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シリア不介入という選択の正当性
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34651
2012年2月28日付 英フィナンシャル・タイムズ紙 :JBpresu
なぜ国際社会がこんなことが起きるのを見逃せるのか、ここにいる人は誰も理解できない」。メリー・コルビン氏はシリアのホムスで受けたインタビューで、こう言った。彼女自身がシリア政府軍の爆撃で命を落とす1日前のことだ。
勇敢な戦争ジャーナリストであるコルビン氏は、国際政治の世界で繰り返し生じるジレンマを的確に指摘していた。外部の世界には、一般市民の大虐殺を食い止めるために介入する義務があるのかどうか、ということだ。
■人道的には介入を望むのは当然
シリアでは政府軍の砲撃が続き、犠牲者が既に7000人に上ったとされる〔AFPBB News〕
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2857046/8434680?ref=jbpress
ひどい残虐行為を間近で見る人は、概してコルビン氏のような反応を示す。筆者が知っているジャーナリストでボスニア戦争をカバーした人は、ほぼ全員が固い信念を持った外部介入支持者になった。
これは人間として自然な反応だ。何しろ、来る日も来る日も罪のない人が死んでいくのを目の当たりにする。しかも、自国には膨大な兵器が眠っており、その軍事力を行使すれば攻撃者を圧倒できることが分かっているのだ。
殺戮を止めろと訴えないことは、不可能であり、人の道を外れているように思える。筆者自身、インドネシアの占領下にあった東ティモールを訪問し、その惨状に愕然とした後は、同じような気持ちを抱いた。
命がけで大規模な残虐行為を世界に伝える人権団体のメンバーやジャーナリストは、絶対不可欠で尊い役割を担っている。だが、同じことは、遠く離れた安全なオフィスに身を置きながら、対応策を見極めねばならない比較的地味な官僚や政治家についても言える。
■介入の結果を熟慮しなければならない官僚・政治家
介入したいと思う人道的な衝動と、介入の結果を熟慮するという公的な責務のバランスを取るのは、官僚と政治家の仕事だ。
彼らはただ「殺戮を止められるか」と問うだけでなく、「次に何が起きるか」と問わなければならない。さらに、「ある悪を阻止するために介入することで、将来もっと大きな悪を生み出してしまう可能性はあるか」と問わなければならない。
これは決して人気のある問いではない。というのも、介入の支持者は道義的な絶対主義に従っているのに対し、介入をためらう向きは、1つの悪と別の悪を天秤にかける道義的な相対主義者だからだ。
後者は必然的に、ずる賢く、冷酷に聞こえることが多い。だが、彼らが間違った判断を下したら、防いだ虐殺より多くの死を招いた責任を問われるかもしれないのだ。
今シリアで起きている紛争は、強烈な形でこうした難問を投げかけている。殺戮が激しくなる中、「国際社会」の反応は弱々しく見える。問題は、国連決議案に対するロシアと中国の拒否権行使だけではない。最も強硬にシリアを非難しているアラブ諸国や欧米諸国もためらっている。それも正当な理由があってのことだ。
どんな外部の介入についても、問わねばならない重大な問題は、単に殺戮を止められるかどうかだけでなく、平和裏かつ持続可能な政治的解決に有利になるよう情勢を決定的に変えられるかどうか、だ。もし形勢を一変できなければ、外国による介入は紛争を激化させてしまうだけになる恐れがある。
■成果はまちまちだった過去の軍事介入
時には、介入が明らかにうまくいったこともある。北大西洋条約機構(NATO)は何年も介入をためらった末に、最後にはボスニア戦争に終止符を打った。それよりは限定的だった1999年の東ティモールへの介入も目的を果たした。
最近のリビア攻撃はほぼ間違いなくベンガジでの恐ろしい大虐殺を防いだし、今でも、リビアにかなりまともな政府を誕生させる可能性が十分ある。
だが、ニュースを少し見るだけでも、それほど成功したとは言えない過去の介入を思い出させる材料が多々ある。人権を尊重する民主主義を確立するという大きな期待を胸にNATO軍がアフガニスタンに侵攻してから10年以上経った今、彼らは新たに火がついた反乱に見舞われている。
1993年に米国の介入が失敗したソマリアは、今や破綻国家の典型になっている。イラクは大量殺戮の場と化してしまった。
悲しいかな、シリアは外部の介入が失敗する可能性が特に高い国に見える。アサド政権は強力な軍を備えており、リビアのカダフィ大佐よりも国内外で大きな支持を得ている。シリアでの戦いが激化すれば、長引く内戦に発展するリスクがかなりある。
■地域紛争に発展しかねないシリア内戦
イランからサウジアラビア、イスラエルに至るまで、多くの外国勢力が、誰がシリアを支配するかに大きな利害を持つという事実は、シリアの戦争が広範な地域紛争に発展する現実的な可能性があることを意味している。
また、アサド家の後を継ぐ新政権の特徴についても、何も保証されていない。シリアの反政府勢力は米国だけでなく、アルカイダにも支持されている。これは史上初めての出来事に違いない。
かつて西側諸国の兵器がアフガニスタンのタリバンの前身組織を武装させたことを思い返すと、西側はシリアで誰を支持し、誰に武器を与えるかについて極めて慎重にならざるを得ないはずだ。むしろ諸外国は経済・外交ルートを通じてアサド家に圧力をかけるべきだ。一族はもう二度と世界的に受け入れられないということをはっきり伝えるのだ。
だが、平和的な圧力の支持者は、正直でなければならない。現段階では、経済制裁と国連の非難決議は恐らく、自身の存亡をかけて戦っているシリア政府の残虐行為を止めるには、効果が出るのが遅すぎるだろう。
このほか、難民のための避難区域設定や救援物資を届けるための「人道回廊」の確保など、やはり一見平和的に見える対策は、実際には軍事力の行使が必要になる。サウジアラビアが主張するように反政府勢力に武器を供給すれば、間違いなく対立を煽ることになるだろう。
さらに不愉快な真実は、諸外国の政策立案者は心の奥底で、「死者がどこまで増えると多すぎるのか」と問わねばならないことだ。これがホロコーストだったり、ルワンダの大虐殺(80万人の命が失われた)だったりしたら、介入への義務感は当然、介入の結果に対する不安に勝るはずだ。
■感情的な反応が正しいとは限らない
シリアにおける犠牲者は現在7000人と言われ、間違いなく今後増えていく。これは恐ろしい事態だ。だが、それでもまだ、シリアに対する外国の軍事介入に伴う莫大なリスクを取ることは正当化しない。
筆者もきっと、コルビン氏や彼女の仲間たちが目撃した恐怖をじかに見ていたら、全く違う気持ちを抱いていたはずだ。しかし時には、物理的な距離と心理的な距離感も求められる。感情的な反応は、必ずしも正しい反応ではないのだ。
By Gideon Rachman
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