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アメリカの場合は「普通の国」になる、ということそれ自体が「普通じゃない」事態なのである。 内田 樹
http://www.asyura2.com/11/warb8/msg/598.html
投稿者 TORA 日時 2012 年 1 月 13 日 14:12:06: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu255.html
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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アメリカの場合は「普通の国」になる、ということそれ自体が「普通じゃない」
事態なのである。アメリカはかつて一度も「普通の国」になったことがない。

2012年1月13日 金曜日

◆ポスト・グローバリズムの世界、あるいは「縮みゆく共同体」 1月12日 内田樹
http://blog.tatsuru.com/

アメリカの最近の国勢調査で、白人の人口が2歳時以下の幼児の過半数を割った。
ヒスパニック系(16.3%)がアフリカ系(12/6%)を抜いて、マイノリティの最大集団になった。
ヒスパニックは出生率2.3で、白人を0・5ポイント上回っている。
アメリカにおいて白人が少数民族になる時代が近づいている。
ヒスパニックは英語を解さないスペイン語話者を多く含む。

都市の黒人たちはすでに「エボニクス」という、英語と文法も語彙も違う独特の言語を有している。
「社内公用語は英語とする」というような「守旧派的」な雇用条件を課す企業がアメリカ国内に出現してくるのも、こうなると時間の問題である。

これを文化の多様化と言って言祝ぐ人もいるかも知れない。だが、国民国家が共通言語を喪失するという事態は「多様化」というよりはむしろ「分裂」と呼ぶ方がふさわしいだろう。
アメリカは国家としての統合軸を失いつつある。
植民地時代はジョン・ウィンスロップが掲げた「新大陸に理想の福音国家を創る」という宗教的なモチベーションがあった。

独立戦争の時は「独立宣言」が市民たちを統合した。
その後も、ひさしく法外に豊かな自然資源がヨーロッパの窮民たちを受け入れ、そこに自立と自助の道徳と高い社会的流動性が生まれた。

でも、東西冷戦が終わり、アメリカは「崇高な」存在理由を失ってしまった。
もうアメリカに人類を進歩と豊かさに導く倫理的なリーダーを求める人はいなくなった。
アメリカは他国と同じようなモラルハザードと、他国と同じような貧しさに苦しむ「どこにでもある普通の国」になりつつある。

普通の国が普通の国であることに何の不思議もない。
だが、アメリカの場合は「普通の国」になる、ということそれ自体が「普通じゃない」事態なのである。
アメリカはかつて一度も「普通の国」になったことがないからである。

オバマ大統領は四年前に、彼の前任者が地に落としたアメリカの倫理的威信を回復し、アメリカをもう一度「偉大な国」たらしめようと望んでホワイトハウスに入った。
でも、彼は、イラク撤兵を除くと、その約束のほとんどを実現できなかった。
オバマがもう一度オーヴァルオフィスの主となることができても、「アメリカの没落」という基本的な趨勢は変わらないだろう。

「アメリカの没落」とは、「アメリカの普通の国化」ということである。
別に恥ずかしいことではない。
けれども、アメリカという国は「普通じゃない」ことを、それをほとんど唯一の存在理由にして国民的統合を成り立たせて来た国なのである。
それが「普通の国」になるというのは、国民的統合の「軸」を失うということである。

世界の人々をアメリカに惹きつけてきたのは、それが「例外的な国」だったからである。世界の人々がアメリカの犯してきたさまざまな誤りに対して異常に寛大だったのは(罰するには巨大すぎるという理由と並んで)この国が「例外的な国」だったからである。

「ずいぶんひどいことをする国だが、それはアメリカが『世界の希望』を担うという歴史的使命をうまく処理できないせいで起きたことで、利己のためではないのだ」というかたちで私たちはアメリカの誤謬を「やむなく」認めてきた。

そのような「特別扱い」の権利を国際社会はもうこれからアメリカには認めないだろう。
「次の大統領」は「なぜ、アメリカだけが世界の安定と繁栄のためのコストを引き受けなければならないのか。アメリカはアメリカだけのことを考えていればよいではないか」という国民の声に屈服するだろう。

もちろんこれまでもアメリカは自国の国益を最大化するために行動してきた。けれども、その時も「これは一国の利害得失のためのことではなく、世界のための行為なのだ」という大義名分をどんな詭弁を弄してでも手放さなかった。
「普通の国」ではない、というのが彼らが超法規的な仕方で自国の国益を守ってきたときの切り札だった。

でもアメリカ人は「自国さえよければそれでいい」という恥ずかしいほどリアルな本音を口にできる「普通の国」の国民であることを願うようになった。
この流れは今に始まったわけではない。

ソ連は七十年間にわたる「国際共産主義運動」の大義名分を捨てて、恥ずかしいほどリアルな「普通の国」になった。
中国もなった。
EUはまだ意地を張って、「欧州統合」の理想を掲げているが、現実には、ヨーロッパでは「移民排斥」や「ユーロ離脱」を公然と掲げる右翼政党がどこでも支持率を急伸させている。

