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「ジャーナリスト同盟」通信
2014年02月03日
1次大戦後のドイツと今日の日本
――中共中央理論誌『求是』2014年1月号より――
湯重南(中国日本史学会名誉会長)
中山敏雄・訳(JLJ会員/ボランティア教師)
1次大戦前の英独関係に擬えた安倍首相の歴史認識(訳者)
【訳者解題:尖閣(釣魚島)を巡る日中国家間対立は、一昨年末の安倍自民・公明連立政権成立後、一層深刻さを増し、今や相互に抜き差しならぬ理論的対立の様相をも呈している。日本の朝野が中国を軍拡路線、領土拡張主義、覇権主義と批判すれば、中国の朝野は日本をヤルタ・ポツダム体制打破、2次大戦後の世界秩序転覆を図るものと批判する。
果たして歴史はどのような裁定を下すであろうか。今後数年から10年後、つまり2020年辺りになれば、世界の戦略構図やその内容は相当明瞭化するのではなかろうか。
昨秋モンゴル国ウランバートル市の私立大学にボランティア教師として1学期間赴任して、この正月に一時帰国し、正月気分が抜けたところで、モンゴル滞在の印象記を思いつくまま記してみた(JLJ報掲載済み)。
その後、改めて現下の日中問題を考察しようと考えた矢先、麻生副総理のナチスの手口に学んでとの発言以上に重い安倍総理(首相)のダボス発言(1月22日)が飛び出した。スイスの世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)での外国人記者との意見交換の席上、今年が1次大戦百周年に当たることを指摘した上で、悪化している現在の日中関係をその1次大戦前の英独に擬えて説明した、というものである(菅官房長官が23日の記者会見で披露)。正に重大な歴史認識を表明したものと見られ得よう。
普通なら流石は日本の宰相、歴史の遠見能力を有していると賞讃したくなるところであろうが、待てよ、首相は事の意味、重大性を本当に解った上で発言しているのだろうかと気になった。表層的な相似性でなく、内容的にどのように理解しているのかが今一つ明かされていないからである。既に開戦の可能性を意識しているということの反映なのであろうか。本来、首相のそうした認識は極めて重いものと見られるべきものであろうが、日本のマスメディア報道ではどうもよく分からない。余りにも反応が遅く、鈍いような感じさえ受ける。
当JLJ報で政治評論家の本澤氏が度々指摘されているように、マスメディアの記者クラブ制度の弊害が影響しているのでもあろうか。外国人記者達に話したことでも、随行記者達はすぐ追跡取材可能なはずではないのか。米マーティン・ファクラー記者から『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(双葉新書)などと記者クラブ型メディアが批判されていても、反省する必要などないと言い切れるのだろうか。
2010年10月15日、安倍氏が米ワシントンで演説し、中国の軍事戦略について、「かつてのドイツにおけるレーベンスラウムとの考え方を想起する人がいるかもしれない」と、ナチスに擬えて批判し、中国側からの反論を招くという遣り取りがあった事実なども、日本の代表的メディアのエリート記者達には忘れ去られているのであろうか。
他方、折しも中国の知日学者として日本でも高名な中国社会科学院湯重南教授が、正月の中共中央理論誌『求是』(2014年1月号)に「1次大戦後のドイツと今日の日本」と題する論文を寄せていた。同論文は求是のネットから更に別のネットなどにも広がりつつあり、中国の党内外で相当幅広く読まれている模様である。果たして安倍首相が、こうした論文の論旨などもブレーンから進講を受けた上でダボス発言をしたなどという可能性は、有り得ないものであろうか。
しかし、それにしても同首相発言は、より深刻に日中関係を歴史的に考察する機縁となり得るものであることは間違いあるまい。そうとすれば、この際、小生などが卑見を陳べるよりも、湯論文紹介の方が遥かに有意義で、会員諸氏の参考として裨益し得よう。我々日本側としては、先ずは真摯に中国側の見解に耳を傾ける謙虚な姿勢こそ大切であろう。この際、同論文に対する訳者の解説や感想を付す蛇足は控えたい。
