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平壌で決定的な政変が発生!ボンクラ三代目金正恩 美人妻とデートしたくて北朝鮮ナンバー2(李英鎬(朝鮮人民軍総参謀長))を 血の粛清
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33135
2012年08月02日(木)週刊現代 :現代ビジネス
4月に「朝鮮人民軍のドン」が粛清されたばかりというのに、今度は「金正恩の後見人」が粛清された。そして当の金正恩は元帥に昇進。その背後では、故・金正日総書記の妹の"愛人"が蠢いていた。
■一族郎党が労働強化所へ
7月16日、朝鮮中央通信が打電したニュースは、世界に衝撃を与えた。
「朝鮮労働党中央委員会政治局会議が15日に開かれ、組織問題が提起された。会議では、李英鎬を健康問題で、朝鮮労働党中央委員会政治局常務委員、政治局委員、朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長を始めとするすべての職務から解任することを決定した」
病気を理由にしているが、若き後継者・金正恩第一書記(29歳)の「後見人」であり、北朝鮮で実質上のナンバー2だった李英鎬総参謀長(69歳)が粛清されたのは明らかだった。
秘密のベールに包まれた「平壌奥の院」で、いったい何が起きたのか―。
つい最近まで、金正恩第一書記の一日は、平壌の新たな"司令基地"となっている「二二号官邸」に、李英鎬総参謀長を呼びつけることから始まっていた。李英鎬は、平壌の西城区域にある人民武力部庁舎内の総参謀部から、早朝の蒼光通りを、特別仕様のベンツに揺られながら主のもとへと向かう。
だが、「呼びつける」という表現は正確ではない。より実態に即して言えば、「お越しいただく」という方が正しかった。
二人の関係は、周囲に部下たちが同席している際には、最高司令官と総参謀長、すなわち新たな「独裁者」である金正恩に対して、李英鎬は常に平身低頭の体で臨んでいる。
ところが、いったん二人きりになると、まるで学校の教室にいる教師と生徒のように、その関係が様変わりするのだ。李英鎬が、
「大将様(金正恩)は、来週は○○を視察してもらいます。夜は○○の観覧をお願いします。同行者は、○○です……」
といった具合に、矢継ぎ早に「指示」を出して行く。すると正恩は、「分かった」と答えるだけだった。まさに、実際は李英鎬政権だったのである。
しかし、そんな"日常"に異変が起きる。7月初旬のある日、李英鎬はいつものように「二二号官邸」から「呼び出し」を受け、ベンツに乗って出頭したところを拘束された。その後、一族郎党が揃って労働強化所(強制収容所)送りとなった模様だ。
こうして李英鎬を粛清した金正恩第一書記は、「正恩新時代」を見せつけるかのように、7月6日晩に観覧した牡丹峰楽団の公演で、二つのパフォーマンスを見せた。一つは、金正日総書記が決して行うことのなかった「夫人同伴での観覧」つまり、美人妻とのデートを実現させたことだ。夫人は清津大学教授の娘で2歳年下、金日成総合大学卒と言われる。
もう一つは、公演の中で、ディズニー映画の『美女と野獣』『シンデレラ』といったシーンや、ミッキーマウスを似せたぬいぐるみなど、"敵国"米帝の文化を、初めて公の場で観覧したことである。どちらもアメリカに対する金正恩のラブコールに他ならない。
■教育係に抜擢され大出世
李英鎬は、日本植民地下の1942年に、東海岸沿いの江原道で生まれた。金正日総書記と同年の生まれである。
父・李鳳秀(1901年~1967年)は、地元で医者をしていたが、日本の敗戦後、朝鮮労働党に入党。平壌に移り、旧ソ連から帰国した金日成主席の知己を得た。朝鮮戦争の最中には、金日成主席の「家庭医」として、共に中国に避難した。
李鳳秀は晩年、平壌市万景台区域にある万景台革命学院の校長として、幹部の子弟たちの教育係を務めた。
