http://www.asyura2.com/11/warb8/msg/876.html
Tweet |
シリア情勢を巡り、アサド政権は中部ホムス市で「外国の支援を受けた武装テロ集団の排除」を名目に、反体制派勢力に対し徹底した武力弾圧を続けている。砲撃の激化から約1カ月。住民は「弾圧の町」から、巻き添えを恐れて隣接するレバノン北部に続々と逃げ出している。難民たちは、古里への思いと先の知れぬ不安を抱えながら、ひっそり暮らしていた。【ワディ・ハーリド(レバノン北部)和田浩明】
「死ぬのを待つような毎日だったわ」。アマルさん(25)は数日前を振り返り、ぽつりと語った。
ホムスから約20キロ離れたレバノンのワディ・ハーリド地区。「晴れた日にはホムスの方角に砲撃の煙が見える」(地元住民)場所だ。アマルさんが身を寄せているのは親類宅の6畳ほどのコンクリート小屋だ。外はみぞれまじりの寒風が吹きすさぶ。
アマルさんは反体制派の活動が活発なホムス南西部に住んでいた。軍や治安機関、さらに政権支持派の住民が検問所を設けて地区を封鎖し、戦車まで使って攻撃した。
「いつも爆発音がして、外には狙撃手がいた。家の中で息を殺していた」と言う。食料も水も尽きかけた先月末の朝、自宅に砲弾が落ちてきた。市内の別の場所から避難していたおじ2人が死傷した。一家7人は「すぐに脱出」を決意する。
だが、検問所を通れるのは女性だけだった。父親は「とにかく逃げなさい」とせかした。ここで家族はバラバラに。アマルさんは1人で駆け、暗闇が迫るころ、ようやく国境を越えたという。
小屋で、イスラム教徒の女性が頭髪を覆うヘジャブ姿で取材に応じたアマルさんは、写真撮影の求めを「家族に危害が及ぶから」と拒んだ。「(自宅に)帰れるなら帰りたい。でもバッシャール(アサド大統領)がいる限り無理ね」と語った。
◇
政治犯に対する虐待や汚職への怒りで昨年3月に本格化したシリアでの騒乱は、国連推計によると約7500人の死者、難民・避難民9万人を生んだ。
政権側は2月26日に複数政党制や大統領3選禁止を含む新憲法案の国民投票を実施。民主化要求を一部のんだ形だが、弾圧の手は緩めず、国際社会の人道支援要請にも、ほとんど応えていない。
一方の反体制派組織「シリア国民評議会」は、欧米や一部アラブ諸国に「シリア国民の代表」と認められた。だが、傷つき、飢える一般のシリアの人々には遠い存在のようだ。
「彼らが一体何をしてくれたんだ」。レバノン北部の病院に横たわるアブ・ムハンマドさん(35)は国民評議会を酷評した。ムハンマドさんはホムス脱出前、反体制派の自治委員会に代わり住民に食料を配布。政権側の軍事攻撃で移動が困難になると、「モスク(イスラム教礼拝所)の庭に死者を埋葬したこともあった」。自身は政府軍の武装装甲車に左足を撃たれ、支援者の助けで古い家具に隠れて先月半ばに脱出した。
ムハンマドさんらが信頼するのは、離反兵士集団「自由シリア軍」。「命をかけて我々を守ってくれる」。イスラム教スンニ派(人口の約7割)が主力だ。
アサド大統領の出身母体で軍・治安機関を支配するアラウィ派(同12%)との宗派間抗争を懸念する声もある。ムハンマドさんは「政府が(両派の)対立をあおっている。我々は仲良く暮らしてきたのに」と言う。だが、別の難民マフムードさん(46)は「家族を失った人々に復讐(ふくしゅう)するなとは言えない。今後どうなるのか」と不安を隠さなかった。
http://mainichi.jp/select/world/news/20120307k0000m030045000c.html
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。