http://www.asyura2.com/12/bd61/msg/111.html
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昭和通商(日本軍の特務機関)のお抱え学者でシベリアで洗脳された江上波夫は天皇騎馬民族説を唱えて一世を風靡した。
いまでも「 「日本=百済」説―原型史観でみる日本事始め」(金 容雲)なんて本が出ているが歴史をまるで知らないようだ。
そもそも朝鮮の建国の祖とされるものは皆、倭人ではないか?
朝鮮自身の歴史書「三国史記」にも書いてあるではないか?
他にも中国の歴史書や広開土王碑にも倭の五王・倭人の朝鮮進出が明記されている。
金さん、朴さん皆元をたどれば、倭人なのだ。
7世紀の唐との戦争で分離したに過ぎない。
九州・沖縄から半島・大陸に広がった偉大な祖先の歴史を政治的圧力で捻じ曲げてはいかんと思う。
◆三國史記[新羅本紀]始祖 赫居世=倭人
http://www.kjclub.com/jp/exchange/theme/read.php?tname=exc_board_63&uid=235271&fid=235271&thread=1000000&idx=1&page=6&number=563&f=name&word=rock69
三國史記 卷第一 新羅本紀第一 始祖赫居世
http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/sangokushiki/shiragi/010101gen.htm
[三国史記新羅本紀第一第一代 始祖赫居世居西干]
始祖 姓朴氏 諱赫居世 前漢孝宣帝 五鳳元年甲子 四月丙辰 (一曰正月十五日)
即位 号居西干 時年十三 国号徐那伐
先是 朝鮮遺民 分居山谷之間為六村
一曰閼川楊山村
二曰突山高墟村
三曰觜山珍支村(或云干珍村)
四曰茂山大樹村
五曰金山加利村
六曰明活山高耶村
是為辰韓六部
高墟村長蘇伐公 望楊山麓 蘿井傍林間 有馬跪 而嘶 則往観之 忽不見馬 只有大卵
剖之 有嬰児出馬 則収而養之 及年十餘 歳岐 然夙成 六部人 以其生神異 推尊之
至是立為君馬 辰人謂瓠為朴 以初大卵如瓠
故以朴為姓
居西干 辰言王(或云呼貴人之稱)
始祖の姓は朴氏で諱(いみな)は赫居世だ。
前漢-孝宣帝の五鳳元年甲子の年(BC57)4月丙辰の日<または正月 15日とも言う>に即位し
王号を居西干と言った。
この時は13歳だった。国号を徐那伐といった。
これに先たち、朝鮮から移住民(遺民)らが山谷の間に分かれて住んで6村を作っていた。
第一は閼川楊山村で、
二番目は突山高墟村、
三番目は觜山珍支村(あるいは干珍村とも言った)、
四番目は茂山大樹村、
五番目は金山加利村、
六番目は明活山高耶村と言った。
これらが辰韓六部である。
高墟村の村長・蘇伐公が楊山(南山)の麓を眺めたら、蘿井(慶州市塔里)のそばの林の間で、
馬が跪くようにして鳴いていた。
そこで行って見たら、突然、馬が見えなくなり、ただ大きい卵だけがあった。
それを割ったら、子供が出た。そこでおさめて育てた。
年が10余歳になると、若いのに優秀で、老成(夙成)していた。
6部の人々は、その生まれが神秘的だったので、彼をあがめ尊敬し、この年になって彼を君主にした。
辰韓では[瓢(ひさご)]を朴という。
初めて表れた時の大きい卵がまるで瓢のようだったわけで、朴を姓にした。
居西干とは、辰韓の言葉で王を意味する(あるいは貴人の称号だとも言う)
[始祖赫居世居西干38年の瓢公に関する記述]
瓠公者 未詳其族姓 本倭人 初以瓠繋腰 度海而来 故稱瓠公
瓠公は、其の種族と姓は詳らかにしていない。彼は本来は倭人だった。
初めは腰に瓢を腰に下げ海を渡って来たから瓠公と呼んだ。
・・・・
(投稿者注 韓国建国神話は日本の建国神話と全く同じ。卵生神話は征服王朝を隠すための古代の知恵。13歳で即位した赫居世居西干は卑弥呼の宗女壱与。
居世居西干はイヨ伊勢神という名乗り。この人達はビルマにも移動し、同じ建国神話を残している。加治木説参照)
◆新羅 - Wikipedia
新羅(しらぎ/しんら、紀元356年- 935年)は、古代の朝鮮半島南東部にあった国家。 ... 新羅の歴史は、『三国史記』新羅本紀・敬順王紀に記されるように、始祖から第28代真 徳女王末年(654年)までを上代、第29代武烈王(金春秋)即位から .... 卵が瓠(ひさご) ほどの大きさであったため、辰韓の語で瓠を表す「朴」を姓として名乗った。 .... また重臣 に、もとは倭人の瓠公がいた。 .... また、倭の五王のうち珍王と済王が、南朝宋の文帝 から「使持節都督、倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事安東大将軍」という 称号を ...
