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金正男「韓国、北の攻撃を受けても対応できない
2012年01月18日
中央日報http://japanese.joins.com/article/474/147474.html?servcode=500§code=510
昨年12月に死去した北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の長男・金正男(キム・ジョンナム、41)が、親交ある日本人記者とやり取りしたメール150件の内容とインタビューのエピソードなどが書かれた本が18日、日本で出版される。五味洋治・東京新聞編集委員(54)の著書『父・金正日と私』だ。
この本には、2010年11月23日に発生した北朝鮮の延坪島(ヨンピョンド)砲撃に関する金正男の発言が出てくる。11月25日に五味委員に送ったメールに書かれた内容だ。金正男は「韓国は攻撃を受けても戦争拡大を防ぐため、適切な対応ができないようだ」とし「北朝鮮は韓国のこうした弱点をよく知り、いつどこでも類似の攻撃を加えてくるだろう」と書いた。
続いて「今回のようなこと(延坪島攻撃)が起きて非常に心配している」とし「北朝鮮としては西海5島地域が交戦地域というイメージを強調する必要があったはずだ。それで核保有、先軍政治などすべてのものに正当性が生じると判断しているようだ」と話した。
2011年1月13日にマカオで行われたインタビューで、金正男は北朝鮮が核を放棄する可能性は低いという考えを表した。金正男は「北朝鮮の国力は核から出てくる。米国との対立状況で核を放棄する可能性は少ない。核保有国が外部からの圧力で核を放棄した前例はあるだろうか」と問い返した。
金正男は08年夏の金総書記の脳卒中についても言及した。金正男は「父が倒れた後、フランスの神経外科専門医フランソワ・ザビエル・ルー博士を訪ね、その後、私は平壌(ピョンヤン)に行った」とし「その直後、ザビエル博士が平壌に来たので、結果的に私が(父の)治療を彼に依頼した形になった」と伝えた。
五味委員は東京新聞ソウル特派員を経て、北京に赴任した04年、空港で金正男に偶然会って名刺を渡した。その後、金正男があいさつのメールを送って対話が始まった。その後は連絡が途絶え、2010年10月以降、対話が再開された。
五味委員は「初期にメールが何度か行き来した後、金正男との連絡が途絶え、彼の存在を忘れていた」とし「しかし2010年6月に中央日報の日曜版‘中央SUNDAY’がマカオで金正男に会ってスクープしたのを見て接触をまた試みた」と説明した。その空白のため、2010年3月に発生した韓国哨戒艦「天安(チョンアン)」事件に関する対話はなかった。
2人は金総書記の死去が公式発表された昨年12月19日にもメールをやり取りした。金総書記の追悼式が終わった12月31日には「北朝鮮では人が亡くなれば100日間は‘喪中’となる。この時期に何か新しい(自分に関する)ニュースが出てくれば私の立場が不利になる」とし「理解してほしい。北朝鮮政権が私に脅威を与える可能性もある」と伝えた。
しかし今年1月3日のメールでは「37年間の絶対権力を、(後継者教育が)2年ほどの若い世襲後継者が、どう受け継いでいけるのか疑問」と強いトーンで3代世襲を批判した。わずか3日間で両極端を行き来する心的動揺が感じられる部分だ。
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