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アラブ 変革への闘いは続いている ジルベール・アシュカルとのインタビュー(下) かけはし
http://www.asyura2.com/11/warb8/msg/854.html
投稿者 ダイナモ 日時 2012 年 3 月 01 日 19:15:39: mY9T/8MdR98ug
 

具体的な現実の直視を基盤とし21世紀の革命構想をより豊かに

 前号に続く今号のインタビューは、アルジェリア、シリア、リビア、チュニジア、イエメン各国における闘いの民衆的基盤を具体的に分析しつつ、今後の展開と課題に触れている。合わせて、歴史の現段階におけるこれらの闘い総体の意味を、革命概念刷新の観点から取り上げている。(「かけはし」編集部)


過酷な内戦の
記憶の抑制効果

――これまでのところアルジェリアの政権は、民衆的決起によって揺るがされてはいません。なぜでしょうか。

 同じことがイラク、スーダン、そしてレバノンについてもいえます。これらの諸国は長期にわたる内戦で知られています。こうした状況では、民衆が情勢を不安定化させようとはしないことは理解できることであり、ごく当たり前のことです。未知への恐れ、最も極端な原理主義勢力の復活への恐れ、政権による操作や、アルジェリアにとっては既知のことであり民衆がその代価を払うことになった汚い戦争の「再現」などへの恐れが存在します。この背景は非常に重要です。
 アルジェリアは、一九八八年に民衆決起を経験した国であることを忘れるべきではありません。一九八八年のアルジェリアの決起は、私たちが二〇一一年に見たものと同じ広がりや、同じ組織形態をとったものではありませんが、それでも政治的自由化をもたらしました。この政治的自由化につづく選挙でのイスラム救国戦線(FIS)の躍進は、私たちが知っているようにクーデターで終わり、内戦となりました。民衆がこのシナリオの再現を願わないのはごく自然で、当り前のことです。これは新たな決起の基盤となりうる、階級的基礎を持った水平的な社会的収斂を組織する能力を持った勢力の不在の中でアルジェリアにとっての障がい物です。アルジェリアでも動員の企図はありましたが、ほとんど反響はありませんでした。当面のところこうした展望は阻まれているように見えます。
 二〇一〇年一二月にチュニジアで始まった地域の運動が広がり続けるならば、それは変わりうるでしょう。私たちは、隣国のチュニジアとリビアが民主化を経験しているという事実をも計算に入れるべきです。チュニジアでもリビアでも、この民主化はアルジェリアで抑圧されている前FISに類似したイスラム主義勢力に有利に働いています。究極のところでは、それはアルジェリアの情勢に直接の結果をもたらすことが可能であり、それが軍部支配を困惑させているのです。

