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株式日記と経済展望
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この時代の朝鮮人は、「てにをは」に相当する日本語を覚えるだけで、日本の岩波
文庫はもとより、日本で流布されている書籍の大半をそのまま読むことができた。
2013年9月9日 月曜日
◆ハングルは15世紀の制定当時、どのように呼ばれていたのか、その名称を記せ。 9月8日 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2013/09/15-6cdd.html
そもそも「近代以前の韓国」ってなんだよ、というのはさておくとして、概ね、女真族と見られる李成桂が打ち立てた李氏朝鮮の時代を指しているとしてよいが、ちょっと微妙なのは、李氏朝鮮が1897年にに国号を大韓帝国として皇帝を頂く帝国を自称して以降は近代のなのか。いずれにせよ、李朝ではハングルは「漢字ハングル交じり」ではなかった、ということを出題者は言いたいことがここからわかる。
「漢字ハングル交じり」になったのは近代以降である。その嚆矢はというと、この本にもあるが、朝鮮政府顧問の井上角五郎が提言して実現した官報「漢城周報」で、それ以前の「漢城旬報」は朝鮮の公式文書のように漢文だった。
この井上の提言は、朝鮮の近代化には、ナショナルな言語である朝鮮語の新聞の発行が重要だとした福沢諭吉の示唆を受けてのものだった。ようするに、福沢諭吉が、「漢字ハングル交じり」を生み出したと言ってもいい。当時の朝鮮知識人はこの「漢字ハングル交じり」に反発していた。
つまり、前半の「近代になってから韓国の出版物の多くは、日本の漢字仮名交じりと同様に、漢字ハングル交じりで作成されてきたが、近年ではハングルのみとする傾向が強まっている」というのは、「福沢諭吉の指導で、韓国の出版物の多くは、日本の漢字仮名交じりと同様に、漢字ハングル交じりで作成されてきた」ということ。そして「近年ではハングルのみとする傾向が強まっている」という近年は、光復後のことである。
あらためて言うまでもないが、日本語と韓国語の文法はほとんど同じ(おそらく同起源の言語に日本が白村江戦で負けてから和語を当てはめて作成した人工言語が日本語なのだろう)なので、「漢字ハングル交じり」のハングル部分は、いわば日本語の「てにをは」に当たる。このため、この時代の朝鮮人は、「てにをは」に相当する日本語を覚えるだけで、日本の岩波文庫はもとより、日本で流布されている書籍の大半をそのまま読むことができた。うがった見方をすると、そういうことがないように、李承晩は「漢字ハングル交じり」を排したと言えるのではないか。幼い子供にも千字文を学ばせていた国なんだから、戦後の日本のように基本の漢字くらいは残しておけばよかったように思うが。
設問に戻ると、ハングルは李氏朝鮮の第4代王の世宗が「訓民正音」として1446年に公布したもので、意味は「民を訓える正しい音」ということ。つまり、漢字の音を表記するための工夫だった。漢字があってこその「ふりがな」と言ってもよいだろう。元来は、朝鮮半島が元朝支配下にあったときの文化遺産であるパクパ文字を元にしたものだった。
なお、「訓民正音」はその公布年からしても、当時のその音の仕組みを記した漢文書籍を指す。その書籍の公布をもって「訓民正音」という歴史事象が創作されたというほうが正しいかもしれない。いずれにせよ、それをもって「ハングル」の当時の呼称と言えるかは、むずかしい。
世宗は「ハングル」の普及のために諺文庁という文化機関を設置したが、李氏朝鮮の第10代王・燕山君の時代、1504年にいわばハングルの焚書坑儒的な弾圧が行われた。また燕山君がクーデターで失脚した後の第10代王・中宗もハングルの弾圧は引き続き、諺文庁も閉鎖された。かくしてハングルは公式には禁止された。もちろん、日本人のひらがなのように民衆の文字としては利用されてはいた。(中略)
この時代、中華圏の文化に迎合していた李朝では、漢文が公式文書である。当然、それ以外として、ひらがなのように読み下すための表音文字が公式ではないとされるのは同義反復にも近い。また「中国語に対して朝鮮語を「諺」と呼んだ」というのは、彼らの意識では、中国語が方言化したようなものだったということではないだろうか。
ただし、燕山君以降の弾圧の経緯を見ると、このウィキペディア的な解釈はそのころにはあっただろう。
ま、話は以上である。東大側の正解は何であっただろうか。
余談になるが、ウィキペディアを見ると、なんとか、「諺文」を「正音」に置き換えようと、努力している人がいるようすがうかがえる。それをもって歴史修正というほどでもない。歴史とはそもそも史観であり、史観のなかで歴史事象が命名されるものだから、歴史学的に「正音」としてもよいだろう。が、「ハングルは15世紀の制定当時、どのように呼ばれていたのか、その名称を記せ」となると、それとは別になる。
ところで、この問題で私が「くすりと笑った」のは、ウィキペディアでは「日本併合時代までこの呼称が用いられた」とあるが、これは昭和の時代の人なら「オンモン」という呼び方を知っていた。日本にいる朝鮮人や朝鮮系の人々も普通に使っていたものだった。つまり、そのころは、普通に、現在、ハングルと呼ばれている表音文字は「オンモン」だった。東大の問題は昭和的には常識の部類だったのである。もちろん、それゆえに歴史学的に正しいというわけではないが。
むしろ「ハングル」の登場に多少違和感があった(朝鮮語という意味ではある程度知られていたが)。
