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株式日記と経済展望
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韓国人は今や上から目線で日本を見ています。日本の総理が公開の席で
わざわざ韓国語を使いました。「日本が膝を屈して来た」と見た韓国人もいた
2014年4月11日 金曜日
◆「安倍首相の韓国語は失敗でした」 韓国の識者が語る韓国人の本音 4月10日 鈴置高史
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20140408/262572/?P=1
膝を屈して来た日本
A:状況は鈴置さんが考える以上に進んでいます。韓国人は今や上から目線で日本を見ています。日本の総理が公開の席でわざわざ韓国語を使いました。これをテレビで見て「日本が膝を屈して来た」と見た韓国人もいたのです。
ことにまずかったのは「朴槿恵大統領」と呼びかけた時、「ニム(様)」という尊称を使ったことです。下男がご主人様に使う言葉です。卑屈と受け取られます。一国のトップが使うべきではありません。
鈴置:「ニム」はいけませんか。私などは「ニム」を付けておけば間違いないと思って、誰にでも使ってしまうのですが。
A:記者と総理は違います。
鈴置:だったら「閣下」を入れるべきだったでしょうか。中曽根訪韓以降、何人かの日本の首相は韓国の大統領に対し「閣下」を使った記憶があります。
A:「閣下」もいらないでしょう。「大統領」だけでいいのです。昔の権威主義の時代なら「閣下」を使った方がよかったでしょうが、今それを使うと、相手を茶化したニュアンスさえ感じさせてしまうのです。
日本には罰を与えている
鈴置:「日本がひざを屈して来た」と見る韓国人――。確かに、最近の韓国紙を読んでいると、その見方は腑に落ちます。
日韓関係に関しても「日本が首脳会談を哀願してきている。しかし、悪い日本に罰を与えるため、韓国はそれを許してやらないのだ」というノリで書かれた記事に出くわします。
ニュースソースの韓国の外交官も本気でそう語っているようだし、記者もそれに違和感を持たずに書いています。日本の韓国研究者の間でも、こうした記事が話題になっていました。
A:まさにそこです。韓国が日本を見下し始めているのです。その時に「ニム」を使えば、韓国人の上から目線を加速します。
礼を失しないため、より丁寧な言葉を使ったつもりでしょうけど「そこまで卑屈になるほど日本は落ちぶれたか。だったら日本を相手にする必要もないな」との空気が韓国に広がる可能性が大いにあります。
小中華思想の復活
鈴置:「野蛮人が朝貢に来たがっているけれど、あまりに礼儀を知らないから朝貢を許してやっていない」――。すべての韓国人ではないかもしれないけれど、韓国人の目には今の日韓関係がこう映っている。つまりは、韓国に小中華意識が復活したということですね。
A:その通りです。
鈴置:もっとも、普通の日本人は、小中華意識の復活などには思いも及びません。だから「安倍首相が韓国語を使ったのに朴槿恵は目も合わさなかった」ことに首を傾げたり、「失礼だ」と怒り出す人がいるのです。日本人には「下」に見られている自覚がまだないのです。
A:まあ、朴槿恵大統領本人は、突然の韓国語にどう反応すべきか、戸惑っただけなのかもしれませんが。
鈴置:しかし、よく考えると「韓国語事件」で結果的には安倍政権は得したかもしれません。会談では韓国語を、それも「ニム」まで使って下手に出た。しかるに傲慢な朴槿恵大統領がそれを蹴り飛ばした――というイメージは作ることができました。
安倍首相が日米韓首脳会談に臨んだのはオバマ大統領の顔をたてるためです。オバマ大統領を前にした「誠実さ」競争では得点をあげたのです。
韓国への配慮は不要に
A:なるほど。でも、そこまで日本政府が計算したでしょうか。
鈴置:確かに、そんな知恵者がいるとも思えません(笑)。韓国語を使えば相手が喜ぶだろう、「ニム」を付けておけば問題ないだろう――ぐらいのノリだったと思われます。