民衆的基盤をも
つシリアの反乱

――シリアの革命家たちは勝利を収めうると思いますか、そしてこうした革命家たちとはどういう人びとなのですか。

 シリアの大衆決起は、なによりも民衆的基盤を持ったものであり、若者が先頭に立っています。それは四一年間にわたって支配してきた一族独裁への激しい怒りの表明です。ハフェズ・エル・アサドは一九七〇年に政権を取り、三〇年間権力の座について二〇〇〇年に亡くなりました。それ以後まだ三四歳だった息子のバシャルが父のポストに昇進し、一一年間支配してきました。したがって今日のシリアでは、とりわけ社会的側面で、民衆決起の恒常的基盤として激しい怒りが常態化しているのは、きわめて理解できることです。
 シリアは何十年にもわたって新自由主義的経済改革の下に従属させられ、それは近年にいたって加速しました。そのことは、生活コストの目もくらむような上昇、きわめて困難な社会状況、深刻な貧困(住民の三〇%が貧困線以下で暮らしている)に反映されています。これは政権の宗派的性格が少数派であることと結びついています。支配集団の宗派は、おもに少数派であるアラウィ派に属しているのです。
 これらすべての理由により、チュニジア、エジプト、そしてリビアから示唆がもたらされたとき――政権による暴力的な弾圧を思いとどまらせることを望むシリア人が行動にうって出ることを促したリビアへの国際的介入をふくめて――どの政治勢力も支配的であると主張することができず、主導することもない運動の爆発的展開が引き起こされました。とりわけ若者のネットワーク――モロッコからシリアにいたるどこでも見られたような、コミュニケーションの新しいネットワーク(多くが語られたフェイスブックのような)を駆使した――は、こうした決起を「地域調整委員会」という形態で主導し、組織化したのです。この地域調整委員会は、いまや連合し、運動を推進し続けています。それらは政治的組織には属していません。
 しかし運動を「代表」するために合同した政治勢力も存在しています。私たちは相互に競い合っている二つの勢力の登場を見てきました。一つは基本的に左翼勢力を含むものです。かれらの一部は政権に対して根本的に反対しておらず、政権との対話を呼びかけて以来、政権との関係であいまいな態度を取っています。かれらは民衆決起と政権の間の調停者として活動できると信じており、政権に対して改革を行うよう説得していました。かれらはただちにそれがうまくいかないことが分かり、それ以来ほとんどの人びとは政権打倒という目標に結集しました。
 別の一つは、政権批判においてよりラディカルであり、ムスリム同胞団(かれらはここでも中心的役割を果たしています)から民主人民党(シリア共産党の分裂から生まれた組織)にいたる幅を持っています。民主人民党は「イタリア」的仕方でイデオロギー的な展開を遂げたのですが、クルド人の諸政党とともに政権への左翼的批判を続けています。これらの勢力はシリア国民評議会を形成し、シリア民衆運動の一般参加者のかなりの部分から自分たちの代表として受け入れられてきましたが、そのことは運動が政治的ネットワークによって支配されていることを意味しません。したがってそれは、やや左翼的である無所属のバーハン・ガルーンが選ばれて、シリア国民評議会の代表として信任されるという事実に反映されるような特有の情勢なのです。いまや私たちは、ムスリム同胞団が主導してトルコや米国との協定を行うという外交的ゲームに彼がますます参加していくのを見ています。これは危険な力学です。
 最後に軍隊内の反対派がいます。弾圧の数カ月の後、起こるべきことが起きたのです。兵士たちを民衆反乱の側の道筋に組織する能力のある組織の不在にもかかわらず、兵士たちの不満は、当初は完全に非組織的な離反をもたらしたのです。八月以後、かれらは軍の反対派と政権の近衛兵部隊との激突をともなう内戦の開始という背景に対峙して「自由シリア軍」を設立しました。
 したがってシリアには諸勢力の広がりの構図が存在しています。この国には数十年にわたって政治生活がなかったために――この国の政権はリビアに比べれば全体主義的色彩は少なかったにもかかわらず――相互の勢力の相対的比重がどれほどのものなのかを知ることは不可能です。そのためには政権の打倒――もしそれが起きればの話ですが――と、組織された政治潮流の政治的力を知るための自由選挙を待つ必要がありますね。


リビアが経験し
た変革は根本的

――またリビアに戻りますが、カダフィ打倒は内戦の終結を意味するのでしょうか、それとも武力衝突の再現を見ることになるのでしょうか。そうなった場合、その主役は誰なのでしょうか。