私の記憶にもあるが、NHKで「ハングル講座」が開始したのは、1984年つまり昭和59年のことだった。このころいろいろ話題になっていた。普通に考えれば、「ハングル講座」ではなく、「朝鮮語講座」だからである。もめていた。「朝鮮語講座」ではなく「韓国語講座」だろなども。結局、「アンニョンハシムニカ・ハングル講座」になったが、さらにもめていた。「ハングルって文字だろ」「ハングル語講座か?」などなど。そのなかで、「文字はオンモンだろ」とも言われていたのだった。
(私のコメント)
昨日の8日には、再び新大久保で反韓国デモが行われましたが、韓国が反日活動を続ければ日本でも反韓国デモが続くことになるだろう。韓国のパククネ大統領がG20の国際会議でも日本の歴史認識を批判したそうですが、オバマ大統領との会談でもメルケル首相との会談でも日本の歴史認識を批判している。
これは韓国の危機意識の現れでもあり、韓国のアイデンティティーの弱さに問題があるのだろう。朝鮮半島を韓半島と呼ぶべきか迷いますが、使われている言語も朝鮮語と言うべきか韓国語と言うべきか迷います。南北に分かれた国家も北朝鮮と南朝鮮という呼び方も問題があるようですが、アメリカは北朝鮮をノースコリア、南朝鮮をサウスコリアと呼んでいますが、日本は韓国と呼ぶように決められています。
日本は北朝鮮を「朝鮮民主主義人民共和国」と読まされていたり、南朝鮮を「韓国」と呼ばされていますが、NHKでは朝鮮語講座と言うべきか韓国語講座と言うべきか問題があったようだ。その結果「ハングル講座」と呼ぶようになったようですが、日本の放送局はどうして主体性がないのでしょうか。アメリカのように「コリア」で統一しているように、戦前は「朝鮮」と呼んでいたのだから「北朝鮮」南朝鮮」「朝鮮語」で統一したほうがいいと思う。だから韓国人も「南朝鮮人」と言えばいい。
このように、放送業界がふらふらしているから、国名や地名や言語名に至るまで混乱してしまう。南北朝鮮人がこのように呼び方にも拘るのはアイデンティティが薄弱だからであり、朝鮮半島の歴史は属国の歴史であり、「韓」という言い方も元は「汗」という文字を変えただけという説もある。
「株式日記」ではハングル文字の起源はモンゴルのパスパ文字が起源だと書いたことがありますが、中央日報でもこのような記事があった。
◆「訓民正音、モンゴル‘パスパ文字’の影響受けた」…高麗大教授 2008年11月15日 中央日報
http://japanese.joins.com/article/430/107430.html
「訓民正音とハングルに関する国粋主義的な研究は、この文字の制定とその原理・動機の真相を糊塗してきたと言っても過言ではない」。
国語学者のチョン・クァン高麗(コリョ)大名誉教授(68)は訓民正音の‘独創性’について、国内学界の主流とは異なる見解を示した。 訓民正音は創製の過程で、モンゴルの‘パスパ文字’を参照し、その影響をかなり受けたということだ。
パスパ文字とは、元の世祖フビライ・ハンがラマ僧のパスパ(八思巴)に命じて作り、1269年に頒布した文字だ。 漢字の発音とモンゴル語を記録できる文字として「蒙古新字」とも呼ばれる。元の影響を大きく受けた高麗だけでなく、朝鮮初期の知識人はこのパスパ文字について相当な知識を身につけていたという。 (後略)
(私のコメント)
コリアという英語名は「高麗」から出た言葉であり、「高麗」はモンゴル帝国の属国となり、150年間支配された。元寇の役で日本に攻めてきたのは主に高麗兵であり、この事からも韓国が日帝支配以前に外国に支配されたことがないというのは嘘だ。このように朝鮮半島は中国王朝やモンゴル帝国などの支配を受けた国家であり、ハングル文字の起源はモンゴルの影響が大きい。
モンゴル帝国が滅びると高麗も滅んで、李氏朝鮮が建国されましたが、李氏朝鮮では清国の支配を受けて漢文が正式文字となり、ハングル文字は庶民が使う文字とされ弾圧された。ハングル文字が再び公に使われるようになったのは、福沢諭吉が提唱して漢字ハングル交じりで作成されるようになってからだ。
戦後になって漢字ハングル交じりが廃止されたのは、いろいろ理由があるのでしょうが、中国や日本の影響を排除する意味があったのだろう。特に漢字ハングル交じりの文章では「てにおは」などを覚えてしまえば日本語とほとんど変わらないことになり、当時の李承晩は「漢字ハングル交じり」を排してハングルのみの文字を用いるようになった。
同じことは中国にも言えますが、中国は戦後になって漢字を大きく変えてしまった。漢字を使っていると覚えるのに手間がかかって欧米文化に後れを取るという理由からですが、韓国、北朝鮮がハングルに統一したのも同じ理由だろう。日本でも当用漢字制限などで漢字が制限されましたが、欧米文化に後れを取るという事は無く、むしろ欧米文化の翻訳などで韓国のハングル文字や中国の簡体文字は混乱が生じている。
日本という国名は、ニホン、ハポン、ジャポン、ジャパンとなまってきた繋がりはありますが、韓国のコリアの語源は「高麗」だ。中国もチャイナの語源は「秦」であり、国は変わっても国名が変わらないのが普通ですが、中国も韓国も日本に対してだけはいちゃもんをつけてくる。中国も韓国も戦後にできた国であり、文字も変えて過去との歴史を断ち切ってしまったことから、歴史の繋がりのある日本に対して攻撃してくるのだ。中国人や韓国人の方が過去の歴史を知らないのは戦前の文字が読めなくなってしまったからだ。
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