http://www.asyura2.com/12/asia14/msg/110.html
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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu264.html
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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頭山はじめ日本人が支援した中・韓の独立運動家たちとは相容れない
米英ソ連の後ろ盾になった人々のつくった中国や韓国は、反日となった。
2012年5月22日 火曜日
◆「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 5月22日
http://melma.com/backnumber_45206_5566336/
(読者の声2)「世界ウイグル会議」のラビア・カーディル総裁らメンバーが靖国神社を参拝しましたが、ネットで調べたら「呉竹会」の案内とありました。呉竹会を調べると会長「頭山興助」。頭山満のお孫さんで顧問にペマ・ギャルボ氏の名前もあります。玄洋社繋がりだったと知り納得です。
宮崎先生も第4回呉竹会勉強会講師として紹介されていますね。
http://www.kuretakekai.jp/information/index.html
さらにネットで検索していくとベンジャミン・フルフォードによる頭山氏へのインタビューの要約がありました。
「天皇陛下万歳」と言える右翼が少なくなった。しかし日本という多民族国家から皇室
がなくなれば日本はバラバラになる。(呉竹会・頭山興助)」 株式日記と経済展望
http://www.asyura2.com/0601/senkyo19/msg/1124.html
2006年のものですが、反共右翼が必ずしも愛国者ではないことを指摘、一部引用します。
『ベンジャミン(以下B)
いまの日本の右翼は、本来の道から外れていると思います。国民を主導するはずの政府がアメリカの圧力に屈し、それによって国が衰退しているのに、右翼は立ち上がろうともしません。どうなっているんですか?
頭山輿助(以下T)
戦後ね、日本の愛国主義というか、国粋主義というのがアメリカによって禁止され、いわゆる皇国史観はタブーになった。いまでは、右翼という言葉すらはばかられるようになりましたが、本来の愛国者というのは、日本の場合、「尊皇」じゃなきゃならないんですよ。それが、戦後は尊皇運動家というのはアメリカの尻馬に乗って「反共右翼」というのになった。単なる反共の道具になったわけです。しかし、いまは反共もなくなったから、右翼がなにをすべきかもわからなくなってしまったんです。
B:そうですか。
T:戦後の右翼でいちばん有名な児玉誉士夫なんていう人は、反共の最たるものでした。それはもう、はっきり言えばアメリカのエージェントですね。エージェントというのは、エージェントにする側がプロであって、される方は素人でもいいわけです。こうなると、日本の右翼は昔とはまったく違ってしまう。だから、いまは、愛国者と思われている右翼の人間が必ずしも愛国者ではない時代ですね。それに、愛国者というのは、右翼じゃなくてもいいわけだから。
B:なるほど。
T:だけど、右翼の人たちだけが愛国者という言葉を使う。これが、1つの大きな問題です。いま、ぼくなんか、いろんなところによばれて懇談したり、大きな大会で挨拶したりしますが、「天皇陛下万歳」と言えない右翼が多いんです。たとえばいま、韓国の右翼とは反共では一致するけれども、「では、いっしょに天皇陛下万歳しようよ」と言ったら「イヤだ」と言うわけです。
B:なるほど。
T:ともかく、こういうことが、いまの日本の愛国者にはわからなくなってきている。
ぼくは、反共であることは人後に落ちないけれども、その前に「尊皇」がある。これがない愛国者というものは、日本の場合ありえないんですよ。だから、問題になっている靖国のA級戦犯でも、それはいい悪いの問題ではなく、A級戦犯はどなた様の代わりに絞首刑になったのかっていうのが基本です。日本が終戦を迎えるために、それから講和条約を結ぶために、どなた様の代わりに絞首刑になったのかっていうことです。とすれば、犯罪人ではなくて、A級戦犯こそ日本の皇統を助けた人々です。皇室を助けたのは彼らなんです。だから、その恩義をいまの日本人に教えなければいけない。つまり、すべての基本は「尊皇」なんです。
B:では、その「尊皇」というのは、どういう意味ですか? どういうようなことを指して……。
