである。
違うようにみえるのは方言差や用字の違いによるものである。
それを考えに入れて比較してみると次のようになる。
ツク シン ヒュウガン ソ チ オ
筑紫の 日向の 襲の 高千穂
ツク セン ガン ソ キオ
突 山 瓢 ー 兄(衣)の 高 墟
ツク サン ヒョウ ガン エ エ チオ
クワン サフン カン サフン
槵 触の(槵 触の) 峯
サン カヌ サン
花 山 金 山 峰(瓢ー)
クワ サヌ カヌ サヌ
イ セ ン サ サ ナガ タ イ スズ カワアゲ
伊勢の 狭 狭長 田五十鈴 川上
イ セ ン シ シ ナカ タ イ ズ アゲ
伊 山 觜 珍支 大 樹 川揚
イ サン シ チヌキ タ イ ジュ
残りの地名もすべて日本神話に関連がある。
こんなふうに地名を対照してみると、
当て字がバラバラになったときに起こる混乱を、
案外簡単に復元できることがわかる。
地名の対比によって、こうした神話部分だけでなく、
新羅景徳王が改めさせた地名でも、
一見して日本式の訓読だとわかる。
・・・・
第1260回:新羅始祖の名は”鹿児島王”
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/54935922.html
出典:言語復原史学会・加治木義博(歴史言語学者)
JINMU:ジンム・プロブレム
KKロングセラーズ<ムック>の本
【真説】日本誕生:誰が巨大古墳を造ったのか:159〜161頁
新羅の場合はさらに、もっと直接的な出身地証明がある。
始祖王・赫(かく)居世の時の大臣はさきにも話した瓠公だが、
彼以外の家臣の名は出てこないから、彼が最高の地位にいたことは間違いない。
この人物は『三国史記』編集時にはもう族姓がはっきりしなくなっていたが、
もと倭人で、瓠(ひょうたん)を腰につけて海を渡って来たから瓠(こ)公と呼ばれた、
と明記してある。
ところが王様の赫居世もまた<瓠>という名の変化した<朴>という名をもっている。
その理由を、辰韓の人たちは<瓠>を<朴>というので、
<瓠>のように大きな卵から生まれたから<朴>を姓にしたのだと書いている。
人が卵から生まれることはないので、これは理由にはならない。
<瓠>は瓠公とまぎらわしいので、
だれかが同音の<朴>という字を当てたのだとみる方が、より合理的である。
ということは、
赫居世と瓠公は二人でなく同一人で、
乏しい古記録をよせ集めたとき、
二とおりの史料があったために分化が起こつたのである。
それを証明するのは、赫居世(カコシ)の名である。
これは赫居世と読める配列になっている。
これに古代の国称、国を<マ>と呼んだものを下につけると
赫居世国は<カコシマ>となり鹿児島と当て字しても無理ではない。
とすれば<瓠>と<朴>が同音だというのは日本語、
少なくとも鹿児島方言でなければならないことになる。
<瓠>は<ヒサゴ>、<ホウ>。
<朴>は<ボク>、<ホウ>の音をもっている。
<瓠>は『倭名類聚鈔』巻一六の六、杓(しゃく)の中に、
「瓠は匏(ハウ)也、匏薄交(ハクコウ)反可為飲器者也」と書いてあり、
包(ホウ)と薄(ハク)の音があることを示している。
朴の方は巻二〇に和名「保々(ホホ)」であると説明している。
ということは、
瓠と朴は<ホー>という発音でだけ一線になる字で、
この鹿児島王が別に<ホホ>という名をもっていたことを示している。
いま鹿児島神宮の主祭神は
彦火火出見(ひこほほでみ)の尊(みこと)(日子穂穂出見命)である。
<火火>も<穂穂>もまさに<ホホ>である。
さきの新羅の地名が南九州のものと合い、
今また始祖の名が日本の皇祖と一致する。
これはけっして偶然ではない。
新羅にはもう一人始祖といっていい人物がいる。
それは四代・脱解王である。
[脱解紀]のはじめは次のようなものである。
「脱解は倭国の東北千里にある多婆那(たばな)国の生まれである。
その国の王が女国の王女と結婚したところ、
妊娠したのに子どもが生まれず7年もかかってやっと生み落としたものは、
なんと、大きな卵だった。
王はいやな顔をして
『人が卵を生むとは不吉なことだ。棄ててしまえ』と命じたので、
女王は卵を布でつつんで宝物と一緒に箱に入れて海に流した。
箱ははじめ金官国に流れついたが、
その国の人は気味悪がって取らなかったので、
また流れていって辰韓の阿珍浦についた。
浜辺にいた老婆が箱を明けてみると、
男の子が入っていたので家へ連れて帰って育てたところ、
背の高い、知識も人なみすぐれた好青年になった。
−中略−
老母は『お前は普通人ではないから学問で身を立てなさい』といい脱解も励んだので、
3代の南解次次雄王がその賢さをきいて王女の婿に選び、4代目の王になったのである」
だいたいこんなふうに書いて新羅王統の三つの家柄のうち、
「昔」という姓の始祖であることこの昔という字は、
老婆が箱を見つけたとき、
