★阿修羅♪ > アジア14 > 583.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
現代の極東情勢は19世紀末に良く似ており、朝鮮半島における内乱で中国、アメリカ、ロシア、日本が巻き込まれることになるのだ
http://www.asyura2.com/12/asia14/msg/583.html
投稿者 TORA 日時 2013 年 12 月 12 日 12:13:08: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu301.html
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
--------------------------------------------------------------------------------
現代の極東情勢は19世紀末に良く似ており、朝鮮半島における内乱
で中国、アメリカ、ロシア、日本が巻き込まれることになるのだろうか?

2013年12月12日 木曜日

◆なぜ日韓併合は韓国の自己責任が大か(その3) - 山田 高明 12月11日
http://blogos.com/article/75702/?axis=&p=1

見せ掛けの平穏が9年間つづく
さて、1885年から日清両国は甲申事変の事後処理で火花を散らした。両国は李朝の頭ごしに交渉した。清は李朝の外交権を奪ってしまう。外交権を持たない国は、近代的な国際関係では保護国である。もっとも、元から属国なので不思議ではない。交渉の席では、日本はもちろん「金玉均とは無関係」で通した。クーデターが成功すれば恩を売り、失敗すれば切り捨てる…当たり前のことで、いちいち非難に値しない。

日清両国が一度軍事衝突してみた甲斐はあったようだ。4月、両国全権の交渉の結果、共同撤兵の合意に至る(天津条約)。といっても元々の駐兵規模からすると、日本の外交的勝利に等しい。ただし、朝鮮の「変乱重大の事件」の際は両国とも出兵できるとした。

この結果を一番喜んだのがロシアだった。当時、あまりに横暴な清とのバランスをとりたい李朝側と、朝鮮に食い込みたいロシア側との利害が一致して、両者の接近が始まっていた。ロシアは東朝鮮湾に面する永興湾の租借を要求した。初期に開港した元山港を含む地域である。ここを手に入れればロシアはウラジオストックから朝鮮半島へ“南下”した格好になる。ところが、4月、アフガニスタンでロシアと対立していたイギリスは、艦隊を派遣して巨文島(*対馬と済州島の間に位置する)を占領し、ロシアを鋭く牽制した(巨文島占領事件)。清の仲裁が成立するまで、英露は二年間にらみ合う。

7月に日清両軍の漢城からの撤収が実現したが、清の支配は以前よりも強まった。10月、清は若僧の袁世凱を駐屯軍指揮官から政治家に昇格させた。肩書きは朝鮮総理交渉通商事宜――植民地総督というか、文字通り総理大臣というか、そういう地位と権限である。清としては属国の手綱を強めて己の支配領域を守ると同時に、「夷(朝鮮)をもって夷(日露)を制す」ためにも、より直接的に朝鮮をコントロールすることにしたようだ。

袁世凱は専横を振るった。外交や通商など、なんでも仕切ろうとした。高宗や閔氏一派はますます清を恐れ、ロシアへと傾斜していった。ただ、袁世凱が怖いのでコソコソと内密に事を進めようとした。10月、「朝露修好条約」が批准され、初代ロシア公使ウェーバーが漢城に赴任すると、両者の関係は密接化した。86年6月、ロシアの保護を求める高宗の親書がウェーバーのもとへ届く。密約という形だ。これはバレて、大問題になる。

李鴻章と袁世凱は、朝鮮のロシア接近を防ぐため、高宗の廃位を含めた数々の謀略をたくらんだ。一方で、李朝は少しでもバランスを取ろうと、ロシアとの関係を強化した。88年には陸路通商条約を結び、咸鏡北道の慶興郡を開放した。これは今の北朝鮮東北部にあり、ロシアと接する国境地帯である。つまり、ロシアとしては陸域での“南下”が実現した形だ。しかし、それ以上の権益獲得は清によって阻まれた。

91年、風雲急を告げるニュースが駆ける。ついにツァーリがシベリア鉄道建設を命じたのだ。計画そのものは50年代からあったが、国土を横断するその長大さと莫大な国家予算の必要性のため、実行は容易ではなかったのだ。東の終点はウラジオストックであり、そこからハバロフスクまで建設されることが決まった。全線開通の暁には、世界最大とも言われるロシア陸軍が極東地域へ本格的に動員可能となる事態が予想された。

ただ、それでも甲申事変後から日清戦争が始まるまでの約9年間は、比較的平穏な時代だったと言える。その主な理由は、大国間の力の均衡が保たれたからだと思われる。この時期、李朝の存在感は無きに等しく、清が保護者として外交などの国政を取り仕切った。一方、アジアの近代化の優等生であった日本は日増しに力をつけ、逆に清は衰退していたため、両者の国力差は相対的に縮みつつあった。そこにロシアが入ってきて「三つ巴」の構図になった。純粋な国力でいえばロシアが突出しているはずだが、素早くイギリスと清が牽制に動き、かつ輸送力にまだハンデがあるため、極東では持てる力をフルに発揮できなかった。こうして、三国鼎立状態ともいうべき奇妙に安定した時代が訪れたと考えられる(*機会は改めるが、これは現代にとっても重要な事を示唆している)。