なお、訳文の至らぬところは無論訳者のみが責を負う。本訳文中の〔 〕内は原註、( )内は訳註である。 (2014.01.24付)
追補:上記安倍発言が欧米で大きな波紋を呼ぶに至り、24日、菅官房長官が、首相は「同じ状況」との表現は使っていないと釈明した。しかし、1次大戦前夜の英独に擬えた事実に変わりはない。日本の宰相として、言い訳をしなければならないような物言いしか出来ないと受け取られるところにも遺憾が残る、と評さざるを得ない。
対中包囲網形成を国家政戦略の骨幹として東奔西走、合縦連衡工作に邁進される我が国宰相は、1次大戦後のドイツと比べられた今日の日本の在り方の問題については、どういう認識を示し得るのであろうか。出来れば我が国宰相と政府に、事実に基づく謙虚で毅然とした自省と反論を期待したいところである。(2014.01.25 追補)】
※
安倍晋三が日本の首相に再任したこの一年来、日本は政治右傾化の道をひた走り、往年侵略戦争を発動した軍国主義に近づきつつある。今日の日本は、第1次世界大戦後のドイツと驚くほど似たところが多数ある。ヒトラーは往年、経済危機の中から登場し、国内の報復主義の情緒を利用して軍備拡張・戦争準備(「拡軍備戦」)に狂奔し、次第に「ヴェルサイユ条約」の束縛を打破して、最後には侵略戦争に向かったのである。安倍の側近(「親信」)で副首相麻生太郎は、ナチス・ドイツに学び、「知らず知らずのうちに」(朝日新聞デジタルによると、2013年7月29日、都内シンポジウム講演で、「静かに」、「誰も気づかないで」、「わーわー騒がないで」等と発言)日本の現行憲法を改定し、逐次戦後体制から離脱し、日本を戦争発動出来る所謂「普通の国」(「正常国家」)にしようと公言した。今日の日本と1次大戦後のドイツを比較分析すれば、国際社会に、安倍執政下の日本が向かっている将来の危険性について、更にはっきりと認識させ得よう。
一 当時のドイツと今日の日本はいずれも厳しい経済形勢に直面している
1929〜1933年に、世界経済の大危機(世界恐慌)はドイツ・ファシストの政権奪取の足取りを加速させた。当時、ドイツは外国資本(米国を初めとする外資)に対する依存度が比較的大きく、国際市場では比較的脆弱で、それ故危機で受けた打撃はとりわけ酷かった。即ち、工業生産は40.6%に下降し(出典及び詳細未詳。1929年の工業生産指数を100として1932年53.3、1933年60.7とする資料もある)、輸出は69%減少、輸入は70.8%減少、国民収入は大幅に下降、失業人口は800万に達した。経済危機は政局の動揺を惹き起こし、民衆は当時の政府の危機対応力不足に極めて不満であった。ヒトラーとナチス党はこうした形勢を充分利用して人心を収攬、あれこれ公約して、対内的にはあらゆる手法を用いての経済状況の改善、対外的にはあらゆる手段を行使しての「生存空間」(レーベンスラウム。生存圏、生存圏域とも。具体的には土地と資源)奪取を打ち出した。1929年にナチス党員は17万余人であったが、1932年には100万にまで急速拡大した。同年の国会選挙で、ナチス党は勝利を収め、第1党になった。1933年1月、ヒトラーは正式に首相に任命された。1934年、ヒンデンブルク大統領が病死し、ヒトラーは憲法を改定して、自ら「国家元首(大統領)と首相」(フューラー、総統)に就任し、正式にファッショ独裁統治体制を確立したのである。
日本の情況も類似している。20世紀90年代、バブル(泡沫)経済破滅後、日本は長期経済停滞期に陥り、「失われた20年」と称された。1991年から2011年まで、日本の実質年経済成長率は僅か0.9%で、主要先進経済諸国の中で最も低かった。2008年から始まった国際金融危機は、日本に対して大きな衝撃を与えた。2010年、日本の国内総生産(GDP)は中国に追い越された。2011年「3.11」大地震及び津波、核漏洩事故(東電福島原発事故)などは、日本経済の災いの上に更に災いが加わることになって、当年の成長率は僅か0.3%、2012年も1.2%に過ぎなかった。そのほか、日本の債務負担は先進諸国中最も多くて、2012年の財政赤字はGDPの10.1%に相当、政府債務はGDPの220%を超えている。日本はなお、深刻な老齢化問題に直面している。2011年、日本の65歳以上の人口割合は23%にまで上昇、総人口は2007年から減少し始めた。老齢化の加速と総人口の減少は、労働力供給を困難にし、社会労働生産性を下降させるなど、日本の長期的経済発展を厳しく制約するものとなっている。
