http://www.asyura2.com/12/asia14/msg/601.html
Tweet |
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/07a45253c4daa661cf594dc52369229a
2013年12月16日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆「第2の日本」である「北朝鮮建国の父」と言われる金策・元副首相(本名・畑中理、大日本帝国陸軍の「残置諜者」)の長男である金国泰・政治局員(1924年8月27日生まれ、党中央委員会検閲委員長)が13日、急性心不全などのため死去、89歳だったという。
金国泰・政治局員は、咸鏡北道清津市で生まれる。万景台革命学院から、金日成総合大学卒業。モスクワ総合大学へ留学。1963年8月に朝鮮人民軍総政治局副局長(中将)になる。1967年11月から最高人民会議代議員、1976年6月に金日成高級党学校の校長、1983年3月に党宣伝煽動部長、1992年12月に党中央委員会書記局書記(幹部養成担当)、1993年1月に党幹部養成部長、2011年12月に金正日の国家葬儀委員会のメンバーとなり、党中央委員会政治局員、党中央委員会検閲委員長であった。
金正恩第1書記=元帥(背後に女帝)が、叔父・張成沢・国防副委員長が首謀した「クーデター陰謀計画」を未然に防ぎ、機関銃により銃殺処刑、遺体に火炎放射を浴びせて処分した一連の過程で、金国泰・政治局員は、「反党・反革命分子の弊害を清算する戦いを繰り広げた」と党中央委と最高人民会議常任委員会からその功績を称えられたという。
◆金策・元副首相(1903年8月14日〜1951年1月30日)は表向き、咸鏡北道城津郡(現・金策市)鶴上面水使洞で貧農の子として生まれ、本名は金洪啓と言われている。家族とともに間島に移住、成長してから、抗日パルチザン活動に身を投じ、金国泰・政治局員が1924年8月27日に生まれたとき、21歳であった。その後、弟・金乙男(北朝鮮政府高官の地位にある)も生まれている。金国泰・金乙男兄弟こそ北朝鮮「第3金王朝」の「裏天皇」的存在である。
1927年4月7日に朝鮮共産党火曜派に参加、1930年6月、中国共産党に入党。1936年8月、中国東北抗日聯軍第3軍4師政治部主任、第3路軍第3軍政治委員・中共北満省委書記となるも、日満軍警のパルチザン制圧作戦を逃れてソ連に亡命、1940年、ハバロフスク会議の前後に、金日成(本名・金聖柱、4人目の金日成)と合流し、教導旅団(第88特別旅団)第3大隊政治委員となる。間もなく、金日成の2番目の正妻・金正淑(1917年12月24日〜1949年9月22日=毒殺)と懇ろになり、「不義の子」金正日(1941年2月16日〜2011年12月17日、ロシア名・ユーラ)が生まれる。金策・元副首相は38歳だった。金正淑は、金万一(ロシア名・シューラ=水死)、金敬姫(後に、張成沢の妻、朝鮮軍大将)をもうけている。
1945年、金日成らとともにソ連軍(赤軍)に同行して帰国し、大日本帝国陸軍の「残置諜者」として、米国との戦いに臨んだ。朝鮮共産党中央委員会政治局委員を務め、1948年9月、朝鮮民主主義人民共和国を建国し、副首相兼産業相に就任、1950年6月25日、朝鮮戦争勃発時には朝鮮人民軍前線司令官に任命されて、1951年1月31日、戦争中に死亡、47歳だった。その後、「共和国英雄」として功績を称えられたと伝えられている。金策・副首相が死亡したとき、金国泰・政治局員は、27歳だった。ただし、金策・元副首相は、1951年1月31日以降も生きていて、金日成を背後で操り続けていたという説もある。
◆金国泰・政治局員は、腹違いの弟・金正日が存命、総書記として在職中、背後で支え続けた。金正日総書記が3番目の妻・金英姫との間にもうけた金正恩(3男)を後継者に押し上げ、第1書記=元帥に就任してからも、背後で支え、助けてきた。
そして、張成沢・国防副委員長は、金正日総書記と2番目の妻・成恵琳の間に生まれた金正男(長男)を後継者に担ぎ上げて失敗した後も、金正恩第1書記=元帥の「暗殺」を企て、密かに何度も「クーデター」を試みた。だが、米国、イスラエルをバックにした金正恩第1書記=元帥(背後に女帝)、金策・元副首相の薫陶を受けた長老ら「影の軍団」は、これを未然に防ぎ、張成沢・国防副委員長を機関銃により死刑にしたのをはじめ、一味を粛清し続けている。この「影の軍団」のなかで、金国泰・政治局員は、重要な役割を演じたのである。
【参考引用】産経新聞msn産経ニュースが12月15日午前1時52分、「北朝鮮・検閲委員長が死去 葬儀委員に金敬姫氏の名」という見出しをつけて、以下のように配信した。
「北朝鮮の朝鮮労働党の金国泰(キム・グクテ)政治局員(中央委員会検閲委員長)が13日、急性心不全などのため死去した。89歳。朝鮮中央通信が14日、伝えた。16日に国葬が行われる。葬儀委員には、12日に処刑された張成沢元国防副委員長の妻で金正恩第1書記の叔母の金敬姫政治局員や、韓国メディアが中国に亡命したと報じていた盧斗哲副首相も名を連ねていることが同通信の報道で確認された。韓国統一省によると、1924年、咸鏡北道生まれ。故金日成主席が抗日パルチザン闘争を繰り広げた時期の盟友、金策元副首相の長男。党中央委と国会に当たる最高人民会議常任委員会は14日、共同の訃告で、金国泰氏が『反党・反革命分子』の弊害を清算する戦いを繰り広げたと称賛した。(共同)」
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。