だが、この均衡も、日清戦争によって破られることになる。

日清戦争の開始と傀儡政権の樹立
日清戦争の前後は、韓国近代史の中でも一番ややこしい時期であり、月単位でトレースしないと変化についていけない。それくらい激動の時代だが、幸い、まさにこの期間(94年1月から97年3月)の朝鮮を稀有な筆力で活写した人物がいた。イギリス人女性旅行家のイザベラ・バードである。彼女は自然科学者的な観察眼を持ち、およそ「偏見」というものをほとんど持たない。そんな人物がその目で朝鮮全土をつぶさに観察して回り、詳細な記録を残したのだ。しかも、日本人でも韓国人でもない第三者である。

実は、この激動の期間を、韓国の歴史教育が大きく歪曲しているので、言い逃れができないよう、第三者の証人として彼女を引っ張り出した次第である。この観察者の目を通して、歴史の真相は何だったのかを探ってみたい。

さて、平穏な9年間といっても、近代化改革がほとんど停滞し、圧政が続いた朝鮮国内では確実に病が進行していた。19世紀以降、大小の農民反乱が頻発し、国の大半を占める農村は疲弊しきって久しかった。一方、韓国の一部地域では、1860年に没落両班の崔済愚が唱えた「東学」(儒教・道教・仏教をミックスした独自の民間信仰)が広まり、弾圧を続ける政府と激しく対立していた。圧政下での信仰らしく人間平等主義と社会改革を説くが、スローガンの一つとして「斥倭洋」(倭と西洋を排斥する)も掲げていた。

94年2月、過酷な税と暴政で民を苦しめていた全羅道の古阜の郡守に対して、東学教の幹部が農民を率いて決起した。農民軍は役所を襲い、穀物を奪い返し、武器を奪った。政府の宣撫が失敗すると、農民軍は勢いを増し、各地を進軍して、5月には全羅道の道都全州を制圧するに至る(甲午農民戦争)。彼らは、身分制度の廃止、税制・土地制度改革などを要求した。しかも、農村に自治組織を作り、自ら改革を実施していった。

このように、誰が見ても、これは悪政に対する農民の反乱と革命であり、過去に発生した類似の一揆の系譜に連なるものだが、韓国の歴史教育はかなり日本のせいにしている。たとえば、中等歴史教科書は、甲申政変以後、日本商人が「農村のあちこちで米を買いあさったので、わが国の農村では米が不足して農民の生活が困難となった」と記す。まるで今度の農民反乱が日本のせいだと言わんばかりである。

当時、日本商人は安い朝鮮の穀類を買い付け、日本に輸出した。それによって生産農家などは潤ったが、品薄や価格高騰の問題も起こったらしい。だが、これが農村の構造的貧困の直接的原因とは思えないし、「日本の経済的侵略」という教科書の表現も妥当ではない。農民軍の要求などを見る限り、やはり問題の根っこにあるのは、李朝の専制政治と前近代性であり、末端の官吏にまで至る政治の腐敗と言わざるをえない。

さて、李朝はこの反乱を自力で収拾できず、またしても袁世凱に派兵を要請する。三度目である。しかも、今度は政府内の問題というより、国を揺るがす内乱だ。6月、清国軍が出兵すると、日本軍もまた清との天津条約に基づき、日本人保護等の名目で出兵した。ただし、李朝は直後に農民軍と和約に漕ぎ着け、いったん停戦を実現した。

だが、日本は撤収に応じなかった。これには日本なりの強い危機感があった。かくも朝鮮の内政が不安定であることは、地域の安全保障に関わる問題だ。政治が極度に腐敗し、圧政に喘いだ民が貧窮を極めている限り、同様の内乱は何度でも繰り返されよう。それがいつ何時、列強の介入を招くか分からない。元凶が国政を壟断する閔氏一派であることは論を待たないが、なにぶん李朝には自浄能力が無い(あえて言うなら貧民の蜂起がそれに当たるのだろうが)。農民軍との「和約」というが、体制の自己否定に繋がりかねない改革はどうせ最初からやるつもりはなく、その場しのぎの空約束に違いない。

