01. 2012年2月25日 18:06:26
: l1NPjWZAfD
興味深いニュースだ。いや、ハマスがダマスカスを見限った云々ではない、この記事ではそれを強調したいわけだが問題はそこに無い。ハニヤはガザの首相であると同時に勿論、ハマスの幹部のひとりでありイスラム急進派の人である。 ハマスの思想の源泉はエジプトにある、それもカイロのアズハル大学。ここはスンニ派のイマムがファトワを出すことでつとに有名だ。実はエジプトはイスラム過激派の発祥地でもある。中でも有名なのはイスラム同胞団だ。 このグループは穏健派から最過激派まで多岐にわたり、アラブにイスラム主義を輸出してきた。 ハマスもそのうちの1つ。エジプトで長期独裁を敷いたムバラクが倒れたジャスミン革命の一番の成果はイスラム主義者たちだと言われている。 勿論、長期独裁で溜まった膿が爆発したことを抜きには語れないが、なにを措いてもイスラム政権がエジプトで出来たことの喜びはハマス、とくにエジプトで学んだハニヤならずとも踊り出したい気分だったはずだろう。 ハマスのハニヤがジャスミン革命後のチュニジア訪問したことをどう捉えるか考察したサイトの記事URL。 ハマス政権ハニヤ首相の北アフリカ・中東歴訪 ―ガザの指導者から中東の指導者に格上げ― L・バルカン* http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=IA78812 長い文章なので割愛して抜き出しておく。 『ハニヤを迎えたチュニジアの政界要人達は、ハマス政権を正統の合法政権と認め、ハニヤを正当なる首班として受入れた。一方のハマスは中東諸国への公式訪問とその歓迎ぶりを、アラブ・イスラム世界でのハマス認知が広く深く浸透しつつある証拠、とみた。ハニヤは、諸国歴訪がガザに対する政治的経済的封鎖を打破したとし、チュニジアとパレスチナの両革命の結びつきを強調した。更にハニヤは、ハマス政権が引続き聖戦と抵抗の道を進み、イスラエル承認は拒否、パレスチナの土地は寸土といえども放棄しない、と行く先々で約束した。』 『この歴訪は、PA内で批判がでた。チュニジア当局がこちらの存在を無視し、事前に連絡することもなかった、と非難している。一方、チュニジア内の反対陣営も批判している。パレスチナの一勢力だけと関係を深めたうえに、イスラム政党アンナハダとチュニジアの新政権との境界を越えてしまったと批判。この歴訪で、ハニヤの地位は格上げされた。ガザ問題にかかわるローカルな人物から、アラブ・ムスリム世界で政治的経済的支援をとりつけることのできる、ハマス運動の中心的存在になったのである。ハニヤは運動内で昇格するかも知れない。歴訪から戻った直後の2012年1月中旬、ハマスが発表をおこなった。マシァル政治局長が今年の中頃予定されている選挙でこのポストの候補を辞退したという。有力候補として名前のあがったのが、ハニヤである[ほかに、局次長のアブ・マルズーク(Moussa Abu Marzouq)、ガザのハマス大幹部のひとりザッハル(Mahmoud Al-Zahhar)の名前があがっている]※5。ハニヤが政治局長に任命されることは、政治指導者になるということであり、政治指導部の中心がガザに移ってくることを意味する。ハマスは、自治区、イスラエル及び域外に居住する全パレスチナ人を代表する運動、と称しているが、その地位にインパクトを与え、ガザのハマスとダマスカスのハマスとの力関係にも影響すると思われる。ちなみに後者は、シリアの不穏情勢で、本拠地をダマスカスから別のところへ移そうとしている。 』 ハニヤのチュニジア訪問はハマスの中で静かな政治的闘争が起きていることを暗に示している。 それは政治局議長、ハマスの最高指導者の指導者にハニヤが名乗りを上げ、それを補完するものとしてエジプト、トルコ、スーダン、チュニジアのイスラム勢力のお墨付きを得る旅であるということだ。 生臭い話ではある。これにはハマスとファタハ「PAパレスチナ自治政府」の和解が影響していると見ている。それはくしくも両者の肩を取り持ったのはエジプトであること。実質的にファタハがハマスの前に屈したという証左である。ファタハは否定するがどう見てもそう取られるだろう。 ファタハはPLOから派生した組織である。思想的には世俗主義であり、イスラム色は遥かに弱い。 イラク(旧フセイン政権)、シリア、レバノンの政権に近い。 しかしこの地ではイスラム主義であろうと世俗主義であろうと広汎に支持を取り付けなければ存在意義は無い、いわば仁義なき戦いの最前線なのだ。良い悪いの問題ではない。 ハニヤのチュニジア詣でも己の野望とパレスチナ解放を両天秤にかけた博打のようなものだが、勿論批判がないわけではない。抜き出しておこう。 『訪問はイスラム政党を利するだけ―チュニジア反体制派の声』 『チュニジアの人間でハニヤの訪問を全員が全員喜んだわけでない。