20余年の経済低迷と一連の災害の発生は、日本社会の民心にも影響を与えて、近年の日本人自殺率はずっと高止まりしており、生活して行く自信を喪失した人々もいる。安倍はそうした背景下に、日本経済振興をスローガンに掲げて首相の座に登り執政しているのである。彼は一連の所謂「安倍経済学」(安倍ノミクス、アベノミクス)と称される経済政策を遂行しているが、その主要内容は金融緩和政策を実施し、政府支出を増大させることである。短期的に見れば、そうした政策は経済を振興させる効果を生んでおり、安倍の政権基盤を強化するものともなっている。2013年7月、日本は参議院議員選挙を実施した。安倍は有権者に対して、もし政権与党が国会を制すことが出来なければ政府の経済振興計画実施に大きく影響するとの情報を極力注入した。選挙の結果、連立して政権を担う自民党と公明党が得票の過半を獲得し、それより先に両党が既に衆議院を制していたので、安倍は数年間継続して政権を維持する政治基盤を獲得するとともに、その政治的、軍事的冒険政策を更に何憚ることなく推進し得るようにもなったのである。
二 当時のドイツと今日の日本国内にはいずれも由々しい右傾(右翼)、極端(過激)思潮が瀰漫している
1次大戦の敗北はドイツを厳しく打ちのめした。ドイツは国土の8分の1と人口の10分の1を失い、戦後また厳しい経済困難と巨額の戦争賠償に向き合わされた。他方、ドイツ軍国主義分子は自らを戦争の敗北者とは決して認めず〔国家は占領されず、社会構造も破壊されず、軍隊も無欠整斉と国外から撤収し得た〕、ヴェルサイユ体制の制裁を甘受せず、ドイツ社会上下には戦勝国に対する不満の情緒と報復心理が充満した。多くのドイツ人が、自分達の苦難は「ヴェルサイユ条約」、ユダヤ人、ボルシェビキによって齎されたものと信じた。ナチス党はこうした思潮を極力利用し、大いに「種族優越論」(アーリア=ゲルマン人種の優越を説き、ユダヤ人に代表されるとする劣等人種と対比する考え方)、「生存空間論」を鼓吹して、政権を奪取し強固化したのである。
ここで再び日本を見ると、戦後の侵略戦争に対する清算が徹底的には行われなかったことから、右翼勢力が温存され隠されて来た。例えば、安倍の外祖父岸信介は、かつて戦犯として米国に一時収監されたが、出獄して間もなく政界に復帰、1950年代には首相にさえなった。そのほか、一部日本人から見ると、是非、善悪の観念というものは情況の変化に伴って変化するものであり、絶対的に正しいものも誤っているものもない。戦争には勝利か敗北があるだけで、いかなる正義も不正義もない。そういった心理に後押しされて、日本では、しばしば右翼勢力が歴史教科書を改竄したり、政治家が靖国神社に参拝したりする事件が発生するのである。とりわけ近年、日本経済が長期低迷し、現実に対する不満を持つ人がますます増加しているので、右翼、右傾(「右傾」。右傾、右翼的、保守的)思潮がそうした趨勢に乗じて発展し、その影響力がますます増大しつつある。政治上から見ると、長期にわたって政権を執って来た自民党はそれ自身、中間から右に寄った陣営に属している。それに加えて、近年来、自民党に対して牽制作用を果たす政治勢力が次第に脆弱化し、日本政界が右傾(「右転」)する趨勢に更に拍車を駆けている。政界のみならず、日本メディアと民間もあまねく右翼、右傾思潮の影響を受けている。