そこで日本は、清に対して共同で李朝の内政改革をやろうと提案した。しかし、清が拒否したため、7月、日本は李朝に対して内政改革案を示し、同22日を回答期限とした。

日本の目はずっとロシアの南下を見据えてきたから、おそらく、朝鮮国内の悪弊を根治するには、ここら辺りが限度だと感じていたのだろう。日本は農民反乱を機に一挙に攻勢へと転じ、内政改革の強要という荒療治に打って出たのである。

もっとも、それまで一族郎党の私利私欲のために悪政をほしいままにしてきた専制支配集団である。当然のように改革案を黙殺した。日本は勝負に打って出た。王宮を軍事力で占領し、閔氏政権を転覆させるという強硬手段に出たのだ。そして近代化改革を断行するため、穏健な開化派だった金弘集を首相として擁立し、新たに政府を組織した。

ほぼ同じ頃、日清両軍が衝突した。94年8月には正式に宣戦布告が行われ、日清戦争へと突入する。以後、日本軍は陸海戦で清を圧倒した。開戦から半年で、朝鮮から清国軍を駆逐し、北洋艦隊を降伏せしめて制海権を手中に収めた。(後略)


(私のコメント)

NHKの大河ドラマの「八重の桜」はいよいよ最終回が来週になりますが、大河ドラマでは珍しく昭和まで生きた主人公が主役になります。しかし戊辰戦争が前半の山場なら、本来ならば日清日露の時が後半の山場になるべきが、後半のほとんどが新島襄と同志社大学設立話に終始していしまった。

しかし八重が国から勲章を受章していますが、日清日露の戦争で赤十字看護婦としての功績で表彰されたものだ。だから日清日露の戦争が後半で描かれるべきだった。しかし「坂の上の雲」でも日清日露戦争が時代の物語でも、その時代の状況が詳しく描かれてはおらず、もっぱら主人公の葛藤ばかりが描かれた。戦闘シーンに至ってはどちらが勝ったのか分からない描き方であり、現地ロケによる制約があったのだろう。

「八重の桜」でも八重の後半生を最終回の一回で済ませてしまうようだ。日清戦争がはじまる頃は周囲の人間関係ががらりと変わってしまって、夫も兄も居なくなり、会津の名誉回復と赤十字の活動が中心になり、キリスト教と仏教との関係にも関与している。八重は87歳まで生きて昭和7年に亡くなった。

だから後半生のドラマの山は日清日露の戦争を背景とした赤十字での活動が中心になってもいいはずだ。しかし朝鮮半島の歴史を知るいいチャンスだったのにNHKはそれを省略してしまうようだ。「坂の上の雲」でも日清日露戦争の背景が詳しく描かれなければドラマにならず、単なる戦争活劇で終わってしまう。ロシアとの関係は詳しく書かれていても朝鮮半島の状況はナレーションで済まされた。

克明にドラマ化すれば中国や韓国からの歴史的解釈でトラブルが予想されたからでしょうが、当時の状況は中国やロシアからイギリスまでからんで来るから複雑な外交戦が行われた。イギリスからアメリカに置き換えれば当時の状況と現代との状況は非常によく似ている。朝鮮半島の政治的不安定さは変わらず、中国ロシア対日本アメリカとの勢力がぶつかる場となる。

李氏朝鮮は500年にわたり中国王朝の支配を受けてきたから、自主的な外交はできず内乱が起きると宗主国である清国に救いを求めた。ところが日本が朝鮮に関与し始めた頃から状況に変化が生じ始めて、1882年7月の「壬午軍乱」と、84年12月の「甲申事変」が起きたがクーデターであり、そのたびに清国が介入した。

当時の李氏朝鮮王朝は腐敗堕落して悪政の限りを尽くしていた。だからクーデター騒ぎが起きるのですが、清朝ばかりでなく朝鮮王朝はロシアにも関与を求めた。現代でも中国とロシアの北朝鮮への援助合戦がありましたが、韓国でもアメリカや日本からの援助合戦が冷戦時代に行われた。冷戦前には韓国でもオリンピックが開かれたほどになりましたが、日米からの援助で韓国は先進国の仲間入りをした。

しかし南北対立は解決したわけではないから、政治的不安定さはその後も続いている。冷戦の崩壊は朝鮮半島でも援助合戦の終わりを意味して北朝鮮は破綻国家となり独裁体制の強化で乗り切った。韓国も97年のアジア金融危機で破綻国家となり日米の援助で救われた。経済的には飛躍的な成長を遂げた韓国ですが、金大中や盧武鉉政権ではアメリカ離れを起こし、北朝鮮との統一を模索するようになった。

韓国には北朝鮮や中国の工作員が入り込んで、李明博やパククネ政権では中国との接近を図るようになりましたが、北朝鮮ではロシア派や中国派の粛清が行われている。金正恩が何を考えているのか分かりませんがアメリカと手を組むことで事態の打開を図りたいようだ。このような複雑な関係は19世紀末の状況が分かっていないと理解が難しい。