 第一に、リビアでは四〇年以上の全体主義体制が、政治生活のあらゆる形態を抑圧してきたことを強調すべきです。したがってリビアは政治的言語において未知の国として現れ、どのような政治的光景が現れるか、あるいはもし選挙が行われれば誰が登場することになるのか、誰にもわかりません。
内戦を言うのであれば、カダフィの逮捕と殺害、そして彼の息子の逮捕まで上り詰めたこの戦争は、当面のところ基本的に終わっています。現在あるのはむしろ混沌とした状況であり、レバノンの一九七五年以後の内戦の初期と少し似通っており、極端なケースをあげればソマリアに似た情勢です。そこには政府がありますが国家は存在しません。真っ先にその武装した背骨によって国家を規定するならば、リビアにはもはや軍隊は存在しません(軍を再構成する企図はあったとしても)。そこにあるのは地域的、部族的、政治イデオロギー的などの様々な基盤によって構造化された複数の民兵組織です。最も狭い意味での地域的要因――たとえばミスラタ(リビア北西部の都市)、ジンタン(リビア西部の都市)など(訳注:今年二月一日に首都トリポリでミスラタ民兵とジンタン民兵の間の銃撃戦があったと報じられている)――が決定的要素です。それぞれの地域が、自らの武装民兵を持っています。
 それは体制の打倒をもたらした戦争の民衆的性格を証明するものです。私たちがリビアで見たものは、疑問の余地なく最も古典的な形態での民衆蜂起であり、人民戦争とも言えるほどのものでした。あらゆる職業の市民が、政権に対する闘争に身を投じる戦士に変身しました。
 NATOの介入が反乱の民衆的性格の終焉を意味し、反乱者はNATOのかいらいに姿を変えてしまったと信じた人びとは、重大な誤りをおかしたのです。その上、こうした人びとのほとんどは、リビア革命に反対しカダフィ政権への支持を正当化しようと求めたのです。私たちは国際左翼の中で、あらゆる種類の、そして筆舌に尽くしがたいほどの混乱を見てきました。カダフィの打倒後にNATOがリビア情勢を支配してきたと信じることは、大きな幻想を抱くことです。米国はイラクに大規模な軍隊を配備してもイラク支配に成功しませんでした。だとするならば、地上軍を置かなくてもかれらがリビアを支配できるなどと誰が信じられるでしょうか。
 カダフィに対する民衆蜂起によって解放された民衆的抵抗の可能性は、依然としてリビアにおいて存在しています。たとえばさる一二月一二日、ベンガジで行われた暫定国民評議会に反対したデモ、そして暫定国民評議会が旧政権とつながった人物を登用しようとしたことに反対したデモを見てください。
 NATOは、イラクの大失敗から学んだ教訓だとして、暫定国民評議会にカダフィ政権のメンバーを取り込むよう忠告することをやめていません。しかしそれを民衆が拒否したのです。ここにはそうした忠告に反対する民衆運動が存在しています。また女性の組織化を見てください。リビアで初めて自主的な女性運動が登場し、レイプの問題であれ、政治的代表権をめぐる課題であれ、動員を行っているのです。民兵をなくすことを望む市民による抗議も存在しています。リビアはあらゆる方向で情勢が爆発的になり、決起によって目覚めた可能性が強力に表現されている国なのです。
 確かにそこでの展望は、政権のあり方、あらゆる形態での政治的批判に対して政権が行ってきた弾圧による、左翼の不在というハンディキャップを抱えています。
 しかしそれでも幾つかの小さな進歩がありました。たとえばエジプトと同様な組織と連携を確立した独立労働組合連合が結成されました。何が起こるか注目することにしましょう。
 いずれにせよ当面のところ、民衆決起という事実、そして武力による政権の打倒という事実によって、そして帝国主義の紛争介入にもかかわらず、リビアはこの地域のすべての国の中で、現在までのところ最も根本的な変革を経験した国なのです。カダフィ政権は、その残党が民衆動員を挑発しているとはいえ、根本的に解体されました。政権の根本的構造は崩壊したのです。その点はイエメンは言うまでもなく、チュニジアやエジプトとも大きく違っています。エジプトでは、チュニジア以上に政権の基本的構造は依然として存在しており、軍事評議会がカイロの権力を握ってさえいるのです。

チュニジアの
鍵は社会運動

――すべてのアラブ諸国の中で、チュニジアは労働者運動の組織――労働組合運動――が最も長い伝統を持ち、かつ最強の組織がある国です。しかし憲法制定議会の選挙プロセスでは労働者運動は周辺に追いやられてしまいました。私たちは安定化の始まりを見ているのでしょうか、それともたんに選挙という幕間にすぎないのでしょうか。どのように考えますか。