安倍は、日本社会が「集団」的に右傾するという大背景下に首相に当選したのであり、そのため首相の座に登った後も右翼、右傾思潮に極力迎合、それを利用して、緊張した事態と戦争の暗雲を醸し出すことに腐心し、国民の支持を獲得する手段としている。首相選出の折、彼は公然と、2006年から2007年にかけての首相在任中に靖国神社参拝を放棄したことは「痛恨の極み」であったと表明した。彼はなお、侵略の歴史を覆す発言を何度も発表し、日本政府主催の「主権回復」記念式典(安倍政権の閣議決定により2013年4月28日、憲政記念会館で開催された主権回復60周年記念式典)の席上で、天皇皇后に対する「万歳」三唱の音頭を取った。安倍の内閣成員も多分に右翼、右傾の政治傾向を有している。例えば、外相岸田文雄は、日本が平和憲法を改定、集団自衛権を保持することが許されるべきであると主張し、文相下村博文は、2次大戦期間中、「強制慰安婦」は存在しなかったと言い張り、行政改革担当大臣稲田朋美は、著書を出版して南京大虐殺と侵略の歴史を否認したことがある。
三 当時のドイツと今日の日本はいずれも躍起になって戦後世界秩序に挑戦し、それを否定しようとしている
1次大戦後、欧州は「ヴェルサイユ条約」を基礎とする国際秩序を打ち立て、史にヴェ
ルサイユ体制と称されている。戦後ドイツ対外政策の核心目標は、ヴェルサイユ体制の束縛を打破し、所謂「生存空間」を獲得することであった。ヒトラーがドイツを統治して以降、正式に軍備拡張・戦争準備の道を辿ることとなった。1933年、ドイツは世界軍縮会議と国際連盟から前後して脱退、1935年に徴兵制を復活(ヒトラーのヴェルサイユ条約の軍備条項破棄、つまり再軍備宣言と徴兵制復活とによって、徴兵制禁止など多くの制限を受けていたヴァイマル共和国軍からドイツ国防軍へと転換)、1936年に独軍がラインラントの非武装地帯に進駐したが、英仏から如何なる実質的制裁をも受けなかった。次々と政治的及び軍事的冒険に成功したことは、ヒトラーの威信と声望を大いに増大させるとともに、その侵略の野心を助長もさせた。ナチス・ドイツは第2次世界大戦の欧州における策源地となったのである。
2次大戦後、米軍占領下の日本は平和憲法を制定し、民主化への改造を進めた。日本は平和的発展の道を歩み、アジア太平洋地域には「国連(「連合国」)憲章」、「カイロ宣言」、「ポツダム宣言(「公告」)」を基本的枠組みとする国際秩序が形成された。この秩序は、反ファッショ戦争勝利の重要な成果であり、該地域の平和と安定を維持する重要な礎石でもある。しかし、日本の右翼、右傾勢力は、この秩序が日本を掣肘(「圧制」)することを基礎として打ち立てられたもので、それを否定、打破してのみ、日本は所謂「普通の国」になれるのだと考えている。
安倍は、首相の座に登って以来、ひたすら戦後国際秩序に挑戦し、戦後体制の束縛から離脱しようと図っている。対内的には、それは主として平和憲法改定の意図に表れている。安倍は、米国『外交』雑誌のインタビュー(『フォーリン・アフェーアズ』2013.05.16付電子版掲載参照)を受けた時、日本は憲法第9条〔即ち「平和条項」〕を改定し、自衛隊のために名称を改めて集団自衛権を付与すべきであると述べ、併せてこれは「我が国の憲法」であり、中韓両国の態度は改憲に「影響しない」と称した。安倍はなお、内閣の権力を強化する措置を取って、「国家安全保障会議」(日本版NSC、2013年11月27日、国会で成立)を設置、「特定秘密保護法案」(特定秘密の保護に関する法律、特定秘密保護法、2013年12月6日成立、13日公布)を通過させて、安倍と首相官邸に極めて大きな権限を持たせ、また日本政府の最終決策(「決策」は策略・戦略決定、乃至決定された策略・戦略の意で、「戦略決策」などとも使う。中国では普通に使われる語だが、日本では普及していない。ここでは戦略決定の語で訳しても可か)を更に軍事手段に向かい易くさせた。
対外的には、安倍は中日間に釣魚島(尖閣諸島)主権紛争(「争端」)が存在することを否認し、国内の民族主義(ナショナリズム)の情緒を煽動している。彼は、「解決しなければならない領土問題は存在しない」、「日本領土がいかなる挑戦を受けることも容認出来ない」と言い立て、「日本領土防衛の最前線に立つ」と揚言した。安倍は極力「カイロ宣言」、「ポツダム宣言」の重要性を弱めることに努め、米国などによる対日片面講和(中華人民共和国、中華民国のいずれも招聘されず、インド、ユーゴ等も不参加)の「サンフランシスコ条約」を国際秩序の基礎であると主張している。安倍はなお、所謂「積極的平和主義」(2013年10月22日、国連総会演説で提唱)を叫び立てて、軍事費を大幅に増加、軍備拡張・戦争準備を行っている。2013年12月17日、閣議は「国家安全保障戦略」、新版「防衛計画大綱」、「中期防衛力整備計画」を通過させたが、これらは「安倍軍事学」の3本の利剣と称されて、矛先は真っ直ぐ中国に向けられ、アジア太平洋地域の平和と安定に対しても重大な脅威となっている。