以下も「結果的に」かもしれませんが「首脳会談を避け続ける朴槿恵大統領」を安倍政権が利用し始めたようにも見えます。
集団的自衛権の行使容認問題も、小学校の教科書での竹島に関する記述も、武器輸出の事実上の解禁も、韓国への配慮なしにどんどん進めています。
そもそも、こうした日本自身が決めるべきことで、外国の顔色を見ること自体がおかしいと思います。しかし、少し前までなら日本の左派が「周辺国への配慮」を名分に反対し、政府も政権運営のため、それを若干でも受け入れざるを得ませんでした。
しかし、今や韓国は異様な大統領が率いる異様な国と見なされました。日本のやることには何でも反対する。日本が説明しようと首脳会談を持ちかけてもそっぽを向く――。
こうなると、左派がいくら「韓国への配慮」を言い立てても「あの国とはそもそも話し合いさえできないではないか」と政府は言い返せます。普通の国民も、日本の足を喜々として引っ張る奇妙な国と連帯する左派に疑惑の目を向け始めたのです。
朴槿恵政権が対日強硬策を取るほどに、韓国は日本での影響力を落としていく――という皮肉な結果になっています。(後略)
(私のコメント)
昨日の続きになりますが、韓国との外交は親密になろうとすればするほどおかしくなっていく事を昨日は書きましたが、それはどちらが兄で弟であるかかが問題になってしまうからだ。安倍総理が韓国語で「ニム(様)」と言う言葉を使いましたが、安倍総理は韓国が兄であることを認める形になってしまう。
日本人ならこれが単なる社交辞令であることが分かりますが、これが韓国人をますます怒らせてしまう事になる。韓国を兄と認めたのに日本の態度が変わらない事に腹を立てるからです。韓国人には対等の外交関係と言う意識は存在しないから問題がこじれてしまいます。パク・クネ大統領の海外への告げ口外交も、兄として敬われるべき韓国を日本はバカにしていると思い続けているからでしょう。
韓国のマスコミ論調などは、サムスンはソニーに勝ったとか、日本の全電気産業を合わせてもサムスンに及ばないとか、サッカーの試合でも韓国が勝つことで日本を見下す態度に出ます。何事にも韓国が上であることを証明しようとする。○○の起源は韓国だとかいう論調もそうです。特に韓国の学校などではそのような愛国教育を受けているから日本を見下すようになります。
2002年のワールドカップの時にも、開会式では日本の皇族が出席していましたが、金大中大統領は皇族を押しのけるように前を通って席に着いた。挨拶でも「韓国5000年の歴史」と述べましたが、韓国が中国よりも古い歴史を教えているらしい。韓国の5000年前の遺跡でもあったのでしょうか? 韓国の歴史書では三国史記が一番古いものですが12世紀のものだ。
三国史記は、もちろん漢文で書かれていますが学者を除いて韓国人はハングルしか読めないから、漢文からハングルに訳されたものしか読めない。その際にも倭国と高句麗や新羅や百済の上下関係が問題になりますが、ハングルに訳される時点で歴史の歪曲が行われている。どちらがどちらに人質を差し出したかを見れば上下関係が分かりますが、新羅が倭国に人質を差し出している。
三国史記は朝鮮人が書いたものだから間違いはないはずなのですが、ハングル本では違っているらしい。韓国人が漢字や漢文を理解させないようにしているのも歴史の改ざんの為であり、韓国人は古代から韓国が日本に対して上の関係と教えている。それが日韓併合により韓国は荒らされ尽くして土地を奪われ文明開化に遅れてしまったと教えているらしい。
戦後間もない頃は、実際の日韓併合時代を知っている人が多かったから、学校で出鱈目を教えても実際は違った事は分かっていましたが、ハングル世代が多くなるにつれて反日の度合いが強くなって来たのは真実の歴史がハングル世代には分からないのだ。韓国政府が漢字を教えないようにしているのは過去の歴史を分からないようにするためであり、三国史記を原文で読める人ならば出鱈目であることがわかってしまう。
◆戦乱の時代と言われる弥生時代、その震源地は九州ではなかったか?
