04. 2014年3月01日 02:05:44
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朝鮮日本軍性奴隷・強制連行被害者問題対策委員会代弁人の談話(全文) 【平壌2月28日発朝鮮中央通信】3月1日は、過去、朝鮮を武力で不法占領した日本帝国主義者のファッショ的暴圧によってわが民族がなめた不幸と苦痛がさらに胸痛く感じられる忘れられない日である。 今から95年前の1919年3月1日、日本帝国主義の植民地支配に反対し、国の独立を求めて平和的デモに決起した朝鮮人たちに日帝は野獣じみた虐殺蛮行で応えた。 「朝鮮独立万歳!」を叫ぶ女学生をめった切りにして殺し、老人の胸に銃剣を刺し込むなど老若男女を問わず、空拳しかない平和的デモ参加者を無差別に虐殺した。 集計資料によると、日帝は3・1人民蜂起を契機に10余万人の朝鮮人を集団的に虐殺した。 実に、日帝の3・1人民蜂起鎮圧は朝鮮民族抹殺を狙ったおびただしい大量虐殺犯罪である。 問題は、日本の過去清算回避策動によって95年間という長い歳月が流れた今日まで、蜂起犠牲者の天についた恨みが晴らされていないことである。 3・1人民蜂起鎮圧だけでなく関東大震災時の朝鮮人大虐殺蛮行、「浮島丸」爆沈事件をはじめ数多くの虐殺事件と強制連行、強制労働犯罪、日本軍性奴隷犯罪など過去、朝鮮人民に働いた反人倫的犯罪に対して日本はどれ一つも心から謝罪をし、その真相を究明したことがない。 むしろ、40余年間も朝鮮を不法占領してわが国とわが人民に残酷な反人倫的犯罪を働き、おびただしい人的・物的・精神的被害を与えたことに対してわい曲、否定し、日帝によって苦痛を受けた被害者らをむやみに侮辱する破廉恥な妄動を続けている。 近年間だけを見ても、日本の政府当局者が旧日本軍が人を強制的に連れていくように人家に入って慰安婦に作ったことを示す証拠がない、と公言したかとすれば、今年の1月には日本の共営放送であるNHKの新任会長が戦争を行ったどの国にも慰安婦はいた、と醜悪な性奴隷犯罪行為を正当化した。 そうかとすれば、百数十人の政客が集団的に靖国神社につめかけて朝鮮人民とアジア諸国の人民に残酷な災難を被らせた戦犯らの亡霊を慰めており、世界的にまだ侵略に対する定義が定立されていないという荒唐無稽(けい)な詭(き)弁で国際社会を驚愕させている。 今の日本の現実は、それこそ「大東亜共栄圏」の妄想に浮ついて侵略戦争を「正義の戦争」に宣伝し、帝国主義馬車を疾走させていた敗北前の姿そのままである。 全国際社会が過去犯罪を否定する破廉恥な行動に憤怒し、警告と叱責を送っているが、「強大な日本」の野望に浮ついた日本は危険な軍国化、右傾化の道へ夢中になって突っ走っている。 その果てがどこかは、火を見るより明らかである。 日本は、時代錯誤の過去清算回避、歴史わい曲行為に執着して正義の声にあくまで顔をそむけるなら、再び国と民族を破滅のどん底に追い込めるようになるということを悟らなければならない。 これをよく知っているので第2次世界大戦の同じ戦犯国であるドイツは戦後数十年間にかけて被害者らに真心のこもった謝罪と賠償をし、ナチズムの復活を防止し、国際社会との信頼を厚くするために真しな努力を傾けてきたのである。 日本は、今からでも歪んだ史観、思考観を正し、誠実な姿勢で過去にわが国とわが人民、アジア諸国の人民に及ぼしたすべての被害と苦痛に対して正しく清算することに踏み出さなければならない。 まさに、その道にだけ日本の将来がある。 チュチェ103(2014)年2月28日 平 壌 ・http://www.kcna.kp/kcna.user.home.retrieveHomeInfoList.kcmsf 歴史は告発する 「韓日合併(1910)」後、日本帝国主義は朝鮮で暴悪な「武断統治」を実施した。 その10年間は、全国を一つの監獄と化した中世的な恐怖政治のもとで、朝鮮民族が言論、集会、結社、示威の自由をはじめ一切の社会的権利と財貨を奪われ、苦難にさいなまれた受難の時期、暗黒と飢餓の時期であった。