李英鎬は、父親が校長を務めるこの万景台革命学院で、少年時代を過ごした。同級に、同じ江原道出身で、後に金正日総書記の妹、金敬姫・党軽工業部長の夫となる張成沢・党行政部長がいた。後年、金敬姫と張成沢の交際に反対した金日成主席が、張成沢を江原道に放逐した際にも、李英鎬は張のために一肌脱いだ。
李英鎬は、1959年に17歳で万景台革命学院を卒業すると、父親の命令で、金日成軍事総合大学に進学し、朝鮮人民軍に入隊した。大学卒業後は主に歩兵部隊でキャリアを積んだが、'67年に父親が死去し、バックを失ったことで、出世は遅れた。
李英鎬に開運が訪れたのは、'02年のことだった。前年に、5年間のスイス留学を終えた金正恩が帰国。金正日総書記は、後継者に定めた正恩の「帝王学教育」を、妹婿の張成沢に任せた。
「先軍政治」(軍最優先政治)を掲げる金正日時代にあって、帝王学で最重要なのは、朝鮮人民軍での教育である。そこで張成沢は、軍の中で最大の信頼を寄せる同郷の竹馬の友・李英鎬に、正恩の軍事教育係を託したのだった。
古来、朝鮮の伝統においても、太子(次期国王)の教育係は「師傅」と崇められ、太子と同格の扱いを受けた。この「天恵」によって、李英鎬は、朝鮮人民軍中将に昇進。翌'03年に上将に昇進し、かつ平壌防衛司令官の要職に就いたのだった。
'08年8月に、脳卒中で倒れた金正日総書記は、時期を早めて、翌'09年1月8日の金正恩26歳の誕生日に、「正恩後継」を内々に発表。翌2月に李英鎬を大将に昇進させ、合わせて朝鮮人民軍総参謀長に就かせた。
同日、金正日総書記は自分の「軍事顧問」である金永春次帥(76歳)を、人民武力部長(国防大臣)に昇進させている。ここから、朝鮮人民軍の内部が、金永春派(守旧派)と金正恩・李英鎬派(新興勢力)に割れ、両派による仁義無き権力闘争の火蓋が切って落とされたのである。
'10年8月、金総書記は、16年ぶりに党中央軍事委員会のメンバーを刷新し、金永春人民武力部長を、7名の党中央軍事委員の一人に抜擢した。だが翌月になって、これまで党中央軍事委員会のメンバーですらない金正恩と李英鎬が、いきなり同委員会の副委員長に任命されたのである。
さらにこの時、李英鎬は、大将から次帥に昇格を果たした。これで李英鎬は、6歳年上で軍歴もはるかに上だった金永春と、ついに軍の肩書で肩を並べた。それどころか党中央軍事委員会においては、李英鎬が上司、金永春が部下と逆転したのである。
昨年12月17日、北朝鮮の独裁者・金正日総書記(享年69)が突然死したことで、三男の金正恩が後継者となったが、経験も人脈もない金正恩は、李英鎬総参謀長を全面的に頼った。同年12月28日に行われた金正日総書記の告別式では、遺体を載せた霊柩車の前を、金正恩と李英鎬が左右に分かれて歩き、金正恩・李英鎬時代の到来を、内外に印象づけた。
■ミサイルを爆発させたのは誰か
一方、金正日総書記の突然死は、これまで約20年間にわたって120万朝鮮人民軍に君臨してきた金永春人民武力部長が、後ろ盾を失ったことを意味した。
焦った金永春は、「将軍様(金正日総書記)の遺訓である」として、4月15日の金日成主席生誕100周年を記念して、長距離弾道ミサイル「光明星3号」の発射実験を強行しようとした。そして5月には3度目の核実験を準備した。
これに対し、金正恩は、「いまの朝鮮に必要なのは中国式の改革開放であり、これを断行するためにアメリカとの国交正常化を最優先すべきだ」として、真っ向から対立した。
金正恩は、「新時代の親米外交」を示すため、今年1月中旬に、朝鮮労働党機関紙『労働新聞』が「米帝の口」と非難してきたAP通信社の社長一行を、丁重に平壌に招待した。続いて2月下旬には、金桂冠外務副大臣を北京に派遣し、久々の米朝高官協議に臨んだ。そして、核開発用のウラン濃縮作業を一時停止するという妥協をして、見返りにアメリカから24万tの食糧援助を引き出したのだった。
だが金永春は、3月に入ると、この米朝合意を反古にさせた。その上で4月13日に「光明星3号」の発射実験を強行したのだった。
これに怒り心頭の金正恩第一書記は、李英鎬総参謀長と相談。李英鎬は、金正恩に秘策を授けた。
「発射を故意に失敗させて、(金永春に)その責任を取らせましょう」