 チュニジアはベンアリ政権によって寛容に扱われ、政権から利益を得ていた真のブルジョアジーがいる国です。このブルジョアジーは、ベンアリの政権掌握に先だつブルギバ体制の残党――選挙まで首相だったベジ・カイド・エッセビに代表される――に依拠していました。現在、チュニジアのブルジョアジーは新しい多数派――アンナハダ党、新大統領モンセフ・マルズーキに率いられた共和国議会など――に取り入っています。こうした勢力は反資本主義的社会・経済プログラムを持っていないために、ブルジョアジーに同化されやすいのです。かれらは反資本主義どころか、多かれ少なかれマルズーキ新大統領のように進歩的リベラル民主主義者です。あるいは新首相ハマディ・ジャバリが属する原理主義起源のイスラム主義潮流のアンナハダはその原理主義的性格を超越してきたと主張し、トルコのAKP(開発公正党)に対応するような政党になったとしています。トルコの大資本が、いまやトルコブルジョアジーの最良の代表となったレセプ・タイープ・エルドガン率いるAKPによく順応しているように、チュニジアブルジョアジーもアンナハダに取り入ることを求めているのです。
 同時に運動は草の根レベルで継続しています。選挙が終わるやいなや、ガフサ鉱山盆地での決起がありました。ガフサ鉱山での闘争、とりわけ二〇〇八年の闘いは二〇一〇年一二月に勃発した革命に先立つものでした。今回の抗議は二〇〇八年と同様に、社会問題、労働の権利と雇用の要求にかかわるものでした。そしてこの運動は続いています。チュニジアでの運動は社会問題をめぐって始まり、現在の連合政権はこの問題に応えていないからです。
 したがってチュニジアでは、労働者運動に基礎を置く政治勢力の建設にとって有利な領域が存在しています。左翼勢力がその方向でイニシアティブを発揮すればということですが。

かなりの火薬庫
抱えるイエメン

――アリ・アブドゥラー・サレハ大統領辞任後のイエメンで民衆動員はどのように発展していますか。

 イエメンでも運動は発展し続けています。反対派勢力の重要な部分は、サレハの辞任が基盤の修正なしに外観だけを変えようとする企てにすぎないことを完全に理解しています。
 分離の要求も、納得できない妥協に直面することにより南イエメンで勢いをつけています。イエメンが二つの国家への長期の分離の後に統一されたのは、一九九四年になってからだということを忘れるべきではありません。南の国家は社会的経験を伴いながらマルクス主義を標榜していた、この地域では唯一の政権であり、その経験はほとんど知られていません。ソ連邦への依存によって促進された官僚的堕落の後に、この政権は後見国家の崩壊の後に従って崩壊しました。しかし今再び、南部の分離運動が見られます。この運動は自ら、前資本主義的で、部族的その他の構造が決定的な役割を果たしている北部よりも社会的に進んでいると見なしています。
 またイエメンにはサレハ体制からの攻撃の的になっていた少数派との宗派間戦争もあり、アルカイーダも存在しています。現在イエメンは、アラブ諸国の中で軍事的レベルでのアルカイーダのネットワークが最も強い国です。したがってイエメンはかなりの火薬庫を抱えているのです。

情勢を変革した
運動への共感

――欧州でアラブ地域の革命との連帯キャンペーンをリードする上での困難さについて、どう考えますか。

 質問が示唆するものとは違い、私は、チュニジアの決起に対する共感が、さらにエジプトの決起に対しては米国においてさえ、もっと多くの共感があったと思います。
 とは言っても、それが動員にまで至らなかったのは民衆が動員を行うための特別の理由がなかったからだと思います。私は事実に反する歴史にかかわろうとは思いませんが、チュニジアやエジプトの革命に敵対して西側の政府が弾圧的介入を試みたとしたなら、大きな連帯運動が起きたと思います。リビアの場合、世論の目から見れば少なくとも外見上は、西側諸国の政府は正しい立場から介入したのです。リビアのケースでは一般的には逆の質問が出されます。なぜ西側の軍事介入に対する反対の動員がなかったのか、と。シリアのケースでは人びとは逆の評価を聞いており、政府の態度は「慎重」だと見ています。この事実はかれらを動員へと向かわせるものではありません。
 私は別のことを見ています。アラブの決起のこだまは、世界の民衆の中できわめて強いものです。私たちはすでに米国のウイスコンシン州における二〇一一年二月の動員を知っています。そこではエジプトが見習うべき参照点として取り上げられました。二〇一一年三月のロンドンの労働組合の大デモでは多くのプラカードでエジプトに言及しており、スペイン、ギリシャでの怒れる者たち、さらに最近では米国そしてどこにも広がったオキュパイ運動でもそれが繰り返されました。どこでもアラブ世界で起きたこと、とりわけエジプトの決起への言及が見出されます。なぜならメディアの焦点は他のどこよりもエジプトの出来事に絞られていたからです。
 民衆は「かれらと同じようになるだろう」「彼らは敢えてそれをやり遂げた。われわれもやるだろう」と語っています。もちろん別の方向への過大評価があるべきではないのです。こう言いながら私は、スペインのように運動が大きな広がりを持ったところでも、これらすべての限界に完全に気づいています。どの欧州諸国でも現在のところ情勢がアラブ世界と同様な国、すなわち鋭い社会的危機と正統性のない専制政治が結びついた国はありません。ブルジョア民主主義政権を持つ欧州では、事態はこうした先鋭さを持たず、投票箱への依存が再現することにより、爆発のレベルの低下を引き起こしているのです。
 私の意見では、こうした状況は連帯の組織化にはそれほど十分なものではありません。当面のところアラブ地域での決起に対する西側の介入はないからです。もしそんなことが起こったとしたら、もちろんそれに反対する動員が必要になります。しかし今のところより重要なことは、アラブ地域の闘いが示したことから示唆を受け取ることなのです。つまり大衆運動が、一国の情勢をラディカルに変革できるということです。これが現在雪だるま的にふくれあがっている事態の教訓であり、私にはそれが最も重要なのだと思えます。