最終的には日清日露戦争に勝った日本が朝鮮統治が任されましたが、目的は中国やロシアの影響力の排除でありイギリスやアメリカの利害と一致したものだ。しかし大戦で日本が敗れると再び朝鮮半島の安定性が崩れて朝鮮戦争が起きて米中の直接戦争が行われた。戦前日本が行った事をアメリカがしたわけですが、韓国を独立させたのはアメリカなのだから責任はアメリカにある。

パククネ大統領は中国と手を組み北朝鮮と当ろうとしていますが、韓国は中国に梯子を外されて北朝鮮と中国の挟み撃ちにあって孤立するだろう。アメリカは手を引きたがっているし日本はパククネの反日で手が出ない。まさに韓国の外交は支離滅裂であり19世紀後半の李氏朝鮮と変わりがない。

韓国人には現実的歴史感覚が無いから同じ間違いを繰り返すのでしょうが、内乱を外国の軍隊で抑えようとする。朝鮮戦争でも韓国はアメリカに救いを求めた。北朝鮮は中国に救いを求めて介入させた。山田氏は次のように書いている。

「どんな国でも、政府の内紛に収拾がつかなくなった場合、その国の軍人たちが解決に乗り出して、外国の介入だけは阻止するのが普通である。反対のことを平然とやるのは、李朝が精神的にも属国であることの確たる証拠に他ならない。」

外国の介入がなければ朝鮮戦争も北朝鮮の勝利で終わっていただろう。しかし朝鮮の長い属国支配の歴史は朝鮮人から自主独立の気概を奪ってしまった。現代の日本もアメリカ支配の植民地状態であり自主独立の気概が日本人から無くなりつつある。しかし朝鮮半島とは違って島国だから国防面では他国の干渉は受けにくい。だから在日米軍が無くなっても自主独立路線は取りやすい。

昨日は中国の台頭とアメリカの中国封じ込めについて書きましたが、封じ込めが成功するかどうかは日本の気概にかかっている。アメリカは財政破綻で大軍縮が行われてアジアからも手を引いていくだろう。しかし中国の台頭で西太平洋の覇権が中国に移ればアメリカはユーラシア大陸から遮断される。アメリカの戦略家がそれを容認するだろうか。キッシンジャーのようなキチガイでない限りは許さないだろう。

パククネ大統領は日本に対して歴史を直視せよと言うが、韓国では19世紀末期の歴史をちゃんと教えていない。すべて日本のせいにする歴史を教えている。歴史を直視しなければならないのは韓国の方なのだ。


 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2013年12月12日 16:35:42 : QGzgE2UflE
同じような調子で18世紀末、17世紀末屋それ以前の極東情勢について書いてみてほしいね。李氏朝鮮が500年間中国の支配を受けてきて自主性がなかったというなら日本の自主性なるものがどんなものなのか簡単に説明できることだろう。日光東照宮の落成祝いに朝鮮通信使が来たこともちゃんと書いた上でね。

02. 2013年12月12日 17:27:39 : rAZs4KvhOE
朝鮮は事大主義の清国属国で、宮廷の安全さえ保たれるなら、外国の事はもちろん国内のことにも関心は無かったろう。
だから19世紀に至っても王族・両班達のいわば内輪もめばかり繰り返していたのである。
李朝末期に至っても政府が主体的にやったことは、日露清の3国を操って(感違いだが)漁夫の利を得ようというような動きだけであった。
徳川時代の通信使も、対馬宋氏との交渉などを見てみると、軍事力の大きな日本に(半ば脅されて)、イヤイヤながら引っ張り出されたというのが正直なところで、とても主体性があるとは思えない。

03. 2013年12月12日 20:39:13 : pEJb7rR53o
>現代の極東情勢は19世紀末に良く似ており、

じゃあ、この百数十年の歴史は無駄だったということかね?


04. 2013年12月13日 15:24:29 : 7CacKTUh7k
中国は巻き込まれる側ではなく巻き込む側。もちろん朝鮮にも介入はするが、中国の関心はそこだけはない。
韓国、北朝鮮とは現在対話できる状態ではない。内乱も何も日本が巻き込まれる前に勝手に自爆するだろう。我々は彼らを救済できない。

05. 2013年12月14日 09:22:30 : rAZs4KvhOE
>じゃあ、この百数十年の歴史は無駄だったということかね?

まあ地勢学上の問題と民族性は、一新されるようなものではないので、長い目で見ると同じ事の繰り返しになるんだろうね。
人間なんてそんなもんじゃね?


  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
  削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告する?」をクリックお願いします。24時間程度で確認し違反が確認できたものは全て削除します。 最新投稿・コメント全文リスト

▲上へ      ★阿修羅♪ > アジア14掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