鵠(かささぎ)が鳴いてついて来たからだというが、鵠はを記録しているのである。
ジャクの音に対する当て字から生まれた物語り上の幻想で、
<ジャク>は邪久国、邪古国という当て字で
『新唐書』などに記録された屋久島(やくしま)の古名であると仮定すると、
その出身地名が姓になるという原則に一致する。
この<ジャク>は、本来琉球を意味するという説がある。
その理由はいろいろいわれているが、
それより現在も鹿児島弁では琉球を<ジキュ>または<ジク>と発音するという事実の方が、
より強い説得力をもっている。
<邪>の頭音は<ジ>であるから<邪久>は<ジキュウ>とも<ジク>とも読める。
もちろん<邪>は後世の日本では<ヤ>とも読むようになるから、屋久とも共通である。
これは屋久島が、
琉球の人たちの移住によって地名が移ったものが、
後世、<リュウキュウ>と<ヤク>の二つに区分して使われるようになったと
考えるのがいちばん当をえている。
・・・
<参考リンク>
■天皇は朝鮮人!?それでもいいけど古代朝鮮は倭人が建国したんだよね。
http://www.asyura2.com/12/bd61/msg/111.html
■<朴・金・昔は鳥人熊襲の族>新羅の三王家、朴・金・昔は南九州からやって来た!!(契丹古伝)
http://www.asyura2.com/12/bd61/msg/117.html
■朴 (姓)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4_(%E5%A7%93)
朴(ぼく、パク、朝: 박)は、新羅の伝説上の初代王である赫居世居西干を始祖とする由緒ある朝鮮人の姓(英語版)である。帰化人を除く全ての朴氏は建前上は赫居世居西干の子孫であるとされる。赫居世居西干の誕生に纏わる伝説によれば、赫居世居西干は瓠(ひさご)の様な大きさの卵から生まれたため、辰韓の語で瓠を意味する「バク」を姓としたという。
■高麗=高靈
高皇産霊尊・神皇産霊尊=高御産巣日神・神御産巣日神
http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/?mode=m&no=29
2008/02/14 14:24
○言語復原史学会・加治木義博:大学講義録23:5〜9頁
「高御産巣日の神は武内宿祢だった」
ビシュヌーの代表的な変身はクールマ=亀で高麗国(クールマ)、高句麗(クールマ)国の語源だったとわかる。
『四神」の玄武の本当の読み方と意味は「クロタケ=黒高=句麗(クロ)・高(タケ)で、
そのトーテムは亀(キ)と蛇(ダ)の清音で「キタ=北」、
これらの全てが「北の国」を意味する倭人文化である。
このクールマ=カルキ神の別名の一つは「 Niskalanka ニシュカランカ」で、
これに漢字を当て字すると「爾支王(ニシュ) 韓の神(カランカ)」になる。
この高麗・高句麗の人々の出身地はパビロンのカルデアで、
いま中近東に住むクルド人や、インドのクル族、またミャンマーからタイ国、
中国南西部に住むカリエン人たちと同族の人々だが、
クル族は、やはりビシュヌー神の変身・クリシュナ(句驪主国(クリシュナ))
を信奉する人びとで、
「神様」の南九州語「カンサー」と同音の、「カンサー王」という有名な王がいた。
次の神名は万葉読みして助詞の津を挟めば解けるが、
沖縄語ではその津を「チ」と発音することも謎解きの重要なカギである。
高 御 産 巣 日 神
タケウ ウミ ス ニッ
タケウ津 ウミ ス ニッ
タケウチ 大臣 足 尼 (宿祢の沖縄発音)
武 内 宿 祢
「神御産巣日神は葛城襲津彦だった」
この当て字が表現できる発音は、下のように読みとれる。
神 御 産 巣 日 神
カンギョ ウミ ソウ ヒ コウ
これを『記・紀』編集時代の慣習通りに、「ン」を助詞の「の」とみて、
同じ意味の助詞の「津」に変え、もう−つ「津」を挟むと次のようになる。
カンギョ ウミ ソウ ヒ コウ
カ津ギ 大臣 ソ 津 ヒ コ
葛 城 大臣 襲 津 彦
この名は在来は、カツラギ ソツヒコと読まれてきたが、それは大阪と奈良の
県境にある「カツラギサン=葛城山」と文字が同じなので、
発音の時代差に無知な学者が混同してしまつた粗雑な誤りであって、
葛の卑弥呼時代の正しい発音は漢音のカツでなければならない。
だからカツギ ソツヒコが正しく、この当て字は、それを正確に写しているのである。
この人物は『記・紀』ともに武内宿祢の子だと記録しているから、
その親子の順序からも、またその所領地が「襲・蘇奴国」は大隅であり、
邪馬壹国の所在地にぴったり適合することからも、
一見、神名に見えたこの名が、葛城襲津彦だったことは間違いない。
「それぞれ幾人もいた武内宿祢と葛城襲津彦」
だがこの葛城襲津彦を、過去の学者のように個人名と考えていては、何の役にもたたない。