T:「尊皇」というのはね、よく民族主義と言うでしょ。で、日本の民族主義はなにかというと、アイヌもいるし、沖縄の人もいるし、それからご存じのように半島から来てる人もいる。私の祖先の地の福岡なんていうところは半島にいちばん近いところで、福岡へ行ったら、半島に遠い意識なんてあんまりないですよ。このような日本の民族がまとまっていく基はなにかといったら、それは天皇しかない。皇室の純血しかない。
つまり、天皇の血。それを守っていくということが日本のかたちなんです。皇室を守るということにみんなが集中しないと日本というのはない。これが「尊皇」です』
(引用止め)(後略)
◆頭山満という巨人 人物と歴史
http://www.toyamamitsuru.jp/jinbutsu/sengo60.html
戦後六十年を経過して 葦津泰國氏(葦津珍彦著『大アジア主義と頭山満』より)
頭山は各種の国内の政治や社会の問題だけではなく、広くアジア諸国に目を向けて、諸国の独立運動にも大きな功績を果たした。 頭山は先に出た来島恒喜、内田良平、宮崎滔天、萱野長知、山田良政はじめ多数の門人を育て、日本に来て独立運動を志していた韓国独立党の金玉均、その同志であった朴泳孝、中国国民党の孫文、陳其美、戴天仇、蒋介石、インドのビハリ・ボース、チャンドラ・ボース、その他フィリピンやベトナムなどの独立運動家にも大きな支援を惜しまなかった。 かれらの多くは国を追われ、あるいは亡命して、国際手配を受けていたので、日本政府は彼らを国外追放あるいは逮捕して引き渡すなど、排除することを望んでいたのだが、頭山は直接彼らと接し、いったん応援すると決めたものに対しては、彼の同志や友人、弟子たちに命じて大いにそれを支援させ、政府の介入を牽制するだけの威力を持っていた。 頭山はまたアジアの独立運動家たちにも、多大な精神的影響を与えた。頭山満らの掲げる理想は「大アジア主義」といわれる。 それがどのようなものであるかは、今回紹介する葦津珍彦の『大アジア主義と頭山満』に詳しいのでここでは解説しない。
葦津珍彦は頭山と同じ福岡に生まれ、少年時代から頭山に接し、頭山にかわいがられて、公私にわたり、格別の関係を持って接してきた。 葦津は西郷隆盛と頭山満、そして父葦津耕次郎を生涯の師として一生を過ごし、戦中戦後の活動を、「いま、自分がかく主張するのを、師が生きておられたらどう答えられるか」を常に自問自答して進退した。 そんな思いに私ごときが、軽々しく付け加えることは何もない。本論を読まれ、また幾つかの関連する物を読まれれば、頭山翁の心の底に流れていたものは、それこそ明治維新の日本から生じた「尊皇攘夷」の思想だということが見て取られると思う。 「大アジア主義」は明治維新の理想の延長線上にある。
大アジア主義は西欧帝国主義の野望から、アジアの諸国を解放し、その国の民族が培ってきた独自の文化に根ざした国を作るために、日本が積極的に応援しようという純粋な使命感に基づいていた。 だが肝心の日本政府がいつの間にか維新の精神を逸脱して、西欧諸国の模倣に終始するようになると、国の方針と在野には生きていた日本人の姿勢とが対立し、それが今回の敗戦にまで?がって、日本の理想を見えなくしてしまった。
近隣諸国との間に横たわる相互理解の不足
明治維新の精神でもある「大アジア主義」は、多くのアジア諸国の人々には理解され、それが幾つかの国では結実した。 終戦後に独立を果たし、ネール首相がインドを代表して頭山一門に表敬に来日した。 また、日本の国旗日の丸をならって、緑地に日の丸の国旗をつくった。 バングラディシュ、インドネシア、マレーシア、東南アジアの諸国などがその例である。 だが、少なくとも現状を見る限り、頭山満翁がもっとも重視して応援した中国、南北朝鮮などにはまったく理解されず、「大アジア主義」の思想までが、まるで日本のならず者の思想であったかの如く宣伝されている始末である。 その偏見が生ずる背後には、頭山翁を慕って集まった多くの「尊王攘夷」の大陸浪人の他に、日本には明治以降、個人の夢を大陸に求めた多くの大陸浪人があり、玉石混淆していた事実もあろう。 日本政府や軍部の動きに、在野の理想とは異種の「西欧的」ものがあったこともあるだろう。 日本国の動きも分析すれば、日本としては「やむを得なかった」との弁解もあるのかも知れないが、行動には異質な物が多分にあった。 また、中国や韓国・北朝鮮は、日本が米英ソに対戦で敗れ、頭山はじめ在野の日本人が支援した中・韓の独立運動家たちとは相容れない米英ソ連の後ろ盾になった人々のつくった政府であることも作用しているだろう。 (後略)
(私のコメント)
