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まあ、「東条英機」では客が入らんか!
彼を忠実に描けば典型的官僚的人物の彼は日本国民に”教訓”を与えてくれる筈だ。
東條は悪玉で山本は善玉の思い込み?が日本国民の間では多いからな。
私も子供の頃に家族から聞かされたものだ。
「海軍は開戦に反対だったのだ。山本元帥もそうだった。陸軍が戦争をやりたがったのだ。」
でも、本当にそうだったのか。実態はそうではないだろう。
海軍と山本元帥は善玉で陸軍と東條首相は悪玉と古い日本人達は認識してきた。
そしてその認識で戦後を納得し受け入れてきたようである。
山本は米軍戦闘機に撃墜されて大負けの事態に至る前に戦死してしまったので、その事が「悲劇の人物」として悲劇好きの日本人に受けたのであるが、彼が戦死せずにその後の負け戦の責任者として認識され極東軍事裁判にて裁かれたとするならば、国民の間での評価は全く違っていたものになっていただろう。
米軍のP38重戦闘機の多数による山本搭乗の一式陸攻への攻撃は、狩猟好きの米国民が獲物をハントする有様に私には見えるのだ。
野牛狩りでもやるような気分だったのではないのか。いい気なもんだゼまったく。
御丁寧に日刊ゲンダイでも一面を割いてこの映画の宣伝ページにしている。
私にはこの3・11を経て政治がメルトスルーしてしまっている日本において山本五十六を映画にして果たして教訓が得られるのであろうか?
彼山本も戦前の軍務的官僚の典型的人物であったに過ぎないではないか。
彼が米軍との戦争に納得していなかったとしても大勢に従って任務を全うしたに過ぎない。
日刊ゲンダイの紙面ではどうにも納得出来ないことが書いてあった。
それは、「真珠湾攻撃は戦争を収束させるためのものだった!?」というものである。
恐らく映画のあらすじを基にしているのだろう。
あらすじとは以下である。
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD8495/story.html
あらすじ - 連合艦隊司令長官 山本五十六
昭和十四年。揺れ動く世界情勢は未曽有の危機をはらんでいた。折しも日本国内では、日独伊軍事同盟をめぐって、陸軍を中心とする軍事同盟賛成派と一部良識派が、対立していた。時の海軍次官山本五十六は、世界大戦…
>>『連合艦隊司令長官 山本五十六』あらすじ全文
※ストーリーの結末が記載されていることがあります。ご注意ください
昭和十四年。揺れ動く世界情勢は未曽有の危機をはらんでいた。折しも日本国内では、日独伊軍事同盟をめぐって、陸軍を中心とする軍事同盟賛成派と一部良識派が、対立していた。時の海軍次官山本五十六は、世界大戦突入を憂慮し、同盟結成を阻止しようとしていたが、皮肉にも連合艦隊司令長官に任命されてしまった。翌年九月二十七日、日独伊三国同盟が調印された。山本司令長官は任務のために真珠湾奇襲作戦に出たが、それは早期講和に持込むための布石だった。この作戦は予想以上の戦果をあげた。だが、米軍の空母が無傷だったことは、開戦劈頭に相手に致命的打撃を与え早期講和につなごうという念願を崩し去った。やがて、“大和”が連合艦隊の旗艦として就役。真珠湾の余勢を駆って、日本軍は西南太平洋から印度洋にかけて、破竹の進撃を続けた。だが昭和十七年四月十八日、米空母ホーネットを発艦したB52の編隊が、日本本土を初空襲。これに動揺した軍上層部は、ミッドウェー作戦を強行した。しかし、作戦指導の失敗から、四空母を失い、山本長官の念願していた早期講和への道は、全く絶たれてしまった。ミッドウェーの勝利から米軍は、俄然反撃に転じ、ガダルカナルへの上陸作戦を開始した。日本軍はラバウルを基地に善戦したものの、補給に継ぐ補給、消耗に継ぐ消耗と日米の物量の差が日増しにあらわれ始めた。ガダルカナルの将兵には、飢餓、酷熱、疫病との戦いも加わり全滅寸前。ここに山本長官は全責任を一身に集め、作戦を中止し一万余の将兵を救うべくガ島撤収命令を出した。撤収を終った山本長官は、戦局挽回のため自らもラバウルに将旗を飜えした。そして昭和十八年四月十八日、山本長官は六機の零戦に護られて前線部隊の激励に出かけた。しかし米軍は日本軍の機密暗号電報を解読していた。やがて、長官機は護衛機必死の応戦もむなしく、米軍P38に襲われ火を吐いた。戦争反対を主張しながらも、戦争を余儀なくされた山本五十六は、皮肉にも自らの戦死によってその責任を全うしたのである。