『記・紀』の孝元天皇記には、建内宿祢(武内宿祢)は孝元天皇の孫で、
葛城・長江・曾都毘古(襲津彦)は建内宿祢の子だと書いてある。
この天皇は『日本書紀』の国牽天皇だから、卑弥呼の夫ソナカで、
その孫なら長寿だった卑弥呼が生きていた時代の人である。
ところが『古事記』仁徳天皇記や『日本書紀』履中天皇紀には、
葛城・曾都比古(襲津彦)は仁徳天皇の皇后・石日売命(磐(いわ)之媛)の父だと書いてある。
今では仁徳天皇が倭王=讃であることは疑いないから、
讃が宋に上表した後、死んだのは425年、ソナカが死んで卑弥呼が倭国連邦の女王
に共立された2世紀から、3世紀も後の人物である。
視点を変えて、卑弥呼=神功皇后時代をみると、
襲津彦は神功5年にはもう武将で、新羅の城を攻め落としている。
その孫は仁徳時代には200歳以上で、とても皇后にはなれない。
だから葛城襲津彦というのは名乗りであって個人名ではない。
同じ名乗りでも別の人物だったのである。
これがわかると古来ナゾのままになっている武内宿祢の300歳を超える長寿?の正体もわかる。
武内宿祢もまたやはり名乗りであって個人名ではなかったのである。
これほど明白で重要な「名乗り」を知らずに、日本の建国史の解明など絶対にできるはずがない。
「皇産霊」はアイヌ語だった
『記・紀』の中の名乗りは、後世の何も知らない者が当てた当て字。
そのために、それは国になったり、神になったり、人の名になったりしてしまった
ことが、すでにはっきり証明されているから疑いの余地がない。
だから武内宿祢や葛城襲津彦という人物が実在したのではない。
正体不明の言葉を人名と決めて当て字した者が作り出した幻影なのである。
ではこれらの神名人名とされてきたものの正体はどんなものだったのか?。
それは幻影になる前の、もとの名を分析すればわかる可堆性がある。
『高・皇産霊尊』と『神・皇産霊尊』は頭文字以外は同じだから、
その部分は独立した単語であって、
頭文字だけで区別する2つの何ものかを表現していることが簡単にわかる。
まずこの共通の単語の正体を突き止めてみよう。
最後の「尊」は敬称だとわかっているから、これもとると「皇産霊」。
これを日本式漢字音で読む、と「コー・サン・レー」で、
これはまだ神々が南九州本土へ天降る前の話だから、
沖縄発音で読むとコーはク、レーはルかりで、クサンルかクサンリである。
これにあう言葉を日本列島中心に調べてみると、アイヌ語にピッタリのものが見つかる。
北海道の稚内市にクサンルという地名がある。
このクサンはアイヌ語で「驚きの声」という意味である。
草薙(くさなぎ)の剣は「皇産王(クサナギ)の剣」
語尾の「ル」は、アイヌ語では幾つもの意味があるが、
稚内の地名にあうのは「道路」を意味するルで、
それならアッと驚きの声をあげる「立派な道路」か「変な道路」という意味になる。
また道路でなくても、いずれにしても驚異の声をあげるようなものを意味する。
高皇産霊と神皇産霊にこれを当ててみると、
やはりクサンルのルに当たる位置に「霊」の字があるから、
それは「驚くべき霊力をもった祖霊」を意味する。
高・神の区別は古代沖縄の二大勢力、
カウリー=高人族(カリエン)と、
シン=チヌ・チナ=神族(大秦=ウチナ=沖縄)で、
それぞれ
「高族の驚異の祖霊」
「神族の驚異の祖霊」ということになる。
このクサンの語尾の「ン」を本州語の「ノ」と同じ九州語の助詞とみると、
沖縄では「ナ」になるから「クサナ」である。
これに当時の王称語尾の「岐・貴がつくと「クサナギ」だ。
これは三種の神器の一つだった「草薙(くさなぎ)」の剣と同じになるから、
クサナギの剣とは在来の解説とは違って「皇産王(クサナギ)の剣」のことなのに、
史実を知らない者がクサナギの説明に困って、
「日本武尊が野原で火攻めにあったとき草を薙(な)いで助かったからクサナギと
いうのだ」という『故事』を捏造して「故事つけ」た実態が暴露する。
草を薙ぐ(払い倒す)ぐらい捧でもできるから誰も名剣だと思わないが、
皇祖の愛剣なら尊ばれて当然だと納得がいくからだ。
●岩波文庫「日本書紀」補注より:高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)・神皇産霊尊(かむむすひのみこと)
ムスは、植物の自然に産生する意。ヒは霊力。
高皇産霊は記では高木神という。後で天孫降臨の場合に、降臨の命を下す大役を行なう。
それ故、岡正男のごとく高皇産霊尊を天照大神よりも重視する見解もある。
神皇産霊は特別に働かない。高皇産霊に対して形式的に加えられたものであろう。
美武須眦の眦は記ではビ(甲類)、書紀ではヒ(甲類)清音に専用。
ムスヒのヒは清音で、ムスビ(結び)とは関係ない。
・・・・
■Kの写真館
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