日本侵略者に対する朝鮮人民の積もり積もったうっ憤と恨みは、ついに1919年3月1日に全民族的な憤激となって爆発した。 ◐http://www.naenara.com.kp/contents_j/periodic/news_daily/2014/02/28/e-28-11-11-0.htm 天道教、キリスト教、仏教など宗教界の人士や愛国的な教師、学生の主導のもとに、3・1人民蜂起は綿密に計画され推進された。 3・1人民蜂起は平ピョン壌ヤンにおける大衆的な示威闘争を皮切りにしてはじまった。正午の鐘の音を合図に数千人の青年学生と市民が将チャン台デ丘にある崇スン徳ドク女学校の運動場に集まり、「独立宣言書」を朗読し、朝鮮が独立国家であることを厳かに宣言した。そのあと、「朝鮮独立万歳!」「日本人と日本軍は帰れ!」スローガンを叫びながら激烈な街頭示威を断行した。示威隊はまたたく間に10余万に膨れ上がった。 日本の官僚は騎馬警察隊と軍隊を出動させ、いたるところで群衆に軍刀を振り下ろし、銃弾を浴びせておびただしい死傷者を出した。 しかし、示威群衆はひるまずに肉弾となってたたかった。群衆のなかから「独立運動歌」が響き渡った。 同日、ソウルでも大規模な反日独立万歳示威が展開された。市内中心部のパゴダ公園に集まった青年学生と愛国的人民は午後2時半、青年学生代表の「独立宣言書」朗読につづいて、「朝鮮独立万歳!」を叫びながら示威行進をはじめた。示威隊がいくつかに分かれて市内各地に繰り出すと、労働者や小市民など各階層の群衆がこれに合流し、隊伍は無慮数十万に膨れ上がった。 示威群衆によってソウル市内の交通は遮断され、日本の植民地支配秩序は麻痺状態に陥った。 あわてふためいた日本侵略者はソウル市内の憲兵、警官はもとより、竜リョン山サン駐屯第20師団の兵力まで動員して示威群衆を弾圧、虐殺した。 瞬時にしてソウルの街は血の海と化した。しかし、示威群衆は闘争をつづけた。年少の一女生徒は、国旗を振りかざしていた右手を切り落とされると左手に持ち替え、左手まで切られて動けなくなるまで前進をつづけ、「朝鮮独立万歳!」を叫んで日本軍警を戦慄させた。 ◐http://www.naenara.com.kp/contents_j/periodic/news_daily/2014/02/28/e-28-11-12-0.htm 示威群衆が敵の弾圧をはねのけて激烈な闘争を繰り広げていたとき、「朝鮮民族代表」と自称するブルジョア民族運動の上層部の33人は青年学生代表との「約束」を反故にし、泰テ和ファ館で宴を張り、日本帝国主義に投降した。 しかし、人民大衆は闘争を中断しなかった。人民蜂起は全国13のすべての道に波及し、満州、上海、沿海州、ハワイなど、海外の朝鮮同胞にも波及して全民族的な抗争に発展した。民族的良心のある朝鮮人は職業、信教、老若男女の別なくこぞって蜂起に参加した。蜂起が起きてから1、2ヵ月のあいだ、全国土が独立万歳の声にどよめいた。 平和的な万歳示威は次第に暴動の性格をおびてきた。群衆は各地で日本の統治機関を襲撃、破壊し、侵略者を誅殺してたたかった。 日本帝国主義は朝鮮駐屯の兵力を総動員しただけでなく、本土から6個大隊を上回る歩兵隊を急派し、全国各地で血なまぐさい大虐殺の拳に出た。こうして同年の末までに数百万の大衆が参加したにもかかわらず、蜂起は失敗に終わった。 3・1人民蜂起は、たたかいで勝利するには統一的な闘争綱領と正しい指導がなければならないという教訓を残した。 この蜂起を分岐点として、朝鮮における反日民族解放運動は、その指導思想と指導勢力に交替がなされ、次第に新たな発展段階に入っていった。 3・1人民蜂起後、日本帝国主義は朝鮮人民の反日感情をなだめるため、形式上ではあるが、「武断統治」を「文化統治」に衣替えせざるを得なかった。 ◐http://www.naenara.com.kp/ja/news/news_view.php?0+72738 |