「株式日記」の政治的基本姿勢は伝統と歴史を重んずる保守主義ですが、大東亜戦争はアジアの植民地解放戦争であり人種差別撤廃戦争であったと何度も書いてきました。しかしそれではアメリカが悪者になってしまうから中国や韓国は、事あるごとに南京大虐殺とか従軍慰安婦問題を持ち出して反日感情を煽っています。その原因としては、今の中国や韓国は「米英ソ連の後ろ盾になった人々のつくった政府」であるからだ。
中国の毛沢東や北朝鮮の金日成はソ連共産党の支援を受けたし、韓国の李承晩はアメリカから初代大統領にまつりあげられて出来た国だ。いずれも米ソの傀儡国家であり、「頭山満翁がもっとも重視して応援した中国、南北朝鮮などにはまったく理解されず、「大アジア主義」の思想までが、まるで日本のならず者の思想であったかの如く宣伝されている始末である。」というように、アジアにおける独立運動によって作られた国家ではない。
頭山満は 大アジア主義を掲げて、「日本に来て独立運動を志していた韓国独立党の金玉均、その同志であった朴泳孝、中国国民党の孫文、陳其美、戴天仇、蒋介石、インドのビハリ・ボース、チャンドラ・ボース、その他フィリピンやベトナムなどの独立運動家にも大きな支援を惜しまなかった。」 そして大東亜戦争が起きて米英仏欄などの軍隊を追い払って独立運動は本格化して、戦後に舞い戻ってきた英仏欄などの軍隊と独立戦争を戦って勝利した。
しかし中国と南北朝鮮は米ソによる冷戦に巻き込まれて、それぞれソ連やアメリカの傀儡国家として独立した。中国の孫文や蒋介石は頭山満の支援を受けた同士でしたが、結果的にソ連共産党の支援を受けた毛沢東に追い払われる結果になってしまった。金玉均などの韓国独立運動の闘士たちも運動半ばで倒れて、結局はアメリカに亡命していた李承晩が初代大統領に祭り上げられたが、独立運動の闘士だったわけではない。
「株式日記」では東アジア共同体を構想していますが、これは頭山満の大アジア主義に源流を持つものであり、 「大アジア主義は西欧帝国主義の野望から、アジアの諸国を解放し、その国の民族が培ってきた独自の文化に根ざした国を作るために、日本が積極的に応援しようという純粋な使命感に基づいていた。」というものであり、ネトウヨのような嫌韓、嫌中とは無縁のものだ。
「天皇陛下万歳」と言える右翼が少なくなった。しかし日本という多民族国家から皇室がなくなれば日本はバラバラになる。(呉竹会・頭山興助) 」 2006年3月2日 株式日記
http://www.asyura2.com/0601/senkyo19/msg/1124.html
で、書いたように児玉誉士夫のような売国右翼とは異なる。ネトウヨも嫌韓、嫌中の右翼でありながらアメリカの悪口は決して書かない。アメリカに従属していたほうがいいといった売国右翼の仲間だ。いまや親米右翼と伝統的愛国保守とは、自主独立路線で対立する存在であり、「株式日記」が自主独立を主張するのは、頭山満以来の大アジア主義に基づくものだ。
しかし国会内では、伝統的愛国保守政党は存在せず、自民党も民主党も親米中道政党に過ぎない。そして中国や韓国に批判されるということで日本国の総理大臣が靖国神社にも参拝しないと言うのは、従米的な東京裁判史観によって批判されることを恐れているからだ。しかし靖国神社に祀られたA級戦犯というのは天皇陛下の身代わりになって処刑された犠牲者でありながら、天皇陛下も靖国神社には行幸されないというのは理解できない。
日本の総理大臣は、アメリカのアーリントン墓地には参拝しても、300万人の兵士の英霊が眠る靖国神社には参拝しないというのは、日本人の精神破壊工作であり悪質な洗脳活動である。東京裁判史観によって日本は戦争犯罪を犯した国として小学生のうちから歴史教育で叩き込まれている。それは間違っていると「株式日記」で書き続けてきましたが、野田総理も8月15日には靖国神社は参拝しないだろう。
頭山満の大アジア主義も、中国や韓国からは理解されず、、『頭山満翁がもっとも重視して応援した中国、南北朝鮮などにはまったく理解されず、「大アジア主義」の思想までが、まるで日本のならず者の思想であったかの如く宣伝されている始末である。 』のは歴史がゆがめられて教えられているからであり、現在の中国や韓国こそ米ソの傀儡国家として独立した歴史があるからだ。
それに対して、「 明治維新の精神でもある「大アジア主義」は、多くのアジア諸国の人々には理解され、それが幾つかの国では結実した。 終戦後に独立を果たし、ネール首相がインドを代表して頭山一門に表敬に来日した。 また、日本の国旗日の丸をならって、緑地に日の丸の国旗をつくった。 バングラディシュ、インドネシア、マレーシア、東南アジアの諸国などがその例である。」というように、多くのアジア諸国は欧米から独立を勝ち取り現在に至っている。
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