http://www.asyura2.com/12/asia14/msg/473.html
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「従軍慰安婦」問題について資料や調査で確認できる事実以上を認める必要性はないが、事実さえ明らかにしようとせず謝罪もろくにしない(河野談話は基本的に韓国向け)日本政府の態度は、後世に大きなツケを残すことになるだろう。
併合後も本土に較べて数段下の扱いを受けていた朝鮮半島出身の“日本人”だが、占領地となったフィリピン・インドネシア・マレーや軍事的支配地が拡大していた中国の人々に較べると処遇はまだましであった。
韓国が従軍慰安婦問題で日本を糾弾するようになったのは、経済発展が進み“民主化”を進んだのちのことである。それまでは、長期にわたる朴正煕政権時代に象徴されるように、戦前及び戦時にかかわる対日批判は抑制されていた。
転載するインドネシアの問題も、スカルノ氏を放逐し発足間もないスハルト政権時代の出来事である。当時のインドネシアは、日本の経済的支援が喉から手が出るほど欲しい状況にあった。
独立後の日本政府は、米国に依存していれば問題ないとばかりに、アジアにおける戦時の問題をきちんと処理しようとしてこなった。そのような政府を選び続けてきた責任は国民自身にあるのだからしかたないが、アジア諸国は、経済的発展を遂げ政治的にも成熟するようになれば、それこそ、80年前、90年前の「従軍違反婦」問題を厳しく取り上げるようになるだろう。
「金の切れ目が縁の切れ目」という非情な世界であることさえ気付かず、ODAなどお金を配っていれば過去の問題に蓋ができるという不遜な態度が大きなしっぺ返しを受けるのは当然であろう。
韓国の“反日言動”に異常性というレッテルまで貼るメディアもあるが、昨年9月の自民党総裁選から今年春までの安倍氏の言動を見聞きすれば、韓国や中国があれこれ言うのもよくわかる。安倍首相は、橋下氏の「慰安婦問題騒動」に助けられ無関係を装っているが、「従軍慰安婦」問題を含むそれまでの言動をきちんと総括したわけではない。
※ 参照投稿
「安倍首相に対する「不快感」を世界に晒したオバマ大統領:安倍自民党政権の誕生により民主党政権より悪化した日米関係」
http://www.asyura2.com/13/senkyo144/msg/609.html
「「戦後レジームからの脱却」を叫ぶ安倍氏こそ、日本を「戦後レジーム」に縛りつけたままにしている張本人」
http://www.asyura2.com/13/senkyo148/msg/475.html
「軍の慰安所について調査する気はないとケツをまくる安倍内閣:慰安所を設置した「海軍主計中尉中曽根康弘」を知らぬと」
http://www.asyura2.com/13/senkyo148/msg/782.html
「安倍首相が「従軍慰安婦」問題でブッシュ大統領に謝罪したのは訪米首脳会談ではなく“秘密電話会談”」
http://www.asyura2.com/13/senkyo144/msg/911.html
「奇妙な発言でさらに日本を貶める橋下代表:「従軍慰安婦」の問題点は売春ではない:米国一部や仏独英豪など売春合法」
http://www.asyura2.com/13/senkyo147/msg/795.html
「橋下氏の問題は米国文化の認識欠如ではなくポン引き言動:「従軍慰安婦」ではなく「軍内慰安婦」制度を活用している米国」
http://www.asyura2.com/13/senkyo147/msg/737.html
「今日の橋下氏の主張は小利口な子どもやジコチュウのもの:「従軍慰安所」は「原発」と同じで“国策民営”施設」
http://www.asyura2.com/13/senkyo147/msg/706.html
「Xyzxyzさんへ:石原氏や橋下氏が標的にしている「河野談話」のどこが問題なのですか?」
http://www.asyura2.com/13/senkyo143/msg/870.html
「国益損なう「河野談話」見直し:“愛国保守”のふりをして現在そして将来の日本人に害を及ぼす日本維新の代表たち」
http://www.asyura2.com/13/senkyo143/msg/862.html
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慰安婦問題の拡大阻止 92〜93年、東南アで調査せず
朝日新聞デジタル 10月13日(日)8時29分配信
外務省からインドネシア側への抗議を記録した1992年7月14日の外交文書。兵士の処罰を求める発言を「驚き」と批判している
旧日本軍の慰安婦問題が日韓間で政治問題になり始めた1992〜93年、日本政府が他国への拡大を防ぐため、韓国で実施した聞き取り調査を東南アジアでは回避していたことが、朝日新聞が情報公開で入手した外交文書や政府関係者への取材で分かった。韓国以外でも調査を進めるという当時の公式見解と矛盾するものだ。
「河野談話」が出る直前の93年7月30日付の極秘公電によると、武藤嘉文外相(当時)は日本政府が韓国で実施した被害者からの聞き取り調査に関連し、フィリピン、インドネシア、マレーシアにある日本大使館に「関心を徒(いたずら)に煽(あお)る結果となることを回避するとの観点からもできるだけ避けたい」として、3カ国では実施しない方針を伝えていた。
日本政府は当時、内閣外政審議室長が「(調査)対象を朝鮮半島に限っていない」と答弁するなど、韓国以外でも真相究明を進める姿勢を示していたが、水面下では問題の波及を防ごうとしていたことになる。
朝日新聞社