四 当時のドイツと今日の日本の軍備拡張・戦争準備はいずれも或る(「某
些」、某)大国の縦容を受けている
ナチス・ドイツが国際秩序の束縛を次々と打破し、第2次世界大戦を発動し得たのは、かなりの程度英仏の姑息な宥和(「綏靖」)政策の結果である。当時、英国チェンバレン政府は、東欧にドイツの部分的領土要求を満たさせることを考慮して、東欧をドイツの勢力範囲に入れ、ドイツ東進を鼓舞した。1938年、英仏と独伊は「ミュンヘン協定」に調印し、チェコスロバキアのズデーテン地方をドイツに割譲することを決めた。西方(西側)大国は、それによって「己れに害をなす流れを東に向けさせて」(「禍水東引」、災害を齎す水流を西でなく東に向かわせる、転化する意)、ドイツを社会主義ソ連邦に進攻させ、自分は高みの見物を決め込み、座して漁夫の利を得ようと幻想したけれども、最終的には自分が持ち上げた石を自分の脚の上に落してしまったのである。
安倍は、首相の座に登って以来、外交上においては、意識形態のカード(「牌」)を切り出し、所謂「戦略的外交」、「価値観外交」、「積極的・能動的外交」(「積極主導外交」)の3原則を提起して(2013年2月23日、国会施政方針演説)、日米同盟を大いに維持強化し、「環太平洋戦略的経済連携協定」〔TPP〕交渉に積極的に参加すると表明した。安倍はなお、中国に対抗する外交活動を頻繁に展開し、「対中包囲網」(「制華包囲圏」)を構築しつつある。安倍政府はなお、経済上の債務減免、援助及び投資増加などの手段を通じて、一部国家を味方に引き込もうと腐心している。
往時の西方大国の「宥和主義」が齎した悪果は、果たして今日再演され得るのであろうか。国際社会は必ずや十分に警戒しなければならない。その実、日本が軍備拡張・戦争準備し、「対中包囲網」を構築、戦後国際秩序を否定する行動の背後に、或る大国の縦容乃至暗黙の支持を見て取ることも出来、そうした支持の背後に「己れに害をなす流れを東に向けさせる」策謀を見て取ることも出来る。英仏が宥和政策を推進した時には、ドイツが侵略の矛先を自分に向けるとは思い及ばなかったのである。今日、或る大国は日本をしっかり抑えている(「掌控」)と自認しているが、日本に対する処し方が姑息なため悪賢い人を蔓延らせ(「姑息養奸)、最終的にはやはり虎を養って己れに禍となる(「養虎為患」、将来の災いとなるのを知らずに禍根を養い、害を受ける意)可能性もある。
或る米国の作家は、「過去は永遠に死なず、過去は過ぎ去ることすらない」(ウィリアム・カスバート・フォークナー〈1897−1962〉の名句)と言っている。2014年は甲午戦争(日清戦争)勃発120周年であり、日本の一部政客が予言する所謂「安保の年」でもあって、安倍政府は更に多くの政治的、軍事的冒険行動に出る可能性がある。国際社会はゆめゆめ、歴史が再演し得ないと考えたり、日本の国内民意が戦争に反対すれば、日本政客は民意を畏れ、勝手気儘には動けないはずだと考えたりしてはならない。豈計らんや、民意は政客によって操縦され得るものなのである。ナチスが権力の座に登る前のヴァイマル(ワイマール)・ドイツは、憲法の保障を有する民主国家でもあれば、戦争に反対する進歩勢力が存在したのでもあるが、ヒトラーはやはり、政権を奪取し侵略戦争を発動したではないか。歴史悲劇の再演を避けようとするならば、国際社会は必ずや、日本が軍国主義を復活させる傾向に対して高度の警戒心を保持し、些かの妥協もすることなくその一連の政治的、軍事的冒険行動と断固たる闘争を展開しなければならない。(責任編集;楊発喜 王寅)
(2014年1月31日、春節の日に訳了/於東京西南郊の寓居)
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