http://www.asyura2.com/11/warb8/msg/850.html
Tweet |
http://www.asahi.com/national/update/0225/TKY201202250227.html
核を問う、科学者の足跡 原水禁運動、東工大に資料300点
朝日新聞 2012.02.25 夕刊 14頁
核被害を前に、科学の知識を持つ者は何ができるのか――。58年前のビキニ水爆実験をきっかけに広がった原水爆禁止運動で、東京工業大学の研究者と学生たちの足跡を示す資料約300点が見つかった。原発事故で科学者のありようが注目されるなか、資料を生かす動きが始まっている。
資料があったのは、東京・目黒のキャンパスにある大学職員組合の倉庫。組合では、段ボール3箱が東京工業大学原水爆禁止運動協議会(東工大原水協)の「重要な資料」として引き継がれてきたが、中身はあらためられなかった。
今も地域の原水禁運動にたずさわる青木清さん(74)=東京都目黒区=が一昨年、その存在を知り、組合元委員長の道家達将・名誉教授(83)らと開封。ガリ版刷りの東工大原水協の設立宣言の草案や署名趣意書、会報などの資料を整理し、リストを作った。
資料によると、東工大原水協が結成されたのは1954年6月5日。教員や学生が2カ月間で全学の8割を超える約2100人の署名を集めた。
資料からは、理系大学の自負がうかがえる。
《大学の人間が社会に対する正しい解説者の役を引き受けることは当然の義務》。同年8月付の活動報告書には、地元から殺到する講演依頼に応え、教員ら30人が講師団をつくり、原水爆の人体への害を伝え始めたと記されていた。地域の空間放射線量の自主測定を呼びかける文書もあった。
このほか、運動の中核を担った高宮篤・助教授(故人)に、ノーベル賞学者の湯川秀樹博士が運動へのアドバイスを記した書簡も見つかった。
青木さんは、資料約100点のレプリカを製作。組合は原資料の活用方法を検討中だ。高宮さんを知る道家さんは「原発事故では科学や科学者への信頼が揺らいだ。資料からは、若い教員や学生が市民と一緒に問題を考えていた姿がうかがえ、今日的な意味がある」と話した。(隅田佳孝)
◆キーワード
<ビキニ水爆実験> 1954年3月1日、太平洋・ビキニ環礁で米国が水爆実験をし、漁船「第五福竜丸」が被曝(ひばく)。同年5月に始まった原水爆禁止署名運動は全国に拡大。3千万人分を集めて翌年、第1回原水禁世界大会が広島で開かれた。
湯川秀樹博士からの書簡(上)と、青木清さんがつくったレプリカ(下)
【写真説明】
【関連記事】
〈MY TOWN高知〉ビキニ水爆直後の体験克明に 船員の日記57年ぶり発見(11/3/2)
http://mytown.asahi.com/areanews/kochi/OSK201103010159.html
ビキニの「死の灰」、世界122カ所に降った 米が観測(10/6/19)
http://www.asahi.com/special/npr/SEB201009180037.html
--------------------------------------
<参照>
「しんぶん赤旗」 2012年2月29日(水)
核兵器のない世界へ 扉開こう/ビキニデー 4カ国の海外代表報告
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-02-29/2012022901_04_1.html
3・11大震災 シリーズ27 放射線を浴びたX年後 ビキニ水爆実験、そして…
http://dai.ly/xxvX1U
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。