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[中外時評]「朴正熙の娘」率いる韓国 歴史問題で対日強硬も
論説副委員長 池田元博
「朴大統領はメリケン粉や脱脂粉乳をたくさんくれた。暮らしをよくしてくれた。せめて娘に投票して感謝したい」
この日、ソウルの朝の気温はマイナス10度。いてつくような寒風のなか、80代とおぼしき年配の女性が息子に支えられ、投票所に入っていった。
先月19日の韓国大統領選で、保守系与党セヌリ党の朴槿恵(パク・クンヘ)氏が当選した。革新系の最大野党、民主統合党の文在寅(ムン・ジェイン)氏との接戦を制した。初の女性大統領となるが、朴氏はかつて「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を導いた故朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領の長女だ。
勝因のひとつに、軍事独裁への批判の一方で、いまも国民の根強い人気がある父の存在があったことは疑いない。
象徴的なのが、有権者の世代別の投票行動だ。韓国3大テレビ局の出口調査によると、若い人ほど文氏、年齢が上がるにつれて朴氏支持と、くっきりと分かれた。50代からは朴氏が優勢で、60代以上では7割を超える票を集めたという。
50代以上といえば、くだんの年配の女性のように1960年代から70年代の「朴正熙の時代」を肌で感じた世代である。
もちろん、文陣営には「戦略の失敗」(野党関係者)もあった。社会の貧富の格差が焦点となった今回の選挙で、生活の不安を最も深刻に感じていたのは引退間際の50代だ。ところが文陣営は若者の支持獲得に照準を合わせた。「中年の離反」を招いた面は否定できない。
それでも相手が朴氏でなければ、政権交代の可能性はもっとあったかもしれない。朴氏の知名度は抜群に高い。父の威光に加え、一家の長女として「数奇な運命」を歩んできたからだ。
中学生のころから青瓦台(大統領府)で暮らし、「大きな令嬢」と呼ばれた。フランス留学中、母をテロの凶弾で失う。悲しむ間もなく、ファーストレディー役を5年あまりも担う。こんどは父が側近に暗殺され、悲痛のどん底に――。
朴氏自身、「普通の家庭に生まれていたら」と悔やむことが多かったという。とはいえ「朴正熙の娘」として生まれ育ったことが、政治家としての礎になっていることも確かだ。
かつてファーストレディー役を担ったころの日記には、こんなくだりがある。
「父との対話は主に車の中。父は立派な先生で、私はまじめな生徒だった。父はとくに歴史や安保、経済についての話をした。私は知らずしらず、お金では計算できない貴重な課外授業を父から受けていた」と。
そんな朴氏が政治家をめざしたきっかけは、97年に韓国を襲ったアジア通貨危機だ。「わが国民と、亡くなった父が力をあわせて繁栄させた国なのに、なぜ……」。国会議員に初当選したのは翌98年。朴氏が尊敬する政治家はもちろん「父」だ。
父から帝王学をたたき込まれた朴氏は大統領として、どんな国家運営を進めていくのか。
日本ではとりわけ、李明博(イ・ミョンバク)大統領の竹島(韓国名は独島)上陸などで冷え込んだ日韓関係の改善に期待がかかる。だが韓国の元政府高官は「朴元大統領の娘であることを日本が考慮しないと、大変なことになる」と警告する。
朴元大統領は旧日本軍の陸軍士官学校出身で、高木正雄の日本名ももつ。日韓の基本条約を結び、国交を正常化した。韓国では「親日派」と批判する勢力も多く、条約見直し論すら浮上する。その娘だけに、歴史問題で譲歩すれば反発は倍加する。日本の出方次第では「世論に配慮し、より強硬な対応をとらざるを得なくなる」というのだ。
日韓の相互理解は進んだとはいえ、領土や歴史をめぐる溝はただでさえ深い。韓国の子供たちが社会見学で訪れるソウルの西大門刑務所歴史館や天安の独立記念館では、今でも日本の官憲による拷問や虐待の様子を展示。ソウルには「独島体験館」が開館し、無料開放している。
歴史教育が専門の梁豪煥(ヤン・ホファン)ソウル大学教授は「日本が領土や歴史認識で強硬な主張をするたびに、歴史教育を強化すべきだとの声が強まる。独島問題に至っては、個別に強調して教えるようになっている」と明かす。
来月の朴新政権の発足を、強固な日韓関係の構築にどう結びつけるか。領土や歴史問題の対立をむやみにあおらず、知恵を出しあっていくときだろう。
[日経新聞1月20日朝刊P.10]
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