(転載以上)
真珠湾攻撃によって戦力に致命的打撃を受けた米国が早期講和に応ずるであろうと、山本が本気で考えていたであろうとは私には到底思えないのである。
山本は米国にも赴任していて米英の国力の基である経済力の事を熟知していた。
それ故に開戦に消極的であったとすら言われているのであり、その事とこれとは矛盾するのだ。
つまり、真珠湾攻撃の被害くらいで米国が戦意を喪失する筈がない事は山本自身はよく知っていただろう。
従って山本についてのこの解説は苦しい解釈だ。
たとえ真珠湾で停泊中の空母が総て沈められても米国は戦意を落とす事は無かっただろう。
米国本土に日本軍が上陸した訳ではない。空母なんか幾らでも造れるのだ。
山本はそんな事は判っていた筈だ。
では、何の為の真珠湾攻撃なのか?
ただ、その後の戦局を出来る限り有利に展開するために早期に出来る限りの戦力喪失を敵に強いる為であったにすぎないと考える。
ハワイ真珠湾又はフィリピン米軍基地への攻撃により対米開戦の火蓋を切ることは一般的にも定説的に予測された事であろう。
なんら目新しいものではない。ただ、現場の将兵の優秀性と当時としては兵器の性能が先んじていた事により予想以上の戦果を挙げただけの事である。
頑丈な戦艦が4隻も沈むとは日本海軍も予測していなかったのではないのか。
それ故に特殊潜航艇まで繰出したのだろう。
それよりも被害に驚いたのは米国側だろう。それでも「飛んで火に入る夏の虫」として大いに喜んだ事だろう。
真珠湾に空母が居なかった事は日本海軍も知っていた筈だ。なぜなら多くのスパイが湾の状況を詳しく報告してくれていたであろうからである。
山本元帥はフリーメーソンで米国の為に真珠湾攻撃を立案し実行したとの強い説があり、実は撃墜はやらせ劇であり、山本は脱出して米軍基地へ入ったのだとまで言う説がある。
それらについて特に首肯する訳ではない立場を私は採っているが、
山本が戦争の早期終結を真剣に期待していたであろうとは私にはどうしても思えないのである。
それは踏み込みすぎた悲劇のヒーロー仕立ての物語創作ではないのか。
米英の経済力と工業力と生産性をよく知る山本であればこそ、早期和平など考えられず、戦争の行く末を予測していたと考えざるを得ないのだ。
その意味で、彼の心中を察するとさぞかし辛かったであろうと考えるものである。
彼が自ら戦死を望んだと考える人は多く、私もそれはあり得ると考える。
チャイナ相手の日華事変とは違うのだ。日華事変すら収束できなかった上での対米英蘭開戦ではないか。
山本や米内らが三国同盟に反対したのは対米開戦に追い込まれる事を恐れたからであるとも言われている。
確かに対日開戦の口実に使われる危険性はあり実際にもそうなった。
しかし対日開戦は、日華事変を起こさしめて日本とチィイナを戦わせる事に成功した時点で米英の対日開戦は決定的となったと言える。
三国同盟は枝葉の問題でしかない。
山本は戦争へと暴走を始めた国家の運転席に近い部分に乗り合わせた「翻弄される高級官僚」の一人であった人物に過ぎないと考える。
年末になると赤穂浪士などと日本人は講談浪曲の類を好むものだが、この山本悲劇のヒーロー伝説にも「またかい!」の思いがする。
武人らしく死ねたことが彼にとって救いであったと思える。
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