ロンドン発行アラブ紙Al-Sharq Al-Awsatによると、左翼を中心とする反対派が訪問の意図と政治的含みに疑問を抱き、批判を噴出させた。パレスチナ諸派のなかでひとつだけに、それも宗教色濃厚な一派に肩入れし、ハニヤの招待者は、人気とり、つまりチュニジア人民の支援を得るために訪問を利用した。これが左翼の怒りの理由で、彼等はハニヤを放遂された政権の首班として招いたのか、ハマスのメンバーとしてなのか、それともパレスチナの指導者としてなのかと問うた。更に彼等はハニヤはどちらの客なのかとも問うた。政府とアンナハダ党双方の幹部達が招待に関与し、ハニヤを主賓とする行事に参加しているので、政府、党のどちらが招待者なのかと問うのである※19』 さらにパレスチナ自治政府PAの批判。 『PAはハニヤのチュニジア訪問に不快感』 『PAは、ハニヤのチュニジア訪問とそこで受けた歓迎に批判的である※34。ハニヤの歴訪が始まった当初、ファタハによる妨害工作が伝えられた。もっともファタハはこれを否定している※35。ハニヤ自身は、「チュニジア側から受けた情報によると、アッバス(PA議長)が訪問受入れのキャンセルを求めたが、チュニジアの大統領は、ハニヤが選挙で選ばれた合法政権の首班であることを理由に、要請を拒否した」と言っている※36。この主張もPAは否定している※37。いずれにせよ、チュニジア駐在のパレスチナ大使や当地のPLO代表達は、空港における歓迎式典に参加せず※38、チュニジア当局が訪問の詳細を知らせなかったと非難した。彼等は、ハニヤがハマン・シャット墓地に行かなかったことも批判した。1985年にイスラエルがチュニジアのPLO本部を攻撃した時パレスチナ人68名が死亡、墓がその墓地にある※39。実際のところハニヤは、チュニジア訪問の終り頃、その墓地と攻撃を受けた場所(アラファト事務所、PLO本部、フォース17の建物を含む)を訪れた。内部紛争を超越し、全パレスチナを代表する指導者としての地位を誇示するためであろう。 ハニヤの滞在時、チュニジアのマルズーキ大統領はPAのアッバス議長にも招請状をだした。この後挙行される革命1周年記念式典への参加である※40。明らかにこれはバランスをとろうとする行為であり、パレスチナの内部紛争には中立であるという姿勢を示そうとしたのである。しかしながらPAは、訪問しない旨を伝えた。その時期アッバスはヨーロッパを訪問中で、自分の代りにマリキ外相(Riyadh Al-Maliki)が式典に参列するという※41。ハマス系日刊紙Al-Risalaのウェブサイトは、チュニジアの報道を引用する形で、電話でアッバスがマルズーキに話した内容を伝えた。ハニヤを正式に招いたことを謝罪しなければ、チュニジアへ行かないと言った由で、これに対し大統領は、パレスチナ自身の法律によれば、ハニヤが首相であり、立法評議会がほかの者を指名しない限り首相である旨答えたという※42。 マルズーキは、アルジェリア紙でこの問題の沈静化をはかろうとした。その弁解によると、自分はハニヤの要請で本人に会ったのであり、それも封鎖と飢餓に苦しむガザに敬意を表明するためであり、ハニヤにはパレスチナ内部の和解の重要性を説いた。パレスチナ諸派を公平に扱い、内部問題への干渉を避けるため、アッバスに対する招待もだされたが、アッバスは来ることができなかった。それは抗議の意志表示ではなく、本人の日程の都合による云々※43。 2011年5月、パレスチナ和解協定が結ばれた。ハマスとファタハの和解であるが、双方が進めようとしたにも拘わらず、全然履行されていないが、マルズーキは「今回の行事は、このような背景のもとではなく、誰かに対する挑戦行為でもない」と力説した※44。 』 毎日の配信記事にもあるように確かにダマスカスにハマスの政治局があり、ハニヤはダマスカスからガザに移すべくシリアの内戦の推移を見つつ政治的な揺さぶりをかけているのだろうが、それは残念ながら杞憂に終わるだろう。 ロシアがシリアに手を出せば火の粉が及ぶぞとサウジを恫喝して以後、サウジは自分の足元を見るようになった。 同じことはハマスにもいえる。ロシアもまたパレスチナ情勢ではハマス、ファタハとイスラエルの話し合いを模索している、つまり一定の支持をしている。 そのロシアがパレスチナから手を引けば、チュニジアやエジプトが後ろ盾になってくれようが強大なイスラエルの軍事力の前では無力なのは言うまでもない。 シリアと切れればヒズボラもイランとシリアの関係上、ハマスとの同盟を反故にするかもしれない。 ジャスミン革命とやらに浮かれたハニヤには、ダマスカスはもうすぐ落ちると見えているのだろう。ガザのローカル指導者がパレスチナ全体の指導者たりえんと大きな錯覚をしたところにアラブの春の罪があると言えなくもない。 ハマスはどうか見誤らないでもらいたいものだ。 |