フィンランドでもオランダでもデンマークでも、「なりふり構わぬ本音」を人々は口にし始めた。
フランスも今年が大統領選挙であるが、去年の支持率調査では極右の国民戦線のマリーヌ・ルペンがサルコジ、オランドを抑えて首位につけた。
ルペンの公約は「移民排斥」と「ユーロ離脱」である。

それは単にEU理念の否定というだけでなく、「自由・平等・博愛」のフランス革命理念の否定でもある。
もう、きれいごとなんか言ってられない、ということである。
人権の本家であるフランスにして、そこまで追い詰められているということである。

実際の選挙結果は「(展望のない)現状維持」あたりに落ち着くのかもしれないが、それでも私たちの前に現状からの政治的なオルタナティブとしては「世界中のすべての国の『普通の国』化趨勢」しかないという事実は揺るがない。

これから世界のすべての国が「普通の国」になる。
グローバリゼーションとは、そういうことである。
でも、行き過ぎたグローバリゼーションに対する補正の動きは当然のことながら「ローカライゼーション」というかたちをとる。
具体的には、「共同体のダウンサイジング」である。

共和党の掲げる「世界の警官」廃業論や連邦政府の権限縮小論がはその適例である。
世界の人口は70億を越えた。中国一国で14億である。14億というのは、19世紀末の世界人口である。
それだけの人間を19世紀的なシステムでコントロールできるはずがない。

というので「世界政府」としての国際連合や、「国民国家の廃絶への道」としてのEUの理念が提示されたのだが、それがうまく機能していない。
サイズが大き過ぎたのだ。
だから、世界は今「ダウンサイジング」のプロセスに向かっている。
というのが私の現状理解である。

私自身、「顔の見える共同体」の必要性をつよく感じていることはこれまでも繰り返し書いてきた通りである。
幼児や高齢者や病人や障害者を含む集団を維持するためには、「集団内の弱者を支援し、扶助し、教育することは成員全員の当然の義務である」という「倫理」が身体化しているような集団がどうしても必要である。

「倫理」とは原義において「倫(なかまたち)」と共にあるための「理法」のことである。
「なかま」のいない人間に倫理は不要である。

「私には仲間はいない。いるのは手下と敵だけだ」という決めの台詞を何かの映画で見た記憶があるが、そういうのが「倫理のない人」である(たしかにこの人物は邪魔な人間、気に入らない人間をじゃんじゃん殺していた)。

仲間がいると人間の可動域は制約され、自由は抑制されるが、その代わりに「ひとりではできないこと」ができるようになる。
「ケミストリー」と言ってもいい。

自分に「そんなこと」ができるとは思ってもいなかったことが「仲間」の登場によってできるようになる。
一方で何かを失い、一方で何かを得る。
帳尻が合う場合もあるし、合わない場合もある。
「仲間がいてよかった」と思うこともあるし、「いない方がよかった」と思うこともある。
でも進化の淘汰圧は「仲間がいる種」だけを残した。

だから、私たちは「仲間とともに生きる理法」を学ばなければならない。
そして、この理法のいちばん基礎的な取り決めは、「最適サイズ」をどこにとるか、ということである。
倫理がきちんと機能するかどうか、それを決定するのは、実は「サイズの問題」なのである。
どこまでを「倫」(なかま)に含めるか。

それについてある程度筋の通った基準を決めておかないと、「理」は働かない。
倫理の有効性は、まことに身も蓋もない言い方をすれば、「その利害を優先的に配慮し、その人たちと共生することが自然な情理にかなっているように思える集団のサイズ」を適正にみきわめられるかどうかにかかっている。

「『倫理の効果はサイズによって決まる』というような非倫理的な妄言を吐く人間は厳しく弾劾されねばならない(そんなことをいう人間は私たちの仲間ではない)」というような言明はその「身も蓋もない」思考の好個の例である。

「倫理の効果はサイズの関数である」というのは事実認知的命題であり、「その集団のサイズをどう高いレベルに維持するか」は遂行的な課題である。
私は「事実認知から始まらないと遂行的課題は達成できない」というごく常識的なことを申し上げているだけである。

ポスト・グローバリズムの世界は、「縮む世界」となる。
この趨勢はとどめることができないと私は思う。

その事実をまっすぐに見据えて、その地滑り的な体制の変化の中で、「近代が夢見た(捨てられようとしている)理想」、すなわち「数百万、数千万の人々を結びつける宏大な共生感をもたらしうる何か」を掬い上げることが私たちのとりあえずの仕事であるように私には思われるのである。

わかりにくい話で済まない。
平川くんの『小商いのすすめ』と併読して下さると、私の言わんとするところも幾分かわかりやすくなるような気がする(まだ読んでないので、わからないけど)。


(私のコメント)


アメリカと言う国は、軍事力においても経済力においても科学技術力においても超大国であり、世界史でこれほどの超大国は存在したことがなかっただろう。それがアメリカと言う国を「普通の国」ではないとアメリカ国民に自負を持たせてきた。まさに一時期のアメリカは覇権国家であり、世界の警察官として存在を認めさせてきた。