最終更新:10月13日(日)12時11分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131013-00000009-asahi-pol
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インドネシア「非難声明、穏当にした」 慰安婦問題
2013年10月13日11時02分
慰安婦問題をめぐる主な動き
韓国で慰安婦問題が沸騰した後、日本政府は真相究明よりも東南アジアへの拡大阻止を優先して動いていた――。約20年前の外交文書を入手し、取材班はこの夏、インドネシアへ飛んだ。スハルト大統領の独裁下にあったインドネシア政府が日本の外交にどう対応したのかを知るためだ。
慰安婦問題、東南アへ波及阻止
■スハルト氏の意向くむ
インドネシア政府が日本の調査結果を非難する声明を出したのは1992年7月。声明を書いた当時の外務省政務総局長ウィルヨノ・サストロハンドヨ氏(79)が、ジャカルタの研究機関の自室で2度にわたり4時間半、取材に応じた。
ウィルヨノ氏は声明に「強制売春」「女性たちの尊厳は日本政府が何をしても癒やされない」など厳しい言葉を並べたが、「本件を大きくすることを意図しない」と結んだ。スハルト氏の意向をくみ、穏当にまとめたつもりだった。
「本当はもっときつい声明を書きたかったが、大統領に従わなければならなかった。つらかった」
それでも、ジャカルタの日本大使館幹部はすぐに抗議してきたという。ウィルヨノ氏は「なぜこんな声明を出したのかと言われ、被害国として当然だと反論した」と顔をゆがめた。
両国は58年に戦争賠償を決着させ、関係を深めた。日本からの途上国援助(ODA)は2011年度までに累計5兆2千億円超で国別で最大だ。インドネシアから見ても日本は最大の援助国。スハルト氏は日本を重視し、98年の政権崩壊まで戦争被害に冷たかった。
慰安婦問題の国内対応を担ったインテン・スエノ元社会相(68)は、ジャカルタにある邸宅で取材に応じた。東南アジアへの拡大を防ぐ当時の日本政府の姿勢を「理解できる」と語った。スハルト氏の強い意向を知っていたので、日本政府に聞き取り調査を求めるつもりはなかったという。
東京で日本側から抗議された元公使のラハルジョ・ジョヨヌゴロ氏(72)にも会えた。記憶は薄れていたが、「日本との友好を維持するため少しの間違いも許されない雰囲気だった」と語った。
■日本「他国をあおりたくなかった」
日本政府の本音は何だったのか。取材班はインドネシアから帰国し、慰安婦問題を担った約20人の政府高官や外務官僚を訪ね歩いた。直接取材に応じたのは12人で、うち実名報道を承諾したのは5人だった。
その一人、全省庁の官僚を束ねていた石原信雄・元官房副長官(86)は「シビアに問題提起してきたのは韓国だけ。他国から問題提起されていないのに、進んで調査する気はなかった」と証言した。東南アジアで聞き取りをしなかったのは、相手国の行政実務に問題があり、調査対象の元慰安婦を的確に探し出せるか疑問だったからだという。
石原氏は「外務省の末端の行動は知らないが、政府がもみ消しに回ったことはない。政府がかかわる以上、公平性、正確性は非常に重要だ」と力説した。
だが、石原氏の下で奔走した当時の内閣官房担当者の説明は違う。「我々も外務省も静かに済ませたかった。韓国以外で聞き取りをする感じではなかった。現実の政策はそういうものだ」。別の担当者も「他国をあおりたくなかった。韓国での聞き取りで幕引きにしたかった」と語った。
インドネシア外交を担った外務省OBはインドネシア政府の声明に抗議したと認め、「問題が大きくなったらやりにくくなる。いい加減にしてほしいという圧力だった」と証言した。
情報公開で得た外交文書とは別の内部文書も取材で見つけた。インドネシアの声明に対し、ODAを進めた大使経験者が「いろいろやってるのに、そんなことを今さら持ち出すとはなんだ」と非難していた。
河野洋平元官房長官には6月と10月に取材を申し込んだが、事務所を通じ「取材はお受けしない」と回答があった。外務省は「当時の経緯を確認中」としている。
■多くは90歳前後「次会うときは死んでいるかも」
インドネシアでは90年代、民間団体の呼びかけに約2万人が旧日本軍から性暴力を受けたと申し出た。慰安婦ではなかった人もいるとみられるが、実態は不明だ。
ジャワ島から600キロ離れたスラウェシ島は、支援組織が根を張る。日本政府は国内での資料調査でこの島に21カ所の慰安所があったことを確認したが、現地で聞き取りはしなかった。取材班は7月、支援組織から紹介を受け、慰安婦だったと名乗る女性や目撃者ら約20人と会った。多くは90歳前後。つらい記憶を胸に生きてきた体験を時に涙を流しながら語った。
南西部ピンラン県のイタンさんはトタンで作った約10畳の小屋に住む。日本兵に連行され、終戦まで数カ月間、木造の建物で連日のように複数の兵士に犯されたと証言した。「今からでも日本政府にちゃんと償ってほしい。せめて子や孫に家を残したい」と訴えた。
ミナサさんは自宅そばの森で2年間、強姦(ごうかん)され続けたと訴えた。足腰が弱り介助がないと歩けない。「今度あなたと会う時は、私はもう死んでいるかもね」
河野談話の前年、インドネシアで初めて元慰安婦だと名乗り出た女性は約10年前に他界した。彼女の生涯をたどる映画が今夏、ほぼできた。制作にかかわったジャーナリストのエカ・ヒンドラティさんは「慰安婦問題が未解決のままであることを、若い世代に伝えたい」。風化への懸念が募る。
http://digital.asahi.com/articles/TKY201310120358.html?ref=comkiji_txt_end_kjid_TKY201310120358
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