正恩と李英鎬は、平安北道東倉里の発射台に極秘の技術団を平壌から派遣し、「光明星3号」が発射直後に空中爆発するよう細工させたのだった。
そして実際に、「光明星3号」が、発射からわずか1分余りで空中分解するや、その4時間半後に朝鮮中央テレビを通じて、「発射は失敗した」「厳重な調査を行う」と発表させた。しかも、4月15日の故・金日成主席生誕100周年を記念した『主体思想世界大会』の中継番組放映中に、「緊急速報」として全国に流すという、極めて異例の措置を取らせたのだった。
北朝鮮が、これまで自らの「国策」の非を認めたのは、1948年の建国以来、1度しかなかった。'02年9月に訪朝した小泉純一郎首相に対して、金正日総書記が日本人拉致を認めた時だけである。
「『光明星3号』の発射実験失敗の責任を追及し、金永春からすべての権限を奪い取れ!」
正恩の命令一下、金永春は、人民武力部長を解任された挙げ句に、一族郎党とも粛清されてしまった。3年半にわたった金正恩・李英鎬vs.金永春の権力闘争に決着がついた瞬間だった。
■「長年の愛人」の策略
だが、ここから李英鎬の専横が始まった。次帥の地位に満足しない李は、元帥に昇進させるよう金正恩に圧力をかけた。
加えて、正恩が進めようとしている親米路線にも「待った」をかけた。金永春に成り代わって、120万朝鮮人民軍の強硬な「代弁人」と化したのである。
苦悩した金正恩は、叔母(金正日の妹)の金敬姫書記(66歳)に相談した。敬姫は正恩がまったく頭が上がらない叔母で、「夫(張成沢)を利用して権力を肥大化させている」として、李英鎬のことを忌み嫌っていた。
金敬姫は、「長年の愛人」と囁かれる崔竜海・軍総政治局長(62歳)と、密かに策略を練った。崔竜海もまた、「愛人」の夫の無二の親友で、軍をバックにした李英鎬を、大いに畏れていた。
崔竜海は朝鮮戦争が勃発した1950年に、金日成主席の片腕だった崔玄・人民武力部長の次男として生まれた。
万景台革命学院、金日成総合大学を卒業後、'86年に朝鮮労働党の青年組織である金日成社会主義労働青年同盟の第一書記に就任。金正日総書記の「弟分」として、12年間この要職を務めた。
だが'98年に、平壌ボウリング場の地下に多額の外貨を隠匿していたことが発覚し、投獄された。この時、金敬姫書記の恩情によって死刑を免れ、平壌市水道管理局に左遷された。
その後'03年に、やはり金敬姫の計らいで、朝鮮労働党組織指導部副部長として復権を果たし、金正恩の朝鮮労働党における「指南役」を任された。その後、金敬姫との「ただならぬ仲」を案じた金正日総書記が、'06年に黄海北道の党責任書記として体よく飛ばした。
だが'10年9月の朝鮮労働党代表者会で、党中央委員会書記兼党中央軍事委員として、再度復活。今年4月11日の朝鮮労働党第4回代表者会で、党中央軍事委員会副委員長兼人民軍総政治局長に抜擢され、合わせて次帥の地位を授かったのだった。
ほとんど軍歴がない崔竜海が、「人民軍3大ポスト」(人民武力部長、総参謀長、総政治局長)の一角を得たのは、ただひとえに金敬姫の「鶴の一声」によるものである。
金敬姫と崔竜海が今回、李英鎬に被せたのは、「親愛なる第一書記(金正恩)に対して噦野心器を抱いた」という罪だった。金敬姫は金正恩に対して、「あの男をいま排除しないと私たち一家がクーデターに遭う」と言いくるめて、粛清を説得した。実際は、"情夫"に軍の大権を握らせたかったのである。
だが、北朝鮮の最大勢力である朝鮮人民軍の金永春、李英鎬という「両巨頭」を排除してしまった現在、今後の軍の統制が不安視される。まったく軍歴のない金正恩最高司令官が7月17日、元帥に昇進。その下に、同様に軍歴のない「金敬姫の愛人」崔竜海総政治局長、それに「ミスター無難組」と言われる金正覚・新人民武力部長と玄永哲・新総参謀長のトロイカ体制では、軍のカジ取りはいかにもおぼつかない。
今回の李英鎬粛清によって、今後の朝鮮人民軍による金正恩王朝へのクーデターの「Xデー」が、また一歩近づいた。
「週刊現代」2012年8月4日号より
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