今でもアメリカに軍事力でアメリカに逆らえる国はなく、唯一テロ攻撃やゲリラ戦でしかアメリカに抵抗が出来ない。その意味では9,11テロ攻撃はアメリカにとっては驚天動地の事態であり、無敵の軍事力も思わぬ弱点を晒してしまった。さらにベトナムやアフガニスタンなどにおけるゲリラ戦においてもアメリカの強大な軍事力は長期化すれば持たない。

世界史的に見ても超大国は、外部からの攻撃によって滅ぼされるよりも、国内の反乱や分裂などによって滅びることが多い。超大国は多民族国家であり、それを一つにまとめる事は「特別な国である」と言う「神話」が必要だ。日本もかつては「神の国」と言ってみたり「聖戦だ」と言ってみたりしましたが、戦争に負ければ神話は崩壊した。

日本にしてもドイツにしても戦争に負けたことで「普通の国」になれましたが、超大国は戦争に敗れれば国家は分裂して消滅することが多い。最近ではソ連がその例になりますが、冷戦に敗れたことで国家は分裂してソ連は消滅した。事実上は超大国=多民族国家=連合国家だから共産主義という「神話」が崩れれば超大国は分裂や消滅の危機にさらされる。

アメリカも例外ではなく、内田氏は『アメリカは自国の国益を最大化するために行動してきた。けれども、その時も「これは一国の利害得失のためのことではなく、世界のための行為なのだ」という大義名分をどんな詭弁を弄してでも手放さなかった。』と書いていますが、ソ連のような「悪の帝国」がなくなってしまうと「普通の国にならざるを得ない。

アメリカは「特別な国」であり、一時期は金融で世界を支配する金融立国を目指した時期もあった。軍事と金融で支配すれば鬼に金棒であり、アメリカは金融で世界から金を集めて運用して、製造業を捨ててしまった。さらには金融とITとを結びつけて半永久的な繁栄が維持できると思い込んだこともあった。コンピューターを駆使して魔法のような必勝プログラムを組んで利益を上げているかのような見方もあった。

金融については昨日も書いたとおりであり、CDSやデリバティブは理論上では成り立つが、実際にはねずみ講のようなものであり、レバレッジを効かせた博打と同じようなものだった。債権を証券化して他に売り飛ばしてしまえば利益を確定して大儲けができますが、マネーが逆流を始めるとCDSもデリバティブもシステムとして機能しなくなることが分かった。

「株式日記」では、アメリカ大統領選挙におけるロン・ポール候補の事を書いていますが、ようやくアメリカも「普通の国」になることを主張する大統領候補が出てくるようになった。内田氏は『共和党の掲げる「世界の警官」廃業論や連邦政府の権限縮小論がはその適例である。』がそれに当たりますが、日本を65年間も軍隊を常駐させて支配すること事態が異常だ。

超大国では「神話」が一人歩きをして、「神話」が通用する時は超大国も繁栄を続けますが、「神話」とは戦争に勝つことであり、「民主主義」だの「世界平和の為の警察官」だのといった理由で自らを正当付けてきた。しかしアラブの民主化革命はアメリカ無しでも起きた事でもあるし、イラクに戦争を仕掛けなくとも独裁者はエジプトやリビアやチュニジアのように倒される。シリアも時間の問題だろう。

むしろアメリカが果たした功績は、軍事技術だったインターネットを民間に公開したことであり、世界中が通信技術で情報を共有することで世界が変わりつつあるように思える。もはやスターリンや毛沢東のような独裁者はロシアや中国でも現れないだろう。ポケットに入るような携帯電話で世界と繋がっているのだから、アメリカのような「特別な国」が要らなくなる。北朝鮮も必死に情報を遮断していますが携帯電話は北朝鮮を崩壊させるだろう。

内田氏はポスト・グローバリズムの世界を「縮む世界」と述べていますが、『その事実をまっすぐに見据えて、その地滑り的な体制の変化の中で、「近代が夢見た(捨てられようとしている)理想」、すなわち「数百万、数千万の人々を結びつける宏大な共生感をもたらしうる何か」を掬い上げることが私たちのとりあえずの仕事であるように私には思われるのである。』としていますが、アメリカにどのような変化をもたらしているのだろうか?

アメリカは「特別な国」という「神話」で倫理を乗り越えてきましたが、「普通の国」になればアメリカと言えども倫理に基づいた国にならなければならない。内田氏はアメリカを『植民地時代はジョン・ウィンスロップが掲げた「新大陸に理想の福音国家を創る」という宗教的なモチベーションがあった。』と書いていますが、アメリカは『私には仲間はいない。いるのは手下と敵だけだ」という決めの台詞を何かの映画で見た記憶があるが、そういうのが「倫理のない人」である(たしかにこの人物は邪魔な人間、気に入らない人間をじゃんじゃん殺していた)。』というようにギャング国家になってしまった。


 

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コメント
 
01. 2012年1月15日 12:11:52 : 8jEvPYN6QQ
いや、アメリカは、元々は普通の国だったよ。日本と戦うまではね。日本を打ち負かしてから以後、普通じゃ無くなったんだよ、多分。そろそろ、普通の国に戻るのかもね?。

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