階級闘争概念刷
新が歴史の要請

――今やきわめて衰退している歴史的・伝統的左翼には、動員を抑制する力が失われていると思いませんか。あなたは「怒れる者」の運動について言及されましたが、「私たちを代表する党も組合もない」という運動も存在しています。それは、かれらが伝統的左翼とのつながりを感じていないという意味であり、また少なくとも過去と同じではないことを意味しています……。

 より根本的には、この間私たちは左翼の政治的形態、労働者運動の形態、階級闘争の形態の歴史的変革に直面してきた、と考えています。その変革は残った左翼の間できわめて不均等に理解されてきた、と私は思います。あまりにも多くの人たちが二〇世紀から引き継いだ思考の枠組みの中で考え続けています。しかし悲劇的な破産に終わった二〇世紀左翼の経験は、今日では完全に時代遅れなのです。一九一七年のボリシェヴィキの勝利が左翼に刻印したモデルではなく、より水平的で、垂直的・集権的ではない階級闘争概念の刷新が必要なのです。
 現在、技術革命によって、ネットワークの中ではるかに民主主義的で水平的な組織の形態が可能になっています。若者たちが実践しているのがそのことです。アラブ世界で進行している運動の中でそれが機能しているのを、私たちは見ています。しかし幻想にとらわれることなく、です。フェイスブックが二一世紀のレーニン主義党に相応するなどと思うのは、巨大な幻想です。
 しかしこの二つの間には、社会的・市民的ネットワークにつながり、新しい世代に訴えることができるテクノロジーを使いながら、もっと民主主義的な政治組織の創意に富んだコンビネーションを作る余地があります。私たちはかれらがいかにそれを使っているか、かれらが自分たちの生活にいかにそれを組み入れているかを見ています。それは世界的規模での左翼の、政治的・イデオロギー的・組織的再武装を必要とする未来を描き出すものです。
 このことはアラブ世界で起きたことによっても示された、現に提起されている挑戦課題なのです。この挑戦はすでにサパティスタの反乱によって示されていました。それはラディカル左翼の表現形態を再発明する力強い試みでした。それはグローバル・ジャスティス運動や、この運動を構成する人びとにも共有されました。そして現在ではアラブ世界での決起と、「怒れる者たち」、「オキュパイ運動」などの間に広がり、とりわけ若者たち、しかし若者だけではなくこうした行動の方法を使う人びとの間での爆発的動員を目にしています。
 ラディカル左翼はバッテリーに再チャージすることが必要です。二一世紀の革命的左翼を建設するために、ラディカル左翼の綱領的・理論的遺産、マルクス主義の遺産と、こうした現代的な形態、組織と表現様式のラディカルな刷新を結びつけることが不可欠なのです。

▼ジルベール・アシュカルはレバノン出身。現在ロンドン大学東方・アフリカ研究校教員。邦訳書に『野蛮の衝突』(作品社)、『中東の永続的動乱』(つげ書房新社)。
(「インターナショナル・ビューポイント」二〇一二年一月号)


http://www.jrcl.net/p01b.html
 

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