http://www7.ocn.ne.jp/~sui-yama/ankoku.htm
「三国史記の新羅本記には、古代の新羅と倭国の関係について書かれた部分がありますが、それによると、当時の倭国は盛んに朝鮮半島に出兵していたようです。それもかなりの大部隊のようで、新羅の王城を囲んだり、新羅から1,000人もの人を連れ帰ったような記述も見られます。朝鮮半島は、今でこそ日本とは全く別の外国ですが、当時はそのような考えはなかったものと思われます。例えば、九州から見れば、近畿地方も朝鮮半島も同じようなものではなかったかと考えることができます。
三国史記の記録と高地性集落の分布から、三国史記に言うところの倭兵とは、九州の勢力であり、朝鮮半島だけでなく、近畿地方や中国・四国地方にも出兵していたのではないかと考えます。」(後略)
(私のコメント)
パク・クネ大統領は何かと歴史を直視せよと言いますが、直視しなければならないのは韓国の歴史であり、パク・クネは反日教育を受けてきた世代であり、従軍慰安婦も創氏改名も真実とは違う教育を受けてきた。日韓併合時代も学校の歴史教育で出鱈目が教えられている。それは歴史記念館に行けばわかる。ハングル世代は昔の事が分からないから学校で出鱈目を教えられても信じてしまう。
鈴置氏によれば、「野蛮人が朝貢に来たがっているけれど、あまりに礼儀を知らないから朝貢を許してやっていない」という事らしいのですが、歴史上では日本に朝貢していたのは朝鮮であり、稲作文化が伝わったのもDNAの解析では日本から朝鮮に伝わったのだ。だから稲作によって日本が豊かになり朝鮮半島に盛んに攻めて行って支配したらしい。だから古墳なども朝鮮半島に残っている。
鉄砲などもポルトガルから伝わってきて日本中に瞬く間に広がりましたが、中国や朝鮮では鉄砲が作れなかった。だから秀吉が朝鮮に攻め上ると朝鮮兵や明兵は日本の鉄砲に歯が立たなかった。稲作や鉄砲などの伝わり方を見れば文明は日本から朝鮮に伝わって行ったのが真実でしょう。
◆明軍の実力は? 秀吉の朝鮮出兵時、日本側は大軍の明軍を何度となく破ってます。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1127037781
やはり最大の要因は鉄砲の有無ではないでしょうか。
明にも独自の火器が発達していましたが、西洋のものに比べれば明らかに時代遅れでしたし、その発達は主に大砲が主体でした。小銃も存在していましたが、西洋式の火縄銃とは雲泥の差がありました。もちろん明にも日本より早く火縄銃は伝わっていましたが、ほとんど装備はされていません。そして当時の大砲は攻城戦には有益でしたが、野戦にはあまり役に立つ物ではありませんでした。
日本側が勝利を収めた戦いは、ほとんど鉄砲が威力を発揮した戦いです。日本側の主武器であった槍は、この戦いではあまり役に立ちませんでした。明や朝鮮の兵は白兵戦より弓での戦いが主武器だったからです。弓が相手では日本側の刀槍が役に立たないばかりでなく、射程や威力で劣る日本の弓も勝てないため、鉄砲が最も頼りになる武器と言う事になります。日本側にとって鉄砲で制圧できるかが、勝敗の最大の要素になります。文禄の役での戦訓から、日本側は慶長の役の際には大幅に鉄砲を増強しており、この時期が日本で鉄砲の装備比率が飛躍的に増大した時期です。もっとも明、朝鮮軍は近接した白兵戦に持ち込まれた場合は、それはそれで苦手としたので日本側有利でしたが、降倭に関して銃を扱える者を絶対的に優遇した事から見ても、彼らが脅威としてみていたのは何と言っても鉄砲であったと思われます。(後略)
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