◆【属国】「新羅は倭の属国」との記述が韓国の古代史研究の第1級資料から見つかる [08/25] ★
http://archive.2ch-ranking.net/news4plus/1314333460.html
・・・よく百済との関係を云々する人がいるが、新羅との関係の方が遥かに興味深い。
中国の史書では百済に関し、その元来の住民については倭人が頗る多いと記されているが、王族はツングース系の扶余であったという。
しかし新羅の場合、なんと日本列島から渡来した倭人が王になって王統をも伝え、述べ8代の王を輩出したとされる。
初代 赫居世居西干(朴氏)
*2代 南解次次雄(朴氏)
*3代 儒理尼叱今(朴氏)
*4代 脱解尼叱今(昔氏) ←倭人。丹波の国出身説が有力。
*5代 娑婆尼叱今(朴氏)
*6代 祗摩尼叱今(朴氏)
*7代 逸聖尼叱今(朴氏)
*8代 阿達羅尼叱今(朴氏)
*9代 伐休尼叱今(昔氏) 13代 味鄒尼叱今(金氏)
10代 奈解尼叱今(昔氏) 14代 儒礼尼叱今(昔氏)
11代 助賁尼叱今(昔氏) 15代 基臨尼叱今(昔氏)
12代 沾解尼叱今(昔氏) 16代 訖解尼叱今(昔氏)
.. 17代 奈勿尼叱今(金氏)
そしてさらに、それ以上に興味深いのが建国時に新羅の宰相となって影の王のように振る舞い活躍した瓢公という、 瓢箪を腰に付けて船で渡来したとされる倭人で、この人物は現代の朝鮮人のアイデンティティの根幹を揺るがしかねない問題を孕んでいる。
というのも、現代の朝鮮人の姓名は"中華"への服属意識を如実に表す、漢字/漢字音を用いた姓=一字、名=二字という漢族式で、実際の姓自体も漢族が使用するものの借用が殆どという有様だが、新羅の初代王の朴赫居世に始まる「朴」という姓だけは、辰韓の語の「バク」という単語を借字で音写した独自の姓とされ、特殊な姓と言える。
ではこの「バク」という辰韓の語が何を意味するかと言うと、「瓢」。宰相として影の王のように振る舞った倭人の「瓢」公となんと同じ。
このことから、瓢公と朴赫居世は共に倭国から渡来した同族、あるいは同一人物であるとも言われている。
ちなみに金氏の祖は、件の、倭人である昔氏初代にして第四代新羅王脱解の治世時に、これまた件の倭人宰相瓢公が拾って来たとされている。
瓢公(あるいは朴氏も)や昔氏一族といった倭人たちが新羅建国に深く関わり、王、宰相として支えたわけです。非常に興味深いですね。
(参考文献:三国史記、三国遺事)
・・・
(2ch抜粋)
◆朝鮮人が認めない歴史的事実一覧
・弥生人が長江流域から稲作とともにやってきた百越系民族であること(稲のDNAによる証明)
・半島南部の先住民が倭人(弥生人=百越系民族)であること( 半島南部考古学的遺物=九州北部遺物)
・新羅の建国時の宰相(瓢公)が倭人であり、王家の一つ昔氏が倭人系統であること。
また始祖の朴赫居世についても倭人説があること(瓢=ひさご・ひょうたん=朴=半島南部古語)
・百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあったこと
・大和朝廷による伽耶地域の支配(半島南部における多数の前方後円墳の存在)
・・・・
◆日本は最も久しく、其つ大なり。其の地は黒龍江の北に始まり、我が済州の南に至り、琉球と相接し、其の勢甚だ長し。(海東諸国紀)
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