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映像'12 毎月第3日曜日 24時50分〜25時50分放送
20120219 受忍 〜放置され続ける空襲被災者〜大阪大空襲
http://dai.ly/wEE6z3
大阪に空襲があったことは、祖母や両親から聞いて知ってはいました。子供の頃、納屋に空襲のときに被る鉄兜(ヘルメット?)が置いてあるのを見た記憶もあります。しかし、正直言って67年前の戦争は学校の授業で習った「歴史上の出来事」でしかありませんでした。
取材のきっかけも、同期入社の男性が「大阪空襲訴訟原告団を支える会」の一員で「国に謝罪と賠償を求めて起こした裁判の判決が出るので、一度取材してみたらどうか?」と薦めてくれたからで、自分自身が、それほど積極的だった訳ではありません。
ところが「支える会」が制作した原告たちの証言ビデオを見ていて、ある女性が「私たちは国に騙された!」と鋭い声で言ったのが耳から離れなくなりました。戦争末期、国は空襲時に一般国民に消火の義務を課し、防空壕も簡易な作りのものを奨励しました。焼夷弾が落ちればひとたまりもない防空壕で、この女性の家族は全員焼け死んだといいます。国は、戦争のような非常事態での損害は、国民がひとしく受忍すべきとして戦後、この人たちに何の補償もしてこなかったのです。
「国に騙された」という声は、3・11の震災とそれにともなう原発事故の後も、しばしば聞かれました。いまも“非常事態”の中で、多くの人が損害を受忍させられています。それと同じことが、67年前にも起きていたことに驚くとともに、改めて怒りを覚えました。「国策」の名のもと、人命や人権がいとも簡単にないがしろにされる実態は、今も昔も変わっていません。
今回、大阪大空襲の取材をしたことで、自分の中で「歴史上の出来事」だったことが、「いま現在」とつながって、一本筋のとおったものになりました。大阪大空襲の問題を考えることは、3・11を考えることでもあるし、ひいてはこの国のありようそのものを考えることなのです。
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